(49)君がため-4
押し黙ってしまったロメオに、セレナは柔らかく声を掛ける。
「立ち入った事を申し上げて、すいません」
「……いえ、そんな事は。私こそ、年甲斐もなく、こんな有様で……情けない限りです」
「まあ、恋に落ちるのに年なんて関係ありませんわ」
そこでセレナは少し口調を強めた。
「私など、国に残してきた恋人は9つも年上ですよ」
「9つですか」
ロメオはつい顔を上げたが、すぐに視線を下に落とした。
「いや、でも、私の場合は……もっと年の離れた人で……」
「そのような事、気にされる必要はありません。年齢を重ねたなりの経験と落ち着き、それこそがこの上なく魅力的なのですから!」
両手を握り締めて力説するセレナに、ロメオは思わず笑みをこぼす。だがすぐに、それは自嘲するような冷めた笑いに変わった。
「いたずらに年を重ねただけです。ふさわしい経験も落ち着きも私にはない。いまだに彼女とうまく話す事もできないし、彼女の考えている事がまるで分からないのです」
胸の内を他人に話す事など初めてだった。今まで目を背けてきた自分の本心が、口にする事ではっきりと形を現し始める。その事実に、ロメオは動揺していた。
「まあ……」
セレナは思案するように片手を頬に当てていたが、
「貴方様のようにご立派な方が、そのように悩まれる姿もなかなか魅力的ですけれど」
こほん、と一つ咳をして続ける。
「きっと、貴方様に必要なのは自信なのではないですか?ご自分に自信をお持ちなさいな。まっすぐに、彼女に対して感じたままを口にされれば良いのですよ。かわいいね、とか、きれいだね、とか、言われて嬉しくない女性はおりませんもの」
「……そんな事、言えませんよ……」
「言えないものですか、ほら、練習です。わたくしを何か褒めてみて下さいな」
「ええっ?あなたを、ですか」
「はい。練習ですよ?口からでまかせでも構いませんわ、何か一つでも、褒められるところはございませんか?」
そう言われては何も言わないわけにはいかない。ロメオは必死でセレナの姿を見つめた。
芯の強そうな瞳でじっと覗き込まれ、少したじろぐ。改めて見れば、先程の騒ぎで少し乱れてはいるものの、きちんと手入れをされている金髪が美しいと思った。
「ええ、と、きれいな髪だと思います。金色で」
セレナはにっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。私の恋人もそう言ってくれますわ」
合格だろうか、ロメオはほっと息をつく。
「貴方様の大事な方の髪は、何色ですの?」
「青みがかった錫色です。見ようによっては、銀にも見える」
「まあ、素敵ですこと。光に当たった様子は、さぞおきれいなのでしょうね」
「はい、それは、もう。きらきらと、銀細工のように輝いて。彼女が笑ってくれれば、まるでそこから光が差しているようにまわりも明るくなります。その景色は……」
セレナがくすりと笑ったのを見て、ロメオは急に気恥ずかしくなって口をつぐんだ。
「なぜおやめになるのです。もっと聞かせて下さいませ」
「いや、すいません。べらべらと、何を話しているのか……」
口元を抑えて顔を横に向けたロメオに、セレナは口調を和らげて語りかける。
「貴方様の中にはたくさんの言葉が囁かれるのを待っているのです。その通りに、大事な方にお話しなされば良いのですよ。要は、慣れでございます」
本当だろうか。キーラは、喜んでくれるというのだろうか?感じたままに、彼女に伝えられれば。
「そのように想われて、その方は本当に幸せな女性ですわ。きっととても可愛らしい方なのでしょうね。きっと奥様も貴方様のお言葉をお待ちになっているはずですわ。ああ、なんて素敵なんでしょう!」
両手の平を胸の前で合わせて目を輝かせるセレナに、ロメオは苦笑いを零した。
夕食の前に屋敷に戻ったロメオが、台所で洗い物をしていたキーラにセレナを紹介すると、キーラの表情がはっきりと曇った。
だが、強盗に身分証明書を奪われていくあてがないという話に心を打たれたらしく、セレナの自己紹介が済む頃には同情の眼差しに変わっていた。
「シアルではさるお屋敷のメイド長をつとめておりました。これから旦那様とキーラ様のお世話をさせて頂きたいと思っております。どうぞ何なりとお申し付け下さいませ」
そう、セレナはただ厄介になるわけにはいかない、屋敷で働かせてほしいと言ってきたのだ。
もともと、シアルでは貴族の屋敷に勤め、上級使用人としてたくさんのメイドを束ねていたらしい。どうりで、立ち居振る舞いや話し方が洗練されている。
自分よりも一回り以上年上の女性に頭を下げられ、キーラは戸惑いの表情を見せた。
「様、なんていらないわ。私だって、居候してるだけだし」
「何を仰います。キーラ様はロメオ様の大事な奥さ……」
「うわあぁっ!!!あの!!!キーラ!!!」
ロメオが慌ててセレナの言葉を遮る。
「ええと、ほら、俺達はこの広い家を持て余しているから。セレナさんはシアルでもっと大きな屋敷を取り仕切っていた方だから、うまくやってくれると思うよ。いろいろ、教えてもらおう」
「……分かった」
何やら挙動不審なロメオにキーラはいぶかしげだったが、言葉少なに同意した。
「失礼します。旦那様、先日のホテル買収の書類が届きました」
「ああ、ありがとう。そこに置いておいてくれるかい」
書き物をしていた手元から視線を上げ、ロメオは書類を持ってきたメイドに笑顔を見せた。
「君は……エルザだったね。もうこの家には慣れた?不足はない?」
「は、はい!皆さんとても良くして下さって……本当に、ありがとうございます」
エルザと呼ばれたメイドは慌てて答え、ぺこぺこと頭を下げる。一ヶ月ほど前にこの街にやってきて、いく所もなくフラフラしていたのを、屋敷の女性が見つけて連れ帰ってきた子だ。
キーラと年齢も近そうで、良い話し相手になるのではないかと思ったが、今のところ二人が仲良くしている様子は見ていない。
「何か困った事があったら、いつでも言いなさい。遠慮しなくていいからね。君のような可愛らしい人が困っているのは、見ていて忍びないから」
ロメオがそう言うと、エルザは顔を真っ赤にして俯いた。
「あ、ありがとうございます……失礼します」
あたふたと部屋を出ていくエルザの後ろ姿を見つめていると、横からこほんと咳払いが聞こえた。
「まったく、どうしてそのようにキーラ様には仰られないのですか。昨夜もキーラ様を怒らせていらしたでしょう」
「……言えるわけないですよ」
ロメオは声の主を振り返らずに答えた。
「どうしてです。褒められて嬉しくない女性はいない、といつも申し上げているでしょう。奥様だって旦那様からの言葉を待っていらっしゃいますのに」
「だから、皆さんにはそうしてるじゃないですか」
「私達にはもう十分なお言葉を日頃から頂いてます。それを奥様に、キーラ様にも仰って下さいと言ってるんです」
「キーラは俺にそんな事を言われても喜びませんよ。彼女は心に決めた相手がいるんですから」
口論になりかけ、後ろを振り向く。背中の後ろにある書棚を整理していたセレナが、あきれ顔でこちらを見ていた。
「旦那様は女心が分かっていらっしゃいません」
責めるような視線から逃れるように、ロメオは手元の書類へと視線を戻した。
セレナを初めとして、いくあてのない女性達を屋敷に匿うようになってから、すでに一年以上になる。
気を使う事はないと彼女達に伝えてはいるが、やはり何もせずにただ厄介になるのは気が咎めるらしい。セレナがうまく取り仕切って、広い屋敷の掃除や家事を分担して行うようになった。
揃いのお仕着せを着て働く彼女達の姿は、事情を知らない者が見ればメイドだと思うだろう。ロメオとしては彼女達をメイドだとは思っていないし、旦那様と呼ばれるのも一向に慣れないが、彼女達がそうしたいというのなら好きにさせてやるのが良いだろうと考えていた。
キーラの働くレストランとホテルの他にも多くの店を経営するようになり、この街で一番の実業家となったロメオの毎日は、目が廻るほど忙しい。
ならず者ばかりが集まるこの街で、信頼できる部下というのはなかなか見つかるものではないが、女性達の中には経理や事務仕事の得意な者もおり、実に誠実でよく働いてくれる。
ロメオの事業がことごとく成功しているのは、彼女達の働きによる所も大きかった。
事業の成功とともに、多少は実業家のロメオという男として生きる事に自信を持てるようにはなった。
屋敷の女性達に対して褒め言葉を掛けるのには何の照れもない。良いと思う所をそのまま口にすれば、皆とても喜んでくれる。
派手好きで饒舌な男を演じていれば、思い出したくない過去の自分と決別できるような気がした。
だが一方で、この一年、キーラとの関係は悪化するばかりだった。
キーラ以外の女性には何も臆する事なく接する事ができるのに、あいかわらずキーラを前にするとうまく言葉が出てこない。キーラはキーラでいつも機嫌が悪く、苛々した様子で、今では食事を一緒に取る事もほとんどなくなっていた。
朝は早くにレストランの仕事に出掛けていき、帰りは随分と遅いキーラを、つい嗜めるような物言いをしてしまい、余計に彼女を怒らせる。
嫌われているのははっきりしていた。いつ、出て行くと言われるか、それが一番怖かった。
「この人、私のカレシなの。王都にいた時から付き合ってる、恋人よ」
キーラが連れてきた客人をそう紹介されて、ロメオは言葉を失った。
「……カレシ?……恋人?」
まるで絵画から抜け出てきたような、美しい……少女にしか見えないが、男だというのか?これが、キーラが心に決めたと話していた相手だというのか。
ロメオが先に声をかけて屋敷に招いていた、ベルという少女が何やら怒り、キーラと激しくやりあっている。目の前の光景が頭に入らず、まるで夢の中にいるようにぼやけて見えた。
「お前ら……ちょっと落ち着け。エイジャが困ってる」
もう一人の客人が凄んだ。長い前髪で顔立ちを隠しているが、こちらも目の覚めるような麗人だ。だいたい、あの深紅の瞳……アストニエルの王族じゃないか。どういう事だ。
「……お騒がせして、すいません。
ルチアと申します。彼は、エイジャ」
赤い瞳の男にそう話しかけられ、ロメオは慌てて握手に応えた。
クラウディオの事を嗅ぎ回っている余所者がいる。情報屋からそう連絡があったのは今朝の事だ。
ロメオとして生きるようになってからも、他では直せない魔道具の修繕を頼みに、クラウディオを探してこの街にやってくる客がたびたびあった。場合によってはそういった仕事も秘密裏に引き受け、自室に作った隠し部屋で魔道具の研究を続けていた。
フェルダが差し出した魔道具を見て、ロメオは目を疑った。
古びた、何の変哲もない眼鏡に見える。だが、紛れもなく魔道具だ。一目見て、このようなものをアストニエルの王族が持ってくるなど、ただ事ではないと直感した。
「逃がしたって……じゃあ、もうこの街にはいないのね?」
フェルダに尋ねられ、頷く。
「そういう事です。お力になれなくて、申し訳ない」
職人として、研究者として、これほどまでに興味を惹かれる対象もないが、関わるのは危険極まりない。
知らぬ振りを貫いて、早々に帰ってもらおう。
キーラの想い人だという美少年を、早く街から追い出したい気持ちも強かった。すぐに街を去るつもりだという話に些かほっとして、ロメオは客人を見送った。




