第9話 真価の果てに (1)
「…………」
肺に吸い込む空気の冷たさに、斑鳩はうっすらと瞼を開ける。
お世辞にも寝心地がいいとは言えない古く軋むベッド。だが、自室のコンテナに備わるベッド替わりに使っているソファーよりは、幾分マシにも感じる。
無意識に顔へとやった手に感じる、冷たい汗。
……何か、悪い夢でも観ていたのだろうか。一つため息をつき、ぼんやりと霞んだ視界が徐々に晴れてゆく中、斑鳩は見上げたあちこちにひび割れを刻む年季を感じさせる天井に目を見開いた。
「よお、やっと起きたか」
唐突な呼び掛けに、斑鳩は身体を包む部屋とは不釣り合いな真新しいシーツをはがしながら、ゆっくりと身を起こす。軋むような感覚の首を聞き慣れた声の方へと向けるとそこには、ギルが一人、簡素な椅子に座っていた。
「……ギル」
「へっ、寝過ぎだぜ、イカルガ。 見ろよ、退屈で思わず苦手な読書なんざしちまった」
普段と全く変わる様子のないギルは、やれやれ、と言った風に傍らの机を左手で指差す。
そこには大小、様々な本が積まれていた。どれもヤドリギを目指す者ならば見飽きた、タタリギについての教本。それに交じって、何冊か見慣れないタイトルの背表紙。何かの物語が綴ってあることを伺わせるタイトルの一冊は、天井を見上げるように開かれたまま置かれていた。
「ここは……A.R.K.か……」
「ああ、13A.R.K.の医療棟――その最奥っつうかな。 ……で、どうだイカルガ、体調は」
ギルの言葉に、斑鳩は軋む首で天井や壁を見渡す。
医療棟にしては、極端に狭い部屋だ。それに手入れはあまり行き届いているとは言い難い。むしろ、長年放置されていた様にすら感じさせる。ベッドの支柱にも錆がありありと浮かび、壁に押し付けられるように並ぶ今にも崩れそうな本棚には、見事に一冊の本も収められていない。
そして、ひと際目を引く――ギルの背後にある、見るからに頑丈そうな無骨な鉄製の扉。
斑鳩は、改めて視線を向けたギルの姿に少し瞳を細めると、大きく息を吐く。
「……そうか……そう言うことか。 ……すまない、ギル」
この部屋の状況、そしてギルの姿。
そして彼の傍ら、本が積まれた机に異様な存在感を放つ、見覚えのある首輪を起動する為の、真っ黒なトリガー状のリモコン。
普段出撃時に纏う制服をきっちりと着こなし、右腕にはいつでも稼働出来る状態の無骨な撃牙は、記憶を辿るまでもなく、斑鳩へとこの状況を瞬時に理解させた。
「逆にどうだ。 お前から診て……それを使わないで済みそうか?」
斑鳩はベッドから足を下ろしながら、俯き額を右手で抱える。
ぷっつりと途絶えた記憶を辿れば、この状況は容易に斑鳩には理解出来た。マシラからのタタリギ因子による第二次感染。それに打ち克つ為に、あの暗闇で……アールに協力を仰いだ。
自分の身体が自分のモノではないような感覚。文字通り飛ぶように瞬く景色。あのマシラの頭部を砕き貫いた次の瞬間、記憶はそこで途切れている。
いや、違う……その瞬間、再び意識は暗闇にあった……
そんな気も、朧げながら感覚として片隅に残っている。
ならば、答えは一つしかない。
アールに引き上げられた自分の中のA.M.R.T.……タタリギである部分が、加速を続けたのだ。その結果、深過を続け……。斑鳩は左手を自分の胸へと押し当てる。
――どくん。 どくん。
……確かに感じる、鼓動の音。
あの後、何が起きたのかは知る由もないが、今こうしてヒトとして生きている事は、確かだ。
だが、ギルの装いは……それはもし、万が一の事があったならば。部屋を照らす小さな電灯が照らす、あの鈍く冷たい光を放つ撃牙は――。
「そうだな。 見たところ……まあ、違和感はちっとあるけどな。 こいつは使わなくてもよさそう……だぜっ、とぉ……」
斑鳩の思考がまとまるのを待っていたように、あるいはギル自身が見極める時間だったのか。
一呼吸明けた後、ギルは撃牙の装着具をばちん、ばちんと軽快に外すと、ごどり、と、重鈍な音を立てながら丁寧にそれを床へと置く。
「アールから大体の事情は聴いてるぜ。 まあ、理解出来たかっつったら、怪しいところもあるけどよ。 相変わらず、お前は無茶しやがるな。 ……いつぞや俺を庇って撃たれた事あっただろ? ちったあ自分の身の事も考えたほうがいいんじゃねーか」
「……すまない」
あっけらかんと言ってのけるギルの言葉が何故かありがたい。斑鳩は素直に頭を下げるが、ギルは「いやいやいや」と椅子をぎしぎし、と揺らしながら手を振った。
「あの状況だっただろ。 ああするしかなかったのはまあ……今は話も聞いて、分かっちゃいるんだけどな」
「……アールからは、どこまで聞いてるんだ?」
斑鳩は視線を上げると、初めてギルの瞳へ真っ直ぐ視線を送る。
ギルは彼の視線に「ん~……」と腕組みをしつつ首を捻り、小さく頷いて顔を上げた。
「……あれだろ、マシラに噛まれた時、既に深過が始まってたんだろ。 そんで、それを助ける為にアールが……なんだっけか」
「深過共鳴か」
「そう、それだ。 本来タタリギに意識を同調させるとかいうそれで、お前のその……ああ、A.M.R.T.の……本来のその……その……っだぁー!!」
「!?」
何とか言葉を紡ごうと四苦八苦していたギルは、唐突に頭を抱えると天井を見上げる。
「詳しい答え合わせは教授とでもやってくれ、イカルガ! とにかく! アールがお前を助けた、そんでお前は深過しかかった状態で、マシラをブッ倒したワケだ!」
「……そ、そうだ。 だいたい合ってる……と思う」
び!と力いっぱいこちらを指差し叫ぶギルに、斑鳩はベッドの上で一瞬たじろぐと、その迫力に気脅される様に小さく頷いてみせる。
「……問題は、その後なんだぜ、イカルガ」
ふいに、ギルは指差したまま、声色を落とす。
「あのフザけた猿野郎からの深過は何とかなったみてえだが、お前自身のA.M.R.T.は深過を止めなかったんだ。 それを、アールがもう一回深過共鳴して、止めたってわけよ。 ……詳しい理屈とかは知らねえけどな」
「……アールが。 ……そうか……」
――それ以外には、無いだろう。
タタリギの部分を引き上げたならば、今度は引き上げたタタリギを抑え込む……それは、そんな人知を超えた業は彼女にしか出来ない。あの暗闇での出来事は、はっきりと覚えている。あれが、深過共鳴……あれを体験していなければ、自分とてギルと同じく「知らねえけどな」と言いたくもなる出来事に違いない。
「まあ、そんなこんなでA.R.K.までは皆、帰還出来たんだけどよ。 お前はあん時のアールと同じく、眠ったままだろ。 事情が事情だしな、速攻教授呼んで……ああ、キース代行と、ヴィルドレッド局長もな。 事情を説明したところ……まあ、これってワケだ」
言いながら、ギルは足元で静かに横たわる撃牙をつま先でコンコン、と突く。
「……本当にすまない」
斑鳩はもう一度頭を下げる。
万が一自分が目覚めた時、ヒトでないモノへと堕ち果てていたならば。ギルは、仲間だった自分をあの撃牙で、穿つ。局長や局長代理、峰雲教授たちが出した結論と、命令。それを遂行する為に、彼はここで――自分の目が覚めるまで、監視を続けていてくれたのだろう。
「……気にすんな。 お前はお前が最適だと思う選択をしたんだろ? なら、それでいいじゃねーか。 俺はお前の選択に付き合うだけだぜ」
「い……いいのか、それで。 ギル、俺は今まで――」
「いいんだよ、黙っとけ」
何かを言い掛けた斑鳩の言葉の頭を、ギルは前にした右手と同時に強い口調で止める。
「お前がどうのこうの、難しい事考えてんのは分かってる。 だけどな、イカルガ。 俺はお前ほど頭良くねえんだ。 俺に出来る事はよ、お前と……お前らと一緒に戦う事だけだからな」
「…………」
「今回の事だって別に難しい事じゃねえ。 何度も言うが、お前はあの時取れる最善の手段を取ったんだろ。 その結果、お前が堕ちる事になってたら……まあそん時は、そん時だな。 俺がきっちり責任もって楽にしてやる……ってとこだ」
いつになく真剣なギルの眼差しに、斑鳩は眩しそうに瞳を細める。
「だからお前は謝ったりすんな。 あの時、ああならなけりゃ、俺かシエリは今頃どうなってたかわからねえ。 お前も、アールも、覚悟の上だったんだろ。 なら、他人にとやかく言わせねえし、この役目は俺が担う役目だ。 こいつをぶっ放すしか出来ねえ……俺の領分だからな」
――いつだったか。
斑鳩は、いつもと変わらぬぶっきらぼうに応える彼を――
再び視線を落としコツンと撃牙を蹴り突くギルを見つめる。
――そうだ。 俺と共に部隊を除隊したと言い放ちに来た、あの時か。
ギルを庇い負傷し、病棟のベッドの上で先を考えていた時、ギルは突然現れ一方的に言葉を口にした。
もう、随分遠い昔のように感じる。……あの時のギルの言葉から、Y028部隊は始まったのだ。
――「頭下げようと思って来たんだけどよ、やっぱやめた」
――「……は?」
――「いや、なんつうか……あぁその、なんだ。 俺の性格は知ってんだろ、イカルガさんよ」
言いながら、彼は何故か不機嫌そうに顔をしかめ腕組みをし、ベッドに伏せる斑鳩を見下ろす。
しかし、包帯でぐるぐると巻かれ粗末なベッドに横たわる斑鳩の負傷は、彼の助言に耳を傾けず、強引に成果を上げようとした自分を庇って負ったもの。彼はバツが悪そうに腕組みしたまま、うむむ、としばらく悩むと、ふと顔を上げる。
――「……部隊抜けちまって、これからお前、どうすんだよ」
――「それはお前もだろ、ギルバート」
――「俺の事ぁいいんだよ、お前がどうするのか聞いてんだよ、俺は」
――「あのな……」
その後も続く無意味なやり取りだったが……斑鳩はギルから感じていた。
彼の中にある、全くぶれない芯と、戦場こそ、ヤドリギこそ自分が進むべき道だと言わんばかりの気概を。
どちらも、本当は自分にはない……自分には決して宿る事のないブレない信念に充てられてしまったのか。斑鳩がふと口にした言葉。
――「……いつか自分の部隊を作ろうと思う。 俺が理想とする、他の部隊に出来ない戦い方が出来る部隊を」
彼との口論――いや、論と名打つには程遠い言葉の無意味な応酬の中、ふと口に出した台詞。
――「……よし、決まりだ。 つう事はお前が部隊長だな。 申請だとかは俺わかんねえからよ、めんどくせえ事はお前に任せるぜ。 俺ぁ他に使えそうなあぶれた式兵がいねえか、ちっと探りでも入れてくるわ」
即決だった。
斑鳩は思わずそう言うなり背を向け、部屋を後にしようとするギルを呼び止める。
――「お、おい!?」
――「うるせえな、黙っとけよ。 ……俺がやりたいからやるっつってんだ。 俺は戦わねえと、稼がねえといけねえ理由もあるしな。 とにかく、俺にはお前と違って撃牙叩き込むしか能がねえからよ。 それに……なんだ。 なあ?」
――「なあ……って、何がだ?! ……お、おい!」
あの時ギルは振り返らず、「なあ」と言って部屋を出て行った。
だが、今はその言葉に含まれたであろう彼の言葉が、感情が分かる。
……全幅の信頼。
互いに命を賭ける事をも厭わない、そんな信頼を彼は示している。疑いもせずに、愚直に。
それが、斑鳩には……いつも、眩しかった。
「……本当に、頼りになるやつだよ。 お前は」
「お前にそう言われる日が来るとは思ってもみなかったぜ」
言うとギルは目の前で、にい、と口角を上げてみせる。
「まあ、俺がこの役目を受け持つっつったら、シエリが鬼みてえに噛み付いてきたけどな」
「……そうか」
「言葉じゃ出来る、やれる、つってたけどな。 ……あいつにゃ無理だろ。 ローレッタにもな」
再び真剣な眼差しで、ギルは天井を見つめながら大きくため息を吐く。
「イカルガ。 俺たちの部隊は正直なところ、この13A.R.K.内でも人数の割にゃ結構イイ線行ってると思うぜ。 もちろん、アールも居るしな。 ……けどな、弱点も結構デカいぜ」
「……突発的な対多数のタタリギに対して弱い……ということだろう。 今回のマシラ戦のように」
「違う、違う」
迷う事なく答える斑鳩に、首を横に振ると、ギルはひたりと斑鳩の瞳を眼光鋭く見据える。
「……あいつらはきっと、深過した仲間を……殺れねえ。 それが……弱点だぜ」
「――!」
いつにないギルの眼差しに、斑鳩は大きく眼を見開く。
仲間がタタリギへと堕ちる可能性がある……それは、ヤドリギである以上避けては通れない事だ。戦闘で重症を負い、またははぐれ行方不明になり、原因は様々だが……無いとは言えない憂慮すべき事態。
その堕ちた元ヤドリギ――元仲間へ対しての、とどめ。
式梟に与えられた義務の一つでもあり、斑鳩たち式狼、そして式隼にも承認を経て与えられる任。
「シエリやローレッタを攻める気はねーよ。 俺だってお前に撃牙をぶち込むなんざ、考えたくもねえ。 だがな、イカルガ。 忘れちゃいねえと思うが、俺らはそういうモンなんだぜ」
「……分かってる。 分かってるさ……ギル」
「だけどな。 きっと……アールのあの力は、この先で必要になってくるかもしれねえ。 そういった事態を防ぐためにもな。 だから、この際はっきり言っておくぜ」
ギルはぎしり、と椅子を軋ませ、立ち上がると――
いつかの様に腕組みをすると、ベッドに座る斑鳩を見下ろし、大きく頷いた。
「遠慮すんな、イカルガ。 お前はお前の思う様にやれよ。 どうしようもねえときは、俺が責任取ってやるからよ」
いつになく大きく見えるギルの立ち姿に斑鳩は、ふ、と苦笑いを浮かべた。
「まったく、お前は……。 お前の方が、隊長に向いてるんじゃないかって思えてくるな……ギル」
「は、バカいうなよ。 俺が上に提出する書類纏めてるところなんざ、お前想像出来るか?」
くっく、と笑いうギルにつられるように、斑鳩も思わず苦笑する。
「……出来ないな、毎回司令代行にお呼び出しだ」
「だろ。 Y028部隊は隊長はお前じゃねえと務まらねえって。 これまでも、これからもな。 まあ、とにかくそういう事だ。 ……っと、そうだ、お前が目ぇ覚ましたら連絡入れるように言われてんだ」
ひとしきり笑うギル。
おそらく、彼なりの斑鳩の生還に対する労い――だったのかもしれない。「もうちっと大人しくしとけよ」と言い残し分厚い鉄の扉を軽々と開けると、暗い通路に姿を消していくギルの後姿を、斑鳩はなんとも言えない表情で見送っていた。
しかし、ギルは一人だけ。 思えば他の皆が近くにいるような気配はない。
一人になった窓も無い狭い部屋で、斑鳩はあのマシラとの戦いからどれほど時間が経ったかも把握していない事に気付く。一瞬見送ったギルを追いかけようかとも思ったが、状況が状況だ。今はこの部屋で大人しくしている他はないだろう。
そう思い、時計でもないか……と、相変わらず派手に軋むベッドの枕元にある小さな机に視線を写し――そこに置かれた手の平程のサイズの鏡に映る自分に、思わずぎょっとする。
――「違和感はちっとあるけどな」
目覚めた直後、ギルが放った言葉の一つに、納得する。
薄汚れた鏡にを手に取った鏡に映る、見慣れた自らの黒い頭髪に交じり、ひと房……白髪となった髪が揺れる。
「……アール」
真っ白なそれを掴むと、自然と出た彼女の名前。
あの暗闇で、窮地を救ってくれた。彼女もまた、深過解放をしていたが……無事、だろうか。再び、何かしらの代償を負ったのではないか。
だが、あの力は――
斑鳩は、鏡に映る黒い瞳を食い入るように見つめる。
まるで、そう――鏡に映る誰かとして視ていたかのような、あの凄まじい戦闘光景。あの感覚が、あの身を焦がす衝動が、式神のものなら……。
初めてヤドリギとして、式狼として力を得た以来、忘れていた感覚。
ヒトから"逸脱した存在"に成ったという、恐れと後悔を含むような、複雑な感情。
斑鳩は、静かに鏡を机の上へと戻す。
だが今の彼には恐れも後悔も――無かった。
ギル、詩絵莉、ローレッタ、フリッツ……そして、アール。彼らが居るからこそ、彼と共にありたいからこそ、戦って往きたいと思える。その為には、何だってやろう。彼らが居てくれるならば、何だって、受け入れられる。
遠く聞こえる通路から響く複数の足音を感じながら――
斑鳩は、胸を打つ鼓動に覚悟を刻むように、静かに瞳を閉じた。
……次話 第9話 エピローグ(2)へと続く。




