(49)君がため-1
キーラとロメオの過去話になります。
「いらっしゃい!」
耳に飛び込んできた若い女の声に、一番端の席に掛けて俯いていたクラウディオは、驚いて顔を上げた。
深く被ったフードの向こうに見えたのは、灰色の髪を高く結った、まだ年若い少女。
「ああもう、そんなの被っててメニューちゃんと読めるの?」
フードの中を覗き込まれそうになり、慌てて顔を伏せる。
「……変な人。じゃあ、注文が決まったら呼んでね」
おかしそうに笑みをこぼし、踵を返して去っていく後ろ姿を見ながら。
クラウディオは、長い間鼓動を自覚していなかった心臓が、強く音を打っている事に気付いた。
少女の名はキーラ。耳に届く、周りの客とのやりとりを拾い集めると、年は20(後からそれは嘘だったと分かったが)。ここラグースにやってきたのはつい最近。どこに寝泊まりしているかは秘密。ラグースにやってきた理由も秘密だが、お金が必要なので毎日朝から晩まで働いている。
若いみそらでこんな街に流れ着いてきて、幸せなはずはない。柄の悪い客に絡まれるのも気にとめず、毎日休みなく働いている姿を、苦い思いで見ていた。
亜麻色の瞳はいつもきらきらと輝いていて、忙しそうにフロアを動き回る姿は、まるでリスみたいだと思う。
常連客達への愛想は良く、一番端、いつも同じ席に座って陰気に俯いているクラウディオにも何かと話しかけてきては、返事もろくにしないのを気にする様子もない。
明るくて気だてが良くて、ゴミ溜めのような薄汚い食堂に咲く小さな花のような女の子。
だが、時折ふと見せる物憂げな眼差しが、年齢に不似合いな苦労を感じさせた。
灰色の髪は艶やかで、光の加減では銀色にも見える。見覚えのある光景に古い傷跡をえぐられ、胸の痛みに、彼女の姿を視界から外す。そんな日々が続いた。
「なんだぁ、今日は休みか!?」
夕刻、クラウディオがいつものように夕食を取ろうと店へ足を運ぶと、固く閉ざされた扉の前で、常連客の男達が不満を口にしていた。
そこへ、厨房の男がやってきた。なぜかこれから旅にでも出るようないでたちで、大きな荷物を背負っている。
「お客さん方、悪いね。この店、昨日急に閉店しちまったんだよ。俺も職をなくしちまったし、そろそろこの街出るつもりだったんで、これでお別れだ」
「なんだよ、それ。まさかオーナーが夜逃げでもしたのかよ?」
「そのまさかだよ。賭け事が好きだったからなぁ。どうやら、相当借金があったみたいだよ。昨夜遅くに金貸しが店に来てさ、オーナーがトンズラしちまったって聞かされたんだよ」
常連客達は口々に文句を言いながら立ち去って行ったが、クラウディオはその場に立ち尽くしていた。
いきなり閉店だなんて、キーラはどうするのだろう?職を失って、行く所はあるのだろうか。
「キーラちゃんはどうしたんだよ?あの子、また別の店ででも働くのかい?」
常連客の一人が、去っていこうとした厨房の男をつかまえて尋ねた。
「ああ……あの子は金貸しに連れられて行ったよ……。オーナーからまだ給料も受け取ってなかったみたいで、住んでた部屋の宿代が払えないみたいで困ってたからなぁ」
ばつが悪そうに答える声を耳にして、クラウディオはいてもたってもいられずに走り出した。
この状況はまずい。この街では、金が全てだ。若い女性が金貸しの手に渡ってしまえば、簡単に身売りされてしまう。なんとかしなければいけない。だがどうすればいいのだろう?
金はある。使い道もなく、溜まる一方で、持て余していた程だ。キーラに差し出して、これで宿代を払えと言ってやればいいのだろうか?
いや、それではきっと彼女は受け取らない。ただの顔見知り程度である、店の常連客にそんな事をされても、気味が悪いだけだろう。
数日後、店は閉店騒ぎなどなかったかのように、営業を再開した。
「いらっしゃい!ご注文は?」
キーラはあいかわらず、常連客達の人気を集めながら、元気に働いている。
ギャンブルによる借金で首が回らなくなり、夜逃げした前オーナーに変わって、大金を払って金貸しから店を買い取った新しいオーナー。
それは「クラウディオ」の名を捨てた、ロメオだった。
ロメオは店をキーラが働きやすいように変えた。他の店で働いていた、腕がいいと評判の料理人を倍の給金で雇い入れ、スタッフも増やした。価格設定を上げた事で、客筋もいくらか良くなった。ラグースで一番きれいで料理がうまいと、店の評価は上がっていった。
だがロメオは、いまだにキーラの前に姿を現す事ができずにいた。
「ロメオ」と名を変えたとき、金をかけて店のオーナーらしく身なりを整え、まったくの別人に生まれ変わった。自分があの、ローブを深く被った薄気味悪いかつての常連客だとは分からないはずだ。
でも、どうしてもローブを脱いだ姿で対面する自信がなく、いつも店の奥からその姿をちらと目に入れるだけで、足早に店を立ち去るのが常だった。
ある夜、ロメオは自宅へ帰る途中、ずっと先を歩いているキーラの後ろ姿に気付いた。
仕事終わりで自宅へ向かっているのだろう、街灯もろくにない真っ暗な夜道を急ぐ小さな背中に不安を感じながら、声を掛ける事もできない自分を情けなく思った。
ふと、キーラの後ろを、一定の距離を保って歩く男が目に入った。
(なんだ、あいつは)
その姿には見覚えがあった。店の常連客だ。前のオーナーの店だった頃からキーラを目当てに通っていた男。キーラにしつこく話しかけては、仕事の邪魔になっているのを苦々しく思っていたものだ。
(とうとう思い詰めて、夜道で襲うつもりじゃないだろうな)
心配がただの思い過ごしである事を願いながら後ろを歩いていると、突然男が足を早めた。
ロメオも慌てて駆け出す。
男がキーラのすぐ後ろまで迫った時、咄嗟にロメオは声を上げた。
「キーラ!」
キーラは振り返り、すぐ目の前にいた店の常連客に驚いて目を丸くした。
「あ……、え??」
戸惑ったように、自分の名を呼んだ人物と、目の前の男を見比べる。
男は何も言わずにキーラの横をすり抜けて走って行った。
わけがわからないという表情でその後ろ姿を見送った後、キーラはロメオを振り返った。
「……え……と、どなたでしょうか?」
「あ、ああ……あの、俺は……その」
咄嗟の事で言葉が出てこないロメオを、キーラは怪訝な目で見たあと、背中を向けて歩き出した。
(しまった、こちらが不審者だと思われた)
「あの、俺は君の働いてる店のオーナーで……!ロメオという者です」
訝し気な表情のまま、キーラが振り向いた。
「オーナー?うちの店の?」
じろじろとロメオの姿を見回して、キーラは納得がいったように瞳をくるりと回した。
「ああ……、遠目に見た事あるかも。なんですか?」
信じてくれたようで助かった。
しかし、緊急事態だったのでやむを得ず声を掛けてしまったが、何を話せば良いのか分からない。
「あの……いつもこんな夜道を一人で、帰るのかい」
「そうですよ?誰と帰るっていうんですか、一人暮らしなのに」
「い……家は、店から遠いのか」
「それって、答えないとクビになるんですか?」
店の客として接していた時とはうってかわって、ひどくつっけんどんで冷たい。やはりあの笑顔は、営業用だったのか。
軽い落胆を覚えながら、ロメオは必死で頭を働かせた。
「ええと……その、俺の店の店員が、こんな暗い夜道を帰って、危ない目に遭うのはとても心配だから……オーナーとして」
苦しい言い訳だったが、キーラはおかしいとは思わなかったようで、あきれたように小さなためいきをついた。
「今更、夜道が怖いとか言ってられないでしょ、この街じゃ。どうせ、家に帰ったって同じようなものだし」
「……どういう意味だ?」
「だからー、どうせ帰ったってろくな鍵もついてないようなボロ家なんだから、今更夜道の心配なんかしても仕方ないでしょ。お姫様じゃあるまいし」
そんなにひどい家に住んでいたのか。鍵もろくについていないなんて、想像するだけで心配で身震いがしそうだった。
「あ、それなら!俺の家、無駄に広くて、いっぱい部屋も余ってるから、そこに住んだら……どうかな」
口にした後で、しまったと思った。案の定、キーラは不信感をあらわにして睨みつけてくる。
「いや、その、従業員寮だと思って……」
あたふたと言葉を繋げるロメオに、キーラが足を踏み出した。
何だろう、と思っていると、ふいにキーラの手が伸び、ロメオの手を取った。
「うわあっ!!な、な、なに!?」
腰が抜けそうな程に驚き、後ずさりしたロメオを見て、キーラがぷっと吹き出した。
「変な人。その様子じゃ、下心とかじゃなさそうね」
「あ!当たり前だろ!君と俺じゃ、どれだけ年が離れてると思ってるんだ、下手したら親子ほど違うんだぞ!お、俺は、そんな趣味はない!」
焦りのあまり勢い込んでまくしたててしまったが、それは常々ロメオの頭の中にあった考えだった。
自分とキーラでは倍ほど年齢が離れている。ついこの間まで子供だった娘に、恋愛感情などない。そこらにいる、若い娘好きなオヤジなどと一緒にされてはたまったものではない。
勢いに押されてきょとんとしていたキーラの表情が、ふっと緩んだ。
「分かった。じゃあ、お世話になります。実は、ちょっと怖かったのよね。なんだか最近、夜中、家の外に人がいる気配がしてて」
「人がいる気配って……」
危なすぎる!と青ざめたロメオに、キーラがびしりと指を突きつけた。
「そのかわり、ぜっっったい変な事しないでよねっ!!私には心に決めた人がいるんだから!!ちょっとでもそんな素振り見せたら、すぐに出て行くから!!」
——心に決めた人がいる。
その言葉になぜか安堵した。
そうか、心に決めた人がいるのか。良かった。
これで自分の立ち位置がはっきりした。ただ、キーラの身が心配なのだ。また、大事な人を失うのではないかと……それが怖かっただけで。
「約束する。君が心配するような事はしないよ。ただ、うちも広いだけでだいぶ荒れてるが……許してくれよ」
「それは大丈夫。私の家の方が絶対ひどいもん。ちょっとやそっとのボロ家じゃ驚かないから」
そう言って、笑った。その笑顔が見られただけで、ロメオは幸せだと思った。
この二人のイメージラフをアップしています。よろしければ下記URLコピペでご覧ください。
イラストが表示されますので、イメージを崩したくないという方はスルー推奨です。
ロメオ
http://2204.mitemin.net/i32791/
キーラ
http://2204.mitemin.net/i32792/




