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三十一、エピローグ


「では、これより聖女の任命式を始めます」


 ローズの宣言により厳粛な空気が流れる中、大神殿の大広間に集まった神殿女官達は固唾を飲んで見守っている。

 目の前には聖女として選ばれたエステルの姿があり、その面持ちには緊張の色があった。けれど、その目はまっすぐに父なる神と聖者アシュの像を見つめている。


(エステルは立派になったわね……)


 ローズは内心そう感慨にふけっていた。

 隣にはディランがいる。聖女任命の儀式は本来、神殿関係者しか参加しないものなのだが、ディランから熱烈な参加意思をされたので特別に今回は許可された形だ。

 戦いから五か月が経とうとしている。

 あれからしばらくはローズもディランも事後処理に追われていた。

 コルケット伯爵家は取り潰しとなり領地は国に没収された。ヘインズ子爵とモロニー男爵は操られていたとはいえ国に反意があったことが知られてしまったため、爵位を後継者に譲り隠居することで今回のことは不問とされた。

 奇跡的に死者がでなかった戦いだった。この戦いによってディランとローズ達は国王にたたえられ、特別褒賞をたくさんもらえることになった。エステルや神殿女官達も嬉しそうにしている。国民のディランとローズをたたえる声も大きい。

 そして今日、長かったローズの聖女の任期が終わろうとしていた。十年もの長きに渡る──未来の時間も含めたら十六年だが──期間、ずっと神殿にいたのに、明日からは宮殿で暮らすことにまだ実感が湧かない。

 五か月前、エステルの文書偽造の罪は不問となった。本来なら神殿から追放されるようなことだったが、先の戦いで王太子軍を勝利に導いたことを神殿議会でも評価されたのだ。

 それでも彼女は神殿を自ら去ろうとしていたので、ローズは説得し、最終的にエステルは神殿に残ることを了承してくれた。

 エステルが次期聖女に任命されるまでには紆余曲折あったが、一番ふさわしくないと抵抗したのはエステル本人だった。むしろ彼女以外には反対意見が出ず、指名したローズも驚いたくらいだ。

 神殿女官も、聖女候補達も、誰もがエステルが次の聖女にふさわしいと認めていた。

 その場に片膝をつくエステルの額に、ローズはそっと月桂冠をかぶせた。


「……辛い時はいつでも相談してね。宮殿で待っているから」


 ローズがそう言うと、エステルは「ありがとうございます」と、はにかんだ。そして立ち上がり、エステルはローズの手を取る。


「私にとって聖女はローズ様ただ一人しかおりません。いつまでも聖女の位でいていただきたいですが……それはディラン殿下が怖いので」


 エステルは苦笑いを浮かべて、チラリとディランを見て小声で言った。

 ディランはしれっとした顔をしているが……。

 ローズはアハハ、と空笑いを浮かべる。


(エステルがいつまでも聖女の位を引き受けないと、いつまで経っても俺達は結婚できないってディランが笑顔でキレたのよね……)


 他に聖女としてふさわしい者もいない。かといってエステルが「自分のような罪人には無理です」と遠慮しているので、しばらく結婚は待って欲しいとディランに頼んだのだが……。

 ディランは「もうこれ以上は待てません」と言って、自らエステルを三か月説得し、それにエステルが根負けした形だった。


「愛されていますね、ローズ様」


 エステルは、そうからかうように笑う。ローズの顔が真っ赤に染まった。


「そんなことないと思うけど……」


 恥ずかしさを誤魔化すようにローズはそう言ったが、ディランに肩を抱かれて否定される。


「そんなことありますよ。あなたは愛されていることに自覚がなさすぎます」


「…………」


 ローズは何も言えなくなった。甘い言葉をささやいてくる彼にまだ慣れない。


(今でもディランと両想いになれたなんて、夢みたいだわ……)


「まぁ、そういうところも含めて俺は好きなんですけどね」


 と、ディランは余裕たっぷりに笑って言った。

 ローズは照れて何も言えないままだ。

 すると、「はい! そこまで!」とエステルが止めに入る。


「続きはハネムーンの後にしてください」


「エ、エステル……」


 ローズが紅潮している顔でそう困ったようにつぶやくと、エステルは「えへへ」と親しみやすい笑みを浮かべた。


「幸せになってくださいね、ローズ様。あと、お土産楽しみにしてますから!」


「うん、ありがとう。必ずいいお土産を持って帰るから期待していてね」


 そう言ってローズは微笑む。そしてローズとディランは、大神殿の回廊を通って神殿を出た。


「さあ、行きましょうか、ローズ。今日からは宮殿で暮らしてもらいます」


 ディランは優しくそう言いながら手を差し出す。


「え? もう? で、でもまだ荷物が……」


 驚くローズに、ディランはフッと口元に笑みをたたえて言う。


「大丈夫ですよ。後ほど全て運ばせますから。必要なものも私がすべて用意しています。……俺の隣の部屋を使ってください」


 王太子のディランの部屋の隣ということは、王太子妃の部屋だ。

 ローズは照れくさい気持ちになりながらも、「う、うん……」と、ディランに手を引かれて豪華な王太子用の馬車に乗り込んだ。


「これからは神も信者のことも考えないで、俺のことだけ見つめてください」


 ディランに熱を帯びた目でそう囁かれ、ローズは頬を赤く染めたままコクリとうなずく。まるで幼い日に戻ったように背中が軽い。婚約者や聖女としての責務もなく、ただ今だけは愛する人のことだけを考えられることに喜びを感じた。


「ええ、ディラン……ずっとあなたのそばにいるわ」


 二人は馬車の中で抱き合い、キスを交わした。そのまま唇を重ねているうちに、やがて馬車が動き出した。

 ディランは窓から見える景色に目を向けて言う。


「指輪はどんなデザインにしましょうか?」


「そうね……エイドリアンが封印されている指輪でなければ何でも良いわ」


 ローズの冗談に、ディランはクスリと笑った。


「違いない」


 ゴードンから回収した指輪は重石をつけ、鎖をつけた箱に入れて海の割れ目に落とされた。

 その区域は誰も入れないよう国の管理下に入っている。もう人々が苦しめられることはないだろう。もう悪夢は終わったのだ。

 ローズは馬車からディランの手を借りてタラップを降りると、いきなり彼の両腕に抱きあげられた。


「きゃっ」


「このまま連れて行っても?」


「……もちろんよ」


 ローズは顔を赤らめつつも嬉しく思い、ディランの首に腕を回してギュッと抱きしめた。侍女や騎士達の微笑ましげな視線が恥ずかしかったが、今はディランに甘えたいような気分だった。そっと顔をディランの胸に押し付けると、なぜかディランはうめく。


「……ローズ、わざとですか?」


「え? 何が……?」


 見上げると、ディランは目元を赤らめていた。


「……もうこれ以上は我慢ができそうにないのですが。新婚初夜まで待てないかもしれません……」


「えっ……と……」


 その言葉を理解した途端、ローズも首まで真っ赤になってしまう。


「えっと……、ディランがしたいなら……いいわ……」


 消え入りそうな声でローズが言うと、ディランは驚いたように目を見開いた。そして硬直した彼は、深く息を吐いてからズンズンと突き進む。


「え? ちょっと、どこに行くの!?」


「寝室です。……私達夫婦になるのですから、もう遠慮する必要などありませんよね?」


「ええ!? ちょ、ちょっと待って!」


(まさか……本当に……?)


 確かに先ほどは流れで了承してしまったが、いざ本当にそうなりそうになると、ローズは焦りを覚えてしまった。ヘタレなのである。


「……嫌ですか? 本当に嫌なら無理強いしません」


 そう悲しげに言うディランに、ローズは「ううう……」と赤面しながらうめいた。


(嫌ではない。嫌ではないのだ。……ただ、恥ずかしいだけで)


「……わ、分かったわ。その……私も嫌じゃないの。ディランがそうしたいなら良いわ……」


 ディランは「はぁ」と、困ったようにため息を落とした。


「……俺の妃が可愛すぎて困る」


 まだ妃じゃないとツッコむ者はいない。

 ディランはローズを抱きかかえた状態でスタスタと歩くと、宮殿の最上階にある部屋に入った。

 そこは王太子の自室だ。ベッドルームにはすでに天蓋付きの大きなダブルサイズの寝台が置かれている。ローズの銀髪がベッドのシーツの上に広がった。


「ローズ、俺の愛しい人……」


「ディラン……」


 ディランに覆いかぶさるようにされて、ローズは瞳を潤ませた。ディランは優しく微笑んで、ローズの頬に手を添える。


「……苦しかったら言ってください」


 そしてさんざんディランに愛されて、ローズは翌日動けなくなってしまったのであった……。



 ◇◆◇



 それから半年後に、ローズはディランと共に新婚旅行に出かけた。

 予定よりも遅くなってしまったのはローズが懐妊してしまったため、安定期に入るまでは延期することになったからだ。

 そのことでローズは赤い顔で少し文句を言ったが、ディランから申し訳なさそうな顔をされたので、すぐに許してしまった。

 本音では、こんなにディランから全身全霊で愛され、人々から祝福されていることがこそばゆかった。




 そして五十年の時が流れ──。

 ローズは六十八歳で亡くなった。棺に横たわるローズの顔は満足そうに微笑んでいるように見える。

 二人の息子と一人の娘が部屋から出て行き、従者もいなくなって、その部屋にはディランだけが残った。


「お互いに老いてしまったね……」


 しわだらけの顔と、白髪の髪で、どう見ても老婆であるのに──ディランには死んでもなお、ローズがこの世の誰よりも魅力的に見えた。

 細くなった手で彼女の手を握り、ディランは涙に濡れた顔で、そっと愛する妻に口付けした。


「生まれ変わったら、どうかまた……俺の妻になってください」


 初めは奴隷と主君の娘、幼馴染、騎士と聖女……そして王と王妃。

 めまぐるしい時の中で、彼女と過ごした時間が自分の人生を支えたのだと思う。ずっと自分は彼女のものだった。


「……永遠にあなたを愛しています」


 そう涙ながらにこぼすと、ローズの顔が微笑んだように見えた。


 その十日後に、後を追うようにディランも亡くなった。




 ローズとディランの話は、最も偉大な聖女と、その従者であった王太子の青年の恋物語として、百年経った後もイブリース王国で語り継がれている。




【終わり】



お読みいただき、誠にありがとうございます!


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