(66)ちゃんと恋人にして
前回の更新から、1年以上あいてしまいました……
待っていて下さった方、すいません!
二話投稿しております。
「ありがとうございます。……さすがですね、傷があったのが分からないくらいだ」
ルチアが眼鏡を掛けると、ロメオが鏡を差し出した。そこに写る瞳の色がアンバーに変化したのを見て、ルチアが感心したように眉を上げた。
ルチアがこの部屋ーーロメオの隠し書斎に入ったのはこれが初めてだ。天井まで届く棚にぎっしりと詰め込まれた魔術書や何かの道具の数々に、改めて目の前の男が魔道具職人のクラウディオである事を実感する。
「うん、成功ですね。……それから、これを」
ロメオはルチアの瞳の色を確認して頷いた後、ルチアの手に何かを握らせた。
「……これは?」
それは指輪だった。金の台座に、小指の爪ほどの大きさの鈍青色の石がはめこまれている。
「剣の邪魔になるようであれば、鎖を通して首に掛けて頂いても構いませんよ。その石は、魔石です。これまで目にされた事は?」
「……話に聞いた事はあるが。実際に目にするのは初めてです」
「さすが、王家に仕えてらっしゃるだけある。ご存知なのですね」
アストニエルの王宮の所蔵品の中にあるらしい、という話は聞いた事はある。生まれつき魔力をもたない人間が、この石を使う事で一度だけ魔術を行使できるという、魔石。
「この先の旅に、必要になる事があるかもしれません。お持ち下さい」
「いや……、これは頂けませんよ。非常に貴重な物だという事は私も知っています。それこそ、国宝級の品でしょう」
「命を預ける代わりです。私は剣は使えないし、攻撃魔法も得意ではない。さっきはお互いに利のある話であるように言いはしましたが、あなた方にとって私を連れ歩く事はお荷物になりこそすれ、それほどお役に立てる自信もありません。せめて私の持っている物から価値のある物を差し出す事で、罪悪感から逃れたいだけなのです。どうか、受け取って下さい」
確かに、お尋ね者であるロメオを旅に加える事は、ただ安全にこの旅を進める事だけが目的なのであれば、避けるべきなのかもしれない。
だが、シアル大公の持つ不気味な存在感が、アストニエルを出発する前に想定していたよりもずっと危険なものだという事が明らかになってきた今、その狂気に実際に触れたロメオの協力を得る事は、お尋ね者と旅を共にするリスクよりもメリットが勝ると判断していた。
「荷物だなどと思ってはいません。ですが、お気持ちを受け取る事であなたが楽になるのなら。お預かりします」
指輪は左手の中指にちょうど納まった。利き腕は右なので、剣を振るうのにも支障はないだろう。
「しかし、魔術の修行をした事のない私が、魔石を手にしただけで魔術を扱えるものですか?」
「一般的な、火や水や風といった現象を操る魔術を使いこなす事はできないでしょうね。例え、言葉を真似たとしても」
じゃあ、いつ使うんだという顔をしたルチアに、ロメオが少し笑みを浮かべた。
「魔術というのは、ごくごく簡単に言ってしまえば、想う力なのです。それをエレメントに変えるのには練習が必要ですが、例えば純粋な誓いのような……強く、かつ単純明快な想いならば、魔力を乗せる事ができる。
もしかしたら、剣では解決できない事態で、魔力が役に立つ事があるかもしれません。使う当てのないお守り程度に考えて下さっていいですよ」
「剣で解決できないような事態に、陥らない事を祈りますよ」
ルチアが独り言のようにこぼした一言に、ロメオは苦笑いを浮かべて同意を示した。
旅の支度は、セレナにまかせる事にした。実はまともな旅というものをほとんどした事のないロメオである。魔道具や修繕のための器具ぐらいは自分で用意しようとしたが、
「そういう事はもう、私達でやりますから! 旦那様は一番やらなければならない事をしっかりやってきて下さい」
そう言って部屋を追い出されてしまった。
やらなければならない事。もちろん、自分でも分かっていた。
ロメオの自室と同じ階の、端の部屋。
この扉をノックするのは、いつも緊張する。決まって、返ってくるのは不機嫌な声だったから。
「キーラ。……ちょっと、いいかな」
今日は違った。返事はなく、その代わりにギィ、と扉が開いた。
キーラの部屋に入るのは、いつ以来だろう。
この部屋はもともと、かつて自分が一人で暮らしていた時に寝泊まりしていた部屋。初めてキーラがやってきた時に、同じベッドで眠れない夜を明かした部屋だ。
今は壁も塗り替えられて家具も入れ替えられ、お化け屋敷のようだった当時の面影はない。ただ、他の客間に比べると、修繕の痕がいくらか稚拙だ。壁の塗り方にもところどころムラがあるし、床の絨毯も自分達で張り替えたものだから、端の始末が拙い。二人で屋敷を修繕し始めた時、一番最初に手を付けたのがこの部屋だったのだ。
こんな部屋では、こんな屋敷では、こんな町では。こんな自分では。アストニエルに帰りたがっているキーラを繋ぎ止める事ができないと、いつも焦っていたような気がする。
想いを伝えあった今も、その不安が全て消えてなくなったわけではない。
ロメオは俯いていたキーラの側に進むと、少し躊躇してから静かにキーラの手を取る。
その行為に抵抗されなかった事にほっと息を吐くと、口を開いた。
「……急に、家を空ける事になってすまない」
キーラはきゅっと手を握り返した。
「だい……じょうぶよ、私、慣れてるもの。エイジャも、よく仕事で長く街を離れてたし」
キーラはついエイジャの名前を出してしまった事を少し後悔した。
だがそれよりも、今はロメオに対して、溢れ出しそうになる弱さを封じ込めるのに精一杯だった。
「ずっと故郷を離れてたんだもの。お父さんやお母さんも、きっとずっとロメオの事を心配してたはずだわ。元気でいる事を、伝えてあげるべきよ」
「……うん、そうだな」
ロメオの気持ちが分からなくて、憎まれ口ばかり叩いていた自分には、もう戻りたくない。
彼から見ればずっと年下で子供な自分を好きだと言ってくれたロメオに、幻滅されたくない。物わかりのいい、大人の女性だと思われたかった。
「なるべく早く戻るよ。人攫い達はいなくなったから危険は少ないと思うけど、気を付けて、しっかり戸締まりをして……」
繋いだ手に、ぽたりと水滴が落ちたのに気付いたロメオの言葉が途切れた。
「キーラ……」
ロメオの戸惑ったような声色で、頬をつうっと水滴が伝うのに気付いた。その瞬間、堪えていたものが溢れ出してしまった。
あんなに我慢していたのに。一度決壊してしまったものはもう止める術がない。何か言いたいのに、しゃくり上げてしまって声にならず、体にも力が入らない。こちらに伸ばされたロメオの腕になんなく引き寄せられた。
「ごめん」
胸に抱き締められ、近い場所で愛しい声を聞いて。ぎりぎりで保っていた最後のプライドも砕けて落ちた。
「やっと、やっと……想いが通じたと思ったのに」
嗚咽に紛れて、素直な言葉が零れ落ちる。
「私は……もう、ちょっとだって離れたくないのに。ロメオはそうじゃないんでしょ」
「キーラ」
「ひどい、よ……」
勝手な事を言ってる。聞き分けのない女。やっぱりまだ子供なんだ。ロメオは大人だもの。やるべき事をやろうとしてるだけなのに、私はこんなふうに泣いて詰って、どうしようもない。
分かっていても、簡単には受け入れられなかった。
半分やけになって、もう涙が出るのにまかせてありったけ泣いていると、ふわりと体が浮いた。
「えっ」
涙でぼんやりと霞んでいた景色が、ぐるりと回転する。後頭部に、ぽすんと柔らかな感触があった。
驚きでいったん涙が止まったキーラの目に映ったのは、覗きこむロメオの顔。その後ろに見えるのは、天井だ。あ、背中に当たってるのは、ベッドだ……と、分かった途端に視界が暗くなった。
「ん……っ」
唇を塞がれる。
何度も、角度を変えて。
「……っ、ロメオ、ッ」
口付けの間に名を呼ぶと、その隙をつくように、口付けはさらに深くなった。
息継ぎをするのも難しいほど激しいキスに、さんざん泣いて痺れていた頭が更に朦朧としてくる。
「離れたくない、に決まってるだろう」
すっかり力が抜けてしまったキーラに、少し顔を上げたロメオが零した。
「でも……。今しかないんだ。あと一日、君と一緒にいたら、もう二度と離れられないだろう。君に溺れてしまって、自分のすべき事など見失ってしまうのが怖い。
俺は罪深い人間なんだ。ちゃんと片を付けないと、まっすぐ君に向き合う資格がない」
「……ロメオ」
「本当に……ごめん。勝手な事を言ってるのは分かってる……」
キーラはゆるりと手を持ち上げた。
辛そうに歪められた眉、
熱にうかされたように揺らぐ瞳。
熱い唇。
ひとつずつ確かめるように、指先を辿らせる。
体を起こそうとしたロメオの、首元のタイを咄嗟に掴んだ。
驚きに目を見はっているロメオに、キーラは自分から口付けた。
「キーラ……」
辛そうだったロメオの表情が、どこかあっけにとられたようにぽかんとしていて。
キーラは何だかおかしくなって、少し笑った。
「本当に勝手だわ。いない間に、ロメオの事なんて忘れちゃって、他にもっと優しい人に出会ったらどうするの?」
「……それは……困る」
キーラは腕をふわりとロメオの首に回した。
「じゃあ、ちゃんと私をロメオの恋人にして。忘れないように。……刻み付けて」
ぎゅっと抱きつく。
重力に逆らうように強ばっていたロメオの腕から力が抜けた。
この部屋で、初めて一緒に朝を迎えた時と、同じベッド。
他の家具は新しいものに入れ替えられたけど、これだけは、寝心地が気に入ってるから、と譲らなかった。だって、ロメオの優しさに初めて触れた場所だったから。
絶対に無事に帰ってきて。
そして、帰ってきたら一番に会いに来て。
そのためになら、自分の命と引き換えてもいい。
初めてそう、強く想った。




