第8話 Side:13A.R.K. 二杯のグラス
斑鳩は病室を後にすると、局長室へと向かう。
一杯奢ろう―ヴィルドレッドの言葉に、緊張が身体を包む。
だが、自分も…確かめたい事がある、と。
斑鳩は、重厚な局長室の扉に、手を掛けるのだった。
「来たか。 わざわざ呼びつけてすまなかったな。 ……まあ、座れ」
局長室――。
その中央に据えられた重厚な机に腰かける様に身を預けたヴィルドレッドは、静かに扉を後ろ手で扉を閉める斑鳩に頷いてみせた。
「いえ……遅れて申し訳ありません、局長」
「気にするな」
背筋を伸ばし踵を揃え、そう言葉を口にした斑鳩に、ヴィルドレッドは苦笑しながら局長机前に置かれた長椅子に腰かけるよう促す。
斑鳩は軽い会釈をすると、促されるまま、その長椅子に腰を下した。
ぎし、と年期を感じさせる軋む音。見れば、局長室に相応しいかどうか首を傾げたくなる様な、あちこち傷だらけの長椅子だ。クッションも見た目よりくたびれており、年期こそ感じるもののお世辞にも座り心地がよい、と言える物ではない。
「ふふ、その椅子が気になるか」
「……いえ、そういう訳では。 ただ、改めて見ると随分古いものだなと」
腰を下ろし一瞬驚いたような、いぶかし気な表情を浮かべた斑鳩に、ヴィルドレッドは笑う。
「その椅子は古いが、縁起物でもある。 タタリギが現れる前の時代から、唯一俺が持ち越した私物の家具でな。 ……座ると無駄に長生き出来るかもしれんぞ」
「私物……ですか」
少し自虐気味にそう笑うヴィルドレッドに、斑鳩はどこか寂しそうな気配を感じる。
確かに前線を張る人間の中で、局長と並ぶような年齢の人物はあまり居ない。タタリギとの戦いで命を落とし、または戦いの傷からの後遺症や、四肢の欠損……正確な年齢こそ把握していないが、彼の様に五体満足で指揮を振れる前線に身を置く同年代の人間を、斑鳩は他に知らない。
故に、局長の言わば同僚――
仲間と呼べる存在もまた、彼と今肩を並べられる場所に既に居ない……のかもしれない。
「さて、今日は祝いだ」
言うと、古びた扉の重そうなロッカーを開けるヴィルドレッド。
振り返った彼の右手には古びたガラス製と思しきボトルと、左手には二つの小さなショットグラスが握られていた。
「これは……?」
斑鳩は少し身を傾けると、目の前――ヴィルドレッドがテーブルの上へと置いたボトルへと視線を落とす。
シンプルだがガラス製のビンの表面に浮かぶ細工模様、短く少し丸みを帯びたボトルネック。所々剥がれ、擦れたラベルシール……テーブルに置かれた衝撃にてらてらと揺れる、半分程残る中の濃い琥珀色の液体は、少しとろみを感じさせる。
「スコッチ・ウィスキー……本物の酒だよ。 ナッツを発酵させたものとは、一味違うぞ」
硬く閉じられたキャップを一気に捻り開け、ヴィルドレッドは二つのグラスに舐める程度、琥珀色の液体を注ぎ入れる。
同時に漂う芳醇な甘い香りに、斑鳩は目を見開いて驚いた。
「酒は嗜む程度ですが、これは凄い……なるほど、確かに……」
唸る様にその香りに驚く斑鳩に、局長はにやりと笑って見せる。
「ラベルは擦れて読み辛いだろうが……これは、Old Parrという、旧時代のスコッチ・ウィスキーの名品だ。 ……見ていろ」
そう言うと、ヴィルドレッドは注ぎ終え口を開けたままのボトルを机の上で傾け、支える手を放した。
見たところ、接地している部分はビン底の角、一つだけ……にも関わらず、絶妙なバランスで自立するボトルに、斑鳩は目を見張る。
「……なるほど。 独特な形のビンだと思いましたが」
「そうだ。 "Old Parrは倒れない"……ま、過去の至言というヤツだ。 この酒は倒れない……中身が満ちていようが、空だろうが……な」
言いながら、ボトルを再び手にキャップを閉めるヴィルドレッド。
再びそれを机の上に置くと、Old Parrの注がれたグラスの一つを斑鳩に静かに差し出す。
「斑鳩……お前の中身は、俺にも計れん。 何がお前の中を満たしているのか、それとも、あるいは……ボトルの内側が乾く程の、餓えに身を悶えさせているのか」
「……」
「だが、お前を形作るのは決して中身だけではない。 この酒瓶と同じ……外身があるからこそだ」
ヴィルドレッドは真剣な眼差しで、右手に持つ小さなショットグラスを斑鳩の左手が携えるグラスにカチン、とぶつけた。
その衝撃で、僅かだが注がれた琥珀色の液体が揺れ、グラスを濡らす。
「外からの衝撃に時に内面が乱される事もあるだろう。 だが、側があればこそだ。 わかるな」
「斃れ割れるな……と」
僅かに衝撃が残るグラスを見つめたまま、呟く斑鳩にヴィルドレッドは小さく頷く。
「今、憂慮すべき事は多い……タタリギの脅威は勿論、アガルタ、そしてD.E.E.D.という存在、式神……アール。 しかし斃れれば、そこまでだ。 どれだけ正しいと信ずる理念、理想、想いを抱えていても、斃れた者が叶える事が出来る物は……何一つ、ない」
ふ、と寂しそうに目を細め虚空を見つめるヴィルドレッド。
暫くの沈黙――グラスに注がれたウィスキーに視線を落とすと、改めてヴィルドレッドは斑鳩へとその青い瞳をひたと向ける。
「斑鳩。 お前には今後、今までよりさらに危ない橋を渡って貰う事になるだろう。 彼女……あの式神と共に往くと決めたのならばな」
「ええ……分かっています、局長。 本来なら……アールを、式神という未知の存在を部隊に、いや、この箱舟に置いておく……それがどれだけ危険を孕む行為か……理解しているつもりです」
しっかりとその瞳を見つめ返す斑鳩の黒い眼に、ヴィルドレッドは小さく頷く。
「しかし今、彼女をアガルタに帰す訳にはいかない……それは勿論、仲間として彼女と共に居たいという気持ちが全て――彼女は、大切な仲間だと今、胸を張って言える。 ……ですが」
斑鳩は、ちらり、と局長机の右後ろに掲げられたアガルタのエンブレムが刻まれた旗を視界に入れた。
「入院中、ローレッタから装甲車内部にあるブラックボックスの話の下りを聞かされました。 局長、貴方とのやり取りも……。 勿論、その件に関しても憂慮はある。 ……だがそれと同時にあの純種を前にし、感じた疑問がある」
「疑問?」
少し眉を顰め座り直すと、ヴィルドレッドは斑鳩の言葉を待つように口をつぐむ。
「局長……伺っておきたい事があるのですが」
「何だ?」
「デイケーダーについて」
デイケーダー……言わずと知れた、タタリギの芯核を完全に破壊する唯一無二の弾丸……。
斑鳩からの予想もしていなかった言葉に、グラスを片手に開いた左手でヴィルドレッドは自らの髭を撫でる。
「……言ってみろ」
「デイケーダーの詳しい製造方法は公にされていない。 だが、タタリギの芯核から抽出・調整を施した、言わばタタリギの芯核に特効性を持つ毒……それを以てしなければ、タタリギの芯核を完全に破壊する事は難しいとされている……」
当然ながらヤドリギでないヴィルドレッドは、デイケーダーを扱った事は無い。
だが当然、その効力は熟知している。とは言え、斑鳩が口にした内容は、ヤドリギであればそれこそ新兵ですら知っている内容だ。改めて説明するまでもない言葉の内容に、ヴィルドレッドは「ふむ」と疑問の表情を浮かべながらも、彼の次の言葉を待った。
「では、局長に伺いたい。 ――最初。 そう、一番最初のデイケーダーは、どこから生み出されたのか?」
「――!」
斑鳩の問いかけに、細い瞳を少し見開く。
そして、自らの顔表に深く刻まれた古傷痕に、ゆっくりと……当時を思い出し、無意識に指を這わす。
「俺がまだ若造だった頃……お前たちがアダプター2で遭遇した、獣の様なタタリギ……いわゆる、純種。 俺は、あれと交戦した経験がある。 当時使用されていた武器の悉くが効果を得ず、どれだけその外皮を削れど、黒い肉を穿てど、塞がり続ける傷……。 それこそ、一個大隊が決死の覚悟で当たり、漸く芯核を見たももの、完全に破壊・殺傷する事は出来なかった……」
純種との交戦経験がある――。
局長の言葉に、斑鳩はさして驚きはしなかった。戦闘ログが消失してしまったとは言え、彼の言葉やその対応と理解の速さは、"あれ"がいかに脅威であるかを、まさに知り、語っていると言っていいものだった。
そしてなにより、アールの件……。
もし、純種の脅威をその身で知ることが無ければ、あるいは彼は……そう、この13A.R.K.を預かる身として、あのタタリギを内に宿す危うい存在である式神をこうも容易く受け入れはしなかった筈だ。
勿論、Y028部隊の想いを立ててくれた事は事実だろう。
……だがそんな感情論だけで動く程、このヴィルドレッドという男は甘くは無い。
それは、言葉にこそ出さないものの……再び現れてしまった純種に対抗し得るカードとして、式神をこの13A.R.K.に置く事を結論としたからに違いない。
――だからこそ、この局長の事は信頼と尊敬を置くに相応しい男であと、斑鳩は改めて理解する。
感情論は、容易に結論へと帰依する。
だが、同時にまた別の感情によって容易く揺らぐ。利害を理解し、確固たる理由を秘め提示された結論の方が斑鳩にとって、今はより信頼する事が出来た。
斑鳩は瞬間、彼に対する思考を巡らせ――そしてすぐに、改めて局長へとその身を向ける。
「……当時、露出した芯核に再び肉を纏わせない様、様々な拘束が試みられた。 打撃、斬撃、焼却、凍結、通電、結束……そのどれもが効果的ではなく、一時的な無力化が精々だったあの時代、突如……デイケーダーは戦場にもたらされた」
「突如……」
彼の言葉を、斑鳩は呟く様になぞる。
ヴィルドレッドは古びた長椅子に背を預けながら、先ほど斑鳩が向けた視線の先――アガルタのエンブレム……『宿り木』が描かれ掲げられた旗を遠く見つめる様に目を細め、その視界に入れた。
「……もらたしたのは、言うまでも無い……アガルタと名乗る者たち……あの当時はまだそう名も聞かぬ様な、いち研究機関だった。 タタリギ殲滅を是にした研究を行う機関だとな……」
そう言うと、ぎし、と古椅子の背もたれに体重を乗せ、局長はゆっくりと目を閉じる。
「俺も入院中の間、資料になる本を片っ端から集め、読み調べたのですが……デイケーダーは、ある時、突如として戦場に現れている。 ……実用実験すら飛ばし、噂も無く……突然、戦場へ。 ――そう、まるで彼女の様に」
ヴィルドレッドは瞳を開けると、どこか一点を見つめたままそう口にする斑鳩を険しい表情を浮かべた。
「アールの様に……。 斑鳩、まさかお前は、デイケーダー……いや、タタリギにまつわる何かが、まさかあのアガルタにある……と?」
――流石に突飛な話だ。
アガルタからもたらされたデイケーダーは、本当にヒトが滅びるかもしれないという瀬戸際……当時、登場したそれによりヴィルドレッド自身も窮地を救われたのは確か。あれがあったからこそ、今がある……それは否定しようがない事実だ。だが、考えてみればそのデイケーダーがどうやって精製されるに至ったのか。それは、今でもその製法は公にはされていない。
曰く、大量の電力を使用する。
曰く、旧世代から守られてきた、高度な設備が必要である。
曰く、一度に大量精製は不可能。
デイケーダーに関して分かっているのは、言えば精々この程度……。
後はその材料……素材となるのは、タタリギから摘出した芯核を素にしている……だという事、だろうか。
思えばようやく表れた特攻兵器として受け入れられ、それをもたらしたアガルタの地位が確立されてゆく中――確かに、誰もが諸手を挙げて歓喜し、受け入れたデイケーダー……反面、斑鳩が言う通りその製法や由来は、A.R.K.を統括する身となった今ですら知らない……いや、知ろうとすらしなかった。
今、手に持つガラスの小さなショットグラスがそうであるように、酒を注ぐものという認識はあれど、誰がいつ、どこで、このガラスをどういった方法で精製し、形成に至ったのかを考えた事が無かった様に――。
「……可能性の話ですが。 タタリギを斃す為、対抗する為の研究の末、有効な毒物が見つかった……のではなく、あれがそもそも"タタリギの芯核を素材とする毒"だとするならば。 破壊はおろか、手練れの兵士たちすら拘束に苦労する様な"材料"を、アガルタはどうやって手に入れたのか……?」
改めてヴィルドレッドは続ける斑鳩の言葉に眉間へしわを深く寄せると、低く唸る。
「……まさしく、"卵が先か、鶏が先か"……か。 あの時代、俺も全ての戦場の状況を把握していた訳では無いとはいえ、他にも奴らを斃す方法が……? いや、それを秘匿と出来る程、ヒトに余裕は無かった筈……いや、しかし……」
アガルタはもはや、一枚岩ではない事は朧げながら見えた……それは事実だ。
アールの存在を知ってしまった今、人類の最期の砦、希望の都と謳われるあの場所には確実に、仄暗い影が落ちている。だが、しかし……峰雲が思う様に、アガルタそのもの……見えている物全てがまやかしとは到底思えない。それもまた事実だ。
「今でこそ、撃牙の弦など一部タタリギの素材を流用した兵器が存在します……が。 デイケーダーがどういう経緯で生まれたのか? ……それが、俺には、重要な事に思えてならないのです」
ヴィルドレッドは、斑鳩を制す様に片手を挙げる。
「……斑鳩、お前の言いたい事は理解した……が、これ以上は今、この場で話しても憶測の域は出んだろうよ」
「しかし……」
尚も、と口を開く斑鳩に、ヴィルドレッドは首を横に振ってみせる。
「領分というものがある。 ――今は、アガルタにまつわる件は俺に預けておけ。 D.E.E.D.を孕むアガルタの暗部……そして、デイケーダー……どこまで掬えるかは分からんが、一応、手立ては打ってある」
諭す様な口調のヴィルドレッドに、斑鳩は思わずハッと我に返る。
アダプター2での戦い、アール、純種、D.E.E.D.、そしてデイケーダー……ここ数日のうちに怒涛の様に押し寄せた事柄に、焦燥していたのかもしれない。
これでは、まるで前と一緒だ。
――俺はまた、自分の欲求に囚われているのだろうか……
少し自らに対して嫌悪感を感じると、深呼吸をひとつ。
落ち着いた様子の斑鳩に、ヴィルドレッドは大きく頷いてみせた。
「……局長の立場もわきまえず、申し訳ありません」
「気にするな。 元々お前と二人で話をしたいと言ったのは俺の方だ。 ……と、しまったな、すっかりグラスが飾りになってしまっていた。 空けろ、斑鳩。 一杯目は、まずは祝い……だ」
言うと、斑鳩の持つグラスに自らのショットグラスを重ねる。
チーン、という心地よい高音……それが鳴り止まぬうちに、ヴィルドレッドはそのまま、ぐい、とグラスを開けた。
斑鳩もそれに習う様に、右手に持つそれを口元に宛がうと、天を仰ぐ様に一気に口へと流し込む。
「――!!」
次の瞬間、斑鳩は口の中に広がる芳醇な香りと味、そして同時に今まで味わった事の無い強いアルコール濃度に、思わず目を白黒させた。
「……確かに、ナッツリキュールとは……違い、ますね……」
「だろう」
言いながらテーブルに静かにグラスを置く斑鳩に、ヴィルドレッドは先ほどまでとはうって変わって、少年の様ないたずらっぽい笑みを浮かべる。
「昔はこうして戦いが明けた朝に、このOld Parrで無事を祝ったものだ。 一杯目は祝杯、そして二杯目は……」
再びボトルを持ち上げキャップを開けると、ヴィルドレッドは慣れた手付きで空になったグラスに、先ほどと同量のウィスキーを注ぐ。
「……覚悟に、だ」
「覚悟……」
促されるまま、斑鳩はもう一度静かにウィスキーが注がれたグラスを手に取る。
「そうだ。 既に我々は振り返る事は許されない……すぐそこに迫る、次の戦いに向けての、覚悟の為の一杯」
ヴィルドレッドはそう低い声で呟く様に言うと、自らもグラスを手に取り――斑鳩へ、鋭い眼光を向ける。その迫力に、貫く様な鋭い視線に……斑鳩は思わず、ぐ、と身体に力を入れて身構える。
凄まじい圧……これが、前線から離れて何十年と経つ男の放つ迫力とは、到底思えない。
自らも何度か死線は潜ってきたつもりだ。
覚悟も自分なりにだが、胸に抱える物もあった。そして今、朧げながら戦うという意味を、本当の意味で身に宿そうとしている――
そんな今だからこそ、だろうか。
恐らく、ヤドリギすら居なかった時代から戦いに身を置く者としての、積み上げてきた覚悟、背負ってきたもの、そして失ったもの……その全てが孕んだようなその迫真の瞳に、斑鳩は戦慄を覚える。
「……いいか、斑鳩。 これから先、お前とY028部隊には、再び純種が出現したとき……それに対する剣として戦って貰う事になる。 これは、言わばお前たちが純種を討伐せしめた先駆者でもあり、そしてかの"式神を配す部隊"として……アガルタに、ヒューバルト大尉らに対する煙幕でもある。 ……それが、アールの存在を許容する条件の一つだ」
そう言うと、ヴィルドレッドは左手でOld Parrのボトルを傾ける。
変わらず、ほんの少しぐらついた後、ボトルの角で静かに自立したままのそれに視線を落とした。
「アガルタに在る影……式神の事も、そしてデイケーダーの事も……それも重要だ。 だが、それを悠長に座して調べ待てるほど、13A.R.K.……そして、人類には余裕はない。 今も、これからも……ここを守る為、失わぬ為に抗い続ける必要がある。 その間……絶対に、お前……いや、お前たちは、死ぬことは許されない。 それが、俺がお前たちに求めるもの……このボトルの様に、中身は問わん。 斃れぬ事が、絶対の条件だ」
――生きていればこそ。
アダプター2での戦いの際で、斑鳩は確かに一度、その命を手放してしまった。
諦め。全力を尽くしそして、追い求めていた"その先"、人類はタタリギに勝てないという、彼の中の終着点。それを見透かしたようなヴィルドレッドの言葉に、斑鳩は唇を噛む。
――中身は問わない……満たされていようが、空でいようが……斃れない事、か……
今、自分の命がここに確かに脈打つのは彼女のお陰だ。
いや、彼女だけではない……あの状況下、恐らく自分以外の誰もが勝利を、生きて帰る事を諦めて居なかった筈だ。
だからこそ、ローレッタはアールに言えたのだ。皆が大事だからこそ、生きて帰る為に。斃れぬ為に……信じる、と。
アールの素性を断片的にも知った今、再び"深過共鳴"に頼る訳には、彼女にそうさせる訳は、いかない。
それでいて斃れぬよう……純種と、戦う。
だが、それでこそだと、斑鳩は心の内を震わせる。
今度こそ、勝つ為に。生き残る為に――ヒトの行きつく先などではなく、もっと、もっと浅ましく。死なない為に、斃れない為に皆と戦う。それがきっと……今、必要な事のだろうと。
――そして、俺が背負うものは……
「……そして他の誰でも無い、お前だけが背負うもう一つの条件……。 理解……しているな?」
奇しくも斑鳩が心の内で呟いた言葉と、ヴィルドレッドの発した言葉が重なる。
それは、言われずとも……13A.R.K.に帰投する装甲車の中で。あの峰雲のラボで。そして今も――背負うと決めた事だ。
「ええ、分かっています……ヴィルドレッド、局長」
斑鳩の表情が、ヴィルドレッドの青い瞳の前で見る間に変わってゆく。
哀しげでもあり、悲痛そうでもあり――だが、どこか遠くを射抜くような、厳しい表情を孕んだ視線。
「……もう一つの条件――もし彼女がタタリギに堕ちる様な事があれば……彼女の存在が、この13A.R.K.を脅かすものにもし、なるとしたその時は……」
斑鳩は、"覚悟"が注がれたその右手のグラスを、一気に――煽って見せるのだった。
……――次話へと続く。




