着ぐるみ姫
あるところに醜い魔女がいました。彼女は美しいものを、愛されるものを、恵まれているものを、妬み、妬み、妬み続けていました。
「羨ましい、羨ましい……!」
彼女の目線の先にはとある赤ん坊が居ました。その娘は伯爵家という恵まれた生まれであり、魔力も豊富でした。さらに、両親の顔を見れば美しい女性に育つと用意に想像できました。家族、使用人、領民からたっぷりと愛情を貰って育つだろう赤ん坊を妬んだ魔女は生命力を吸う呪いをかけました。
元気に生まれたはずの我が子が日に日に弱っていくのを見た母親は藁にも縋る思いで魔女を頼りました。
「お前の命を貰う。そうすれば、別の呪いに変えてやろう」
「ええ、差し上げます。ですから、ですからどうかこの子を……!」
約束通り、魔女は赤ん坊にかかった生命力を奪う呪いを別の呪いに変えました。魔女は赤ん坊の将来を考え、意地の悪い顔で笑いました。
ハッチェル伯爵には前妻との間に娘が二人、後妻との間に娘と息子が一人ずつ居ました。昨年、十六歳の末の娘が同格の家に嫁入りし、結婚していない娘は二十歳の次女、ベアトリスだけとなりました。この国の貴族の令嬢は遅くとも十八には結婚するもの。魔法使いでもない彼女は立派な行き遅れでした。
ハッチェル伯爵家は大きな醜態があるどころか、事業にも成功し領地も安定している良家です。通常ならばその家の娘には大量の縁談が来ているはずです。そして実際に、彼女の元には多くの縁談が来ていました。ただ、全てが破談となっただけです。
問題は彼女自身にありました。
性格でしょうか? いいえ、引き篭もってばかりで社交には向いているとは言えませんが、性格は良いです。少なくとも、結婚生活を送る上で困ることはないでしょう。
能力でしょうか? いいえ、彼女は魔法こそ使えませんが優れていると言えます。人によっては嫌だと感じるでしょうが、彼女の魅力の一つです。
では、容姿でしょうか? そうとも言えるし、そうでないとも言えます。彼女は常に着ぐるみを着ていました。そして、見合いの場で一度も着ぐるみを脱いで顔を見せたことがありません。
ある人は言いました、「顔が分からない花嫁なんてごめんだ」と。彼女は聞かれたことには素直に答え、縁談の相手の願いはできる限り叶えていました。だからこそ、彼女が頑なに脱ごうとしない着ぐるみに人々は不信感を抱きました。
ベアトリス・ハッチェルの容姿は醜いものである。このような噂が流れるのはもはや必然だったのでしょう。着ぐるみを着続けるベアトリスは、皮肉も込めて「着ぐるみ姫」と呼ばれるようになりました。
「あなたの醜態のせいで跡取りに嫁が来なかったらどうするのです!」
自分の子ではない娘を心の底では邪魔だと思っていたのでしょう。伯爵夫人が冷たく言い放ちました。ベアトリスは自らの噂を知っており、意地悪で言っているだけではないと分かりました。
「分かったのなら、遠くに行ってしまいなさい!」
こうして、彼女は王都から遠く離れた国境へと移り住むことになりました。
普通の令嬢なら嘆き悲しむはずでしたが、彼女は違いました。人と会わなくて良いと喜んでいたのです。彼女の頭の中では、辺境の地でのびのびと暮らす自分の姿が映し出されていることでしょう。しかしそう簡単にはいきません。
彼女は道に迷ってしまいました。行ったことのない場所に地図も案内も持たずに行ったのですから当然です。彼女はいつの間にか森の中にいました。
「どうしましょう」
鈴のなるような声が熊の着ぐるみから聞こえます。彼女は手を顎に当てて考え込みましたが、考えても仕方がないと歩き始めました。町とは反対方向へと。
「……けて……けてくれ」
彼女が歩いていると消え入りそうな声で助けを求める男性を見つけました。着ている服から察するに彼は貴族です。きらきらと輝く金色の髪は短く切り揃えられています。
川の近くで倒れているということは流されてきたのでしょうか。ベアトリスは面倒ごとの気配を感じ取りましたが見捨てることはできませんでした。
「大丈夫ですか?」
近づくと男性が足を怪我していて動けないと分かります。ベアトリスは念のため一言断ってから男性を横抱きにしました。
「家はどちらでしょう」
「川の……上流の方、だ」
男性に戻る家がありそうだと知り、彼女は安心しました。
男性はこの国境付近の町の若き領主、オーウェン・バーン辺境伯でした。バーン辺境伯と言えば優れた軍略家であり、王都でも話題に上がる人物です。ベアトリスは社交経験の無さから来る自らの無知を恥じました。
「ありがとう。助かったよ、熊の方。お名前を、聞かせてもらえないだろうか」
「ベアトリス・ハッチェルです」
彼女は少し迷った後、本名を口にします。
「ハッチェル……まさか君は伯爵家の……」
「ええ。ハッチェル伯爵が次女、ベアトリスと申します。申し訳ないのですが……私の家まで案内をしていただけませんか」
「……ええ。よろこんで」
ここから、彼女たちの少し変わった交流が始まりました。ある時は紳士淑女として優雅にお茶会や劇場を楽しんだり、ある時は童心に帰って森の中で遊んだり。互いの存在はいつしか大切なものになっていました。
「ベアトリス。俺と共に生きてもらえませんか?」
オーウェンは花束を差し出して言いました。その花は今朝取ってきたのでしょうか、朝露に濡れていてきらきらと輝いています。
「嬉しい。嬉しいわ、オーウェン。でも……無理なの。私は『着ぐるみ姫』です。領主の妻にふさわしくありません」
「それでも、君が良いんだ! 悪評が流れていたって些細なことじゃないか!」
「オーウェン……! いいえ、だめです。だって私は。私は……」
彼女は恐る恐る「呪われている」と告白しました。曰く、彼女の怪力はその呪いのせいであると。
「着ぐるみは呪具なのです。呪いの力が反発して少し力が強い程度まで抑えられているのですが……」
彼女は実証するために着ぐるみを脱ぎます。つやつやとしたミルクティー色の長い髪に、同じ色の瞳を持つ彼女に彼は目を奪われます。彼には彼女の動き全てがきらきらと輝いて見えたことでしょう。
服は着替えやすいのか平民のように簡素なものですが、シンプルな装いがかえって彼女の美しさを引き立てます。
彼女は近くの木を軽く触りました。すると、木は大きな音を立てながらぐしゃりと曲がり、倒れます。
「私も同じ気持ちです。あなたが好きなのです。だから、だからこそお受けできません。私はあなたを傷つけたくない!」
今までにないような強い言葉に彼は驚きます。彼女は泣きそうな声で続けます。
「嫌なんです。これ以上一緒にいたら、私はあなたをもっともっと好きになります。そうしたら、きっと触れたくなってしまいます。どうか、そうなってしまう前に、離れてくださいませ……!」
彼女はすでに着ぐるみを着ていましたが、その中で泣いていることは嫌でもわかります。
「絶対に離れない!」
彼は彼女の手を握ります。彼女は思わず握り返してしまいましたが、彼は顔色を変えることはありません。
「君が触れられないと言うなら、その分俺が触れよう」
「でも、私は『着ぐるみ姫』で……」
「生活を送る上では問題はないんだろう? なら良いじゃないか。もともと俺は着ぐるみ越しの君に惚れたのだから」
彼女は諦める理由を探すように質問をします。けれど、彼は拒否をしません。彼女からは困ったような、けれど嬉しそうな笑い声が聞こえます
「夢があるのです……愛する人と抱き合うという夢が。私は、それを叶えられますか?」
「はい。俺が叶えましょう」
あるところに呪いを受けた少女がいました。彼女が受けた呪いは魔力を全て筋力に変える呪いでした。貴族令嬢としてはマイナスでしかない呪いでしたが、そのおかげで運命の出会いを果たします。
「おめでとう、領主様!」
「おめでとう、ベアトリス様!」
その少女は今、結婚式を挙げています。太陽がきらきらと眩しく、まるで太陽が結婚を祝福しているようです。
新郎が彼女の着ぐるみの頭を取ると、招待客は沸き立ちます。彼らは初めて見る彼女の素顔に見惚れていたのです。けれど彼女は気にせず、彼に顔を近づけました。
鉢かづきを元にしたお話でした。
抱き合うといっても、ベアトリスは手を背中に回すだけなので、オーウェンの背骨は無事だと思います。
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