(34)馬鹿じゃないのか、俺は
エイジャはそこで話を一旦切った。
ずっと黙って聞いていたルチアは、ため息を漏らす。
掛ける言葉が見つからないとはこの事だ。
辛い失恋を経験したエイジャを、気の毒に思う気持ちに嘘はない。
だが一方で、エイジャに心から愛した恋人がいたという事実——というのも、エイジャは自分が女であるという事を伏せて話した為に、ルチアの中でそういう筋書きになってしまったのだが——も、まだ受け止めきれていない。
「……キーラにも、事情があったんだ」
エイジャが再度口を開く。
「お前を捨てた事情がか?」
ルチアが幾分投げやり気味な返答をすると、エイジャはうなだれる。
「俺、その後ずいぶんキーラの行方を探したんだ。町の人達にも、キーラが借りてた家の大家さんにも、話を聞いて廻って。でも誰も、知らないって……もう、何だか訳が分かんなくて」
その時のエイジャの心情を思うと、ルチアの胸は痛んだ。くそ、あの女。エイジャにそんな想いをさせやがったのか。
「そのうち酒場で、最初にキーラにつきまとってた、例の男達を見つけたんだ」
「ああ……お前が竜巻でぶっ飛ばしたっていう」
エイジャは小さく頷く。
「キーラがどこ行ったか……って、ま、逃げたんじゃねーの?」
男の一人がさも当然のように言ってのけたのを聞いて、エイジャは耳を疑った。
「逃げた?どこに?何から逃げたっていうんだよ?」
エイジャの質問に、男達は顔を見合わせて薄ら笑いを浮かべる。
「なんだよ、お前キーラの恋人だって聞いてたけど、何も知らねえの?」
カッと頭に血が上ったが、エイジャは必死で感情を抑えて話の続きを待った。
「あいつ、金貸しに追われて王都に逃げてきたんだよ。旅の途中で俺らと知り合ってさ。旅費もねえって言うから、ま、ここに来るまでの金の面倒は見てやってきたんだよ」
「それなのに、王都まで来たらもう俺らとは関わり合いたくねえとか言いやがって」
「なんか親が作った借金だって話だったけど、親が親なら子も子だよな。恩知らずってのはあいつの事だよ」
「まあ、どういうつもりで付き合ってたのか知らねえけど、お前もあんなあばずれの事はさっさと忘れた方がいいぜ」
口々にキーラを罵る言葉を耳にして、エイジャの中で行き場のない悲しみが怒りに変わっていく。
髪の毛が魔力を受けてゆらりとたなびくのを見て、男達は言葉を切って息を飲んだ。魔力はなくとも、全身にみなぎる殺気は感じ取ったらしい。
「……その金貸しっていうのは?もう王都に来てるのか?」
「いや、その、二、三日前だったかな……キーラの事、聞いて廻ってる、知らねえ男を見かけてさ……たぶん、あれが金貸しじゃねーのかなぁ……俺は、聞かれてねえけど!」
必死で自己弁護に走る男達を責めても仕方が無い。
今はキーラの身が心配だった。
エイジャはキーラの事を聞き回っていたという、金貸しらしき男の風貌を聞き出すと、テーブルに銅貨を置いて踵を返した。
「えっ、いや、受け取れねーっすよ……」
なぜか敬語になっている男達に、肩越しに冷えた視線を送る。
「借りは作りたくないから、取っといて」
そのまま振り返らず、酒場を後にした。
なんでだよ、キーラ。
なんで言ってくれなかった?
金貸しに追われて王都に来た事も、そのせいであの男達につきまとわれる羽目になった事も、何も言ってくれなかったじゃないか。
お金に困っていたのなら、そんなの、俺が働いて一緒に返す事もできたのに。
早足で歩いていた歩みを止めて、エイジャは路地でうずくまった。
なぜ。どうして。
俺は、なぜ気付かなかったんだ。
きっとキーラは苦しんでたんだ。
あのキーラの笑顔も、優しさも、どれも嘘なんかじゃなかった。
まっすぐに俺に愛情をくれたのに、俺は後ろめたくて、ちゃんとキーラの事を見てなかったんじゃないのか。
最後の夜、夕食を一緒に食べて、すごく幸せで。
おみやげのペンダントを、あんなに喜んでくれて。
俺を送り出した後、どんな気持ちであの手紙を書いて、出て行ったのか。
王都に来て初めて、エイジャは声を上げて泣いた。
結局、キーラの事を聞き回っていたという金貸しらしき男は見つからなかった。
キーラが王都を離れた事を知って後を追ったのではないかと心配したが、聞き込みをした限りキーラがどこに向かったのかを知っている人間は一人もおらず、金貸しもキーラを追う事ができずに地元に戻った可能性が高かった。
西へ向かったのか、東へ向かったのか、方角さえも分からない中、エイジャは依頼で王都を離れて旅をする度に、訪れた街や村でキーラの行方を聞いて廻ったが、それらしき少女の情報を得られる事はなかった。
それから2年。
もうすでに行方を探す事を諦めていた相手が、突然目の前に現れ、あっけらかんと再会を喜んでいるのだから、そりゃ怒りもするだろう。
ルチアはしょげかえっているエイジャを眺める。
痛い恋愛話を打ち明けられた今は、少し冷静になって、同じ男として同情してやれるような気もした。
その事に軽い安堵を覚え、ルチアはエイジャの肩を抱く。男同士、友情のハグだ、これはと自分に言い聞かせながら。
「お前も結構女で苦労してたんだな」
そう言うと、エイジャは小さな嘆息と共にルチアの肩口に頭を寄せた。
子猫が母に甘えるような仕草に、ルチアの心臓が跳ね上がる。
(う……やっぱり、だめだ)
だが、悄然としているエイジャを急に引きはがす事もできず、そのままじっとして耐える。
「……無事だったんだから、喜ぶだけでいいはずなんだ。なんで、怒っちゃったのかな……。
あんなに心配したのに、キーラは全然平気な顔してるから……」
くすんと小さく鼻を鳴らす。掠れた声。
(ああ、何を考えてるんだ。こいつは他の女を想ってるってのに、馬鹿じゃないのか、俺は)
ルチアは途方にくれ、意識を散らすように窓の外へ視線をやる。
夕暮れが押し迫っていた。




