(24)救出作戦-1
反射的に走り出そうとしたルチアが、腕を取られて振り返ると、フェルダが渾身の力で引き止めていた。
「何をするんだ、フェルダ!早く行かないと……」
「分かってるわよ!でもちゃんと状況を把握してからにして!」
ぎりぎりと力がせめぎ合う。フェルダとて妖艶な美女の装いはしていても、元は男だ。
フェルダがどうあっても離そうとしないのを見て、ルチアは舌打ちして力を抜いた。
「分かった、早く説明を」
「ええ……」
ちらりとロミーナに目をやったフェルダを見て、ルチアが頷く。
「いいから、早く話せ」
ロミーナはフェルダを見つめ、こくこくと頷いた。
「エイジャと二人でホテルの玄関を見張っていたら、ラヴィスの従者が出てきたの。ホラ、いつも供に連れてる男よ。どこかに急いでいる様子で挙動不審だったから、エイジャがそいつの後を追っていったの。アタシじゃ顔が割れてるから……
そしたらすぐにその後を5〜6人の男が付いて行って、エイジャを捕らえてしまったの。おそらくラヴィスの私兵よ。あの様子だと、見張りがついているのに勘づいて、わざとおびき出したんだと思うわ」
「エイジャはどこへ?」
「ホテルに連れて行かれた」
「分かった」
言うが早いか、すでにルチアは走り出していた。
「待ってってば!正面突破する気!?」
またフェルダに腕を引き止められて、ルチアは苛立ったように声をあげる。
「それしかないだろう!?こうしてる間にエイジャが拷問されていたらどうするんだ!」
「そんな、拷問だなんて……あの方がそんな事……だって、エイジャは……」
ロミーナが信じられないように否定する。
ルチアは冷えた視線を向けた。
「ラヴィスは冷酷な男ですよ。目的の為なら人の命を奪う事になんの躊躇も見せない男です」
「表から突っ込んでいってルチアまで捕まったらどうするのよ!?正体がばれたらもっと厄介な事になるのよ!?」
ルチアとフェルダが揉めているのを見て、ロミーナが歩み出た。
「私なら部屋に通して下さるはずです。エイジャに全て話すよう説得すると言えば会わせてもらえると思います」
ルチアとフェルダは振り返った。
「ラヴィス様は命の恩人……私の愛する方。でも、エイジャも私にとってはかけがえのない存在です。
必ず助け出して見せます。どうか、力を貸して下さい」
椅子に縛り付けられた手首に、縄がぎりぎりと食い込む痛みに気を取られていたエイジャは、近付いてきた影に一瞬気がつくのが遅れた。
次の瞬間、頬に衝撃を受け、派手な音をたてて椅子ごと横向きに倒れ込む。
「強情なやつだな、ん?きれいな顔に傷がついてもいいのか?」
床に突っ伏すような姿勢で顔だけを声のする方に向けると、口元だけを笑うように歪ませて見下ろしている男の顔があった。
ラヴィス侯爵。
ロミーナさんの恋人が、こんな男だったなんて。
「お前がさっさと白状しないから、こんな事をしなくちゃならん。お前のせいだぞ?俺は本当は心の優しい人間なんだ。その俺に……」
がつっと音が響き、周りにいた彼の私兵達が一瞬目をそむける。
胸を蹴られ、げほげほとむせるエイジャを見下ろしながら、ラヴィスが至極残念そうな口調で続ける。
「こんなひどい事をさせるなんて。お前のせいだ。エイジャ=キュラビオ」
捕まったのは自分の不覚だった。後ろから迫ってきた気配に気がついて振り返り、咄嗟に詠唱をしようとしたが、自分が付けていた男に羽交い締めに捕らえられ、すぐに口を塞がれてホテルの部屋に運ばれた。
男達はエイジャの持ち物を改めたが、もちろん書簡は持っていない。常に身につけている腰袋からいくつか魔道具が出てきただけだ。
程なくして、ラヴィスが現れた。
昨夜ホテルの前で見た時とは格好が違い、帽子を被らず髪も後ろで一つに束ねている。ルチアが言っていた通り、これが普段の姿なのだろう。
がっしりとした筋肉質の体つき。大股で部屋の中を歩く足音が大きく響く。
その表情は自信に溢れ、傲慢ささえ感じさせる。
エイジャの前に立ったラヴィスは腕を胸の前に組み、見下ろす姿勢で話し始めた。
「俺を見張っていたというのはお前か。どうも不穏な気配を感じたんでな。誘き出させてもらったぞ」
「……」
この男がロミーナさんの恋人……
「ラヴィス様、これを。身につけていた物です」
部下の男の一人が、エイジャが身につけていた魔道具の入った腰袋をラヴィスに手渡す。
「ふん……なんだ、ゴミばかりだな……」
「いえ、恐れながら……おそらく、魔道具かと……」
「魔道具だと、これが?」
ラヴィスがバラバラと袋の中身を床にぶちまけた。
「何の変哲もないガラクタにしか見えんな。価値のある物なのか?私が見た事のある魔道具はもっと、宝物らしくきらびやかであったが」
「は、おそらく古代魔術で作られた物ではなく、もっと近代……何か特別な手段をもって作られたものではないかと……見た事のない技術です」
ラヴィスに報告している男は、魔術師のようだった。エイジャの持っている魔道具の帯びている魔力を感じ取ったらしい。普通の人間には、これが魔道具である事は分からない。
「まあいい。そんなに価値のあるものなら、しまっておけ」
命じられて、魔術師らしい男は床にまき散らされた魔道具を袋に片付け、自らの腰にまとった。
「さてと、という事は……だ。お前は魔術師という事だな?」
ラヴィスは魔道具を片付けた男に、この部屋へ魔封の結界を張るよう命じた。
エイジャに向き直ると、エイジャの口に巻かれていた猿ぐつわを取り払う。
「言うまでもないだろうが、この部屋で魔術は使えん。大人しく吐いた方がいい。
その顔。王都で名をあげている。女のような顔をした若い魔術師……
黒髪に白い肌、聞いていた通りだ。
冒険者組合からあの日、王宮に呼ばれたエイジャ=キュラビオというのは、お前だな」
エイジャは名前を知られていた事に内心驚いたが、表情に出さずただラヴィスの顔を見返した。
冒険者組合にとって、依頼人と派遣した冒険者の情報は重要機密。
それを明かしたとなると、誰かが金を積まれて喋ったのだろうか。強引に口を割らされたのではなければ良いが……
「冒険者組合からあの日、王宮に呼ばれたのはお前一人だな。シアル公国への密使がお前のような民間の冒険者一人というわけはない。
第一、お前は私の顔など知らないはずだ。私を見張っていたという事は、仲間に私の顔を知る王宮の人間がいるはずだ。それは誰だ?」
エイジャは一言も言葉を発しなかった。ラヴィスは躊躇なくエイジャの頬を張る。
「王都を出てすぐ、私が放った兵をえらい目に合わせてくれたな。報告によると、剣士一人と魔術師一人だ。魔術師はお前。もう一人の剣士はなんという名前だ?今どこにいる?」
何も答えず、ただ睨みつけてくるエイジャに、ラヴィスは苛立ちを募らせる。
「椅子に縛り付けろ。時間がかかりそうだ」
コンコン、と部屋の扉が外側からノックされ、部下の男の一人が相手を確認した。
床に倒れた姿勢のまま、エイジャは意識の片隅で来客の存在を知る。
しばらく扉の付近でやり取りがあった後、客はコツコツと細いヒールの音を響かせて部屋に入ってきた。
足音は小走りに自分の方へ近付いてくる。
「エイジャ……!!」
掛けられた声にエイジャは驚き、ぎこちなく首を動かして声の主を見上げた。
「ああ、エイジャ、なんて事……!」
頬に当たる滑らかな手の感触。いつもの花の香り。
「ロミーナさん……」
ロミーナは倒れた椅子ごと横たわっていたエイジャを抱き起こす。
頬は腫れ、眉間から流れ出した血が目を塞いでいた。
「ラヴィス様……なんて事を!話を聞くだけだと、そう仰ったではないですか!?」
ロミーナは声を張り上げた。
「そうだ。お前がエイジャ=キュラビオを私の元に連れてくれば、話を聞くだけで済んだのだ。
いつまで待ってもお前は来ないし、ホテルの前で不穏な動きをしている人間がいるというので、誘き出してみれば、これがエイジャ=キュラビオだというではないか。
どうも私には何も話したくないようでな。暴れるので、少し懲らしめてやった所だ」
「少し懲らしめてって……こんな……酷過ぎます!早く、手当てを……」
「お前は黙っていろ!私に意見するのか、お前が!?」
ラヴィスの怒鳴り声が部屋に響き、ロミーナがびくりと肩を震わせた。
「行くあてもなかったお前を救ってやったのは、どこの誰だ!?女優にしてやり、人並み以上の暮らしをさせてやり……お前は黙って私の言う事を聞いていればいいのだ!」
乾いた音が響き渡る。ラヴィスに頬を張られたロミーナが、床に倒れ込んだ。
「少しは役に立つかと、お前に期待した私が馬鹿だったな。お前は所詮卑しい商売女だ。折角これまで目を掛けてきてやったものを……肝心な時にこの様か!」
ロミーナは床に倒れ込んだまま嗚咽を漏らした。
「黙れ。ラヴィス。ロミーナさんに、そんな言い方をするなんて……許さない」
耳にした声に、ロミーナは顔を上げて振り向いた。
「……エイジャ……」
「なんだ?やっと口を聞いたか。で、何と言った?聞こえなかったな」
眉間から流れる血が目に入るのもそのままに、エイジャはゆっくりと閉じていた瞳を開いた。
「俺はロミーナさんのボディガードだ。ロミーナさんは、俺が守る」




