菱道文継の真実
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菱道文継の真実
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「あらためて申し上げます」
「ようこそおいで下さいました、お久しぶりです千冬さん」
病室で目覚めてより一週間と少し。やっと千冬に退院の許可が下りた。
その許可が下りるなり、心配する父と読子の説得を振り切って、彼女は愛すべきお化け屋敷に押しかける。
「あはは、零夏さんも相変わらずだね」
「どうにも真面目過ぎる性分でして……ふふっ、でもやっとお茶を飲んでいただけますね」
「うん、ずっと飲みたかった! 美味しい! 楽しい!」
「うふふふ……そう言ってくれるのはあなたくらいですよ、千冬さん」
メイドより差し出された上等な紅茶は、香り高く渋みも少ない完璧な煎れ具合だった。千冬の中で、零夏への尊敬がさらに大きく広がる。
生き返っても、この屋敷の居間は変わらない居心地の良さだった。
「でも、まさか生きてらしたとは……」
優雅に零夏は微笑んで、彼女の生存を喜んでくれた。
「うん……父さんと、あの祐一兄さんがね……わたしを死んだことにしてくれていたみたい……」
「じゃないと……昏睡中にまた、狙われるかもしれないからって……」
「祐一兄さんは、すごくわたしのことを後悔してるみたいだった……」
美味しいお茶と、病院では食べれないジャンキーなチョコパイにかじりつく。生きている気持ちが千冬の全身へと広がっていった。
「そうですか……」
「でも、私はあなたが生きていてくれて本当に嬉しいです」
「うんっ、会いたかったよ、零夏さん!」
過去を清算して、肉体を取り戻した。零夏の目の前にいる少女は、見違えるほどに明るく健康的だ。
こんなんじゃ物足りないと、二つ目のチョコパイへとがっついている。
「千冬さん、気持ちはわかりますが喉に詰まりますよ?」
「あ~~~~美味しい! 生きてるなぁ、わたし!」
「ふふふっ……」
ティータイムは多少不作法だったが、明るく楽しいひとときだった。
だが、時間の流れと共に……千冬は違和感に気づく。
「ねえ、零夏さん……」
「はい……?」
いつまで経っても、文継はそのお茶会に姿を現さなかった。
あるのはいつもの彼の席に置かれた、すっかりぬるくなったティーカップのみだ。
千冬は怖くなった。でも聞かないわけにはいかない。自分は彼に会いに来たのだから。
「文継は…………どこ…………?」
あんなにも楽しそうにしていた千冬は、心細さのあまり消え入りそうな声を上げた。
どうして彼は現れないのか。自分と会いたくないのか。そんなはずない、彼がお茶会に現れないはずがないのに、と。
「そのことでございますか……」
「そうですね……彼は……ええ……」
零夏は言葉を選びあぐねいた。千冬の寂しそうな姿を見定めて、どう切り出そうかと迷い口ごもる。
「教えて、アイツは……アイツはどこ……?」
「…………」
瞳を閉ざす。わき起こる感情を押し殺して、メイドは彼女に隠し事を告げることにした。
「菱道文継という男は、最初からこの世に存在しません」
「けれど、確かに私たちのそばにいらっしゃいます」
淡々とした言葉が事実を語る。
「え……どういうこと……?」
そんなことを言われても理解できるはずがない。千冬は不安な声で問い返して、零夏の意図を確認する。
「…………え?」
彼女はそれ以上のことを切り出さない。首をかしげる千冬。しかし、やがてハッと気づく。
どうして彼は自分に触れることが出来たのか? 彼は、これまで一度も固形物を食べる姿を見せていない。
「え……え……?」
「そんな……まさか、文継は……そんな……」
彼は図書室の司書に書籍を奪われ、不平の言葉も無視されていた。彼は……。
「菱道文継は50年前に死亡しています」
「っっ?!!?!」
最初から、死んでいたのだ。
「そう、本当の自縛霊はあなたではなく、彼だったのです」
「う、嘘……嘘……」
ショックのあまり、千冬はティーカップに手をぶつけて、中身をテーブルにこぼしてしまった。
「おそらく松次郎氏が文継様に驚いていたのは、その50年前の彼を知っていたためでしょう」
「そうですよね、文継様……?」
メイドは誰もいない席へと振り向いて、静かに減っていたお茶を注ぎ直す。
そこに彼がいるのだと言わんばかりに。
「嘘……っ、嘘っ、嘘っ、嘘っ、嘘っっ!!!」
食い入るように千冬はそこに目線を向けるが、彼の憎たらしい姿は見えなかった。
だが、だが……だが…………気配だけはそこに、ある。誰かがそこにいる。
「文継様に代わり、伝言をお伝えいたします」
零夏は千冬へと振り返り淡々と語る。
「まさか生き霊だったとは、さすがに見破れなかった」
「だが、生きていてくれて本当に嬉しい。俺の代わりに、今度こそ悔いのない一生を歩んでくれ」
「これからはキミの近況を、零夏とのおしゃべりから盗み聞くのを楽しみにしている」
「…………以上です」
彼からの一方的な伝言はそこまでだった。彼と、彼女は、もう二度と交わることのない平行線の上にいた。
彼の存在は、零夏の言葉の上にしかこの世に生存していない。理不尽な現実に、千冬はまた涙を浮かべていた。
「嘘っ嘘っ嘘っ嘘っ、なによそれぇっっ、せっかく生き返ったのにそんなのないよぉっ!!」
いつかの日に彼女がしたのと同じに、千冬はドスンドスンとテーブルを両手で叩いた。
ガタガタと茶器が揺れて、こぼれっぱなしの茶が床へとたれ落ちる。
「私は文継と一緒に生きられるんだって!! ただそのことが嬉しくて嬉しくてたまらなかったのに!! なに勝手なこと言ってるのさ?!! 自分が言ってることの意味わかってんのっっ?!!」
「ふざけんなっっ、ふざけんなよバカぁぁっっ!! 何が何でももう一度、アンタと笑ったり話したり出来るようになってやる!!」
「アンタはイヤなやつだった! 間違いなく最悪の性格だった! 身勝手で、人の心配なんて絶対しないやつだった!! 尽くされて当然、奉仕されて当然、自分の世界に篭もり切りで、誰にも手を差し伸べない最低の人!!」
「それなのに……それなのに…………」
怒りなのか、悲しみなのか、自分自身でもわからない激しい感情の高ぶり。途端に千冬は弱々しく声を擦り切れさせる。
「それなのに、アンタわたしを助けてくれたじゃん……」
「最初に剣を抜いてくれたのもアンタ……」
「結局調査に一番乗り気だったのもアンタ……」
「アイツを罠にハメてくれたのも、アンタ……」
「なのにわたしは、アンタに何もお返し出来ていない……アンタにねだるばかりだった……」
「こんなの……こんなのないよ……借りっぱなしとか……気分悪いよぉ……」
「それに……」
彼女の言葉が止まった。零夏を一度ちらりと見たが、結局言うことに決めた。自分の気持ちに正直になろうと。
「こんなにいっぱい尽くしてもらったら……普通、惚れるじゃん……」
「どんなに最低のヤツでも……惚れちゃうじゃん……」
消える前にはわからなかった本当の気持ちを、もう二度と見えない彼へと伝えた。
涙は止めどなくあふれ、悔しさのあまり彼女は顔をすっぽりと抱え込んだ。
すすり声と、嗚咽だけが幽霊屋敷へとこだまする。彼女を救えるものはどこにもいない。
「千冬さん……」
遠慮がちに、やさしいメイドは彼女へと声をかけたが返事は無かった。
「あの、千冬さん……?」
鳴き声が収まる。それを見計らって、零夏はもう一度彼女へと声をかけた。
「…………決めた」
「え……?」
その声は、さっきまでの無力な彼女ではなかった。彼女は生まれ変わった。もう二度と絶望しないと、理不尽を切り抜けていこうと決めていた。
「わたしここに住む!!」
「そしていつの日か、アンタと一緒に生きられるようになってみせるから!!」
涙をぬぐい、明るくきっぱりと挑戦的に言い放つ。彼女のその姿に、零夏は安心した微笑みを浮かべる。
「それは名案です。だって彼は、一人にしないでくれと叫んでいましたもの」
ガタリと、彼の席のティーカップが揺れる。止めてくれとガタガタと震える。あの晩のことを、零夏に聞かれていないはずがなかったのだ。
「文継様、素直になられたらどうですか?」
「本当はあなたも、千冬さんが戻ってきて嬉しくてたまらないのでしょう?」
もう何度かティーカップは揺れて、ついに彼はおとなしくなった。
「あんなこと言われたらほっておけるわけないでしょ!!」
一人にしないでくれ。確かに彼はそう言った。なら今度は自分が彼へと救いをもたらす番だ。
「だって、だって……」
「だってアンタは、わたしのご主人様なんだから!!」
「一人になんかしないから!! わたしはアンタと、ずっとずっと一緒にいる!!」
「今度はわたしが、アンタを幸せにしてあげるんだからっっ!!!」
ニート探偵、自爆例と出会う おわり




