(49)君がため-3
ボロボロだった幽霊屋敷は、キーラが来てから少しずつ変わっていった。
まずは、キーラの部屋。それから、ロメオの部屋。
一部屋ずつ瓦礫を片付け、床を直し、壁を張り替える。
「これじゃ、全部片付く頃にはおばあちゃんになっちゃうわね」
元は客間だったのだろう、今はようやく瓦礫を運び出したばかりの一室で、庭を臨む大きなアーチ窓のガラスを磨きながら、キーラがあきれたようにぼやく。
だが、曇りガラスに写ったその表情がなぜか楽しそうに見えて、ロメオは目を瞬かせた。
「ごめん。こんな事をさせたくてこの家に呼んだんじゃないんだが……」
ロメオは何度も、人を雇って家を片付けさせようとキーラに提案した。だがその度、キーラはそれを断った。
「知らない人間に家の中を触られたくない」というのだ。たしかに、物騒なこの街では、他人をどれだけ疑っても過ぎる事はないのだが。
どうも、キーラは少し男性嫌いの気があるように見えた。店の客には愛想良く接しているがそれは上辺だけで、決して気を許してはいないのがこの数ヶ月で分かった。
この街に流れついてくるまでに、男で嫌な目に合ったのかもしれない。絶世の美少女というわけではないが、異性の目をひきつける魅力がある。彼女に惹かれる男はこれまでにも多くいただろう。
それに引き換え、自分は。
いまだに、まともにキーラの目を見て話す事もできない。
無理もないだろう。故郷のシアルを出るまでにも、女性と会話する事などほとんどなく、ラグースに来てからは、女性どころか人間ともほとんど会わないような生活を何年も続けてきたのだ。
やり手の実業家のロメオなど、あの時、金貸しから店を買い取るために作り出した架空の男に過ぎない。
金をかけて容姿を着飾っても、本質は何も変わってはいなかった。
屋敷の修繕は素人仕事ながらも着々と進み、台所も使えるようになって、キーラが腕を振るう事も増えていた。
家賃を受け取ろうとしないロメオに、キーラは食事を作る事で借りを返したいと思っているようだった。
それでキーラが心置きなく暮らせるのなら、ありがたく食事を頂く方が良いだろう。そう自分で結論付けて、今日も食卓を共にする。
キーラの料理は、自分の故郷であるシアルではあまり見ないようなものも多い。アストニエルにいた頃に覚えたのだろう。
今日の夕食はシチューだった。店でも同じようなものを出しているが、それとは違っていて、肉ではなく魚介類が入っている。
「アイサルの神よ、貴方とこの食事を用意してくれたキーラに感謝し、ありがたくいただきます。
願わくばこの恵みが、苦しみの中にある全ての人々に与えられんことを」
いつものように祈りを捧げると、キーラもそれに習って手を合わせた。
静かな食事。
キーラが喜ぶような、楽しい会話もできない自分を恨めしく思う。
自分でもなぜだか分からないうちにキーラを怒らせてしまう事が多く、彼女の存在が大きくなればなるほど、下手な事を言って機嫌を損ねるのが怖くなっていった。
「……おいしく、ない?」
キーラが呟いたのが耳に入り、ロメオは慌てて顔を上げた。
「いや!すごくおいしい!」
「良かった」
小さく答えて、俯く。
ああ、どうしようか。またキーラの機嫌を損ねてしまった。うまく話せないせいで……
「この、料理……店で出しているのとは違うんだな。故郷で、覚えたのか」
何か会話を繋げようと焦り、先程ぼんやりと考えていた事そのままを口にした。
「あ……うん。故郷っていうか……生まれ育った村ではこんな料理なんてしなかったんだけど、王都で覚えたの。あそこは、お魚も野菜も、なんでも手に入るから」
「ああ、王都で」
行った事はないが、話には聞いた事があった。アストニエル王国の王都。ラグースに来る前、しばらく滞在したという話も既に聞いていた。
「彼が好きだった料理なの」
ぽつりとこぼした言葉が耳をかすめた。
……心に決めた相手、というやつか。
「そうか」
そう答えるのがやっとだった。
「やめてください!助けてっ、誰か!」
薄暗い裏通りに響く女性の叫び声に、ロメオは慌てて辺りを見回した。
治安というものが全くないこの街では、こういう事はそれほど珍しくもなかった。建物の裏口に用心棒のように立っていた屈強な男が、ちらりと声のした方に目を向けたが、すぐに視線を戻した。道の脇に座り込んでいる物乞いの男は、聞き慣れているのか、頭も動かさない。
それぞれが皆、自分以外の事には無関心。それが、この街で自分の身を守るための生き方。
ほんの少し前までの自分もそうだった事を思い出し、ロメオはぞっとした。
「助けてっ!助けてぇっ!!」
女性の声が遠ざかる。ロメオは咄嗟に声のする方へ走った。煉瓦作りの建物の角を曲がると、声の主は今まさに馬車の荷台に連れ込まれそうになっていた。
「!フィアマ・エスト!」
攻撃魔法など何年ぶりだろうか、舌がもつれそうになりながら、咄嗟に詠唱した。
「うわっ、なんだっ……!」
女性を羽交い締めにしていた男のマントから炎が上がった。
「てめえっ、何なんだ!」
もう一人の男が掴み掛かってくる。ロメオは必死でその手を逃れ、女性の腕を取った。
「早くこっちへ!」
「おいっ、何するんだ!」
視界の端に、火の勢いが増したのが見えた。男のマントに放った火が、道端に積まれていた枯れ草に燃え移ったのかもしれない。
「火事だ!」
「火、火を消してくれ!」
他人には無関心な住民達も、火事となると他人事ではない。閑散としていた通りにあっというまに人が溢れ、人混みの中を無我夢中で走った。
ようやく飛び込んだのは、かつてクラウディオとして店を出していた建物だった。そもそも、当時の忘れ物を取りに、久しぶりに裏通りにやってきたのだ。
「あ、ありがとうございます……」
背後から聞こえた女性の声に、ロメオはそこでやっと女性の腕を掴んだまま走ってきた事を思い出した。
「あっ!すまない!」
慌てて腕を放す。女性はふるふると頭を振った。
「ありがとうございました、あなたが助けて下さらなかったら、私……」
明かり取りの窓から差し込む頼りない光の中で、初めて顔を見た。自分と年の近そうな女性だった。走り続けで乱れた息を整えながら、懸命に感謝の言葉を述べる。
女性はセレナと名乗った。この街に来たのはまだつい最近の事。アストニエルへの使いの為にシアルを出てきたのだが、アストニエルに入る前に強盗に襲われて、入国に必要な身分証明書を盗られたという。
なんとかこの街までやってきて宿を取ったものの、これからどうすれば良いのか途方にくれていた所、身分証明書を都合してやるという男が近付いてきた。縋る思いで後を付いて行った結果があの騒ぎだ。
「この街には正義も哀れみの情もないのだと絶望しておりました。まさかあのように助けてくれる方がいらっしゃるなんて」
セレナの身なりや話し方からは、犯罪をおかして国を追われてきた者の吹きだまりのようなこの街にはそぐわない、知性と教養が感じられた。
数年前から、この街で女性ばかりを狙う人攫い集団が現れるという話は耳にしていた。死んだも同然のように生きていた頃は、それすらもロメオの心を動かす事はなかった。だが、キーラとの出会いで息を吹き返した今、セレナを再びこの街の雑踏へ放り出すことは良心が咎めた。
「……私の屋敷に来られますか?安全は保証できると思います。ただ……」
ロメオは口ごもった。キーラが気を悪くするだろうか?いや、キーラが嫌いなのは男性だ。同じ女性が一緒に住む事になれば、逆に安心できて嬉しいのではないだろうか?
「まあ……そんな……有難いですけれど、でも、勝手にそのような事をお決めになっては、奥様が怒られるでしょう?」
「お、奥様なんて!そんな!」
急に声を大きくしたロメオに、セレナは驚いて目を瞬かせた。
「そんな、彼女は……ただ、一緒に住んでくれているだけで……奥様とか、そういう人ではありません」
耳まで赤くして俯いたロメオに、セレナがふっと笑いかけた。
「……お好きなんですね、その方が」
ロメオはぎしり、と体を硬直させた。
「お、俺は……」
言葉が続かなくなり、ロメオは情けなく肩を落とした。
キーラが好きだ。
心の中でさえも呟いた事のなかった言葉だった。考える事も罪だと思っていた。
倍程も年の離れた女の子に恋をするなんて。




