(61)アタシ、ベルちゃんに何したの?
主不在の晩餐が終わりに近付いた頃、ロメオから今夜は是非この屋敷で休んでもらうようと伝言が入った。
断る理由もないのでありがたく申し出を受ける。
明日改めてロメオから詳しい話を聞く事にして、それぞれ用意された客室へと案内された。
「こちらが寝室になります。何か足りないものがありましたら、お呼び下さいね」
ベルを案内してくれた若い女性は、ドアを開いてベルを部屋に通すときれいなお辞儀をして出て行く。皆と同じ、濃い紺色のワンピースに白いエプロンというメイド姿だ。
「ありがとう」
ベルが後ろ姿に声を掛けると、女性は振り返って微笑み、会釈をした。ベルは軽く手を振って見送る。同じ年頃の女の子だ。あの子もやむにやまれぬ事情があって国を出て、ここにいるのだろう。
後ろ姿が角を曲がったのを見て、ドアを閉じようとノブに手を掛けた。目まぐるしすぎる一日で、体力も気力ももう限界だ。一秒でも早くベッドに倒れ込みたかった。
「ねえベルちゃん、ちょっと」
閉まりかけたドアが再び開かれ、ベルは驚いて肩を跳ねさせた。
「!フェルダさん!?」
鋭い声を上げたベルに面食らったような表情で、フェルダが立っていた。
「……何ですか?」
「ちょっと話がしたくて。入ってもいいかしら?」
「……いいですけど……」
フェルダが部屋の中に足を踏み入れると、ベルは素早く後ずさってフェルダから距離を取る。
「そんなに警戒しないでちょうだい。傷つくじゃないの」
「けっ、警戒して当たり前でしょ!? あんな事しといてっ!」
声を荒げたベルに、フェルダは溜息をついた。
「ああもう、やっぱりアレを怒ってるの? ごめんなさいって言ったじゃない」
「ごめん、って、それだけであっさり許せるほど人間できてないんで!」
ふんっと鼻息荒く顔を背けたベルに、フェルダは困ったように手の平を頬に当てる。
「仕方ないじゃない、ヴィルヘルムのやる事はアタシにはコントロールできないんだもの」
「だから警戒してるんです!」
「大丈夫よ、アイツはアタシの許可なしに出てくる事はないから」
「……本当?」
「本当よ。だからそんなに牙剥かないで」
ベルはそれでもまだ半信半疑のようだったが、ようやく後ずさりしていた足を止めた。
「なんなんですか?あれって……。あれも、フェルダさん、なんでしょ?」
「そうねぇ、そうとも言えるし、違うかも……アタシにも分からないのよ。向こうの時に言った事やった事、まるで覚えてないし、ヴィルヘルムの話を聞いても誰か別人の話を聞いてるような気になるの」
「覚えて、ないんですか。なんにも? 全然?」
呆れたようなベルに、フェルダは苦笑して頷いた。
「まあ、これまでの経験からいってベルちゃんが怒ってる理由はなんとなくわかるんだけどね」
ベルは思わず顔を赤くして黙りこんだ。こうしていると他人の話をしているようだが、紛れもなく昼間自分の唇を奪ったのは目の前にいる人間なのである。
「フェルダさんの許可なしにあの人が出てくる事はない、ってことは、フェルダさんの本当の姿は、今話してる、フェルダさんなんですよね?」
「と、アタシは思ってるわ」
曖昧な返事にベルが怪訝な顔をしたので、フェルダは慌てたように「そのはずよ、絶対」と言い直した。
普段の自分とは全く違う、もう一つの人格を持つ人間がいる。話には聞いた事があるが、オカルトじみた作り話のようで、信憑性がなかった。
でも、昼間目の当たりにしたフェルダの変化は見間違いようがない。妖艶な美女にしか見えない顔立ちも、豊かなローズレッドの髪もそのままなのに、「ヴェルヘルム」は確かに男にしか見えなかった。
「なんで……」
言いかけて、ベルは口をつぐんだ。
なんで、フェルダとヴィルヘルムがいるの?
どうして二つの人格に分かれたの?
疑問は次々に湧いてくるが、そういえば自分はフェルダの事を何一つ知らないのだ。
フェルダが常々秘密主義で自分の事を全く語らず、何か聞かれても飄々と受け流してしまうからという事もあるが、同時に彼女のプライベートな事を知りすぎるのは少し怖い気もしていた。
フェルダと長い付き合いらしいルチアは、当然ながらヴィルヘルムの事は知っていたようだが……
フェルダはふわりと微笑みを見せた。
まるで、なぜ口を閉じたのか、全て分かっているかのように。
「何も聞かないでいてくれるなんて、優しいのね」
「っ、だって、話したかったら自分から話すでしょ?フェルダさん、自分の事って話さないし、聞かれたくないと思って」
ふふっ、とフェルダは笑う。
「まあ、聞いて楽しい話でもないからね。それなら、美しいお芝居を見た方がずっと良いじゃない?」
「……」
ベルが眉を険しくさせたのを見て、フェルダは困ったように微笑んだ。
「あんな男でも、アタシみたいなオカマよりもずっとマシだって思う人達もいるのよ。攻撃魔法も強いしね」
「そんな……、あんなのより、いつものフェルダさんの方が、ずっといいと思うけど」
「まあ、そんなふうに言ってやらないで。困った男だけど、やっぱり紛れもなくアタシの一部だし、愛着はあるのよ。普段ずっと眠らせてるから、たまに表に出すとなかなか引っ込まなくてそこが手こずるんだけど」
「ああ……、ルチアがそんな事言ってたっけ」
「ルチアはヴィルヘルムと長い間一緒にいた事もあったからね。久し振りにアタシが戻ってみたら、すっかり男同士の友情を築いてて焼いちゃったぐらい。
でも、今日はベルちゃんがさくっと片付けてくれちゃってビックリしたわ。痛い思いするのは勘弁したいけど、助かっちゃった。ありがとうね」
礼を言われ、ベルはどう答えて良いのか分からずに目を瞬かせた。
「今度アイツが勝手な事し始めたら、またよろしくね。あ、でも顔はイヤよ」
「その前に、殴られるような事しないで欲しいんですけど。当分、会う事はないんでしょ?」
「どうかしらね。これから先の旅も楽にはいかないだろうし。アタシの力では手に負えない事態になったら、ヴィルヘルムに出てもらうしかないから」
「それは、これからシアルに入るから?」
フェルダは静かに頷いた。
「まあ、今日みたいに大暴れするような事態は避けたいんだけどね。シアルでヴィルヘルムが出てくるような事があったら、相当ヤバい事態ね」
「……二重の意味で、会いたくないです」
ベルのつぶやきに、フェルダがふふっ、とおかしそうに笑った。
「じゃあ、また明日ね。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
ドアノブに手を掛けたフェルダが、ふとベルを振り返った。
「ねぇ、でもアタシ、ベルちゃんに何したの?キスだけじゃなくてもっといい事もしちゃったの?もしかして」
「なっ……!まさかっ!」
「良かった、そうよねぇ、いくら盛りのついた種馬男でもあんな場所でねぇ」
ベルが真っ赤になって絶句しているのをよそ目に、フェルダはいつもと変わらない仕草で優雅に微笑み、部屋を出て行った。




