179 果ての大地⑨
ダンジョンを漂う、雪の匂いのせいか、幼い頃の夢を見ていた。
まだ幼い頃、孤児院で寝かしつけられていたときだ。
「ヴィルの本当のお母さんは優秀な魔法使いだったのよ。私、一度だけ会ったことがあるの」
「・・・・・聞きたくない」
どうせ、子供を捨てて、出て行った女だ。
「じゃあ、もうこの話はしない」
「・・・・・・・」
12歳くらいのマリアは、言葉少ない俺の気持ちをすぐに読むことができた。
俺は察しのいいマリアに大分救われていた。
あの女は有名だったようで、俺に何か聞いて来ようとする者もいたから。
興味もないのに、どうしてこんな夢ばかりみるのか・・・。
夜中、目を覚ますと周りはみんな眠っていた。
エヴァンは剣を持ったまま、寝返りを打っている。
サタニアとユイナとレナも、固まってベッドで寝ていて起きる様子もない。
指先に小さな明かりを灯す。
すっかり目が覚めてしまったな。
近くにあった布を持って、回復の湯のほうへ向かう。
客室から細い壁を歩いて行ったところに、回復の湯の部屋あった。
青色に輝く湯が、白い湯気に包まれていた。
ちゃぷーん
湯気が掃けていくと、セツの雪のような肌が浮かび上がった。
「っと」
『ほぉ、私が入ってるときに来るなんて、いい度胸だな』
一糸まとわぬ裸体を、隠す素振りもなく、にやにやしていた。
小さな胸が湯の中で見えている。
「ダンジョンの精霊も回復の湯に入るのかよ」
『あぁ、私の場合魔法がかかっていたから、この時間には回復の湯に入るようにしている。体がまだ戻っていないのだ』
体を伸ばして、こちらを見上げる。
髪が湯の中に広がっていた。
『ヴィルも入りたいなら入れ。別に構わない』
「フン、勝手にさせてもらう」
『私と回復の湯に入ってることがイエティにバレれば怒られるだろうな』
くすくす笑った。
「イエティは何者なんだ?」
『・・・まだ、永久凍土の魔法をかけられる前に、ダンジョンの入り口のところで倒れていたのを助けた。雪男と呼ばれる存在らしい』
「攻撃されたのか」
『そうだ。いきなり人間に襲われたんだと。北の果ての大地であるここは、人間にとって珍しい種族が住む。普段は人間が足を踏み入れない場所だ』
「ふうん」
『あの時の祠の魔法陣は、お前の母親が描いたものらしいぞ』
服を脱いで湯につかると、セツが泳ぐようにして近づいてきた。
少し距離を空けて、こちらを覗き込む。
「な・・・なんだよ」
『本当に似ているな、あの女と』
瞼を重くして、呟く。
「・・・・・・・・」
『・・・・忌まわしき魔法が解けてすぐ、あの女の、息子の願いを叶えることになるとはな。あの女が少しでも過れば、叶えるのを避けたいところだったが』
湯をすくって息をつく。
『・・・エルフ族のこともある。役目は果たそう』
「その女は、赤の他人だ」
『そうだったな。お前のことは知らないが、幼少期にあまりいい思いをしていないのか』
「うるせぇな」
『これくらい言わせてくれ』
セツが軽く笑った。
『あの女はな、寂しい女だった。全てを手にしても、欠けたものばかり数えようとする。この世に終焉があるなら、奴のような者が導くのだろうな』
水の落ちる音が響いた。
『キサラギがすべてのダンジョンに向けて、リセットをかけた。ダンジョンの精霊にかけられた魔法、自らかけていた魔法も全て、ダンジョンができたときの状態になった』
「・・・・・・・」
『はじまりのダンジョン、キサラギの望みは絶対だ』
セツが湯を肩にかけながら言う。
『でも、時差があるようだな。私たち四元素のダンジョンの後に、お前ら魔族の住むダンジョンに影響が及ぶだろう』
「魔族には、いつでも退避できるよう指示してある。崩落の可能性も考えてな」
『そうか。さすがだな、魔王』
セツがふっと頬を緩める。
『そのほうがいい。ダンジョンがリセットされるのは初めてのこと。私だって、他のダンジョンがどうなっていくのかわからない』
「他の願いを叶えるダンジョンはどこにあるんだ?」
『おぉ、まだ話してなかったな・・・・』
セツが湯から上がって背中越しに話す。
『寝て起きたら、伝えよう。イエティに頼んでおく』
「わかった」
『ヴィル、お前は呪いのような魔法をかけられているな?』
「あぁ・・・・テラから、受けたものだ。異世界の力が入っているらしい」
手を見つめながら言う。
『なるほどな。その魔法は、とても辛いもののように思える。お前の心の奥底、表面まで出てこない領域では思い悩んでいるのだろう。解いてやるという、願いでもいいんだぞ?』
「・・・・・・」
『お前は自分で自分を理解していないようだからな』
顔だけこちらに向けた。
「必要ない、この力は利用するつもりだ。願いは、別のことを考えている」
『そうか。じゃあいい。いらぬ心配だったな』
セツが滴る水を拭いてから、部屋から出ていった。
回復の湯の温かさで、少しうとうとしてから、湯から出ていく。
セツが濡れた床を歩く音を聞きながら、ぼうっとしていた。
ふと、遠い過去に戻り、アイリスの声が聞こえたような気がした。
朝起きると、白い衣装を着たセツが祭壇に立っていた。
『いいか、ヴィル。もう一度念を押すが、異世界住人の転移を止めることはできないからな』
「あぁ。願いは決まっている」
『他にどんな願いをする?』
セツがしっかりした口調で、聞いてくる。
イエティが後ろで膝をついていた。
「全ての魔族のステータスを底上げしてくれ」
『ん? 全ての・・・か?』
「そうだ」
「え? ヴィル、それでいいの?」
「あぁ、ずっと考えていたが、魔族がユイナたちのように、ステータス変更をできる能力を持ったところで器用には使いこなせないだろう。底上げしたほうが手っ取り早い」
「・・・・そりゃ・・そうだよね。俺たちや上位魔族はともかく」
「他の魔族は難しそうね」
サタニアが口に指をあてて、納得していた。
「なら、異世界住人を圧倒できるよう、魔族が力を付けることが最善策だ。あいつらなりに、異世界住人の成長スピードに動揺しているからな」
マントを後ろにやって、セツのほうに近づく。
「魔族は、異世界住人に負けるわけにはいかない。頼めるか?」
『ははは、魔族の王らしいな。わかった。その願い、叶えてやろう』
セツが自分の身長よりも大きな杖を出して、大きく振った。
杖先から光が溢れて、魔法陣になっていく。
宙に浮きながら、詠唱をしていた。
イエティが頭を下げている。
ドクン
一面真っ白な雪の世界を、吸い込んだような感覚になった。
『終わったぞ』
セツが降りてきて、ゆっくりと瞬きをする。
「おぉ! マジか。そうか、俺も魔族か」
「力がどんどん高まっていくのを感じるわ」
「はは、俺はフルステータスなのに・・・」
エヴァンとサタニアのステータスが一気に伸びていった。
俺も、ステータスが上がったのか、力が漲っていくような感覚があった。
『お前の願いを叶えた』
光が収まっていくと、セツが杖を降ろした。
イエティが近づいていき、セツを肩の上に載せる。
『ふぅ、久しぶりすぎて疲れてしまったな』
『大丈夫ですか? セツ様』
『あぁ、この感覚、やはり悪くないな』
イエティと軽く会話してから、こちらに視線を向けた。
「ありがとう」
『はははは、よかったな』
イエティが時間をかけて、段差を降りてくる。
『これは、私以外の願いを叶えるダンジョン・・・火、土、風のダンジョンの地図だ。昨日イエティに書いてもらった』
「あぁ。助かるよ。これで、テラがかけた異世界転移の魔法を解いてもらえれば・・・」
布に描かれた地図を受け取った瞬間・・・。
『!?』
突然、セツが表情を変えた。
イエティが毛を逆立てて、セツを降ろした。
「セツ様! 今のは何でしょうか? 何か嫌な予感がするのです」
『・・・そうだな。私も今、全く同じことを考えていた』
「っ・・・・」
レナが青ざめていた。
緊迫感が走る。
『願いは叶えた。お前らをダンジョンの外に出し、このダンジョンは閉める。人間の侵入がないようにな』
セツが手をかざした。
「わかった」
空気が張り詰めていた。
シュンッ
「な、何かあったのですか? どうしたんですか? 急に」
「ユイナ、貴女は何かあったら私の後ろに隠れなさい」
「え・・・・」
サタニアが指で小さく魔法陣を描いて、自分にバフをかけている。
サアァァァァァ
外に出ると、吹雪で前が見えなかった。
振り返ると、ダンジョンの入り口が固く閉ざされていた。
「来た時と、空気が違うな」
「あぁ。嫌な予感がする・・・」
エヴァンが剣に手をかける。
「何かが、変です・・・おかしいのです・・・」
走っていくレナの足跡を、見失わないように追いかけていった。




