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金の王 銀の姫  作者: tara
第一章
33/87

(23)来訪者-1

ドンドン、と無遠慮に扉をノックする音で、ルチアは目を覚ました。

「ルーチーアー。起きてよー」

続いて耳に入ってきたのは、不機嫌そうな声。

重い瞼をこじ開け、はっきりしない頭を何とか動かす。

「ああ……ちょっと待て」

ドアを開けると、思った通り、立っていたのはベルだった。

「どうした。……交代か?」

「もぉ、何ぼーっとしてるのよ。エイジャが交代しに来てくれたから、さっき私だけ先に帰ってきたの。

そうしたら、今ホテルの従業員が私の部屋に来て。何か、エイジャに客が来てるって言うのよ」

「エイジャに客?誰だ?」

「誰だかは言わなかったわ。どうする?」

「分かった、俺が行ってくる」

ルチアは頭の後ろに手をやり、結い紐が外れていない事を確かめる。ベッドサイドに置いていた眼鏡を掛けて部屋を出ると、階段を降りて行った。


ロビーへ行くと、毛皮のコートを纏い、クロッシェを深く被った女性の後ろ姿が目に入った。

振り向いて顔を見せずとも、その身なりと凛とした立ち姿だけで、彼女が誰なのか察しはついた。

「おはようございます、ロミーナさん。エイジャに御用事とか」

掛けられた声に振り向いた顔はしかし、昨夜言葉を交わした時のような大女優としての自信に満ちた表情ではなく、何か心配事を隠しているように見えた。

「……おはようございます。ごめんなさい、朝早く。

あの、エイジャは……?」

「ああ、ちょっとそこまで買い物に出てるんです。すぐに戻りますから、部屋でお待ち下さい」

ルチアはそう言って、エスコートするように手を差し出す。

ロミーナは一瞬躊躇する素振りを見せたが、エスコートを断るわけにもいかず、ルチアの腕を取った。


ルチアは自分の部屋にロミーナを案内すると、ベルに紅茶の用意を頼んだ。

ソファに腰を降ろしたロミーナは悠然と振る舞ってはいるが、どこか堅さを感じさせた。

おそらく、常に自分を偽る王宮で生きてきたルチアにだけ分かる程度の違和感なのだろうが。

「今日、この街を立つとエイジャが昨夜、言っていたものですから。挨拶をしに伺ったのですけれど……」

「ああ、そうでしたか。わざわざ申し訳ありません。大女優にご足労頂くなんて光栄です」

ルチアはにっこりと微笑んで見せた。視界の端に、紅茶を運んできたベルのうさんくさー、と言いたげな表情が目に入ったが、それは無視する。

「昨日この街に来られて、もうご出発だなんて、お急ぎの旅ですのね?」

ロミーナが尋ねる。

「ええ、モーブルには宿を取るのに立ち寄っただけなので。それが偶然、ロミーナさんにお会いできて、エイジャはとても喜んでいましたよ」

「それはもう。私も嬉しかったですわ。エイジャとは王都の外で会ったのは初めてですから。

あの子、冒険者としていろいろと危ないお仕事もしているようで、私、いつもエイジャの身を案じておりますの。

今回も、あの、危ないお仕事なのかしら?」

ルチアはロミーナの声色に微かな緊張が混じったのを感じ取り、慎重に言葉を選んだ。

「いいえ、そのような危ない仕事ではありませんよ。俺達のような冒険者にとっては、いつも受けている仕事と変わりありませんから、慣れたものです」

「まあ……そうですの」

何かを聞き出そうとしているな。

ルチアは勘づいたが、気付かぬふりをして先を続ける。

「ロミーナさんはまだしばらくモーブルにいらっしゃるとか?」

「ええ、あと数日はこちらで公演がありますの。その後は国内をいくつか廻って、また王都に戻りますわ」

「それはすごい。さすが大女優ロミーナ=アイマーロだ。国中の人間があなたの来るのを待っていますからね」

ルチアが褒めると、ロミーナは言われ慣れた賞賛の言葉に、ごく自然な微笑みを見せた。

「あらでも、ルチアさんは昨夜の公演をご覧になって下さらなかったのでしょう?私がそのような賛辞に値する女優か、ご存知ないのではなくて?」

少し意地悪をするように言ったロミーナに、ルチアは慌てる事なく返す。

「申し訳ない、昨夜はエイジャ達と行き違ってしまったのです。でも王都であなたの舞台は拝見しておりますから、その素晴らしさはよく存じ上げておりますよ」

「まあ、そうでしたの。演目は何をご覧頂いたのでしょう?」

「ええ、『薔薇と王冠』を」

ロミーナはにっこりと笑みを深くした。

「嬉しいですわ。私も好きな演目ですの」

「へえ、知らないなぁ、それ」

それまで黙って話を聞いていたベルが口を挟んだ。

「機会があったらベルさんにも是非ご覧頂きたいわ。私のお芝居は、悲しいお話が多いのですけど、『薔薇と王冠』はハッピーエンドでとても幸せなお話なの。歌もとても美しい曲よ」

やはり舞台の話になると緊張が和らぐらしい。ロミーナはいくらか口調を軽くして、ベルと舞台の話を始めた。

ルチアはふう、と誰にも悟られない程度に息をつき、手に持ったままだった紅茶のカップを口に運ぶ。

「わあ、どんな歌なんですか!?ちょっと、聞きたいな」

ベルがねだるように言うと、ロミーナは笑い、こほんと小さく咳払いをして歌いだした。


 愛する貴方へ私は歌を贈る

 私の魂を貴方に捧げる

 貴方の幸福がとわにあること

 それが私の願い


軽く歌ったものだったが、さすがと言う他はなかった。

神経を尖らせていたルチアも、思わず素直に感嘆して拍手してしまった程だ。

ベルはというと、間近で聞いた歌声に感極まったのか、言葉を失っている。

「大舞台で聴くのも良いが、こうしてこんなに近くであなたの歌声を独占できるなんて、この上ない贅沢ですね」

ルチアが言うと、ロミーナは微笑んだ。

「ありがとう。私も大好きな歌なんです」

「……知ってる。この歌、わたし……」

ベルがつぶやいた。

「この歌。母さんが、いつも歌ってた。私、大好きで……でも、なんて歌なのか聞く前に、母さんは死んでしまって……」

その言葉を聞いたロミーナの表情が、すっと固くなった。

「お母様が……いつも歌っていらしたの?」

「はい、私……それから、自分なりに調べたんですけど、結局なにかのお芝居で歌われる歌なのかも、歌の名前も分からないままで。人に聞いても、知ってる人がいなくて。

嬉しいです、やっと分かった」

満面の笑みを浮かべたベルの顔を見つめ、ロミーナは口元をぎこちなく動かす。

「ベルさんは……昨日の劇場に以前、前座として立った事があるのでしょう?お母様が、支配人と知り合いだったとか……?」

「あ、そうなんです。なにか、古い知り合いだったみたいで。母さんは昔からずっと歌を仕事にしてきてたそうなので」

「そうなの。私もどこかでお会いした事があるかもしれないわね。お母様は……なんというお名前なの?」

「マリエルです。マリエル=ロラン」

「そう……マリエルさん。……ごめんなさいね、お名前に聞き覚えはないのだけど……」

「いえ、当たり前ですよ、そんなの。母は歌はとてもうまかったけど、家族だけの本当に小さい一座でやってましたから。ロミーナさんがご存知なわけないです」

ベルは手を振って恐縮した。

「……ああ、もうこんな時間。私、もう失礼しないと・・エイジャを待ちたかったのですけど……」

ロミーナがそわそわと腰を浮かせた。

「そうですか、残念です。まったくエイジャは、どこで道草を食っているのか……」

ルチアは手にしていたカップをテーブルに置くと、すっと歩み出て部屋の扉を開けた。

「下までお送りしましょう」

ロミーナはルチアの顔を一瞥し、視線を落とした。

「エイジャが戻ったら……すぐに街を出られるのでしょう?」

「そうですねぇ……そんなに急ぐわけでもないですし……少しゆっくりしてから。もしかしたら、明日になるかも」

ルチアの答えを聞き、ロミーナが急くように顔を上げた。

「すぐに……出発された方が。先をお急ぎだと……」

「まあ、そんなに一刻を争うような仕事ではないのですよ」

階段を先に降りながら、ルチアはのんびりと話す。

「それとも、何か俺達が急いで街を出た方が良い理由でも?」

歩みを止めて振り返ると、ロミーナが顔をこわばらせていた。

「……理由は申せません。でも、エイジャが戻ったら、すぐに街を出てほしいのです。今すぐにでも、エイジャを見つけて、出発する事はできないのですか?」

訴えるような目をしてそう続けるロミーナに、ルチアは白々しい笑顔を向ける。

「理由も分からないままに急がされるのもおかしなものですね」

ロミーナはルチアを追い越して階段を降りきると、人気のないロビーの廊下へ歩を進めた。

「ルチアさん。あなたは王都でエイジャと同じく冒険者をされているとか」

振り返ったロミーナの表情には緊張がにじみ出ている。

「ええ、そうです」

「それは嘘ですね。あなたは王宮の方」

ルチアは動揺を表に出す事なく、笑みさえ浮かべてロミーナを見返した。

「なぜそのように思われるのですか?」

「『薔薇と王冠』は、王宮で王族の方の前でしか演じない、特別な演目ですわ。王を賛美する劇ですから、民衆には受けないのです。王都や他の街でも、演じる事はありません」

(フェルダがいればうまく取り繕ってくれただろうに、しまったな)

ルチアは自分のミスに内心で舌打ちした。

「でも、あの歌はベルも知っていましたよ?」

そう返すと、ロミーナは言い淀んだ。

「それは……その……でも……」

俯いて口ごもったが、きっと顔を上げてルチアを見つめ返す。

「私、王宮に招かれて『薔薇と王冠』を演じさせて頂いた後、皆様にお目通りしてご挨拶しました。

その時、あなたにもお会いしたはず。昨夜、どこかでお会いしたと感じたのはやはり間違いではなかった」

そこで一度息を切り、意を決したようにルチアを正面から見据えた。

「ルチアさん……というのは、偽名ですわね?」

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