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白雪姫とドロシィ(4)

「鏡よ鏡、この世界で一番美しいのは誰?」


『それは白雪姫です』


 鏡からの返事に王妃は目を見開いた。


「そんな! そんなはずがないでしょう! 私はあの子を殺したじゃない! 私がこの手で、それが一番確実だって、あなたが言ったのに!」


『それは白雪姫です』


「うるさい! 同じ答えは一度で十分よ!」


『それは白雪姫です』


「黙れと言っているのが聞こえないの!」


 王妃はヒステリックな、悲鳴に近い声で鏡を怒鳴りつける。先程まで王妃の神経を逆なでするように同じ言葉を繰り返していた鏡の声はピタリと止んだ。


「どうして、何で、何がいけなかったの? 私は殺したハズ。毒を仕込んだ。リンゴを与えた。あの子はそれを口にした。目の前で。私の目の前でっ!」


 無い口を閉じてただの鏡になったそれを覗き込みながら、王妃はぶつぶつと呟く。


「あの子を殺す毒に迷いなんて無かった。だってそれが私の望みだから。美しく、誰よりも美しく、それが私。それが私の望み。望まれた私。許された私。認められる私。美しくなきゃダメなのよ。私は美しくなければ。美しくなければ。美しくなるの。美しくなるの。美しくなる。美しくなる。美しく美しく美しく美しク美シク美シク美シク美シク美シク美シクウツクシクウツクシクウツクシク――」



『そうよね、それが貴女の望みだものね』



 不意に、耳慣れない声が王妃の頭に響く。


「誰!」


『あら、誰、だなんて冷たいわ。わたしはずっと貴女と一緒にいたでしょう?』


 溌剌とした少女の声。利発そうな少女の声。無邪気そうな少女の声。そのどれでもあってどれでもない声は、先程まで沈黙していた鏡から聞こえているようだった。


「アンタなんて知らないわ! 知った風な口を利かないでちようだい!」


『ひどいわひどいわ、とってもひどい。どうしてそんなひどいことを言うのかしら。貴女はわたしで、わたしは貴女なのに』


「意味の分からないことを言わないで! どこの誰とも知らないアンタに、私の何がわかるっていうの!」


『わかるわ、だって貴女はわたしだもの』


 王妃の悲鳴に答える声はするすると彼女の怒りをすり抜けるように、あるいはその全てを通り過ぎるように、するりと答える。


「わからない、アンタなんかにはわからない! 私には美しさが全てなのよ!」


『ええもちろん、知っているわ。だってわたしのことだもの』


「違う! 私のことよ!」


『そうよわたしのことよ。醜いと蔑まれ、下女にさえ憐れまれた過去も。家族も友人も時間も投げ打って美しさを求めた過去も。ようやく手に入れた美しさが身分違いの国王様に見出された幸せも。その幸せを失いたくないという底なしの恐怖も、ぜーんぶぜんぶ、わたしのもの。ぜーんぶぜんぶ、貴女のもの』


 王妃は絶句する。どうして、どうしてこの鏡は知っている。私の過去。王妃になった時に、手にした美しさが幸せを運んでくれた時に、全てを忘れようと誓ったわたしの過去をどうしてこの鏡が知っている。


『わたしはわたし。わたしは貴女。貴女はわたし。貴女は貴女。もちろん知っているわ。なんだって知っている。なんだって答える。だってわたしは貴女だから。貴方が一番望んでいる答えを、わたしは知っているもの』


「なん、ですって?」


『わたしの答えは貴女の答え。貴女の答えはわたしの答え』


「あなたは、真実を、全ての真実を答えたのではなかったの……?」


『わたしの答えは本当よ。貴女にとっての真実よ。わたしは嘘はつかないわ。だってわたしは貴女だもの。自分に嘘はつけないわ』


 王妃の身体から力が抜ける。倒れるようにその場に座り込んだ。


 鏡の言葉は、真実ではなく自分の想いだった? 悔しさを噛み締めた白雪姫の美しさも。あの子を殺してでも手にしようとした頂点も。全てが私の独りよがり。


 全ては私の恐怖が願ったもの。何よりも誰よりも美しくありたいという私の願いが形になったもの。形になってしまったもの。


 お母様――。


 ああどうして。どうして思い出してしまうの? 幼いあの子の笑顔を。血の繋がらない私を、まるで本当の母のように慕ってくれた幼いあの子の笑顔を。私が何よりも尊いと感じた、世界の何よりも美しいと思ってしまった、あの子の――。


『わたしの答えは本当よ。世界で一番美しいのは、わたしのたった一人の愛娘。かわいいかわいい白雪姫だわ。だけどわたしより美しいものはいらないの。だからあの子もいらないの。どんなに愛しくてもいらないの。ねぇ、そうでしょうわたし?』


「…………」


 王妃は何も答えない。


『うふふ、ふふふ、楽しいわねわたし。わたしは貴女で貴女はわたし。秘密は内緒、内緒は秘密。秘密は無いよ、内緒も無いわ。全部知ってるわたしと貴女。とっても素敵な貴女のわたし。楽しいわね。楽しいわね。うふふ、ふふふ』


 王妃はやはり答えない。生気の失せた瞳は、嫉妬や憎悪で濁ることもなく。王妃の美しさは、感情の淀みという醜さを捨ててついに完成する。


『美しいわ、わたし。もちろん本当よ。だってわたしは貴女で、貴女はわたしですものね』


 鏡は笑い続ける。無邪気に無軌道に、笑い続ける。

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