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金の王 銀の姫  作者: tara
第一章
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(52)背信の代償 -1

 あたたかな風が頬を撫で、午後の礼拝を知らせる鐘の音を耳に届けた。

 首だけを回して振り返る。風にあおられて視界を妨げる赤髪を掻きあげると、人々が足早に礼拝堂へ向かう姿が目に入った。

 はやくはやく、とせき立てる声や、急ぐ足音。そうする事が当然のように、皆がアイサルの神へ祈りを捧げるために一所へ集う。

 例外はただ一人、彼だけ。それに罪悪感も感じる様子もなく、あまつさえ、口元には嘲笑にさえ見えるような薄い微笑みが浮かんでいる。

 前方に視線を戻し、手に持っていた数冊の本を一度持ち直すと、礼拝堂とは反対の方向へ歩き続ける。


「ちょっと、リヴィオッ!」

 もう一人の例外が息せき切って追いかけてきた。

「また午後の礼拝サボるのっ!?伯父さまに怒られても知らないわよ!?」

「最後だけちょっと覗いたって事にしとくよ。ニナこそ早く行かないとまずいんじゃないの、聖歌隊なんだからさ」

 振り返りもせずに淡々と告げられて、少女は眉を歪ませた。

「また研究室?礼拝の間ぐらい良いじゃない、そんな態度じゃ、いくら神に愛された天才なんていったって、そのうちアイサル神にだって愛想つかされちゃうんだから」

「魔術研究は神への奉仕だよ?俺ほど神に尽くしてる人間はいないと思うけどね」

 そう言うと立ち止まり、少女のほうへ体を向けた。左胸を飾る小さな十字形のメダルがキラリと光り、ニナと呼ばれた少女はぐっと言葉を詰まらせる。


 ゴーン……


 もう一度鐘が鳴り、ニナは焦ったように後方を振り返る。すでに礼拝堂へ向かって歩く人の姿もなくなっていた。

「ほら、急ぎなよ」

 くすりと笑ったリヴィオを悔しそうに睨みつけて、ニナは礼拝堂へ駆けて行った。


 シアル大公からその魔道具研究の殊勲を称えるメダルが贈られたのは、リヴィオが18の誕生日を迎えた春だった。成人前の地方仕えの神官に、大公直々にメダルが贈られるのは異例中の異例である。

 神官や魔術師の地位が高いシアルにあって、特に現大公は魔道具研究に造詣が深い。

 魔力自体はそれほど強くないものの、幼い頃から魔道具研究で非凡な才能を見せてきたリヴィオは、誰も直す事ができないと言われた大公家に伝わる貴重な魔道具を、見事に修繕して見せたのだった。


 国の外れにある小さな村から殊勲者が出た事に、村人達は大いに湧き、彼を称えた。だからといって、仮にも神官である彼が朝夕の礼拝を辞退して良いなどという理由はないのだが、この村始まって以来と言っても良い快挙を成し遂げたリヴィオを、皆なんとなく強く咎める事ができずにいるのだった。


 ただ一人、毎日懲りずにリヴィオを迎えに来ては簡単にあしらわれているのが、幼なじみであり3歳年下の従姉妹でもある、ニナだった。

 小さな頃から後ろをくっついて回り、難しい魔道具修繕をこなす度に誰よりも喜んでくれたニナ。兄妹のいないリヴィオにとっては大事な妹のようなものであったけど、最近は何かと口うるさい。

 ニナにとっては伯父、叔母であるリヴィオの両親にもひどく気に入られていて、実の息子であるリヴィオよりも一緒にいる時間は長いのではないだろうか。自宅と離れた場所にあてがわれた研究室にこもる時間が長くなり、家には夜、寝に帰るだけのリヴィオのために、毎日食事を運んでくるのもニナである。

 父のすすめで聖歌隊にも入り、日々アイサル神へ祈りを捧げて暮らしているニナにしてみれば、礼拝にもろくに参加しないリヴィオの態度が許せないのだろう。


 信仰心は、あるよ。きっと、人並み以上にね。

 リヴィオは心の中で呟く。

 しがない片田舎の神官の息子に、アイサル神は溢れる程の才能を与えてくれた。俺を選んでくれた。そんな神に、感謝していないわけないじゃないか。

 ただ、ああやって朝に夕に、ただ礼拝堂に集って歌って祈りを捧げて……そんな事よりもずっと崇高な奉仕があるんだ。それは、俺にしかできない。


 礼拝堂から、賛美歌のメロディーが聞こえてきた。ニナは間に合っただろうか。

 リヴィオは研究室の方向へと踵を返した。


 礼拝なんてしてる場合ではない。内密にと念を押されているから誰にも言えないけれど、今取り組んでいる研究は大公直々の依頼なのだ。



 首都の城で行われた授与式で、他の殊勲者達と一緒にメダルを賜った日の夜。城内に用意された客用の寝室で、昼間の興奮に目が冴えて眠れないでいた所に使者が訪れてきた。

『お会いしたいと仰る方がいらっしゃいます。ご足労願えますか』

 そう言われ案内されたのは何と、大公の私室だった。


「わざわざ呼びつけてすまなかったね」

 リヴィオとそれほど年の変わらない若き君主は、深い藍色のビロードと金糸で飾られた長椅子にゆったりと座っていた。

 時間はもう真夜中である。お休みになる前に少し寛がれていたのか、ジャケットを脱ぎ絹のシャツのボタンを3つまで開けて、タイは緩められている。

 昼間は大きな窓を背にして立たれていて逆光であったのと緊張もあって、顔などろくに拝めなかったが、今はサイドテーブルに置かれた燭台の明かりが、その端正な顔立ちをしっとりと照らし出していた。


「アイサルの神に愛された天才と、話をしてみたくてね」

 大公はゆっくりと立ち上がり、リヴィオのすぐ前まで歩を進めた。

 ぼうっと立ち尽くしていたリヴィオは、我に返り慌ててその場に跪いた。

「こ、この度は身に余る光栄、誠に有り難う存じます」

「いやだな、そんなに身構える事はない。君も僕も同じ、アイサルの神の子だ。顔を上げて、こちらに」

 大公はリヴィオの手を取り、長椅子へいざなった。

 まさか、大公と同じ長椅子に一緒に座る事など恐れ多くてできない。リヴィオは無言のまま、視線でそう訴えたが、大公はフッと表情を崩した。

「内密に頼みたい事があるのだ。内緒話は顔が近い方が良いだろう?」

 これ以上固辞する事は、逆に不敬にあたるのではと思い、リヴィオはおずおずと長椅子に腰を降ろした。


「君に研究して欲しいものがあるんだ。古い古い魔術に関する書物でね」

 そう言うと、大公は傍らのテーブルから一冊の本を取り、リヴィオへ手渡した。

 おそるおそるそれを受け取る。表紙に書かれた古代文字を見るに、相当に古いものだという事は分かるが、それにしてはとても状態の良い本だった。大公家に伝わる魔術書なのだろうか?


「それはうちに伝わる古い書物だよ。今はすでにすたれた、古代魔術が記されてる。

 難解すぎて、これまで誰も解き明かせなかった代物だ」

 大公の言葉に胸が踊った。

 これまで誰も解けなかった難問を手にする事。リヴィオにとって、それは何物にも代え難い喜びだ。


「しかし……昼に同席させて頂いた先輩方の方が、適任なのでは」

 今回、大公からメダルを賜ったのは、リヴィオだけではない。名の知れた魔術学者や、ここ首都で何代も城に仕えている魔道具職人もいた。いずれも、リヴィオの父や祖父の年齢に近い大先輩ばかりだ。

「彼らは経験も実績もあるが、年のせいか石頭でね。これを解き明かすのは、これまでにない斬新な発想と解釈のできる、君のような若き天才でないと到底無理だ」

 嬉しさで頭の芯がぼうっと痺れるのを感じながら、リヴィオは大公の微笑みに見蕩れた。

「だから彼らにはこれは話していない。君だけだよ、リヴィオ君。

 君だけが成し遂げられる事なのだ」


 大公はその手を、リヴィオの額にかざした。

「アイサルの神に選ばれし 若き才能に祝福あれ」

 

 視界を遮る指と指の隙間から覗く、金色の瞳。

 リヴィオはまばたきも忘れてその瞳に魅入った。

 大公はかざした手をゆっくりと下に下げると、そのまま指先でリヴィオの頬をするりと撫でて顎で止める。


「期待しているよ」

 甘やかな声は触れられた指先を伝い、媚薬のように脳に染み渡っていく。

 

「……はい」


 一言、やっと答えた自分の声は、少女のように震えていた。

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