(50)男に戻れ
「ちょっと待ってよ!」
ベルが話を遮ってつい声を上げた。
「じゃああの時、眼鏡にまったく興味なさそうにしてたのは、演技だったって事!?」
「はい。フェルダさんは、分かってらしたんでしょう」
ロメオが申し訳なさそうに答えると、フェルダは肩をすくめて小さく笑った。
「私には、もう興味津々!返したくな〜い!っていうように見えたけど?」
「そう……でしたか?」
ロメオは不本意そうに眉を歪ませた。
「昨日、他の魔道具職人達も言ってたけど……、あの眼鏡、そんなに変わった物なの?」
ベルが尋ねると、ロメオは殊更神妙な面持ちになった。
「……あんなもの、今まで見た事がありません。
この世界にある魔道具というのは、すべて千年前の戦争より以前の、古代魔法時代に作られたものだというのはご存知ですよね?」
「……一応は」
ベルがかろうじて、というように相づちを打ち、フェルダは当然のように頷いた。
「でも、あの眼鏡は少なくともここ数十年内に作られたものです。魔道具を修繕したり、少し手を加えてやるのではなく、一から作り出す技術など、現代には存在しない。そもそも、どうやって作り出すのか、手段も原理も分かっていないのに」
ロメオの説明に、魔術や魔道具についての知識がほとんどないベルも、思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「あの魔道具は……エイジャさんの物だそうですね?」
「ええ、あの子のおじいさんが作ったそうよ」
「ありえない。そんな事……聞いた事がありません」
眉間に皺を寄せて考え込んだロメオに、フェルダが話を続ける。
「あなたは、昔シアルにいたのよね?お父様の代から、ずっと魔道具職人を?」
ロメオは答え辛そうに瞳を伏せていたが、小さなためいきをついた。
「いえ……私は。……シアルの小さな村の教会の生まれです。
神官の仕事の一環として、魔道具の研究も行っていました」
「神官!?」
ベルがまじまじとロメオを眺める。打ち明け話を聞き、彼のこの容姿が意図的に装ったものだというのは分かったが、やはりベルの中では出会った時の軟派な軽い男という印象が抜けきらない。
「それがどうしてラグースに来る事に?神官で、その上あなたみたいな魔道具職人の能力があれば、シアルでは相当の地位にいられたでしょう?」
フェルダが続けて問いかけると、ロメオは口をつぐんだ。
シアルは他の二国に比べ、宗教色の強い国だと言われている。
大陸全土で信仰されているアイサル神を祀る教会が村ごとに存在し、村の政や子供達の教育の要になっているのだ。
そこで働く神官は、生涯を神に捧げた聖徒であり、村の施政者でもある。人々に敬われ、頼られる存在だ。
フェルダの言葉を受けて、ベルも頷いた。
「ええと、『知』のアストニエル、『武』のキバライ、『魔』のシアル、だっけ。シアルって、魔術が強いのよね?」
ベルが口にしたのは、昔から三国を称して言われる言葉だった。
故由は千年前の戦争にさかのぼる。アストニエルは知力に長け、大局を見る冷静さと革新的な戦術が最大の武器となった。キバライには圧倒的な武力があり、精強な軍隊を誇っていた。そしてシアルには、他の二国には想像もつかないような未知の魔術が存在したという。
戦後千年が経った今も、嘗て程の差はなくなったものの、その特色は失われていない。
そもそも魔術とは、アイサル神から授けられたものとされている。魔術によって国家の危機を乗り越えたシアルで、教会と神官の地位がいまだ高いのは当然といえた。
「シアルにいられなくなるほど、魔道具職人としての能力に秀で過ぎていた……って事かしら」
フェルダがロメオの反応を伺いながら、ひとりごとのようにつぶやく。
ロメオがびくりと肩を震わせたように見えた。
「……それは……」
再びロメオが口を開こうとしたその時、彼方からこちらへ近付いてくる馬車の音に気付き、三人は岩陰に身を引いた。
砂埃を巻き上げながらやってきたのは、一台の大型の馬車だった。ザクセアの街でディノの取引相手が使っていたものとよく似ている。
岩の前に立っていた男はこの馬車を待っていたようだった。御者席に乗っていた二人の男達が馬車を降り、連れ立って岩影へと姿を消して行った。
「やっぱりあの下がアジトに間違いないですね」
「まだ日が高いのに……こういう取引は普通夜にするものだけど」
ベルが訝し気につぶやく。
「キーラちゃん達が連れ出されてきたら、馬車の後を付けましょう。ルチア達も、シアルに入る前に追いつけるだろうし……最悪、アタシ達で何とかしなくちゃいけないけど、相手は二人だけみたいだわ」
フェルダも攻撃魔法を使える事は使えるが、こういう立ち回りは専門ではない。ロメオは魔術を使えるとはいえ、実践向きではないし、ベルは論外だ。
昼の間は事態は動かないだろうと踏んでいたのが、目測を誤った。考えてみれば、人通りなど皆無に等しい、国境の荒れ地なのだ。人目を避けて夜間を選ぶ必要もなかっただろう。
フェルダがブレスレットに手を添え、エイジャを呼び出そうとした時、アジトから先程の男達が出てきた。後ろ手枷を付けた若い女性を二人、引き摺るようにして連れている。
「……キーラがいない」
ロメオの声がうわずった。フェルダとベルも目をこらし、その言葉が間違っていない事を確認する。
「どうしてかしら……キーラちゃんだけまだアジトの中にいるってこと?」
対応を決めかねているうちに女性達は乱暴に馬車の後部に乗せられ、続いて男達も乗り込んだ。鞭の音が響き、馬がいななく。
「あっちも放っておくわけにはいかないわよ」
ベルが腰を上げた。
「お二人はあちらを追って下さい。俺は、ここに残ります」
「でも……」
「早く!」
迷っている暇はなかった。シアルへ売られていく女性達をみすみす見過ごす事はできない。フェルダとベルは素早く馬に跨がった。
二人の後ろ姿を見送る事もなく、ロメオは岩影へと足を進めた。
「待ってルチア!」
すぐ後ろを走っていたエイジャが声を上げ、ルチアは馬の速度を緩めずそちらを振り向いた。
「なんだ?」
「フェルダさんが呼んでるんだ、一度馬を止めないと、集中できなくて……」
手首に伝わる僅かな気配にフェルダが呼んでいる事には気付いたものの、まだブレスレットを使い慣れていない上に、全速力で走りながら通信を開くのは難しかった。
「分かった」
ルチアも馬を止める。エイジャがブレスレットに手を添えて詠唱すると、フェルダの声が響いた。
『エイジャ!?不測の事態〜、取引相手がもう来ちゃったのよ!』
フェルダは馬を走らせながら話しているらしく、聞き取りにくい。
「ええっ、じゃ、フェルダさんは今どこですか!?」
『それがね〜、二人、女の子が連れられてアジトから出てきたんだけど、キーラちゃんがいないの!
アタシとベルちゃんは取引相手の馬車を追ってるところ〜。ロメオはアジトの方に残ってるわ!』
「二手に分かれたのか……そっちの相手は何人だ?」
一緒に声を聞いていたルチアが答える。
『たぶん二人だけだと思うんだけど〜』
「それならお前一人でなんとかなるな」
『ちょっ、本気〜!?アタシこういうの得意じゃないんだけど〜!』
「いったん男に戻れ、そっちはまかせた」
数秒、沈黙が流れた。
『分かったよ、クソッ、しかたねーな!』
ブレスレットから聞こえてきた知らない男の声に、エイジャは驚いてのけぞった。
『こっち先に片付いたらアジトに戻るわ。ロメオはたぶん大人しく待ってねーで、一人でアジトに乗り込んでる。さっさと行ってやれ!』
「えっ、えっ、だれ!?」
混乱して涙目で見上げてくるエイジャに、ルチアは少し肩をすくめて見せる。
「フェルダさんなんですか!?」
『その名前今言うな。エイジャ、アジトのすぐ近くに魔痕を残してきた。注意深く見てれば気付くはずだから見逃すな。岩場の影に地下に降りる階段があるからな』
「は……はい、分かりました!」
通信を閉じ、まだぽかんとしているエイジャの背中を、ルチアが奮い立たせるように叩いた。
「これであっちはなんとかなるだろう。急ごう」
がんばって二話同時更新してみました・・・
ようやく本筋に帰ってきました。お待たせ致しました。




