第10話 Y028部隊 (20) Part-4
白い撃牙はエルにより砕かれ、その破片が散る暗闇が満ちた世界。
無意識に斑鳩が右腕に纏っていたそれは、己の一部だった。
窮地に追い詰められた斑鳩に、エルは嗤い嘲け――とどめを刺そうとした、その瞬間だった。
"首輪"に繋がれ力無く空間に浮かんでいたはずのリッケルトが、エルの背後から組み付き、その動きを封じたのだ。
エルは驚きに紅い瞳を見開くと、その光景をもたらしたであろう目の前の男に憎悪の眼差しを向ける。
「な、何故……首輪は、どうし……」
掲げた右腕ごと首を締め上げられながらも、エルは大きく目を見開くと僅かに首を倒し、背後に組み付くリッケルトを視界に入れる。そして彼女の首元に突き刺さる光り輝く鋭い破片に、紅く濡れた瞳を驚きに揺らす。
「! 撃牙の、破片……!?」
煌々と輝くそれは紛れもなく、先ほど斑鳩が苦し紛れに放った砕けた撃牙の破片。
あの刹那――斑鳩が狙い放ったのはエルではなく背後のリッケルト――その首元を狙ったものだった事に気付いたエルはため息交じりに瞳を閉じると、嘲笑するよう口元を歪ませた。
「そう――だったわね、斑鳩 暁……見損なっていたわ」
リッケルトの細腕を首に絡ませたまま、エルは不敵に嗤い――今一度、斑鳩へ紅く濡れた視線を送った。
「そうよ、斑鳩 暁……お前にとって、みんなみんなただの道具。 仲間も家族も――いいえ、自分以外の全てがきっとそうだもの!」
「いか、るが……」
アールはエルの言葉に、霞む視界を斑鳩の背へと向ける。
斑鳩ならばきっと首輪に拘束されていたのがY028部隊の誰かであったとしても、あの破片を放っていただろう。そしてそれは、エルが言う通りの意味などでは決してない。
(……リッケルトはもう、助からない。 だから斑鳩は彼女を救う為に……あの首輪ごと、彼女を狙った……)
この場所は、意志と命が身を成す場所。
自ら足を踏み入れた自分と斑鳩には、戻るべき場所がある。だがリッケルトには――もう、それはない。彼女の帰る場所は、戦車の内側で――終わっているのだから。
リッケルトを救うには――ヤドリギとして、終わらせてやる事しか出来ない。
けれど……それでも斑鳩は彼女の首を貫こうとはしなかった。
それは、迷いだったのかもしれない。だがその迷いこそがリッケルトに斑鳩を救わせたのなら。
(――拘束が解かれたとしても……リッケルトに、反撃する力なんて……残ってなかった。 今、リッケルトがああしていられるのは、きっと……)
アールは眩しそうに彼女の首元に輝く撃牙の破片――斑鳩の意志、魂の破片に瞳を細める。
「ふふっ……滑稽ね、斑鳩 暁。 アールも分かったでしょう? こいつはあなたの家族になんてなれない。 仲間ですらない。 だから目を覚まして、私に力を貸して? 私はアールを裏切らない……だって――」
「よく喋るやつだ」
背後から組み付くリッケルトを物ともせず高らかに謳うエルの言葉を咎めたのは――他でもない、斑鳩だった。ゆっくりと立ち上がりながら静かにこちらへ向け指を差す男に、エルから不敵な笑みが消える。
「今お前が吐いた言葉を訂正する事に何の意味も無い――が……ただ、リッケルトの名誉の為に訂正させて貰う」
ゆらり、と身体を揺らし――右手で指差す先のエルを斑鳩は睨み付ける。
「彼女は道具なんかじゃない。 彼女は自らの意志でお前に抗っている……ヤドリギとして、最後の瞬間まで、お前―――タタリギに、打ち克とうとしているんだ。 俺たちと同じ様に」
「あははっ、打ち克つ? ここで!? この私に!?」
「そうだ。 俺たちはいつだってお前たちに打ち克つ為に存在しているんだ……ヤドリギとしてな」
エルは一瞬きょとんとした表情を浮かべた直後、続く斑鳩の言葉に思わず嘲笑に口元を歪めてみせる。
「まだ私に向かって綺麗事が吐けるなんて感心するわ。 それで、勝算って何かしら? もしかしてこの子と一緒に戦えば、私をどうにか出来るとでも思ってるの?」
乱れた前髪で表情こそ伺い知れないが、未だに背後から組み付くリッケルトの右腕。
エルは視線を落としながら、その表情に場違いな程の穏やさを浮かべると、ゆっくりと――自らを締め上げる彼女の腕を愛おしそうにひと撫でした瞬間、く、とその細い指を彼女の白い右腕へと突き立てた。
「……ッ!? アァ、ゥうう…ッ!!」
ぴし、ぱき――と。
リッケルトの悲鳴と共に、エルの細い指先が薄氷を割るような乾いた音を暗闇に木霊させる。無残に亀裂が奔った彼女の腕に満足するよう再び邪な笑みを湛えると、エルは紅い瞳を大きく見開く。
「――だとしたら間抜けとしか言えないわね。 玩具の核にしてやった搾りカスが動いたものだから最初は驚いたけれど……これを壊す事なんて、私には造作もないのよ?」
斑鳩へ向けた紅い瞳を爛々と輝かせるエルの言葉に、アールは俯いたまま小さく彼女の名を口にしていた。
エルがその気になれば、造作なくリッケルトの四肢をこの暗闇に撒く事が出来るだろう。リッケルトに拘束されている様に見えても、エルの表情には既に余裕が満ち溢れている。彼女の首を締め上げるあの腕も、どれほどの意味があるのか。
(……でも、リッケルト……リッケルトは……それでも……)
「――可哀想な子。 あいつさえ来なければ、もっと楽に逝けたのにね? ふふふっ……」
「ああっ……ぁぁああうううッ……!!」
「――! リッケルト……!」
さらに深く突き刺さるエルの細い指に悲鳴を上げながらも、それでもリッケルトはエルに組み絡めた腕を離そうとはしなかった。
だがアールは、リッケルトに感じる気配に言葉を詰まらせる。
たとえ自らがどう変わろうとも、異形のモノへと堕とされようとも、ヤドリギとして最後まで戦うという強い意志が――それに呼応するように輝く撃牙の破片が、今にも崩れそうな彼女の存在を支えているに違いない。
それを与えたのは――きっと。
アールは霞む視界に瞳を細め、再びリッケルトの首元を注視する。
斑鳩が放った、まさしく彼自身の意志が形を成したのであろう白い撃牙の欠片……エルに砕かれ空間に散った撃牙の破片は、首元へ突き刺さったままながらまるで彼女を守るような暖かな光を放っている。
ぼやける視界の中でも煌々と輝いて視えるそれから感じられるのは……斑鳩を成す意志そのもの。彼の魂が、意志が……今、彼女をヤドリギとして足らしめている。
「お前は本当に下らない……何もかも諦めていたお前に、今更何が出来ると言うの? お前如きが私に抵抗するなんて、身の程を知るがいいわ」
リッケルトの細腕に指を突き立てたまま、エルは吐き捨てるように言葉を口にすると――彼の後ろで苦しそうに座り込むアールへ視線を向ける。
「そうよ……私はお前とは違う。 私はいつだって諦めたりしなかった……その私が辿り着いたこの瞬間を、私とアールの再会を……邪魔なんて絶対にさせやしない。 下らない存在らしく、ここでこの子諸共散り果てるがいいわ」
エルはその表情を狂気に染めると、斑鳩へ見せつけるように背後に組み付いたリッケルトの頭部を右手を伸ばし、細指を突き立てる。
「お前は誰も救う事なんか出来ないのよ、斑鳩 暁……お前がここに来たせいで、この子もより無残な最期を迎えるのよ? 少しは申し訳なさそうな顔でもしたらどうかしら……それとも、ふふふっ……さっきみたいにもう一度私に挑んでみる?」
嘲笑。
エルは口元を歪ませ、挑発するように嗤ってみせた――が。
「――やれよ」
まるで臆する様子すら見せず、斑鳩が言い放った予想外の短い言葉に、エルの表情から瞬間、嗤いが消える。
「……なんですって?」
リッケルトの頭部へ指を突き立てたまま――
膨れ上がる憎悪と殺気の視線を向け聞き返したエルに、斑鳩は表情一つ変えずエルを睨み返す。
「……どうした、やらないのか。 俺はもとより、リッケルトもお前にとって下らない存在、なんだろう。 振り払いも殺しもせず、いつまでそうやって組み付かせているつもりだ。 何を躊躇う事がある……やれよ」
「…………」
斑鳩の挑発とも取れる言葉に、アールは静かに瞳を閉じる。
「この場所は――この場所が今、俺たちが相対していたタタリギの内側だとするなら。 お前が言った通り、この世界の核とされているのは今……リッケルトだ」
(――すまない、リッケルト)
斑鳩は瞳を閉じると一度だけ強く唇を噛み、言葉を続けた。
「……以前アールがそうした様に――芯核となる存在をこの内側の世界から破壊したとき、タタリギは崩壊した。 あの時と同じ様に、核としての存在がここで破壊されたなら……きっとこの空間も、今13A.R.K.の最たる脅威となっている大型タタリギも灰と消えるはずだ」
「いか、るが……」
強気な言葉とは裏腹に、やりきれない想いを感じさせる斑鳩の背中と、割れんばかりに強く握りしめられた拳。アールは斑鳩から流れ込む感情の波に、静かに瞳を閉じる事しか出来なかった。
タタリギへと、ましてやその芯核へと変えられてしまったリッケルトは決してもう、ヒトへ戻る事など敵わない。ならば彼女を終わらせてやる事こそが、この戦いの終わり。
最初から、分かっていた事。
リッケルトを、彼女を救い取り戻す事と、彼女を喪う事は――タタリギへと堕とされ、ヤドリギとしての尊厳と意志を奪われてしまった瞬間から、同意義なのだ。斑鳩も全て理解した上で、この場を制すために"ヤドリギ"に徹している。
異形へと堕ちてしまおうとも、仲間の命を絶つその行為に慣れる事など決してない。だがその決断こそが明日を絶たれた仲間へのせめてもの手向けであり、同時にまた己が明日をヤドリギとして生きる事への覚悟に繋がるとアールは理解していた。
斑鳩はこの状況からも生還を諦めていない……だからこそきっと、斑鳩はあの破片を彼女の急所へと放ったのだ。たとえ、彼女を拘束する首輪ごとその首を貫く事になったとしても――たとえ、縛めが解かれた彼女が、エルに壊される事になったとしても。
「……よく喋るわね、斑鳩 暁」
「違うというのなら下らない存在だというリッケルトを殺してみせろ。 それとも――このまま、その下らない存在を好きにさせていていいのか」
再び挑発する言葉。
もしエルが挑発通りにリッケルトに止めを刺したなら、この空間は閉じられ13A.R.K.の最たる脅威は排除される。そうなれば深過共鳴は解除され、少なくとも目の前の不可解な存在とアールを隔絶する事は出来る。
そしてエルが動かないとしても、リッケルトは――きっとあと数分も持たない。
斑鳩は仲間の死此処を利用するようなこの状況に、この状況を選ばざるを得なかった不甲斐なさに少しだけ瞳を細める。
右腕に奔る亀裂は、少しずつ広がりつつある。
エルが先に斑鳩を仕留める為に動けば、間違いなく彼女は巻き込まれ、崩壊は免れない。
(……リッケルト。 先に逝ったシールとセヴリンのぶんまで……必ず)
崩れつつあるその身で、彼女はエルを拘束した腕を解こうとはしない。
まるで斑鳩と意志疎通が出来ているかのように――自らが逝く事で、この戦いを終わらせる事が出来るなら、と語るように。
「――確かに此処はこの子が核となる内なる世界。 この子が消えれば、お前たちが外で戦っていたあの玩具ごと……この世界は閉じられる。 そうなると私としても――面白くない結果になる」
先程まで感じられていた、エルの様々な感情。
それらの全てがまるで引く波の様に、彼女の元へと収束してゆく。同時にアールはこの空間を成す暗闇そのものから、得も言われぬ寒気を感じていた。
「けれど――私に何が出来るのか……まだ理解出来てないようね。 ……だったら、もう一度ここで! 理解させてあげる!!」
「……エルっ……!!」
アールの悲痛な声を無視した、エルの狂気に満ち溢れた怒号が響き渡ると同時。
斑鳩へと向けられた負の感情が――再び、虚空を揺らし収束する。
しかしそれは先ほどエルが右手に収束させた奔流とは異なる、全く異質なモノだった。
溢れ、猛る感情と共に吐いた言葉と同時――リッケルトの頭部に添えた手をそのまま首へと滑らせ、手折るように力を込める。
その右手に押し出されるように、彼女を支えていた白く輝く撃牙の破片が抜け落ち――音も無く暗闇を跳ねた。足元に転がるそれを一瞥するように嗤うと、エルは彼女の首を捕まえたまま斑鳩に憎悪の念が籠った瞳を向ける。
「お前が言う通り――この子が消えれば、ね。 ひとりで死んで、消えれば、よ……斑鳩 暁!!」
愉悦と憎悪に歪んだ表情。
斑鳩とアールは、目の前の光景にただただ、硬直するしかなかった。エルの右手に首を掴まれたのリッケルトの身体――その内側から、亀裂と共に噴き出す黒い蔦根。それらはあっという間にリッケルトの姿をを矯正するように互いに絡まり、締め上げ、異形と成してゆく。
(そんな、あれは……リッケルトそのものを侵食している――あれは、斑鳩の時と同じ!)
アールは身体に感じる気配に、耳には聞こえなくとも確かに聞こえるリッケルトの身が凍るような悲鳴に、思わず耳を塞ぎうずくまる。
(エル、そんなもの共鳴でも、なんでもない! あれじゃ、リッケルトは……ううん、違う! エルはリッケルトがどうなっても構わない――ただ斑鳩に、絶望をもう一度叩き付けるためだけに!)
「あはははは! そうよ斑鳩 暁! 思い出させてあげる、お前の立場を! お前には、何もないッ!!」
(エル、もう、止めて! どうして……どうして、こんな事が出来るの――!)
「お前を満たすのは絶望と諦めだけ! これがお前が忘れようとした、終点よッ!!」
エルの言葉に、目の前の光景に。
一瞬、前へと踏み出そうとした斑鳩の足が止まる。それだけではない――全身を逆撫でするような悪寒と、震えに、斑鳩は目を大きく恐怖に見開いていた。
――ヒトが、目の前で……ヒトの形を成した物が、造り変えられている。
(この、光景――俺は……!!)
ヒトの形を失いつつあるリッケルトの姿を前に――斑鳩の視界にはある光景が重なっていた。
ずっと昔に手放したはずの、あってはならない記憶の断片。周囲に満ちる漆黒をスクリーンにするよう明滅する光景。
避けた壁から覗く夕日。
割れた床に溜まる真っ黒な血溜まり。
その血溜まりをのたうつ、ヒトの形を成さない――"何か"。
「此処はこの子の世界である前に、私の世界の一部――さあ、リッケルト……朽ち往き果てる前に、あいつを殺してやりなさい。 思い出させてあげなさい、その無力さを!」
「あぁぁァアァあぁ……ああ"ァァァアッ!」
リッケルトだったものの悲痛な咆哮。
彼女の全身から黒く噴き出すし踊る蔦根は、まるで燃え盛る黒い業火のようにその姿を飾る。内側から食い破られ、既にヒトではなくなりつつある姿と気配に、アールは戦慄する。
消えかけていたはず彼女の、最期の命……意志の灯。
エルはそれを造り変えた……身体だけでなく、その魂までも堕としてまで。あれでは数分……あるいは数十秒で彼女は朽ち果て、この空間の核となるタタリギごと霧散するだろう。
だがその前に訪れるのは、斑鳩の確実なる――死。
「ごめん、斑鳩……一緒に戦い、たい……最後まで、一緒に……でも――」
アールの声に、斑鳩は目の前に重なる光景を否定するよう、震える拳を強く握り込んだ。
「身体が、意識が、上手く――動かせ、ない……この場所に繋がれてる……みたいに……」
「――いいんだ。 無茶をさせたな……いや、いつもお前には、無茶を押し付けてきた」
(……本当は勝てないって、誰よりも分かっているんだろう?)
「俺は、お前に報いるために……」
(あの光景は、俺の根底にあるものだ。 タタリギには、あんなものには、絶対に勝てやしない。 そうだろう?)
「――違う。 俺は、アール……お前が一緒だったなら、Y028部隊が俺と一緒に在ってくれるなら……全く違う、俺の知らない終点へ――辿り着ける気がするんだ」
心に刺し込まれる冷たい己の言葉と思考を振り切り否定するよう、斑鳩は己の口から吐いた言葉に頷き、アールを一瞬だけ、黒い瞳で振り返る。
そして、いつも通り重心を低く落とし――エルとリッケルトを真正面から見据え、構えた。たとえ数瞬後に訪れる確実な死の予感を前にしても、それでもなお、抗う事に意味があると言わんばかりに。
「エル……もう、止めて……わたしたちがそうされたのに、エル、どうして……」
アールの悲痛な呼び掛けに、構える斑鳩の姿を捉えたエルの瞳がゆっくりと閉じられる。
そしてその表情から一瞬、狂気が薄れ――彼女は静かに口を開く。
「そうよ、私の可愛いアール……私たちがそうだったなら、誰が私たちを止められるの? 誰が私たちの想いを遂げさせてくれるの? だからアール、私がやるしかないの。 私が全部全部、この世界を終わりにするの!!」
「エル……!」
だが次の瞬間、見開かれたエルの紅い瞳に映っていたのは――斑鳩だけだった。
「斑鳩 暁……私たちの世界に、お前は要らない――私たちの間に土足で踏み入ったお前は、絶対に赦せないッ!!」
「……ッ!」
「さあ、リッケルト! アイツと逝きなさい!! 下らない出来損ない同士で、朽ち逝く死を共にするがいいわッ!!」
深過を終えたリッケルトだったものの首元から自らの腕を暗黒の空へと解き放つエルを見詰めながら――それでも斑鳩は冷静だった。濃厚に香る死を振り撒くそれを前にしてもなお、策などなくとも……立っていられる。
――せめて、アールだけでも。
斑鳩の意識を支配していたのは、それだけだった。
その為に、何をしたらいい。俺に今出来る事は、何だ。この世界に降り立った時、無意識に形を造っていたあの白い撃牙……せめても、もう一度あれが再現出来れば――。秒にも満たない時間の中で、先ほど身を支配しかけた怖れも、一点の迷いも無く回転する斑鳩の思考。
だが、突如。
その思考を割る声が――響いた。
「――斑鳩隊長。 やっぱり貴方は僕の憧れの……ヤドリギですよ」
「!!?」
突如として、斑鳩の思考へ滑り込む――男の声。
それは当然、獣と化したリッケルトでも、目の前の少女でも、アールでもなく。斑鳩は唐突に響いたその声に、思わず我を忘れたように身体の緊張が解かれる。
「――? 何をぼうっとしている、早く……」
同時に、リッケルトだったものが奏でる怨嗟と悲痛に満ちた唸り声が――止んでいた。
エルは違和感に眉をひそめると、怪訝そうにリッケルトを見上げる。
「……ずっと、僕は見ていました。 シールさんと、リッケルトさんの中で……」
「斑鳩隊長。 二人が……二人は、あの最後の瞬間――バイタルチョーカーから噴き出したタタリギに苦しみながらも、僕を救おうとしてくれていたんです」
「な……お前は……!?」
いつの間にか、深過を遂げ果てたリッケルトに寄り添うよう現れていた――白く、ぼやけたヒトのシルエット。酷く頼りないその真っ白な影、その胸の中心には先ほどリッケルトの首から抜け落ちた、白い撃牙の破片が輝いていた。
「……なに、なんなのッ!? これは、これは……なんの冗談ッ……!?!」
目の前の事態に驚きと怒りを露わにする、エル。
だが真っ白な影は臆する事無く、深紅に染まった彼女の瞳を覗き込むように僅かに首を傾げる。
「君が、どこの誰なのか……何なのか、僕には分かりません――分りません、が。 これ以上、リッケルトさんたちを貶めるのは止めて下さい。 彼女たちはただ、その命を賭してずっとこれまでヤドリギとして戦ってきたんです。 そして、今も――」
「――ふざけ、るなぁッ!!」
怒号と共に。
エルは身体を捻りながらその白い影に向け左腕を抜き放った――が!
――ぎゃりいいぃいッ!!
「なあッ……お前……お前ッ――!?」
まさかの光景に、エルの紅く濡れた瞳が大きく見開かれれる。
白い影へ抜き放った左腕を止めたのは――もはやヒトの姿と程遠い、深過したリッケルトだった。彼女は獣のように大きく割けた口で、エルが放ったその腕に喰らい付く。
「……何が、どうなって――離しなさいッ……このッ!!」
エルは腕に噛み付くリッケルトの頭部へと振り上げた右腕を、苦悶の表情で止める。
彼女を殺してしまえば、この空間は解かれてしまう。目の前、あれ程焦がれていたアールの存在がまた、遠くへと零れ落ちてしまう。
その様子を、アールは瞬きも忘れ凝視していた。
(あれは、そんな――まさか……まさか)
「いか、るが……あれは‥…!」
「あ、ああ……あれは……いや、そうに違いない――違いない、が……!」
撃牙の破片を胸に、今にも――吹けば消えるような頼りないその姿。
それでも斑鳩とアールは、彼がシールとリッケルトと同じく戦車の中で逝ってしまったであろうセヴリンだと確信していた。
セヴリンはその左手をリッケルトを慈しむように優しく彼女の身体に添えたままこちらに振り返る。表情こそ視て取る事は出来なかったが、彼が笑ったように――斑鳩は感じていた。
「僕に戦う力はないけれど……彼女と、共に逝くことを許して下さい……斑鳩隊長」
「……セヴリン」
彼の胸に輝く、斑鳩の砕けた撃牙の破片が少しずつ、少しずつ朽ちてゆく。
斑鳩は、彼の名を呼ぶ事しか出来なかった。
「ええ、ええ、そうです。 斑鳩隊長、短い間でしたが――貴方と肩を並べて、同じ戦場に立てたのは、僕の誇りだ」
言うと、彼は両の手でリッケルトを抱きしめる。
エルは未だ噛み付かれたままの左腕を引き抜くことすら出来ず、混乱と怒りに声を荒げた。
「その汚らしい手を離せえッ!! やっとッ……アールに出会えたのに、触れれたのにッ!! お前みたいな、ただの――ただの何でもないゴミクズが……!!」
「……い、嫌です」
空間を切り裂くように逆巻くエルの頭髪。
怒号と共に放たれる衝撃に、胸に抱く撃牙の破片が僅かに散らされながらも――セヴリンの白い影はリッケルトを抱きかかえる腕を離そうとはしなかった。
「こ……これは、僕の意地だ。 ……彼女たちを、ヤドリギを、玩具になんてさせない!!」
「お前みたいな……ゴミクズまで……私を……私たちを……」
――ぱきんっ……。
「嗚呼、嗚呼ッ……アール、アールッ!! 私は――――!!」
腕をリッケルトに噛み繋がれたまま、最後に振り返ったエルは――
アールの名を懇願するように叫んだ彼女の表情は、まさしくアールの記憶の中のエル――そのものだった。
セヴリンの胸に輝く破片が砕けたその瞬間――目の前の黒い空間にいくつもの閃光が奔ったように見えたと同時、壮絶な耳鳴りに襲われ斑鳩とアールは思わず両手でその耳を塞ぎしゃがみ込む。
「ぐうッ……! ア、アールッ……!!」
「いかる……がっ……」
二人は互いに身体を寄せ合う。
まるで身体が――意識が引き千切られるような、永遠に続くような痛みと不快感。
……………。
――数秒、あるいは数分だったのか。
一体、どれほどの時間そうしていたのだろうか。
「…………」
ようやく鳴りやんだ耳鳴りに、斑鳩は身体に大きな疲労と不快感を感じながら、ゆっくりとまぶたを開いた。
「――ここ、は」
少しずつ身体に戻ってくる、五感。
頬を撫でる冷たい夜の風。戦場に香る血と鉄火の匂い。そして――確かな鉄の足場と、舞い散り往くタタリギの……いや、シール、リッケルト、そして……セヴリンの遺灰。
「戻って……これたのか……」
そこは砲撃傷から現れたリッケルトの影に、アールが彼女に対し深過共鳴を行った場所。
彼らが搭乗していた、タタリギと化した戦車の残骸の上。斑鳩は立ち上がった足元、仰向けに倒れるアールに気付くと無言で、ゆっくりと彼女の身体を抱え起こした。
「……斑鳩」
「ああ……」
うっすらと開かれる、アールの紅い瞳。
「……セヴリンが、勝ったんだね」
斑鳩は静かに、アールの言葉に深く頷く。
深過を果たしたリッケルトの魂を救ったのは――他の誰でもない、セヴリンだった。ヤドリギではない彼の意志が、魂が、彼女を救い……また、斑鳩たちを救ったのだ。
言葉が出てこない――と、斑鳩はアールを抱きかかえたまま深く深く、まぶたを閉じる。
搭乗した戦車が深過を遂げる。そんなでたらめな自体の中、彼ら三人は最期までヤドリギとして生きた……生きていた。最期まで、抗ってみせた。自分がそうあれと願う姿は、彼らの姿そのものだ。ヤドリギだろうが、そうでなかろうが――自らの意地と誇り、信念の元に己が命を使う事が出来る。
――シール、リッケルト。 そしてセヴリン。 すまない、先に休んでくれ……お前たちの遺志は、俺が連れて往くよ。
斑鳩はアールと共に夜空を見上げる。
そして聞こえる――まだ戦闘が、13A.R.K.の危機が去ってはいないという別門からの戦闘音に、斑鳩はアールを抱えたままゆっくりと立ち上がった。
「……手を合わせるのも、考えるのも後だ。 まだ戦いは続いている――皆と合流しなければ……アール、立てるか……?」
「どう、かな……少しだけ、疲れたのかも……身体も、頭も、重くて。 ちょっとだけ……こうしてても、いいかな……」
斑鳩はアールの言葉に驚く。
気付けば肩に掛かる程度だったはずのアールの頭髪が――抱えた状態から地面に届くほどの長さのまま……。深過解放は何度か目にしていたが、戦闘が終れば彼女の髪の毛は普段の長さに戻っていたはず。
「アール、お前……」
――がしゃんっ!!!
「う――」
アールに向け口を開いたその瞬間。
重く鳴り響く金属音と共に、突如狙い照らされた強い照明に、斑鳩は思わず顔を背ける。
同時に、戦車の残骸を取り囲む影、影、影――。
音も無く展開するその影に、アールを抱えたまま態勢を落とた斑鳩は警戒を強める。
(この気配――タタリギでも、ただの式兵でもない……何だ、何が起こっている!?)
「――そこまでだ、斑鳩隊長」
「……!? そ、その声は――」
取り囲まれた輪の外から。
強く照らされた照明を背に、一人の影が足を止めた。その人物が発した声に斑鳩は驚きの声を上げる。
「こうして面と向かって顔を合わせるのは実に久しぶりだな――私を、覚えているかね」
「――ヒューバルト……大尉……!?」
……――次章へ続く。




