(32)私を彼女にして
ある日の事、常宿にしている宿屋の食堂のいつもの席で朝食をとっていたエイジャに、知り合いの男が話しかけて来た。
「おいエイジャ、最近おまえの周りをうろついてる女いるだろ。あの子、お前の恋人?」
「……恋人ってわけじゃないけど。なんだよ?」
普段から女好きで手の早い男だったので、少し警戒して聞き返すと、男は顔を近づけて声を落とす。
「いや、さっき向こうの路地で何かガラの悪そうな奴らと言い合っててさ。ちょっと揉めてるっぽかったぜ。恋人じゃないなら、ま、心配する事ねーか」
エイジャは朝食の残りを一息にかきこんで立ち上がった。
「あ、おい、行くのかよ?」
「恋人じゃなくたって心配だろ。オヤジ、勘定ここに置いてく」
カウンターの上に置いた銅貨の中から、一枚を男の方に投げる。
「礼。どこで見た?」
「まいどあり。この店出て露店街の方に行く途中の路地だ」
エイジャは椅子の背にかけていたジャケットを手に取ると、羽織りながら足早に店を出た。
男に教えられた方角へ早足で歩きながら、細い路地に目を配る。
しばらくすると聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
「だからっ!もう私には付きまとわないでって言ってるでしょうっ!?」
声のした方へ走る。
「キーラ!」
路地に立つ三人の男達の隙間から、キーラの顔が見えた。
「エイジャ!」
「なんだ、お前!」
男がエイジャに掴み掛かってくる。咄嗟にエイジャは身を屈め、用意していた詠唱を解き放った。
「デ・トルナド・ゲベルト!」
突如巻き起こる突風。細い路地の中で勢いを増した竜巻に巻き込まれ、男達の体が次々に宙に舞い上がった。同時にエイジャはキーラの手を掴んで走る。
路地を抜け、大通りの人混みの中を肩を避けながら駆ける。男達が追いついてこないのを確認しながらまた横道の路地に入り、一軒の店の裏口扉を開いて飛び込んだ。
「……いらっしゃーい……ってエイジャ、どーしたの?そんな所から入ってきて」
顔馴染みの女店主が驚いた顔で迎えた。
「ごめんアニタさん……ちょっとかくまって」
「それはいいけど、横の女の子は何よ?女連れっていうならちょっと考えちゃうけど?」
「そう言わないでよ、追われてるんだ」
「もぉ、分かったわよ」
エイジャより一回りほど年上のアニタは、以前からエイジャを気に入って何かと面倒を見てくれている女性だった。目の覚めるような美女とまでは言わないまでも、笑顔が魅力的な彼女を目当てに店に通ってくる常連客も多い。
店内は開店準備中で椅子がテーブルに上げられている。アニタは店の端のテーブルの椅子を床に降ろすと、座るよう促した。
エイジャは繋いだままだったキーラの手を離し、椅子を引いてやった。キーラがおずおずと腰を降ろす。
まだ肩で息をしているキーラに、アニタが水の入ったグラスを差し出した。
グラスを受け取ったキーラは一気に水を飲み干し、大きく息をつく。
「ちょっと落ち着いた?」
エイジャが尋ねると、キーラは頷いた。
「助けてくれてありがと……エイジャ」
「あの人達は誰?知り合い?」
「知り合いっていうか……」
キーラは言いにくそうに口ごもると、視線をテーブルに落とす。
「言いたくないなら無理には聞かないけど……」
服装や顔つきからは、どう見ても柄のいい連中には見えず、キーラのような若い娘が関わりを持つのは良い事ではないと思えた。
「前に……あの連中と一緒にいた事があるの。……あの中の一人が、私の事気に入ってるみたいで……しつこくて、困ってるの」
「そうなんだ……」
キーラと初めて会った時も、酔っぱらいに強引に口説かれて困っていたのを思い出す。
きめ細かな肌にくるくるとよく動く亜麻色の瞳、形の整った柔らかそうな唇。まだ幼さを残しながらも、すでに大人の女性の片鱗を見せ始めている。改めて見ると、男心をくすぐる容姿なのかもしれない。
「ね、エイジャ。エイジャが彼氏だって言えば、あいつも諦めが付くと思うの。だからお願い、私を彼女にして!」
顔の前で手を合わせたキーラに、エイジャは困ったようにため息をついた。
翌朝。
宿の部屋の扉を叩く音で、エイジャは目を覚ました。
「お・は・よっ!エイジャ!」
知った声が耳に入り、慌てて跳ね起きる。大急ぎで胸にサラシを巻いてから、扉を開けた。
「……おはよ、キーラ……。どうしたの?」
「どうしたのって、朝だから起こしに来たのよ?早く顔洗ってらっしゃいよ。もう太陽がだいぶ上まで上がってるわよ」
エイジャは寝ぼけ眼をぱちぱちと瞬かせる。
「……えと、昨日約束してたっけ?」
「約束?別にしてないけど。
やーね、恋人同士なんだから、約束なんてしなくたっていいじゃない。それでなくてもエイジャったら依頼でしょっちゅう出掛けちゃうんだから、王都にいる間だけでも一緒にいたいもん」
上目使いでエイジャの目をじっと覗き込み、甘えるように体を揺らすキーラ。
エイジャは額に手を当ててため息をつく。
「……分かった。用意してくるから、下で待ってて」
着替えたエイジャが宿の階段を降りて行くと、玄関の前にこちらに背を向けて立つ小さな背中が見えた。
エイジャが声を掛ける前に、足音で気が付いたのか、くるりとこちらを振り向くと、嬉しそうにニッコリと笑う。
その顔を見ると、胸が温かくなって思わず自然に微笑みを返してしまう。
本当に女性の笑顔に弱いなと、エイジャは心の中で苦笑した。
「ごめんね、待たせて。で、どこに行くの?」
「ん〜、そうねぇ。まずは腹ごしらえかな」
キーラに腕を掴まれ、露店通りをぶらぶらと歩いていると、いつも声を掛けてくる顔なじみの女性達が引きつったような表情を浮かべて硬直している。
「エイジャ!ちょっとちょっと!」
その中の一人がエイジャを手招きした。いつも果物をおまけしてくれる青果店の女性だった。
エイジャがキーラに断って近付いていくと、ぐいっと顔を近づけて凄む。
「あの子誰!?もしかして……彼女だなんて言わないわよね!?」
「えっ……いや……どうなのかな?俺もいまいちよく分かん……」
「どうなのかなって何、それ!?」
声を荒げたのを合図に、黙って見守っていた周りの店の女性達が一気に集まってきた。
「エイジャ、今は彼女を作ってるような余裕なんてないって言ってたじゃないの!?どういう事!?」
「そうよ、それに私の事かわいいって言ってくれたじゃない!?」
「やだ何よそれ、私だって優しくて素敵だって言われたわよ!?」
「エイジャ、どういう事なの!?恋愛解禁なんだったら、私達だって黙ってないわよ!」
口々に詰られ、エイジャは必死に弁解する。
「いや、ほんと……彼女を作る余裕はなかったんだよ……、なんかその、成り行きというか……やむを得ずというか……俺もよく分かってなくて……!」
エイジャはぐるりと周囲を女性達に取り囲まれてもみくちゃにされていたが、輪の外からずるずると引っ張り出された。
「悪いけど、エイジャのカノジョはわ・た・しに決まったから!分かったら、人のオトコに手を出さないでねっ!」
キーラはきっぱりと言い放つと、エイジャの手を握り締めて走り出す。
「ちょっとっ!!あんた!!何なのよ、いきなり現れて!!」
「エイジャ、行こ!」
「あ、あ………ごめんなさい皆さんっ、わけはまた今度ちゃんと話します〜〜!!!」
とにかくこの場は逃げるしかないと、エイジャはキーラに引かれるままに駆け出した。
キーラの「彼女発言」の後、これまでエイジャを可愛がってくれていた女性達の態度は急変した。
これまで街で会えば必ず嬉しそうに話しかけてきた女性が、今は目を逸らせて通り過ぎる。
すっかり嫌われてしまったのかと、エイジャは肩を落とす。寂しいが、仕方がない事だと自分に言い聞かせていた。
(彼女を作る余裕はないって言ってたのに、成り行き上とはいえ、皆に無断で彼女を作っちゃったんだもんな……嫌われるのは、当然だ……)
そんな状況やエイジャの心情を知っているのかいないのか、キーラは常に天真爛漫で明るかった。
冒険者組合からの依頼で街を離れる事の多いエイジャに、出発前には寂しそうな顔を見せるものの、依頼を終えて帰宅するとこれ以上ない程に喜んでくれる。
自分の帰りを心から待っていてくれる、特別な存在がいる事。
早くに家族を失ったエイジャにとって、キーラは冒険者として生き始めてから初めてできた、家族のような存在になりつつあった。
またまた遅くなってすいません。変則的な更新になりましたが、とりあえずアップしました。




