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金の王 銀の姫  作者: tara
第一章
65/87

(49)君がため-2

「……なに、これ」


 やっと出た第一声が、静寂の闇の中に響いた。

 足下で床が軋み、パラパラと木屑が下の階に落ちる音が聞こえる。


「だから、だいぶ荒れてるって……」

「物には限度ってもんがあるでしょっ!これじゃ私の家のほうがずっとマシよ!こんな家に住んでるなんて、人としてどうかしてるわよ!?」

 申し訳なさそうなロメオの声に被さるように、キーラがまくしたてる。

「ご、ごめん……」

 もう出て行く、そう言われるのを覚悟した。



 勢いで自分の家に来いなどと言ってしまったが、手に入れた時のまま、修繕も手入れもしていない荒れ果てた屋敷。

 どんな反応が返ってくるかとびくびくしていたが、こういうふうにダイレクトに叱られるとは思っていなかった。

 どうやら自分は長年寝泊まりしているうちに、この荒れ果てた光景すら見慣れてしまっていたらしい。


「もー……、とりあえず、片付けは明日、朝になってからにするけど。ベッドぐらいはあるみたいだし」

 広い屋敷の中で、ロメオが寝泊まりしている部屋だけは、瓦礫を取り除き埃を払って、ベッドを置いてあった。

 今すぐに出て行くとは言われなかった事に心底ほっとして、ロメオは頭を下げた。

「そうしてくれ。良いベッドではないけど、ごめん。……じゃ、おやすみ」

 そう言って部屋を出て行こうとするロメオを、キーラの声が引き止めた。

「あなたは?どこで寝るの?」

「下の部屋のどこかで寝るよ」

「……一応聞くけど、この部屋っていつもあなたが寝てる部屋?あのベッド、いつもあなたが使ってるの?」

「うん……ごめん。シーツは変えたところで、きれいなはずだから……我慢してくれないか」


 申し訳なさそうなロメオの声に、キーラははぁっとため息をついた。

「そうじゃなくて、じゃああなたは今日あの瓦礫の山で寝るわけ?」

「瓦礫のない部屋もあるから、大丈夫だよ」

「そういう問題じゃないでしょ、もう……」

 呆れ返ったようにつぶやくと、キーラはベッドの方へ足を向ける。

「絶対変な事しないって約束、ちゃんと守ってよね」

 そう言ってベッドに上がると、もぞもぞと壁側に体を寄せて、スペースを空けた。

「はい、どうぞ。私、寝相悪いから、蹴られても文句言わないでね」


……これはなんでしょうか。


 ロメオは目を点にして立ち尽くしていた。

 凍り付いたように動かなくなったロメオを、キーラがくるりと寝返りを打って睨みつける。

「あなたを瓦礫の山の中に寝させて、私だけベッドで平気で寝れるわけないでしょ!?それとも、私と一緒じゃ寝られないっていうの!?」

 寝られないと思います。

 とも言えず、ロメオはしどろもどろになりながら言葉を返す。

「でも、その……若い女性と一つのベッドで寝るというのは……非常識だと……」

「変な事しないって言うから信用したのに。じゃあ、あれは嘘だってこと?」

  違うー!とロメオは内心で叫んで頭を抱えた。


「勝手にすれば。じゃあ、瓦礫の山で寝てくればいいじゃない」

 気分を害してしまったらしい。キーラはぷいと壁側を向いてしまった。

 分からない。怒り所も、何を考えているのかも。もし俺が、先程キーラの後をつけていた常連客の男のように、本当は下心がある人間だったらどうするんだ。

 長年、裏通りで人目を避けてクラウディオとして暮らしていた間に落ちた体力も、ロメオとして生き始めてからは随分戻っていた。もし自分に魔がさせば、キーラの細い腕など簡単にねじ伏せてしまうのに。



 ギシリ、と軋んだベッドの音に冷や汗が伝った。できるだけ壁側の方を見ないようにしながら、ロメオはベッドに体を滑り込ませた。

 半刻近く迷い、キーラの寝息が聞こえてきたのに気付いてからさらに半刻が過ぎていた。

 寝ているキーラを起こさないよう、そっと体を横たえる。


「……おやすみなさい」

 背中の後ろから掛けられた声に、心臓が跳ね上がった。そちらに顔を向ける事もできないまま、身じろぎもせずにひたすら朝を待った。




 明け方になってようやくうとうとしていたらしい。僅かに伝わってきた振動で、すぐに目が覚めた。

 一瞬で状況を思い出し、緊張に身を堅くする。寝相が悪いと言っていたが、全然動かなかったな、などと思い出しながら。


 ベッドを揺らさないように気を使っているのか、ゆっくりと身を起こす気配がした。薄目で様子を伺うと、ベッドから降りたキーラがこちらを振り返った。寝ているふりには気付かなかったようで、足音を忍ばせながら視界から消えて行く。

 ああ、出て行くんだな、と思った。もうしばらく待って、キーラが確実にこの屋敷を出て行ってから、自分も起きようと考えた。

 緊張から解放されてようやく睡魔が訪れた気がした。薄目を閉じたのと同時に、意識を失った。


 次に目覚めた時には、もう窓から強い日差しが差し込んでいた。それでも睡眠時間は足りていないが、いい加減に起きなくてはいけない。

 ロメオは体を起こし、はっきりしない頭で部屋を見回した。ベッドが置かれている反対側の壁際に置かれた椅子に、人が座ってこちらを見ていた。


「……!!うわっ!!!!」

「……おはよ。そんな驚かなくてもいいでしょ、幽霊見たみたいな顔してる」

 キーラが不満そうな表情を向けてくる。

「きみ、出て行ったんじゃなかったのか……?」

「ごめんなさいね、まだ居座ってて」

「いや、そういう意味じゃなくて……」


 ロメオはあたふたと言い訳をしながら、ふと、部屋に漂うおいしそうな匂いに気付いた。

「一度、家に帰ってごはんを作ってきたの。もう昼食だけど」

 ボロボロのスツールの上に置かれていた皿を取り、キーラがきょろきょろと部屋を見回す。

「……テーブルとか、ないわけね。しかたないから、ベッドで食べてください。もう、冷めちゃったけど」

 そう言って、布巾のかかった皿を手渡してきた。


「……ありがとう」

 かしこまって皿を受け取る。布巾を取り払うと、パンとスクランブルエッグに、野菜が添えられている。

 ロメオはあぐらの上に皿を乗せた格好で両手を合わせた。

「アイサルの神よ、貴方とこの食事を用意してくれたキーラに感謝し、ありがたくいただきます。願わくばこの恵みが、苦しみの中にある全ての人々に与えられんことを」

「なに、それ?」

 キーラが不思議そうな顔を向ける。

「……故郷の習慣だよ。食事の前にはこうして、アイサルの神と作ってくれた人に祈りと感謝を捧げる」

「へえ……」


 長年の習慣で、食事の前にはいつもこうして祈りを捧げてきた。だが、他人にはっきりと聞かせる形でこの文句を口にしたのは、何年ぶりか分からない。

「なんか、いいね。それ」

 キーラは嬉しそうな笑顔を見せた。


「おいしい」

 正直、こうして料理を作ってくれただけでありがたい事で、味など期待していなかった。

 だがお世辞ではなく、キーラの料理の腕はなかなかのものだった。

「ほんと?良かった、人に作って食べさせるのってひさしぶりだから」

 キーラが照れを隠すように視線を落とす。

「お礼、できるのってこれくらいしかないし。昨夜は安心して眠れたわ、ありがとう」

 ボロ屋敷に怒っていた昨日の剣幕が嘘のように、かわいらしく礼を言う。


「……いつも、ちゃんと眠れてないのか」

「言ったでしょ、外に人の気配があるって。思い過ごしかもしれないけど……一度気になると、そうだとしか思えなくなっちゃって」

「もっといい家を借りればいいだろう、給料だって、俺がオーナーになってから、少し上げたし……」

 オーナーになって初めて、キーラがとんでもなく少ない給料で働いていた事を知った。急に何倍もの給料にするのはあからさますぎるかと、少しずつ昇給しようと思っていたところだ。


「……お金を貯めてるの。いつか、アストニエルに帰りたいから」

 ぽつりとこぼされた言葉が耳に届いて、ロメオは彼女の事情を察した。

できるものなら故郷に帰りたい、ラグースにいる人間の大半は、心のどこかでそう願っている。もともと、アストニエルにもシアルにも入れずに行くあてのない人間が集まってできた街だ。

 キーラがアストニエルに帰りたいと願うのは当然の事だった。きっと、そこに心に決めた相手というのがいるのだろう。


「きみが嫌でなければ、この部屋を使えばいいんだけど。家賃なんかいらないし、もちろんここも他の部屋も瓦礫を片付けて、ちゃんと修繕するよ。いいかげん、きれいにしなけりゃと思っていたところだ」

 キーラはぱっと顔を上げた。

「ほんとにいいの……?」

「きみさえ良ければ」

 それはつまり、彼女がアストニエルへ帰る……自分の前からいなくなるのを手助けする行為であるのだが、彼女の望みがそこにあるならば、力になりたかった。

 返事がわりにキーラが瞳を輝かせたのを見て、自然に笑顔がこぼれた自分に驚いた。二度と笑う事などできないと思っていた。


こうして、キーラとの生活が始まった。

あやうく今月更新なしになりそうだったので、急いで更新しました。

キーラとロメオの過去話、まだ続きます……どうかおつきあいくださいませ。

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