(43)それ以上の存在
「エイジャ、送ってくれてありがと」
「どういたしまして」
見上げるほど高さのある鉄の門は、明るい空の下よりも一層存在感を増して見える。
キーラがスカートのポケットから取り出した鍵を差し込むと、重い解錠音が静まりかえった闇の中に響いた。
同時に、キィン、とわずかに空間を震わせる感覚に、エイジャは目を瞬かせた。
「キーラ、その鍵って……ロメオさんにもらったの?」
「……うん。一緒に暮らし始めてすぐに、渡されたの」
「ちょっと、見せてもらっていい?」
「?いいけど」
不思議そうに首をかしげながら、キーラはエイジャに鍵を手渡した。
小さな鍵だが、凝ったレリーフが掘りこまれた年代物だ。
手の平に乗せて意識を集中させると、わずかに魔力を感じる。
「これ、魔道具だね」
「そうなの!?ただの古い鍵だと思ってた」
「この門に結界が張ってあるんだよ。侵入者が入れないように。この鍵でなら開くけど、無理にこじ開けようとすると痛い目を見ると思うよ」
「へえ……良かった、鍵もらってて」
キーラは首をすくめる。
ロメオは伝説の魔道具職人クラウディオの古い友人だというから、彼にもらったものなのかもしれない。
こうやって、キーラや女性達を守っているのだろう。
「ロメオさんは本当にキーラ達の事を心配してるんだね」
「……そりゃ、あれだけ女を集めてれば、人攫いに奪われたくないんじゃないの」
憮然としたキーラに、エイジャは鍵を返しながら目を細めた。
「でも、その鍵を持ってるのはキーラだけなんじゃない?」
キーラは少し考え込んだ。
「……たぶん、そうかな。いつでも好きな時に出入りしていいって。
でも、そのくせ危ないから夜は出歩くなってうるさいのよ。鍵を渡したのは、自分のくせに」
不満そうに口をとがらせる。エイジャはキーラの頭を柔らかく撫でた。
「キーラの事が心配だから口出しするんだと思うけどな」
「心配なんか……してないわよ。私なんて、いつも減らず口ばかりで、全然かわいくないし……」
視線を落としたキーラの表情は、普段よりもずっとあどけなく、頼りなく見えた。
「キーラはかわいいよ。自信もちなよ」
そう言うと、キーラは拗ねたような視線を向けた。
「……エイジャに言われると、嬉しいような嬉しくないような、複雑な気分」
「なんで?」
「エイジャの方がずっとずっときれいでかわいいんだもの!もう、男のくせにずるい!2年前よりもなんか……さらにきれいになってない!?なんか、妙な色気まで出てきてるし!」
ドンドンとエイジャの胸を叩いて抗議するキーラに、どう返せば良いのか分からずに戸惑っていると、キーラはぐいっと顔を寄せて声を潜めた。
「昼間に会ったあのハンサム、あの男には注意したほうがいいわよ?エイジャ」
「昼間に……?ルチアのこと?」
「そう、ルチア。なんだかエイジャを見る目がおかしかったもの。
ただの旅の連れだとは思ってないわよ。それ以上の存在って感じ」
「……そうなの?」
エイジャの声が嬉しそうに弾んだのを、キーラは聞き逃さなかった。
「なに、その嬉しそうな声」
「いや、だってルチアは大事な仲間だから……。ルチアも同じように思ってくれてたら、嬉しいな、と思って……俺は、いつも迷惑かけてばっかりだけど。」
キーラは呆れたようにため息をついた。
「……あいかわらずねぇ、その鈍感ぶり……」
「え?今、なんて?」
「ううん、なんでもない。じゃあ、明日ね。夕方、食堂まで迎えに来てくれるんでしょう?」
「うん。それに、朝食は食堂で食べるから、その時にも会えるよ」
「分かった。じゃ、また明日ね、エイジャ」
キーラが門の中へ入るのを確認し、エイジャは踵を返した。
まだ夜明けは遠い。
王都やザクセア、モーブルなどと違って、この街には街灯もほとんど設置されていない。
キーラがランタンを貸してくれようとしたのを断ってきたため、たまに点在する酒場の窓から漏れる灯りだけが、かろうじてエイジャの視界の助けになった。
冒険者稼業をしている以上、ある程度の夜目はきく。あたりに気を配りながら、宿へと足を早める。
一人になってみると、今日の出来事はずいぶん危険だったと改めて思う。
キーラが訪ねてきた時、あわてて胸にサラシを巻いておいたから良かったものの、もしそれを忘れていたら、キーラに自分が女だという事を悟られていたかもしれない。
同じ女でもキーラに比べれば腕力はあるはずだが、突然の出来事に頭が真っ白になり、すぐには抵抗できなかった。
襟元に指を伸ばす。キーラが「印をつけた」と言った場所。
(あの時、もし俺が本当の男だったら……どうしていたかな)
そんな事は、ありえないのだけど。でも、もし本当に男だったら……
これまでに何度も心の中で繰り返した自問。
なぜ、俺は男じゃないんだろう。なぜ女に産まれてしまったのか……
この問いを思い出すと、自分の存在を今すぐに消してしまいたい衝動に駆られる。
俺が男だったら、2年前にキーラを幸せにしてあげられた。
そもそも、男に産まれていれば、父さんも母さんも、皆……死なずに済んだ。
全身が震えるのを止められなくなり、エイジャは歩みを止めた。
呼吸が苦しい。両手で自らを抱くようにして、ゆっくりと息を吸う。
何度か息を吸って吐き、頭の中からこの考えを押しやろうと試みた。
俺は生きていていいの?
みんなみんな、俺のせいなのに。
苦しいよ……
『いつか、話してくれれば。力になる』
ふいに、いつかルチアが言ってくれた言葉が耳に蘇った。
あれから、何度もルチアには助けられて。いつも、呆れたり怒ったりしながらも、ルチアはこんな頼りない自分を支えてくれた。
必要以上に親しい人間を作らない事にしたのは、2年前のキーラとの別れも原因の一つだった。
自分を偽り、過去に蟠りを残して生きている以上、一時心を許しても、いつかは辛い別れが訪れる。
でも、この街でキーラと再会して。
あの時、キーラと親しくしなければ良かったとは、もう思っていない。
2年前には自分もキーラも深く傷ついたけれど、今はその過去があるからこそお互いに成長して再会できたのだとはっきり分かる。
(キーラは、ルチアが俺の事、ただの旅の連れだとは思ってないって言ってた……)
それは、素直に嬉しいと思う。でも、なぜか同時にいいようのない不安を掻き立てられた。
ルチアの優しさに甘えちゃいけない。いつかは離ればなれになる人だ。
この旅を無事に終え、ルチアは王宮へ、エイジャは冒険者へと戻る。
その日の事を思うと、どうしてか胸が張り裂けそうな程に心を乱される。
(キーラとの別れと、同じだと思えばいいんだ。幸せにしてくれていたら、それでいいんだから)
自らに言い聞かせるように、何度もそう心の中で繰り返した。
はあっ、と一つ大きく息を吐き出し、エイジャは顔を上げた。
この得体の知れない不安感は、いつもの事。
そして、ぐるぐると思考の迷宮に入り込んでしまっていると、ルチアが声を掛けてくれるのが常で。
それだけで、気持ちがすっと楽になるんだ。
朝になったら、ルチアに会おう。
今日の出来事は……とても話せないけれど。
ルチアの柔らかい笑顔を思い出し、エイジャはうん、と一人頷いた。
少し元気になって、小走りで帰り道を急ぐ。
暗がりの中、宿の前に一つだけ設置された灯りが見えてきた。
その灯りの下、腕組みをして立つ人影に気付いて、エイジャは歩みを緩めた。
まだ顔は見えない距離でも、すらりと伸びたシルエットでそれが誰かはすぐに分かる。
「……ルチア」
宿の壁にもたれ、ルチアがエイジャに険しい表情を向けた。
本当〜に遅くなってすいません!!
なんとか7月中に更新できました……ぜえぜえ。
次話はわりと早めに更新できる……予定です(汗)
いつも読んで下さる皆様、ありがとうございます!




