第9話 進むは深く、示すは真価 (7) Part-2
アールと共に、戦線へ復帰した斑鳩。
その瞳はまるで彼女の様に紅く滾っていた。
一体、何が起こっているのか?
彼女を除いた誰もの理解が追いつかない状況。だが、タタリギは猶予を与えてはくれる筈もない。
斑鳩は借り物の様に感じる身体で再度マシラへと構え……そして――
――不思議な感覚、だった。
アールから受けた深過共鳴で目覚めたこの身体を支配する感覚。
自分の身体だというのに、どこか遠い場所から俯瞰しているような……自らの意志ではない何かに導かれるように、意識よりも疾く反応する四肢。
マシラが繰り出した右剛腕による地面ごと打ち抜くような一撃を、紙一重で――文字通り前髪を焦がしながら躱しつつ、目の前に広がる光景に驚愕していた。
先程まで身体と経験が持つ全能力を駆使し、それでも回避する事がやっとだったマシラからの一撃を、今の斑鳩はまるで幾万回と観てきた見飽きた景色の一部の様にすら感じていた。
――なんだ、これは……。
その景色をまるで他人事の様に感じながら――頬をスレスレで過ぎてゆくマシラの右腕を観て、斑鳩はふと考える。
――攻撃、出来るんじゃないか?
冷静に事態を俯瞰する自分がそう感じた、その瞬間だった。
どぱぁんッ!!
「――!!」
刹那、左足を突き抜ける衝撃に斑鳩は目を見開き、自らの瞳が捉えた光景に唖然とした。
先程まで確かに感じていた地面の感覚が、そこにはない。降り注ぐ瓦礫から詩絵莉を救おうと駆け出した瞬間と同じだった。唐突に訪れる身体を包む浮遊感。左手に僅かに残る痺れ。左足に残る、この打撃感――
「み……見たかい、ローレッタ……今の……」
「……う……うん……」
装甲車の中で、おそらく斑鳩本人ですら理解していない状況を、今やわけもわからず木兎で観測していた二人はあんぐりと口を開ける。
バイタル情報は未だ変わらず危険値を示すアラート表示が明滅する、おおよそヒトが生命を保てる状態ではない斑鳩が見せたその動き。
マシラの一撃を左手でいなし、まるで振り下ろされるその腕を這い伝う様に一瞬で頭部近くまで登ると同時、蹴りを放っていたのだ。その動きは先ほどまでの斑鳩が……いや、過去に一度も見せた事のない動きだという事だけは、理解出来る。
「まるで、アルちゃ……ううん、それともどこか違う……タイチョー……!?」
一瞬の攻防に思わず見とれてしまっていたのは、二人だけではなかった。
詩絵莉は銃身越しの景色に、無意識に薄く口を開いていたが、慌てて、きゅ、と衝撃に緩んだ口元を締め、引き鉄に沿えた指と光景に意識を集中させる。
彼の言葉を借りるわけではないが――
目の前で起こる現実離れした光景。だが理由も何も……今は必要はない。暁が戦えると言ったなら、彼と共にあるだけ――詩絵莉は今この瞬間、思考を遠くへと置き目の前の現実を肯定していた。
斑鳩がマシラの剛腕を避けながらも放った蹴りは、マシラの頭部を捉えたと思ったが……やはり、相手も尋常でない反射神経の持ち主、といったところだろうか。斑鳩の左足は、咄嗟にその巨躯からは想像出来ない速度で防御する様に差し込まれた左腕によって阻まれていた。
――あれを防ぐなんて……でも、フォローはさせないッ!!
蹴られたマシラの次の一手を、詩絵莉は読む。
空中に弾かれた斑鳩への、カウンター。打ち下ろされた右腕は地面を捉えている。ならば、防御に使った左腕でそのまま打撃か、それとも掴みか……。
詩絵莉は隼の瞳でマシラの体表面を覆う筋肉の様な黒い蔦肉の機微を瞬間見極め、僅かに銃口を動かすと、引き鉄に沿えた指に力を込めた瞬間襲われた違和感に思わずハッと顔を上げる。
斑鳩の蹴りを受け止めたマシラの左腕が、ぐにゃりと不気味な角度に折れ曲がっていたのだ。
そしてそれは――空中で着地のために態勢を整えようとしていた、斑鳩の左足もまた、同じだった。
――……両方とも……折れ……てる!?
明らかにおかしな角度で折れ曲がる斑鳩の左足と、マシラの左腕。
だがそれでもこの状況、自らの方が有利だと言わんばかりにマシラは床を打ち抜いていた右腕を、斑鳩に向けて強引に引き抜き――!
「暁!!」
――ズダァンンッ!!
刹那、見事な反射速度で修正した銃口が跳ね上がる。
詩絵莉が放った弾丸は急速な照準修正を伴ったとは思えない無類の正確さで、マシラの右肩を正確に捉えていた。彼女の狙いと寸分違わぬ弾道を描いた大型の弾頭は、着弾すると黒い蔦肉を派手に散らす。
支点を撃ち抜かれた衝撃で、斑鳩を捉えようと伸びたマシラの右腕は大きく後方に泳ぐ。
――急場は凌いだ、でも……暁!
いかに式狼と言えど、骨折の治癒には一般人のそれとは比べるべきではないが、相応の時間を要する。こと戦闘中、左足ともなれば戦闘継続は絶望的……!詩絵莉は早くも再び訪れた窮地に唇を噛む。
――だが、彼女が次に目撃したのは――――!
「――詩絵莉、合わせろッ!」
空中で身を素早く翻し。
骨折したはずの左足で着地した斑鳩の吠える姿、だった。
その光景を理解しようとするよりも疾く。
斑鳩の声、その声色が放つ彼の意志を――詩絵莉は信じた。
数瞬前、確かに不自然に折れ曲がっていた左足で床を力強く蹴り抜く音と同時。詩絵莉は、疑う事なくマスケット銃へと新たな弾丸を送り込む。
凄まじい速度でマシラの膝を足場に、黒い巨躯を蹴り登る斑鳩――。泳いだ身体を何とか立て直しながら、折れた左腕を振りかぶるマシラ。
そして――――!
――ズバァアンッ……!!
背後からその頬、僅か数センチ横――
虚空を滑る様に飛来する大型の弾頭を、紅く染まる斑鳩の瞳が一瞬追った次の瞬間、だった。
――ズッ……ギュルァァアアッッ!!!
弾丸がマシラの折れ曲がった左腕を正確に撃ち千切り――
止まる事無くマシラの躯体を駆け登った斑鳩の右腕の螺旋撃牙が、マシラの醜く並び生えそろう牙を砕け散り飛ばし――勢いを衰えさせる事なく、そのまま口内を巻き込み引き千切りながらマシラの黒い蔦肉を撃ち散らし、頭頂部を貫き――!!
「…………!!!」
肩口まで突き込まれた螺旋撃牙を纏う右腕。
ローレッタはその光景に言葉を失い、瞳を揺らす。
――何、これは……!? タイチョー……これは、私は……私は何を、一体何を観ているの!?
初めてアールの挙動を、式神の挙動を観たあの時受けた、衝撃。
地面を飛ぶ様に鋭く駆け、繰り出される正確無比な攻撃。それは、既存の式兵の能力を確かに超えた存在だった。身体能力、空間把握能力、瞬時の判断力。
確かに驚異的だった。
まさに見とれる……ある意味誰も到達する事の出来ないであろう、完成された白兵戦闘だった。
だが、今――斑鳩が見せた一連の動きは、それとは明らかに異質だ。
彼の……斑鳩の戦闘光景は、累計すれば何十時間とローレッタは追随する式梟として観測していた。攻撃の呼吸も、彼特有の身体のブレや癖すらも、理解しているつもりだった。
しかし戦線に復帰を遂げた彼が見せた、時間にして僅か数分。
斑鳩の動きは、そのどれもが今までの彼とは違う。
彼を侵食した何か。アールの言葉。復帰した斑鳩の挙動。バイタルデータが示す矛盾。
何か、そう……間違いなく、何かとんでもない事が起きている事は理解出来る。
――――でも、彼の動きは、まるで……まるで……
背中のみならず、全身に寒気が奔る。ローレッタには、斑鳩の動きに見覚えがあった。
ヒトを超越した挙動を魅せ、骨折すら意図せず、まさしく闘争本能だけが原動力と言わんばかりのあの姿は。
――あれは、あれじゃまるで……。
斑鳩を載せたまま、撃ち貫かれたその黒い巨躯……壊れた天井から差し込む日光に煌めく螺旋撃牙の先端がのぞく頭頂部、そして身体の至る場所から黒い飛沫を噴き出しながら、徐々にしぼみながら両膝を突き崩れるマシラ。
木兎の映像を無意識に拡大し写した斑鳩の表情は影となり、その表情、感情を読み取ることが出来ない。
「――……レッタ、ローレッタ!」
左腕を掴む、力強い感覚にローレッタはハッと我に返る。
「フリッ……ツ……」
「しっかりするんだ! 考えるのはあとでまとめて、A.R.K.に戻ってからでいいッ! アールとギルの方も、マシラを処理したみたいだ……! ローレッタ、斑鳩隊長に……任されたんだろう!」
彼の言葉に、ローレッタの瞳は徐々に生気を取り戻す。
彼女は震える息を吐くと、HMディスプレイを左手で静かに上げると、フリッツへと視線を動かす。彼は青ざめた表情で、左手で本部通信用のインカムを支え自らの耳に押し付けていた。
「…………フリフリ、本部からの応答は?」
「大丈夫、今、救援部隊がこちらへ急遽向かっている。Y014部隊9名、加えてY032部隊6名の救護班編成だそうだ。 40分以内には到着すると」
「これ以上ここでの滞在は、危険過ぎる……皆を回収して、私たちも14A.R.K.から離れなきゃ……!」
フリッツは変わらず青ざめた表情で深く頷いた。
アールの深過解放はもとより、今は斑鳩は常軌を……いや、式兵として、ヒトとしての常識を逸脱している。一刻も早い仲間の回収と離脱は、急務だ。
「……はあっ、はあっ……アール、助かったぜ……斑鳩たちの方も、終わったみてえだな……!」
「…………」
深過解放を行ったアールの目にも止まらぬ連撃がマシラの足を瞬間、幾度も撃ち抜き――態勢を崩したところ、ギルが間髪入れず合わせ放った螺旋撃牙が床に伏せた頭部を撃ち抜き――今や、急激にしぼみ、崩れてゆく黒い巨躯の傍ら。
ギルは顎を伝う汗を左手で拭いながら、未だ白髪を渦巻き紅い瞳を輝かせる彼女に歩み寄る。
思えば、この状態のアールを間近で見るのは初めてだ。
――これが、式神の本当の姿……ってヤツか。
だがギルは彼女の傍ら、畏怖も恐怖も、一切感じる事は無かった。
改めて見る彼女はこんな状態にも関わらず、小さく……幼く彼の目に映る。ギルは彼女の姿にコーデリアを重ねると、小さくため息を着く。それを誤魔化す様にその左手を彼女の肩に労いの言葉と共に置こうとした、その時。
「……待って、ギル!」
彼女が放った、鋭い一言に――ギルは何かを察する。
瞬間、得体の知れない気配を感じると、その緊張にギルは身構える。
「……まさか、まだ来るのか?」
ギルの緊張した声色に、アールは静かに首を横に振る。
「ちがう……斑鳩が……!」
「!?」
彼女の声が向いた先――
未だ黒い飛沫を上げるマシラの亡骸の脇。頭を抱えたまま両膝を付き、声にならない叫び声を上げる様に天を仰ぐ斑鳩の姿に、ギルは目を見開いた。
『式梟から各式へ、各マシラの沈黙を確認……早急にこの区域から離脱します! 今、周囲の状況を残った木兎で……』
「待って、ロール! 斑鳩の様子が……!!」
『……タイチョーが、どうかしたの!?』
詩絵莉は斑鳩の様子にマスケット銃を背中に担ぐと駆け寄り、その両肩を抱きながらローレッタへと叫ぶ。紅い瞳はそのまま、何かに耐えるよう――苦悶するように歯を割れんばかりに食いしばり、悶えるその姿は尋常ではない。
「……斑鳩!」
「おいおい……! な、なんだよこりゃあ……イカルガ、どうしちまったんだ!?」
駆け寄ったアールとギルを振り返ると、詩絵莉は縋るような瞳でアールを視界に入れる。
「アール! 暁が……暁が!」
「い……いかる……」
アールは詩絵莉の声に、深過解放したままの髪を揺らしながら、震える身体で一歩後ろへと後ずさる。
「……こうするしか、こうするしか、なかった……なかったから……やっぱり、わたしは……!」
紅い瞳を揺らし、消え入るような声。
だが、後ずさるその背中をギルは両手で力強く受け止める。
「……おい、しっかりしろ! アール、一体あいつに何が起こってんだ!?」
「…………ッ」
問うギルを振り返り見上げたアールの表情は、今まで見た事も無い程に不安の色を浮かべていた。その表情に、彼女の肩を抱えたままギルは事態の深刻さを直感する。
『アルちゃん!!』
その時だった。
皆のインカムを揺らす、ローレッタのひと際大きな声に一同の身が跳ねる。
『……何があったかも、今何が起きているのかも、どうでもいいのッ! だけど……だけど、今、タイチョーに何が起きてるのか分かっているのは……アルちゃんしか、居ないんだよ!!』
「ロ……ローレッタ……」
『アルちゃん、あなたがタイチョーを救おうと何かをしたのは、分かってる。 だからこそ、この状況を切り抜けれたのも! でも、そんな事は今どうでもいいの!』
誰もが口を紡ぐ中、アールは悶え苦しむ様に紅い瞳を震えさせながら空を仰ぐ斑鳩をじっと見つめていた。
『アルちゃん……お願い。 タイチョーをお願い……!! タイチョーがこのままだとどうなるか、アルちゃんなら、分かってるんでしょう!?』
「…………!」
ローレッタの悲鳴に近い声に、アールはびくん、と身体を跳ね上げる。
そうだ、分かっている――。
歯を食いしばりながらも、周囲の哨戒を続けながら声を挙げるローレッタは、モニターの傍らに表示される斑鳩のバイタル状況のアラートを一瞬視界に入れる。
異常なほど少なかった心音はさらに鼓動を減らし、体温は下がり続け――それでも彼の身体は運動を続けている。身体は確実に死へと向かいつつも、それでも見せた、あの動き。
答えは一つしかない。斑鳩は、今、急激に堕ちつつあるのだろう。深過しているのだろう。
タタリギへと……ヒトが討つべき、タタリギへと。
その原因も仕組みも、何が起きたかも、それは分からない。
ただ、彼女の手によって起こった変化――ならば、それを解くのは、解けるのは、彼女しかいない――!
「アール、聞いて」
獣じみた荒い呼吸に身体を上下させる斑鳩の肩をしっかり抱いたまま、詩絵莉はアールの瞳を真っ直ぐ見据える。
「あんたが暁を助けようとしてくれた事は、あたしにも分かってる。 みんなを助けようと、何かしてくれたのは、分かってる。 だから、お願い。 アール、これはあんたにしか出来ない事なのよ。 あたしには、何が起きてるかわからない……あたしには、出来ない事なの。 あんたにしか、頼めない!」
「……シエリ」
強い意志を秘めるその瞳に、言葉に。
ギルは詩絵莉をじっと見つめると――アールの肩を支える手を解く。
「アール」
名に背中を押される様に、アールはギルから一歩、また一歩斑鳩へと近づいていく。
「……みんな、ごめん。 ……斑鳩、ごめん。 ……わたしのせい」
詩絵莉は近付くアールにゆっくりと身体を開ける。
しゃがみ込んだアールは、彼女と二人で斑鳩を抱えるように震える彼の身体を支えるように手を添えた。
「斑鳩がこうなったのは、わたしのせい……でも……絶対に、何とかしてみせる……わたしには、みんなには……斑鳩は、必要だもの……!」
――恐ろしかった。
斑鳩が、壊れてしまうのが……わたしを信じて、その命を預けてくれた斑鳩を、裏切ってしまった事が。
こうなってしまうんじゃないか、と予想していなかったわけじゃない。それでも――それでも、彼と共に往けるなら、皆を助けれるなら、彼を救えるなら、私が救われるなら――
でも、そうじゃない。
私には、斑鳩だけじゃない。皆がいるんだ。
だから、誰も欠けちゃいけない――私も、斑鳩も、誰も欠けちゃいけない。
――ぎゅうぅぅ……
目を閉じ強く掴んだ斑鳩の左腕から感じる、急速に堕ちてゆく斑鳩の意識と、ヒトとしての気配。
だけど、不安は感じない。背中を見守ってくれる、ギルの視線。肩に優しく添えられた、詩絵莉の温もり。遠く感じる、ローレッタの厳しくも信頼してくれる、確固たる意識。
そのどれもが、斑鳩を――仲間の無事を、望んでいる。
「……斑鳩。 きっと、だいじょうぶだよ」
自分に言い聞かすように――
渦巻く白く伸びたままの髪の毛。深過解放の限界時間を有に越えたまま、それでもアールはそれを意に介す事なく、再び斑鳩の内側へと意識を集中させる。
『…………斑鳩!!』
……そう呼び掛ける声は、アールのものだったか。
それとも詩絵莉か、ギルか、ローレッタの声だっただろうか。
暗闇に混ざり溶け、徐々に霧散し消えゆく意識の中――
斑鳩は自分の名を呼ぶ声を、確かに聞いていた。そして同時――僅かに保たれる意識のその片隅に感じる、もう一つの気配を感じていた。
自らの身体を、存在を、闇へと堕とすように引く何かの気配を。
暗闇の彼方から差し込む僅かな光に乗る、自らを呼び続ける声と真逆。
深淵へと続くような暗闇を力無く一瞬、振り返る。
その目で見ているのか、それともただ感じているだけなのかも朧げな意識の果て。
声に呼ばれるよう、引き上げられる意識の片隅に……
徐々に遠ざかる暗闇に浮かぶ、"誰か"が――
…嗤ったような気が――していた。
……――第9話 エピローグ へと続く。




