(18)劇場の街
ザクセアの街を出てから数日。
エイジャ達一行は途中小さな町をいくつか経由しながら、国境までの道をひたすら東へと馬を進めていた。
心配していた王宮の反対勢力ー王女派の貴族の手の者による襲撃などもなく、時折エイジャを挟んでルチアとベルが火花を散らす程度で、先を急ぎながらも存外穏やかな道中だった。
ただ、ザクセアで捕らえたディノと人買い達の尋問は思うように進んでいないようで、フェルダが時折魔術を使って王都の仲間と連絡を取っていたが、いまだ有益な情報は得られていなかった。
残酷な拷問は行っていない事も尋問が進まない原因の一つではあるのだが、それがカルニアス王子のご意思だという話を聞いて、エイジャは一層王子への敬慕の情を強くしていた。
その日、シアル公国との国境を目前にしてエイジャ達が宿を取る為に立ち寄ったのは、モーブルという比較的大きな街だった。
王都から遠く離れているにも関わらず、通りには大勢の人々が溢れ、賑やかで活気に溢れている。
街の中心を走る目抜き通りにはレストランやブティックが建ち並び、周辺の田舎町では見られなかったような流行の型のドレスを来た女性達が楽し気に行き交っていた。
「もう国境が近いのに、賑やかな街だね」
きょろきょろと周りを見回しながらエイジャが言うと、横を歩いていたフェルダが通り沿いの建物を指差した。
「ほら、あれ。劇場よ。あっちもそう。モーブルは劇場の街なのよ」
そう言われて指差された方向を見ると、格調高い伝統的な造りの劇場がいくつも軒を連ねている。
「へえ……。フェルダさんはここ、来た事があるんですか?」
「アタシはプライベートでも良く来るのよ。お芝居や歌劇、大好きなの!」
「お前を東に向かわせると、必ずこの街に立ち寄るからなぁ……」
ルチアが少し呆れたようにこぼした。
「私だってこの街、来た事あるわよ。舞台に立った事もあるんだから!」
ベルが横から口を挟む。
「舞台に?すごいね!」
エイジャが驚くと、ベルは少し自慢げに胸をそらした。
「ま、前座だったんだけどね。でも結構ウケたのよ。
懐かしいな。それ以来、来た事なかった」
ベルは家族の事を思い出したのか、少し寂しそうに辺りを見回した。
ふと、通りの向こうに目をやったルチアが歩みを止めた。
「ルチア?どうしたの?」
エイジャが尋ねたが、ルチアはこちらに顔を向けず、何かに視線を留めている。
「……先に行っててくれるか。ちょっと気になる事がある。
フェルダ、お前の常宿に泊まるんだろう?俺は後で行く」
「ルチア、俺もついて行こうか?」
エイジャが声を掛けたが、ルチアは首を振った。
「いや、大丈夫だ。たぶん俺の思い違いだろうが……一応、確認してくる。
フェルダ達と一緒に先に行っててくれ」
そう言って走り出すと、ルチアの姿はあっというまに人混みに隠れて見えなくなった。
フェルダがいつも宿を取るというホテルは、周辺の町ではまず見かけない、いかにも高級そうな一流ホテルだった。
当然宿泊費も、普段エイジャが取る宿とは桁数が違う。
「経費よ、経費。カルニアス王子が出してくれるから心配いらないわ」
フェルダは何でもないように四部屋を取り、鍵を一つずつベルとエイジャに寄越した。
「私はエイジャと相部屋でも良かったんだけどなぁ〜?」
ベルの提案は、「だめよ、エイジャが襲われちゃう」という理由で却下された。
荷物をそれぞれの部屋に置き、三人はフェルダの部屋に集合してルチアを待っていた。
半刻程が過ぎても、ルチアは来ない。
「どうしたんだろう?なにか見つけたみたいな素振りだったけど……知り合いでもいたのかな?」
「ま、大丈夫だって言ってたんだから心配するような事じゃないと思うけど〜?」
フェルダが荷物を整理しながら答える。何が入っているのか、大型のトランクが3つ。だがこれでも全ては持ってこれずに、馬車の客車の中に荷物を残して来ている。
「お腹すいた〜。ねー、ルチアには置き手紙して、先に夕食にしない?」
ベルが言うと、フェルダは少し考えて答えた。
「そうねぇ。夕食の後、劇場にも行きたいし。
フロントに手紙を預けて、先に行きましょうか」
ルチアへの手紙をホテルのフロントに預け、エイジャ達三人は街の大通りに面したレストランに入った。
日が落ちた後も、表にはたくさんの人が行き交っている。レストランの客もきれいに着飾った女性が多い。皆、今夜の芝居のプログラムを手にして、楽しそうに声をはずませている。
「今日は、あの一番大きな劇場に行こうと思ってるの。アタシの大好きな女優が出てるのよ〜」
窓から見える、立派な建物を指してフェルダが言った。
「私が前座で出た事があるの、あの劇場よ!」
ベルが言うと、フェルダは感心したように目を見開いた。
「へえ、すごいじゃない。前座とは言っても、くだらない芸人はあそこには出られないわよ」
「でしょ?ふふっ、ちょっとは見直した?」
ベルは得意そうに表情を緩めた。
「でも、王都からかなり離れてるのにこんなに劇場がたくさんあるなんて、不思議だね」
エイジャが周りを見回しながら尋ねると、フェルダはそうねぇ、と返事し、
「国境が近いから、きっと旅芸人の出入りが多かったのね。それで娯楽業が発達したんだと思うわ」
そう説明すると、エイジャとベルは合点がいったように頷いた。
「エイジャは王都で劇場なんて行くの?」
ベルが尋ねた。
「うーん、興味はあったけど……チケットが高くて、客として行った事はないな。女優さんからの依頼で、ボディガードをした事はあるよ」
「へえ、誰誰?」
フェルダが身を乗り出す。
「ロミーナさんっていう人なんだけど……」
エイジャの答えに、フェルダが目を丸くして立ち上がった。
「ロミーナってもしかしてロミーナ=アイマーロ!?」
「あ、フェルダさん知ってるんだ」
「やだっ、アタシ大ファンなのよ!っていうかホラこれ、今晩観に行こうと思ってた歌劇の主役、ロミーナ=アイマーロ!」
フェルダが手にしていた活版印刷の紙を差し出す。紙の半分程のスペースを使って描かれている美しい女性の横顔はたしかに、エイジャの知っている女優のロミーナのものだった。
「ほんとだ、ロミーナさんだ」
「どうしよう!ねえエイジャ、お芝居の後に楽屋にお邪魔できないかしら!?サインが欲しいの!!」
いつになく取り乱しているフェルダとは正反対に、ベルは不機嫌そうに黙り込んでいる。
「……エイジャ、そのロミーナって女とはただの依頼主とボディガードだけの関係でしょうね?」
ベルの質問に、エイジャは目を瞬かせて首を傾げた。
「ただの……って、うん、そうだよ?俺にとっては普通の雇い主っていうよりも、ちょっと特別な人だけど」
「ちょっと!特別な人ってどういうことっ!?」
ベルがエイジャに食って掛かった。
「いや、王都で公演する時には、いつも依頼してくれるんだよ。
なんか、王都のどこかで俺を見かけた事があるらしくて、冒険者組合にボディガードの依頼をしてくれたんだって」
「それ、明らかにおかしいじゃない!なんで街で見かけた男をボディガードに名指ししてくるわけ!?下心があるからに決まってるわよ!」
「ベルちゃんっ!ロミーナに限ってそんなふしだらな女なわけないわよっ!彼女の十八番は悲劇の女王アデリーナ役よ!?あんなに完璧にアデリーナを演じるロミーナがそんな下心なんてあるわけないでしょう!?」
「フェルダさん、それ絶対騙されてるから!女優なんて芝居するのが仕事なのよ!?」
ベルとフェルダの間でロミーナ善悪論が繰り広げられているのを聞きながら、エイジャはロミーナと出会った時の事を思い出していた。
ロミーナに初めて会ったのは、もう3年ほど前になる。
まだ冒険者として駆け出しだったエイジャに、組合から「おいしい仕事」として紹介されたのが、女優のボディガードという依頼だった。
「女みたいな若い冒険者がいるって聞きつけたらしくて、指名してきたんだ。女優ってのはむさ苦しい男が嫌いだからな。お前みたいなヒョロヒョロの若造の方が向いてるんだろうよ。せいぜい、食われねえようにな」
口の悪い組合の事務員にそう言われ、王都で一番大きな劇場の裏口扉を叩いたのは15歳の時。
今よりも背も低く、まだ顔立ちに多分に子供っぽさを残していたエイジャは、他の冒険者達から馬鹿にされる事も多く、早く冒険者として一人前になりたいと躍起になっていた頃だった。
当時、彼女はすでに王都でもチケットがなかなか取れないと評判の大女優だった。
その美しさは咲き誇る大輪のバラのように華やかで毅然としていて、通された楽屋で初めて対面したエイジャは、しばしその姿に見とれてしまった程だ。
「エイジャ=キュラビオ……と言うのですって?」
自己紹介も忘れてぽかんと口を開けていたエイジャに、ロミーナはそう声を掛けた。
「あっ、はい、そうです!すいません、自己紹介が遅れて……」
慌てて答えたエイジャに、ロミーナは優しく微笑んだ。
「とても若いのね。年はいくつ?」
「はい、15歳になった所です」
「まあ、そうなの。冒険者だなんて、危険な目にもたくさんあうでしょう。
あなたみたいなきれいな子が、なぜ冒険者なんてしているの?良かったら、私が役者にしてあげるわよ」
そうロミーナは言ってくれたが、エイジャはぶんぶんと首を横に振った。
「俺なんてそんな、役者なんて、絶対できません。
それに冒険者をしているのは、自分を鍛錬する意味でもあるんです。危ない目にあう事もあるけど、それも自分を成長させる為の試練だと思っています」
エイジャの答えは、ロミーナの気に入ったようだった。ロミーナは「とてもいい子だ」と褒めてくれた。
ロミーナはまさしく「年齢不詳」というのがふさわしく、娘のように若々しく見える事もあれば、年齢を重ねた大人の女性の貫禄を見せる事もあった。
大女優として周りからもてはやされていても、浮き足立つ事も高飛車になる事もなく、女優という仕事に真摯に向き合っている。
ボディガードといっても、公演後に劇場を立つロミーナに押し寄せる熱狂的なファンから彼女の身を守る程度で、特に何者かに命を狙われているとか、そういった物騒な話はないようだった。
一体自分が役に立てているのかどうかよく分からないエイジャだったが、1ヶ月程の公演が無事終わって任を終えると、またその数ヶ月後、王都での公演が始まる時には同じようにエイジャが呼ばれた。
エイジャをまるで弟か、時には子供のように可愛がってくれるロミーナは、いつしかエイジャにとってもただの雇い主を越えた特別な存在になっていたのだった。




