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金の王 銀の姫  作者: tara
第一章
59/87

(44)境

「遅かったな」

 腕組みをしたまま、ルチアが冷えた声を掛ける。


「ご……めん、ルチア、待っててくれたの?……あの、起こしちゃった……よね?」

 おずおずと尋ねるエイジャに、ルチアは表情を変えずに答える。

「お前が謝る事はない。あの女が廊下を通った時点で気付いていた。扉の向こうの気配には敏感なんでな」

「そっ、か……ごめん……」

キーラを責めた言葉に、エイジャは謝罪を返す。

ルチアは唇を噛んだ。


「あの、えっと……声とか、聞こえてた?」

 顔を俯いたまま、上目遣いでルチアの表情を伺うエイジャに、苛立ちさえ募った。


「……なんの声だ?何も聞こえてこなかったが。

 聞かれちゃまずい事でもあったのか?」

「う、ううん!何も、そんな、まずい事とか、そんなのは……」

 勢いよく首を横に振るエイジャだったが、顔は真っ赤だ。この反応を見て、何もなかったとは到底思えない。


 いつもと雰囲気が違うのは、見慣れない服装のせいもある。

 コートはいつも外出時に着ているものだが、中に着ている襟付きのシャツは寝間着のようだ。その襟元を片手で強く握り締めているのが気になっていた。


「首をどうかしたのか?見せてみろ」

 ルチアが手を伸ばすと、エイジャはさらに焦ったような表情を見せた。

「えっ!?何も、どうにもしてないよ!?」

 襟元を握り締めた手にますます力を入れて後ずさる。

「何もないなら何故逃げるんだ」

「逃げてないよ!?別に、俺、その……」


 エイジャは必死だった。ああ、俺なんでちゃんと着替えてこなかったんだ。

 ルチアの目が怖い。エイジャが一歩後に引くと、ルチアが一歩前に出る。


 気が付くと、宿の壁を背にして完全に追いつめられていた。

 もう逃げ場がない。


 襟元を握り締めていた手を取られ、エイジャは観念したように身を堅くして俯いた。

 ルチアは左手にエイジャの手首を掴んだまま、右手で少し襟を開く。

 襟元から覗く白い首筋に異常は見られない。

 だが必死で襟元を隠していたエイジャの態度がどうしても気にかかり、一番上のボタンに人差し指を添えた。

 エイジャがきゅっと目を瞑ったのに気付かないふりをして、指先に力を込める。


 現れた鎖骨の下には、白い肌に赤い鬱血痕が鮮やかに浮かび上がっていた。


「……虫にでも刺されたか?」

 低い声で尋ねられ、エイジャは思わず背けていた顔をルチアに向けた。

「そ、うかも……大きな虫が、部屋にいたから……」

「悪い虫だな。こんなに痕を残して」

「うん……少し毒があったのかも……でも、きっと、明日には引くよ。痛いとか、かゆいとか、そういうのはないんだ、だから……」


 エイジャはしどろもどろになりながら、必死で弁明した。

 なぜだろうか、ルチアには先程の部屋での行為をどうしても知られたくなかった。

 行為といっても未遂以前で、一方的にキーラに迫られただけなのだが、それでもルチアにだけは。


 エイジャはルチアの表情を伺った。ルチアはエイジャの襟元に視線を固定したまま、目を合わせようとしない。瞳は冷たかった。

 いつもなら。怒られても、機嫌が悪そうでも、目が合えば優しく微笑んでくれるのに。


 ふいに、ルチアの親指が鬱血痕を撫でる。

 その瞬間、ぞくりと背中を走る痺れに、エイジャは身体を震わせた。


「……っ」

思わず漏れた小さなためいきに気付き、ルチアが視線を上げる。


……やっと目が合った……


 それでも、ルチアの表情にいつもの柔らかな笑顔は訪れなかった。それどころか、ひどく不機嫌そうに眉をゆがめていた。

 それが悲しくて、ざわざわと胸の奥から沸き起こってくる切なさに飲まれそうになる。

 瞼に熱が集まるのを感じ、エイジャは必死で目に力をこめて、涙がこぼれそうになるのを我慢する。


「……そんな、顔を……するな」

 苛立ったように、ルチアが声を絞り出した。


「……」

 何か言わなくてはと口を開いたが、かすれた喉からは音が出ない。

 どうすればいいのか分からず、ルチアの瞳を見つめ返すと、掴まれたままだった手首に力が込められる。

 その鈍い痛みについ瞬きをすると、大粒の涙が一つ二つ、ぽろぽろと頬を滑り落ちた。


 いきなり腕を思い切り引かれ、エイジャはバランスを崩して前につんのめった。

 ルチアがエイジャの腕を掴んだまま大股で歩き出し、乱暴に宿の玄関扉を開く。

 エイジャは転びそうになりながらも必死でルチアの後に続いた。


 ルチアがこんなふうに強引に腕を引く事など初めてだ。

 すっかり怒らせてしまったらしい。なかば引きずられるようにして階段を上る。


 ルチアは自分の部屋の前で足を止め、エイジャの手首を掴んだまま、自由な方の手でガチャガチャと鍵を開けて扉を開いた。

 部屋の中に引き込まれた拍子に、ルチアの胸元に鼻をぶつけ、エイジャは思わず声を漏らす。


 ルチアは部屋に一歩入ったところで足を止めた。エイジャが顔を上げると、すぐ頭上から見下ろしてくるルチアと視線がぶつかった。


 窓から入る月明かりが頬に長い睫毛の影を落とし、深紅の瞳に反射して光を返す。

 普段はその柔らかい微笑みが安らぎを与えてくれるのに、寸分の狂いもなく整った顔立ちは、今はひどく冷たく遠いものに思えた。

 ただ、瞳の赤い色だけが、まるで怒りを湛えているかのように燃えていて。

 薄い唇を引き結び、形の良い眉を険しく寄せて、ルチアは黙ってエイジャを見つめていた。


「……ル……チア?」

 ようやく声が出て、おそるおそる名前を呼ぶ。

 掴まれていた手首がぐっと強く締められたが、痛みを感じる余裕はなかった。


 捕食される寸前の動物はこんな気分なのかもしれない。

 圧倒的な存在を目の前にして、どんな抵抗も意味がなくて、ただその獰猛な美しさに魅入るだけ。

 心臓の音だけが、静まり返った部屋の中に響き渡るほどに強くて。


 沈黙はほんの数秒のようにも、永遠のようにも思えた。

 ルチアは一層表情を険しくして顔を背ける。


 ほんの少し手首を引かれた気がしたのは錯覚だったのだろうか。ルチアはずっと掴んだままだったエイジャの手を離した。

 一瞬、躊躇するように宙を掻いた後、エイジャの肩を開いたままの扉の方へ軽く押しやった。


「早く……寝ろ。明日はベルと約束があるんだろう……」


 苦しげに呟かれた言葉に、エイジャは答えられなかった。

 その場を去る事もできずに、立ち尽くす。


 頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられない。何も言えない。


「ルチア……あの……」

 うまく息もできないような緊張の中、やっとそれだけを口に出したが、ルチアはこちらを見る事なく、完全に背中を向けた。


「部屋に戻れ」


 だめだ。


 エイジャはすぐに部屋を出た。

 自分の部屋の鍵を開け、中に入るとベッドに倒れ込んだ。

 シーツに顔を押しつけ、こみ上げて来る嗚咽を押し殺す。


 突き放された。

 ルチアに嫌われた。あんなに……こちらも見てくれないくらい……。

 どうしてかは分からないけれど、ルチアの嫌がる事を自分がしてしまったのだという事は分かる。


 息苦しくなって胸をおさえる。

 父さん、助けて。どうしよう、俺、苦しいよ。


 ルチアの名を呼べない以上、父の幻影にすがるしかなかった。

 疲れていつのまにか眠りにつくまで、エイジャは声を殺して泣き続けた。

なんとか滑り込みで7月中に2回更新できました(汗)

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