62 ”名無し”
「アイリス・・・か? お前は」
「・・・・・・・」
炎が収まっていくのを、アイリスがじっと見つめていた。
禍々しい魔力が漂っている。
「アイリス?」
こちらには敵意はないようだったが、何を考えているか読めなかった。
「対象物、消去。存在、消去完了シマシタ」
「?」
アイリスが瞬きせず、こちらに視線を向ける。
表情はなかった。
「貴方ハ 対象デハ アリマセン。タイセツデ アイスル・・・」
「誰だ? 何者だ!?」
「・・・・・・・・」
無視して、壁のほうに視線を向けた。
「希望ニヨリ 交代シマス」
「は?」
アイリスが気を失って、体勢を崩す。
フッ・・・
「アイリス!」
アイリスの背中を支える。
服に付着した返り血が乾いて、特に目立った外傷は無くなっていた。
「・・・・・・・・」
心音も呼吸も戻っている。
確かに殺したはずなのに・・・。
死者蘇生を死後に使えるわけない。
何よりあいつは一体・・・・。
突然、バチッと目を覚ました。
「魔王ヴィル様・・・」
「!?」
ぐっと構える。
「どうしたの?」
「・・・アイリス・・・でいいのか?」
「うん。あれ? ここはどこ? 私は・・・そっか、人間から拷問を受けて・・・」
普通に話していた。
完全に、生き返ったってことなのか。
「あっ、そうだ。魔王ヴィル様に殺されたんだった」
「記憶があるのか・・・」
「それは覚えてるよ。ありがとう、魔王ヴィル様。あのときは、もう死にたくてしょうがなかった。苦しくて苦しくて」
「・・・・・・・」
気の抜けたような表情で、ほほ笑んできた。
刺し傷の痕すら残っていない。
血まみれの服を着ていたが、いつものアイリスだった。
トントントントン・・・
階段を下りてくる音が聞こえる。
カマエルだな。
「魔王ヴィル様?」
「とりあえず、アイリスは黙ってろ。俺の話に合わせてくれ」
「うん・・・」
「どうした?」
「魔王ヴィル様にお礼を・・・」
カマエルがこちらを見てにやりと笑う。
「あれほど残酷な魔王ヴィル様を見るのは初めてで、まだ興奮が止みません」
「・・・・・」
アイリスがびくっとして、後ろに隠れた。
「ん? そこにいるのは人間の奴隷の女・・・ククク、やはり魔王ヴィル様ですね。人間を欺くために、仮死状態にしていたと。私はわかっていましたよ」
「あぁ・・・」
アイリスが、特に何者かになる気配はないな。
「魔王の間は綺麗にしましたのでご安心を。あんな汚い人間どもの死体がたくさん転がっていると、不快な気分になって当然ですから。あ、一応、ザガンが匂い消しのハーブも炊いておりますので、ご安心ください」
「ありがとう」
カマエルが自信ありげに、メガネをくいっと上げた。
「拷問楽しめましたでしょうか?」
「そうだな。そこにある燃えカスが人間だ・・・・」
「ん? 何のことでしょう?」
「・・・・!?」
独房にいたはずの黒焦げの遺体が無くなっていた。
思わず、アイリスのほうを見る。
アイリスが何か言おうとする前に、声を出した。
「・・・いや・・・」
「ん? どうされましたか?」
「カマエルは独房に何しに来たんだ・・・?」
「あぁ、私としたことが。魔王ヴィル様は独房に連れてくる前に、全員殺してしまいましたね。あまりの興奮で我を忘れてしまいました」
カマエルが嬉しそうにする。
「カマエルがここに3人の人間を・・・・」
「いえいえ。魔王ヴィル様は一人残らず人間どもを殺したではないですか」
「・・・・・?」
記憶が変わってきている?
時間も少しずれているのか?
「申し訳ございません。私はまた自分の欲望のまま動いてしまいました。魔王ヴィル様にもご指摘を受けた、悪い癖ですね。では、部下に今回の件の報告をしてまいります。失礼しました」
カマエルが頭を下げて、石の階段を素早く上っていった。
タッタッタッタッタ・・・・
「魔王ヴィル様」
「・・・アイリス、お前には聞きたいことがたくさんある」
カマエルの気配が完全に消えたのを確認してから、話を切り出す。
「・・・うん・・・」
アイリスが地面に座ったまま下を向いた。
「でも・・・」
「なんだ? 何か問題でもあるのか?」
「まずは、お風呂に入っていい?」
「はぁ?」
勢いよく立ち上がって訴えてきた。
ガクッと肩を落とす。
「何言ってるんだよ、こんな時に。アイリスはさっきまで死んでたんだぞ」
「でも、血がべったりついて気持ち悪い。あと、なんか死後硬直みたいなのもあって、温めると血の流れが正常値に戻る想定・・・」
アイリスが自分の手をぎこちなく動かしながら話していた。
「わかったよ」
「その間に、話すことまとめる・・・説明できるように」
「・・・あぁ」
無理もないな。
エヴァンが話していたのは、このことだったのか。
あいつが、恐れるのも納得がいく。
上位魔族と会話してから部屋に戻ると、アイリスが外を眺めていた。
長いピンクの髪が風に揺れる。
「おかえりなさい。魔王ヴィル様」
「約束通り説明しろよ。大変なことになってたんだからな」
「そうね。えっと、じゃあ、どこから聞きたい?」
「まずは、どうしてお前が生きてる? 俺は確かにお前の心臓を突いたはずだ」
「うん・・・」
手に皮膚を貫いた感覚が残っていた。
「でも、オーバーライド(上書き)の発動条件が満たされたから違う私が出てきたの。発動条件は・・・停止・・・死ぬこと。絶対に秘密ね」
「死ぬって」
「私、死なないの」
「・・・・・・・・・・」
壁に寄り掛かる。
ラピスラズリのネックレスは、いつの間にか無くなっていた。
「びっくりした?」
「するだろうが。死なないってどうゆうことだ?」
「まだ、思い出せないけど・・・・そうゆう体みたい。私は禁忌魔法の代償も受けない」
窓の外の木々が揺れている。
「お前・・・・」
「”名無し”が使うオーバーライド(上書き)はなんでもできるの。なんでも知っていて、叶えちゃう」
「”名無し”?」
「あっ、違う私のことを、”名無し”って呼んでる。そう呼べって、こう、心の中で伝わってきてね、会話できるんだけど・・・」
浅く息をする。
あれは異質だ。
どう見ても、桁違いの能力を持つ化け物だ。
「じゃあ、その”名無し”はアイリスなのか?」
「んー、そうゆうことになるかな。あまり思い出せないんだけど、私が停止すると、”名無し”に代わる」
「・・・・・・・・・・」
「想像することをを叶える。願わなくても、ほんの少し想像するだけで、そうなっちゃう。でも、”名無し”によると叶わないケースもあるらしくて・・・」
「叶わないケース?」
「うん。オーバーライド(上書き)で書き換わらないことは、時空退行で修正するの」
アイリスがぼうっとしながら言う。
「他国を殲滅させていたときも”名無し”に変わってた・・・ような気がする。記憶が曖昧だけど」
「そのたびに、死んでたのか?」
「死ぬと”名無し”が出てくる。あとは"名無し"に任せるだけ。あ、心配しないで、私、うまく死ぬから」
「・・・・・・・・」
アイリスは軽く言っていたけど、全然、呑み込めなかった。
死は、そんなに簡単なことではない。
命には重みがある。
何人も殺してきた俺でさえ、そんなことはわかっている。
「魔王ヴィル様、3人を独房に入れてたんでしょ?」
「あぁ、そうだ。焦げて消えたけどな」
「彼らは、”名無し”に消去されたの。存在自体、無かったことにされた」
「じゃあ・・・」
「彼らの存在を覚えてるのは、私と近くで見ていた魔王ヴィル様だけ」
「っ・・・・・」
額に汗がにじむ。
アイリスから出てくる言葉は、俺の想像をはるかに超えていた。
「アイリスが・・・そう思ったからなのか?」
「うん。あの3人がいない世界だったらなって、少し思ったから、叶ってしまったみたい。理性は効かない、”名無し”が動いちゃう」
「”名無し”は何者だ?」
「それは・・・・私にもわからないの。思い出そうとすると、頭に霞がかかったようになる」
アイリスがこめかみを軽く押さえていた。
「・・・・お前はその能力で何するつもりだ?」
「何もしない。今までと変わらないよ」
急に、アイリスが顔を上げる。
「私は前みたいに魔王ヴィル様とダンジョンの攻略に行ったり、部屋でくつろいだりしたい」
「・・・これを聞いた以上・・・・アイリスを警戒せざるを得ない。お前は魔族にとっても脅威だ」
「わかってるけど・・・・」
魔族を殲滅する力もあるってことだな。
アイリスが死ぬことがトリガーになるなら、死なせなければいい話だが。
もし、万が一、死後、魔族の殲滅を想像したら・・・?
俺らは何の抵抗もなく、死ぬしかない。
魔族は滅亡する。
「魔王ヴィル様、私は”名無し”に代わらないよ。ちゃんと死なないようにする」
「お前は弱い。すぐ死ぬだろうが」
「んー・・・じゃあ、魔王ヴィル様が守って。私は、魔王ヴィル様がいるから大丈夫」
「・・・・・・・・」
俺よりお前の方が、はるかに強いだろうが。
「・・・・・・」
目を細める。
一瞬、アイリスがマリアに見えた。
『ヴィルがいるから大丈夫』
マリアの言葉と重なる。
俺は無力だ。
かげがいのないものを守るほどの力だってなかったのだから・・・。
「今回は死んじゃったけど、ダンジョンに入ったり、魔王城を探検したり、双竜に乗ったり・・・この世界は私の知らないことでいっぱい。今が一番、楽しいの」
ゆったりと笑いながら言う。
どうしてこいつはこんなに・・・。
「・・・わかったよ。でも、お前が別の禁忌魔法を発動すれば、守り切れるかはわからないからな」
「うん! そのときはそのとき」
明るい口調で話していた。
死んで発動する能力・・・か。
この世にあってはならない魔法は、書物にもないのに、確かに存在したんだな。
しばらくすると、アイリスが外の空気を吸いにいくと言って、部屋を出ていった。
俺から見たら、ごく普通の女の子なのに・・・。
どうしてアイリスばかり、こんな目に合わなきゃいけないんだろうな。




