(58)祝福の光
お待たせしてすいませんでした。今回は2話投稿しております。最新話から来られた方は、一話前からお読み下さいませ。
「旦那様!」
「おかえりなさいませ!よくご無事で……!」
屋敷に戻ると、主人の帰りを待ちかねていた女性達が一斉にエイジャ達一行を出迎えた。
砂埃と傷だらけのロメオを見て悲鳴を上げ、「今すぐお召しかえを!」「それよりもお湯を使って頂いて……」と、屋敷内がさながら戦場のように慌ただしくなる。
そんな女性達に優しい微笑みを返しながら、ロメオは強い視線を感じて階段の上に目を向けた。
「キーラ」
いつも通りの、怒ったような表情で。
キーラが階段の踊り場からこちらを見下ろしていた。
二人の様子に気付いて、場が静まり返る。
キーラがゆっくりと階段を降りる。
ロメオの目の前までやってきたが、下を向いているので表情は分からなかった。
「良かった、ちゃんと戻っていて……怪我はなかったかい」
ロメオが声を掛けても、キーラは一言も口をきかず、その顔も見せない。
「キーラ」
数歩離れた場所から、エイジャが何かを促すように声を掛けた。
キーラの肩が揺れた。
「……ああ、もう限界! すぐにおフロに入らせて! 砂まみれで服の中までジャリジャリ!」
静まり返っていた空気をぶち壊すように、フェルダが声を上げた。
「は、はい! すぐに準備しますわ。こちらへ」
「皆様もどうぞこちらへ、お召しかえを」
「お茶の用意をしますわ」
再び、ロビーは慌ただしい声に包まれた。フェルダが気を利かせた事に、皆が気付いていた。
それぞれが浴室や部屋に案内されていき、ロメオとキーラだけがぽつんとその場に残された。
「……」
「……」
「……ちょっと手間取ったけど、エイジャさんとルチアさんの助けで無事戻ってこれたよ」
沈黙に困り、ロメオが先に口を開いた。
「でも、あの時話した事は本当だ。君はもう故郷の借金の心配なんてしなくていいんだよ。エイジャさんにアストニエルに連れて帰ってもらいなさい。やっと、夢が叶うんだ」
キーラの返事はなかった。どんな表情をしているのか、ロメオには全く想像もできなかった。
ロメオの行動を、重荷に思っているかもしれない。ロメオの世話になどなりたくない、そう言われるのではないかと思った。
「……ばか、じゃないの」
小さな小さな声だった。ロビーが静まり返っていなければ、聞き取れないくらいに。
ロメオは何を言われたのかすぐに理解ができず、次の言葉を待った。下を向いたままのキーラの、小さな肩を見る。
……震えてる。
「……っ、なんで、そんな……っ!」
次の言葉が嗚咽混じりだった事にロメオは驚いた。
「なんでそんなこと、言うの! ばかじゃないのっ……、あんたが何考えてんのか、私、わかんない! 私は、ここにいちゃいけないの!?」
そう言うと、キーラは完全に泣き出してしまった。
ロメオは。
頭が真っ白になっていた。
キーラが泣いている。すぐ目の前で、少し腕を上げれば届く近さで。
状況から見て、会話の前後から察するに、キーラは俺の発言に対して泣いているのだ。
こんな経験は今までにした事がない。対処の方法が分からない。
「キーラ。すまない。泣かないでくれ。何故泣くのか分からないけど、君に泣かれると苦しい」
わけがわからなくて、ただ思った事を口にした。キーラの泣き声はやまず、思わず、震えている肩に手を当てた。
びくっ、と肩が揺れて、キーラが顔を上げた。涙でぐしょぐしょに濡れた瞳と、視線が合った。
「ロメオが好き……」
キーラの唇が動いて、言葉が紡がれた。
でもその言葉が耳に届いて、脳内で意味を為すまでにたっぷり時間が掛かった。
みるみるうちに、キーラの瞳にさらに大きな涙が盛り上がった。
「あ、あ、キーラ、泣かないで……えっ?」
反射的に口にする。
「……っ、分かってるっ! ロメオは昔好きだった人が忘れられないんでしょ、だから今もずっと女の人を屋敷に呼んでるんでしょ! ロメオは大人だもの、何でも持ってるもの、私なんかとかは違う……知ってる、そんなの、分かってる……っ」
キーラは流れ出す涙を必至に手の甲でぬぐう。
「えっ、ちょっと、待って、キーラ、何? それ、誰がそんな事?」
「ロメオが自分で言ったじゃない! 昔、大事な女の人をなくした事があるって! もうそんなの見たくないんだって……だから女の人をたくさん集めてるんでしょ!?毎晩、代わる代わる、女の人達を部屋に呼んでるのだって知ってるしっ……!」
わああん、と更に泣き声が大きくなる。それだけでロメオの頭はパニックに陥っていた。全く理解がついていかない。
「キーラ、君は何か勘違いしてるよ。昔、大事な女の子を俺のせいでなくした事は本当だよ。でも、屋敷の女性達をその代わりにしているなんて事はありえない。夜に女性に部屋に来てもらっているのは実験の助手をお願いしてるだけだし、誰に手伝ってもらうかは俺が決めてるわけじゃないし、その」
落ち着け。落ち着け。キーラはあと、他には何を?
「ええと、その、昔なくした女の子の事は、好きだとか嫌いだとか考える前になくしてしまったんだ。完全に、俺のせいで……今でもずっと、その罪は消えない。永遠に。一生背負っていくものだよ」
キーラに、話そう。失った過去の事も全て。それは怖い事だけれど、とても勇気のいる事だけど。
「キーラ、その、俺は聞き違いをしたみたいだ。最初に、何て言った?もう一度言ってくれ」
ロメオの言葉を聞いて、キーラの顔が真っ赤になった。
「え?」
「ロ、ロメオの、ばか!そんなの、聞き違えるなんて!もう一度って何!」
恥ずかしさに耐えられず顔を隠すようにして、キーラが胸に飛び込んできた。
「ええっ!?」
狼狽したのはロメオである。あわわわ、と声にならない声をあげ、自分の胸にくっついている女の子を見下ろした。
「私、私なんか、ロメオから見たら子供で、そんなふうに思ってないの、分かってるけどっ……、好きなんだもん、仕方ないでしょっ!……だから、アストニエルに帰れとかそんなこと言わないでよ……っ!」
「キーラ」
やっと、言葉の意味に理解がたどりついた。
信じられないけれど。
胸が苦しくて、口がきけなかった。代わりに、硬直したようにまっすぐに伸ばしていた腕をギシギシと動かして、柔らかな灰色の髪に触れてみた。
ずっと、ずっと、神は罪を犯した自分を見限ったのだと思っていたけれど。
こんなに愛しい、宝物のような存在を与えてくれたのか。
「キーラ、俺は君に話さないといけない事がたくさんあるよ」
ロメオの手は髪を辿り、肩に行き着く。二の腕、背中。どこもかも小さくて、まぶしくて。
死んだように凍り付いていた自分の心に、暖かい光を与えてくれた女の子。
「……ずっと、こんな想いは口にできないと思ってた。想いを抱く事自体が許されないって……」
いつのまにか泣き声はやんで、胸の中のキーラが身じろぎした。
見下ろすと、信じられないほど近くに彼女の瞳がある。
「ロメオ」
自分の名を呼ぶ声が、耳を焦がすほどに甘かった。ふらっ、と意識が一瞬遠ざかりそうになる。魔術をかけられたように。考えと行動を、うまくコントロールできなくなる。
吸い寄せられるように、泣きはらした瞼に唇を落とした。
熱い……
「ロメオ」
「うん」
短い言葉のやり取りだけで、キーラの感情が波のように自分の中に流れ込んでくるようだった。
あんなに、何を考えているのか、どう思っているのか、分からなかったのに。
「キーラ、好きだよ。ずっと好きだった。たぶん、最初に会った時からずっと」
彼女の瞳を覗き込む。亜麻色の瞳が、今はしっとりと濡れて艶やかに煌めいていた。
「……ほん、と?」
「本当……」
言葉に覆い被せるように、ゆっくりと唇を合わせた。
何度も、何度も。ロメオは生まれて初めて、神の祝福の光の中にいるのを感じた。




