15話 奪われたカトウ7
四冊目を手に取った時だった。
一枚の折りたたまれた紙が日記から落ちてきた。
日記から落ちてきた一枚の折りたたまれた紙、宛名はミチルあてになっている。
筆跡からカトウが書いたものだと分かった。
なんて書いてあるのか気になって、ミチルはその手紙を開いて読んでみた。
『ミチルへ
これは結婚式をあげる前日に書いている手紙だ。
これが君に読まれることが果たしてあるのかわからないが、それでも書かずにはいられなかったものだ。
まず最初にありがとう。
あの日、俺の家に訪ねて来たあの日が昨日のように思える。
正直に言わせてもらうと、俺はミチルと結婚するなんて夢にも思っていなかった。
思えばこの二年間、いろいろあったな。
君は毎日おかえりなさいと言って、俺はただいまと返す。そんな日常が俺にとっては一番の宝物だった。
君に対して辛く当たった日もあったし、仕事のせいで君に構ってやれない日もあった。
それでも、君は一度も俺の側を離れなかった。
そんな君を俺は好きになったんだと思う。
きっと結婚してからも俺は君に好きという言葉を告げることは少ないと思う。態度も素っ気ないものとなっているかもしれない。
それでも、俺は残りの人生を君と共に過ごしていきたいと本当に思っている。さしでがましいかもしれないが、これからも俺と共にいて欲しい。頼りない俺を支えて欲しい。
代わりに俺がお前のことを絶対に守ってみせる。
例え、他の何かを犠牲にしたとしても俺はミチルを守ってみせる。例え世界の全てを敵にまわしても、例えお前から見捨てられようとも、例えそれで俺が死ぬとしても、その意志だけは絶対に曲げない。
君と初めて出会ったあの日、マルクトでも、ユリウスでもなく、俺を選んでくれた君を俺は心から愛している』
手紙には、そう書かれていた。
ミチルは震える手で手紙を持ち、大粒の涙を流しながら、何度もなんと最後の文を読み返す。
手紙に雫が落ちても、お構い無しに読み続ける。
『愛している』
彼女が欲しかった言葉がそこには書かれていた。
自分は、彼にとってどうでもいい存在なんかではなかった。
嬉しかった。
ただただ、嬉しかった。
たった数百文字の手紙、それが自分をこうまで奮い立たせるものだとは思っていなかった。
何を弱気になっていたのだろうか。
例え、好きだと思われていなかろうが関係ない。自分はあの日、テツヤさんに尽くしていくと決めたではないか。
絶対絶命のあの状況で、迫りくる魔獣達から必死になって守ってくれたあの人に私は恋をしたんだ。
何度も何度も魔獣から攻撃されていた。ぼろぼろになりながらも攻撃を受け続けていた。彼一人なら逃げられたかもしれないのに。それなのに決して私を見捨てようとしなかった。
そんな姿に私は惹かれたんだ。
……今は、思い出に浸っている場合なんかじゃない。
私の最愛の夫が、一人で苦しんでいる。私がこんなところでなにかできることなんてない。
へたりこんでいたミチルは立ち上がった。時計を見てみると、今日は既に終わっていた。どうやら三時間も読んでいたようだ。
ミチルは大きく深呼吸をする。深呼吸を終えたミチルは意志の固まった表情になっていた。
◆ ◆ ◆
「テツヤさん!!」
いきなり部屋の扉がノックされずに開かれた。
何事かと布団にくるまっていたカトウは、体を起こして扉の方を見る。
そこには、普段とは明らかに違う様子のミチルが立っていた。
「私は記憶があろうが無かろうがテツヤさんを好きな気持ちは一切変わりません!!」
ミチルがなんでいきなりそんなことを言い始めたのかすぐには理解出来なかった。しかし、ニホンという場所の記憶を失ったことが原因だということには気付いた。
カトウは自分の中でも未だにその事象がのみ込めていない。
当然といえば当然だった。
なにせ目覚めた瞬間、今までは思い出せていたであろう内容が、靄がかかったように思い出せなくなってしまったのだから。
まるで自分が自分じゃないような感覚だった。
もしかすると、このまま残った記憶も消されるんじゃないかという不安に襲われる。
全てを忘れた自分を皆は見捨てるかもしれない。そんな不安で押し潰されそうになっていた。
そんな時に告げられた彼女の言葉、彼女には決して見せたくない涙が目から流れてくる。
見られたくなくて急いで目の辺りを手首で拭う。
その視線を外した一瞬で、ミチルに抱きつかれた。不安がかき消されていくような暖かい感触がした。
「テツヤさんにとって日本の記憶がどれ程大切なものだったか私にはわかります。……だって私はテツヤさんのことを世界中の誰よりも愛していますから」
顔が紅潮していくカトウをクスリと小さく笑ったミチルは、更に続けた。
「例え何があったとしても、あなたを一人になんか絶対にさせません。……だってあなたが私を守ってくれるんでしょう?」
「……俺は今までのカトウテツヤじゃない。……自分の名前だって曖昧になってきたんだ。……俺は本当にカトウテツヤなのか?」
「何を言ってるんですか!! あなたはカトウテツヤです!! 私だけのカトウテツヤです!! 誰にも絶対あげません!! 神様にだって奪わせません!!」
その迫力に気圧されたカトウは狼狽えていた。そんな彼をミチルは慈母のような眼差しで見つめる。
「……先程も言いましたが、記憶があろうが無かろうが、私にはテツヤさんが生きていてくれさえすれば、それだけで満足なんですよ。確かに記憶を失ったことは悲しいです。貴方から何度も異世界の話を聞いた私には、未だにそれが信じられません。……それでも生きて私の元に帰って来てくれた。それが、何よりも嬉しいのです」
その穏やかな口調で発せられた言葉が、カトウにはどうしても嘘には感じられなかった。嘘だと思いたくなかった。
カトウには、もはや記憶なんてどうでも良くなっていた。
そんなものがなくても自分を愛してくれる人がいる。その事実だけでカトウには十分だった。
涙を流しているカトウを見て、その唇にミチルはそっと自分の唇を重ねるのであった。
夜はまだ長い。




