(65)一つの決心
大変大変ながらくお待たせしまして、申し訳ありませんでした。
フェルダは以前、シアルで諜報活動にあたっていた中で、情報屋から聞いた話を思い出していた。
それは別の用件で立ち寄った情報屋で、ついでのように耳に挟んだ話。フェルダはアストニエルにとってそれほど重要な話でもないと判断して、 その時深く考えた事はなかったのだが。
「ロメオ、あなたこの話知ってる?
シアルのある魔術師の一族が、シアル大公に皆殺しにされたって」
「……本当ですか……」
ロメオは嫌悪感に顔をしかめた。
「何て惨い……。いえ、初めて聞きました」
大公の名を耳にするだけでも不快であるのに、また胸の悪くなりそうな話だ。
「美しい魔術師の一族で……外部とほとんど接触のない、いわば隠れ里だったらしいの。アタシも情報屋から噂で聞いただけで、確証もなくてなんだかお伽話みたいだし。あんまり本気にはしてなかったのよね」
「美しい魔術師の一族……ですか。何やら、エイジャさんを思い出させますね、それは」
「でしょう? さっきあの子が、家は全焼して何も残ってないって言ってたのも気になって。
その一族がどうして皆殺しに合ったのかも分からないし、その事実自体、大公軍によって徹底的に伏せられたしくて、シアルでも知られていないらしいの」
「それはいつ頃の話なんですか?」
「10年程前だって聞いたけど……。はっきりした事は分からないわ」
ロメオは少し考え込む様子を見せたが、すぐに否定するように首を傾げた。
「いや……、もしその哀れな一族がエイジャさんの一族だとしたら。魔力を継承させる能力の事を、大公が知らずに皆殺しにするわけはありません。そうなると、大公が一族の人達を利用する事はあっても、滅ぼす必要はないでしょう? 今まで糸口さえ見つからなかった魔道具開発ができるかもしれない一族なんですから……大公にとっては、喉から手が出る程欲しい人材であるはずです」
「そう、よね……」
「皆殺しにされたというのは、事実なんでしょうか? フェルダさんが掴んだ情報ですから、全くの作り話という事はないのでしょうが……。例えば村は焼き払われ、村人は大公の手でどこかへ移されて魔道具研究へ協力させられているという事は?」
「あり得なくもないわね」
二人して黙り込む。ぽつん、ぽつんと点在する重要なピースを、繋ごうと思えばいくらでも繋ぐ事はできる。ただし、それは全てあやふやな伝聞と想像の上に成り立っているもので、確定要素は何もない。
何かを見落としているような気がして、フェルダは苛立ったように組んだ腕をトントンと指で叩いていたが、諦めたように溜息をついた。
「言いたくなければ聞かない、ヒトの過去を掘り返さない、がアタシのポリシーだったんだけどね。そうも言ってられないか……」
独り言のようにつぶやく。
「まだ先は長い旅だし。機会を見て聞いてみるわ。
……大公が絡む以上、いつかは対峙しなければいけない事実、だしね」
「…………」
ロメオは沈黙したまま、手元の眼鏡を見つめていた。
フェルダが部屋を出て行き、ほどなくしてロメオは早速眼鏡の修繕に取りかかった。
端に入った亀裂をなぞると、指先に僅かな魔力の綻びを感じる。術者が魔術を施しても、ここから零れ落ちてしまうようだ。
太い黒縁のそれは一見、何の変哲もない代物に見える。
一昔前によく見かけた形で、故郷にいた頃に自分の父が掛けていたものによく似ている。度は入っていないという事だから、最初から魔道具にするつもりでレンズを用意していたのだろう。
エイジャの祖父は、何を思ってこれを準備したのか。
あなたは何者ですか。
……どうやってこんな物を作り出したのですか。
ロメオは心の中で、会った事のないエイジャの祖父に語りかけた。
この隠し部屋で魔道具の研究を続けながら。いつでも彼の頭の片隅には、あの忌まわしい魔術書に対する疑念がこびりついていたが、ずっと、真正面から考えるのを避けてきた。
あの魔術書。
たしかに、自らの手で燃やしたはず。でも、炎が上がったのは間違いないが、灰になったのを見届けたわけではない。
それに、同じような内容の魔術書が、あれ一冊しか伝えられていないという保証だってない。
情報屋から入ってくるシアルの内情は、ロメオが出て行った20年前に比べきな臭いようだった。
魔術研究者や魔道具職人は大公の監視下に置かれ、軍事目的の研究を強いられているらしい。生活には苦労しないだろうが、随分と不自由そうに思えた。
先程フェルダの話した仮説がもし本当なら、10年程前に滅ぼされた魔術師の一族ーーそれがエイジャの一族だというならーー大公は自らの手で、魔道具を作り出す事のできる唯一の手段を取潰した事になる。そんな事はやはり、どう考えてもあり得ない。何か、どこかが間違っている。
ロメオはあの魔術書を、最後までは解読していない。もしかしたら、あの時燃やし尽くす事ができておらず、タオによって大公の元に持ち帰られ、その後誰かが全てを解読していたらという事も、考えられなくはないのだ。
覆っていた目を、開けなくてはいけない。今度こそ、しっかりと。
修理の済んだ眼鏡を手に、ロメオは一つの決心を固めていた。
その日の晩餐の席で、食事があらかた済んだタイミングを見計らったように、ロメオが口を開いた。
「シアルにご一緒させて頂けませんか」
おもむろにそう切り出したロメオに、その場は水を打ったように静まり返った。
「シアルに、……故郷に、帰られるおつもりですか?」
ルチアが尋ねると、ロメオは「はい」と頷いた。
「これまで20年もの長い間、私は過去に、自分の心に背を向けて生きてきました。しかし……もう見ない振りをしたままではいられない。
図々しい願いなのは承知していますが、是非とも同行させて頂きたいのです」
ルチアとフェルダが顔を見合わせる。
「私の故郷、エディノアは、首都よりもずっと国境の近くにあります。長居するつもりはありません、両親と故郷の様子を確かめたら、すぐに出発するつもりです。
もう一つは……」
そこでロメオは一度言葉を区切った。
「私が過去に犯した罪が、結果シアルという国にどういう影響を及ぼしているのか。あるいは、何も及ぼしていないのか……。それを確かめたいのです」
静寂の中、手にしていたグラスのワインをくいっと飲み干し、フェルダが口を開いた。
「超高額賞金首のあなたにとっては、腕の立つ一行について行けば、一人旅よりもずっと安全。アタシ達にとっては、シアル国内や大公家と魔術研究の事情にも詳しいあなたを連れて行く事がメリットにもなる……どちらにも利があるわけね」
ロメオが頷く。
「差し出がましい頼みだとは分かっています。俺が一緒にいる事で、逆に厄介事も起こるかもしれない。何しろ、俺の賞金は1000万ディールだ。私の首を狙っている者はシアル国内には多いでしょう」
「そーね……、どう? ルチア」
「そうだな……。ま、危険な旅なのは元からだし……俺達としては、彼に協力してもらえるのなら、むしろメリットの方が大きいと思うが。
しかし、すぐに帰って来られる保証はできませんよ。その間、屋敷を空ける事になりますが……」
ルチアの問いかけをきっかけに、その場にいた全員がキーラに目を向けた。
ようやく結ばれたばかりの恋人を置いて行くのか?
と全員の目が語っている。
そんな中で、キーラは両手にナイフとフォークを手にしたまま、視線を落として動かずにいた。
「……キーラ」
エイジャが心配そうに声を掛けると、キーラは俯いていた顔をぱっと上げた。
皆に注目されていた事に初めて気付き、目を瞬かせる。
「大丈夫?」
「……大丈夫よ、エイジャ。私の事だったら、心配しないで。
ロメオ、いってらっしゃいよ。私なら平気、皆もいるし。ちゃんとお留守番してるわ」
ロメオはしばらくキーラの瞳を見つめ返していたが、黙ったまま頷いた。
「じゃあ、決まりね。出発はいつにする? 準備もあるでしょう?」
気まずい空気を振り払うようにフェルダが問いかけると、ロメオは強ばらせていた肩の力をふうっと抜いた。
「ありがとうございます。……大した準備もありませんし、明日には出られます。眼鏡の修理も終わっていますから。後は掛けて頂いて微調整するだけですから、ルチアさん、書斎に来て頂けますか」




