41話 明日に備えて4
「……一つ訊いてもいいでヤンスか?」
「駄目よ」
中背の男性は、一人用のソファーで寛ぎながら本を読んでいる女性に対し、よそよそしく伺った。
しかし、女性はページをめくりながらきっぱりと断る。
「見てわからない? 今は読書で忙しいの。貴方の気まぐれに付き合っている暇は無いわ」
「それは見れば分かるでヤンス。あっしが訊きたいのは、どうやって目が見えないユミール様が本を読んでいるのかについてでヤンス」
駄目と言ったにもかかわらず質問を実行してきた男にうんざりした目を向けるユミールは、溜息を吐きながら本を閉じた。
「……さっき買い物してた時にテンジっていうのがついてる本を見つけてね。さっき解読が終わったから早速本を読んでるのよ。意外と面白いわよ?」
「それは是非とも読んでみたいでヤンスね」
「見たいなら自分で買いなさい。というか私が読んでる本を気にするよりもお館様の方をどうにかしなさいよ」
「怖いから嫌でヤンス」
「意気地なし」
淡々と意気地の無い発言をするヤンにそう告げると、ユミールは改めて本を開こうとした。だが、不意にその手は止まる。
「……いつからそこにおられたのですか?」
ユミールがゆっくりそう訊くのと同時に、ヤンもその存在に気付く。
今までそこにはいなかったはずの第三者が、ユミールの座っているソファーの背もたれに座っていた。
艶やかに笑い、まるで毛糸でも乗せているかのように、一切の重さを感じさせない女性。
招き入れた覚えの無い侵入者だったが、女性の顔を見て、ヤンもすぐさま冷静に対応する。
「いくらマリッサ様とはいえど、勝手な訪問は困るでヤンス」
「そう硬いことを言うな、ヤンよ。それとマリッサという名はもう捨てたのだ。今はヒカルで通してるんだからその名で呼ぶんじゃない」
嬉々としてそう告げるヒカルだったが、ヤンの表情からはうんざりとした様子が伝わってくる。
だが、ユミールはヤンの味方では無かった。
「相変わらずの神出鬼没ぶりですね。ご無沙汰しております、ヒカル様」
いつの間にか床に膝をつき、ヒカルに向かってかしずいているユミールの姿を見て、ヒカルは妖艶に微笑む。
「やぁやぁユミール君、元気だったかい? 今日は私の可愛い弟子が受け持っている生徒に勝ちを譲ったんだって?」
「……エリスさんは御曹司の教え子だったのですか……なるほど、あの若さであの実力と知識量、御曹司が師であったなら合点がいきました」
「まぁ、師と言っても筋肉ダルマがあの子の弱みにつけ込んで教師として無理矢理雇った関係でしか無いんだけどね。……なんか思い出したらむかついてきた。あの筋肉ダルマめ、よくも私の可愛い可愛いマルクトを……」
「マリッサ」
怒りでわなわなと震えるヒカルの耳に、その低く威圧的な声が届く。
人によってはこの声だけで失禁や気絶に至ったであろうに、ヒカルは余裕の笑みを閉じている扉の方に向けた。
「いい加減さ、君達は私を人間としての名前で呼びなってば――」
直後、ヒカルが目を向けていた扉が木っ端微塵に粉砕した。




