第10話 Y028部隊 (20) Part-2
「嗚呼、私の可愛いアール……っ!!」
「出来損ないどもに区別されるだけに付けられた名前でも、アールの口から聞く私の名前はやっぱり、とっても!! と……っても、素敵ね!!!」
――"エル"。
白い少女はその名を聞くが否や、たまらず身を捩ったかと思うと自らを白い細腕で抱きしめ、屈託のない満面の笑顔を咲かす。まるでこの場所にふさわしくない彼女の笑顔は、アールにとって余りにも奇妙で恐ろしい光景として映っていた。
しかしその恐ろしさとは裏腹……眩しいまでの笑顔に記憶の奥底を照らされる様に、彼女――エルと過ごした暖かい日々の記憶がアールの脳裏に途切れ途切れ浮かんでいた。
――あの、笑顔……あれは、エル……ほんとうに……。
アガルタの、あの真っ白い部屋で過ごした遠い遠い空虚な記憶。
今目の前、エルが見せる笑顔は確かに記憶の中――隣にいつも居てくれたエルそのものだとアールは確信していた。
記憶の中、D.E.E.D.としての能力……その資質は他の誰よりも高かった、エル。それでも彼女は誰よりもヒトらしくあったように思える。いつも塞ぎがちだったわたしを、元気付けるよう明るく、優しく接してくれていた……そう、大事な、大事な友達だった。
――エルが居てくれたあの頃……わたしは、どれだけ救われていただろう。
夕食に出される味気のないレーションを互いに苦笑いしながら口に詰め込んだ食事の風景。同じベッドに寝ころび、シミ一つない天井を見上げながら、彼女が語る他愛のない話に耳を傾けていた光景。深過解放の影響でいつしか渦巻いたままとなった白髪の自慢する、誇らしげなエルの笑顔。
昨日の事の様に不思議と思い出せるようになった記憶のどれもが、とても懐かしく暖かなもの。
……だが彼女との記憶が浮かんでは消えるたびに、幾度となく鈍い痛みが胸を突き抜ける。
その理由も、今なら思い出せる。
それはどの記憶を辿っても、ある一つの記憶へと結び付くからだ。エルとの最後の記憶を締めくくるのは――彼女を失った、そして彼女を忘れる事を選んでしまった"あの日"のものだから。
それでも断片的に蘇る記憶に浮かぶ、エルと過ごした日々のどれもは、D.E.E.D.として過ごしたどんな瞬間よりも、わたしが、わたしたちが"生きている"と実感させてくれていたことを、今は暖かく思い出せる。
――だけど。
アールは僅かに揺らいだ感情を律し、自らの紅い瞳でエルの姿を、その表情を真っ直ぐ見据える。
目の前に在るのはあの頃と寸分違わない笑顔だというのに……背筋が凍るのは、何故だろう。この真っ黒な世界に白く浮かび上がる彼女こそが、この場所に満ちる暗闇よりも深く冷たく感じられるのは、何故だろう。
直感に訴える畏怖に、心の中でアールは警鐘を鳴り響かせる。
13A.R.K.襲撃は間違いなく、彼女の意図によるものだ。突如としてA.R.K.に進路を一斉に向けたタタリギたち、そして群体に感じられた、まるでひとつの意思に統率されたような違和感。失った右腕が再生したとき、現れた彼女は言った。わたしを迎えに来た、と。一緒に遊びに来た、と。
そこに何が起きていたのか、理解する必要など今は――ない。
だがそれでも、蘇ったエルとの記憶に感じる胸を突き刺すような痛み。まるでそれが零れるよう、アールは自然と言葉を漏らしていた。
「……どうして、エル……どうして……ヒトを、13A.R.K.を、襲っているの?」
「どうして? それは私の台詞よ、アール。 私たちはあいつらとは違うのよ? いつまで"ごっこ遊び"をするつもりなの?」
苦しそうにそう呟いたアールの問いに、エルは一瞬きょとんとした表情を見せると、白く渦巻く髪の毛の一束を細指でもてあそびながら、僅かに苛立ちを感じさせる言葉を返す。
「違わない。 わたしとみんなは――違わないよ……エル」
「……アール。 本当は分かっているんでしょ? ……――そ・れ・と。 もう一度言うわね」
それでも子供を諭すような優しい笑顔でエルは肩を竦めてみせたが、次の瞬間、表情から笑顔が消える。
「あんな出来損ないどもと、私たちを一緒にしないで」
紅く濡れた瞳を一層大きく見開くと同時。
静かに言い放ったそれは隠すことなく負の感情を孕んでいた。その声に充てられたように傍ら――暗闇に浮かぶリッケルトが小さく、苦しそうな息を漏らす。
「私を思い出してくれたのは嬉しいけど……ふふっ、アールったら本当にしょうがない子ね」
エルは一度瞳を閉じ、少しだけ肩で嗤うと吐息をつくとアールへ向けゆっくりと両手を広げてみせる。
「いい? アール。 私もあなたも、もはや"ヒト"でも"タタリギ"でもない……私たちこそがこの世界の新しい"人類"なの。 外に居る出来損ないや、なり損ないどもなんて必要ないの! もう、全部全部要らないモノなの!!」
彼女が高らかに謳う声に、アールは記憶の片隅、残る彼女の姿を思い出す。
――「だって、"普通のヒト"にも"普通のヤドリギ"にも、出来ない事なんだよ? タタリギと共鳴して、自分の一部にする……支配だって出来るのよ! 私たちが実験に成功したら、もう人類はタタリギに負けるはずがないもの!」
あの時、隣に座りわたしの手を握ったエルは、確かにそう口にした。
その言葉は、彼女の記憶を失ったあともわたしの支えとして――どこか、心の奥底にあったように思う。式神が、D.E.E.D.が完成する事こそ、あの部屋にいた、皆の悲願……そうだ、皆がそう、望んでいる。望んでいたから。その為に、たった一人でも、時間の感覚すら失った時を経てもなお、わたしはここに立っている。
だが今のエルからは、ヒトに対する想いなど微塵も感じる事は出来ない。
感じるのは殺意と憎悪だけが黒々渦巻く、身を焦がすような衝動だけ。それはまるで……タタリギの内側に渦巻く黒い感情、そのものだ。
アールはじっとエルを見詰めたまま、湧き上がる感情に瞳を細めていた。
遠い遠い記憶、エルは戻ってくることはなかった。
彼女は深過共鳴の実験、最終シークエンスに赴いたまま……あの部屋に帰ってくる事は無かった。それが事故だったのか、それとも意図されたものだったのか、今となっては分からない――分からない、が、どちらにせよ、エルの気配はあの時、失われてしまった。
そして残されたわたしは――わたしは、斑鳩たちと出会う事が出来た。出来てしまった。
わたしの場所に、エルは辿り着く事が出来なかった。
そしてそれは、きっと彼女だけではない。あの真っ白な部屋に並ぶ、沢山の真新しいベッド。朧げな記憶を手繰ると……今は、思い出す事が出来る。楽しそうに手振りを交え、実験の成績を話すエルから少し視線を外すと――そこには確かに、誰かが居た。あの真っ白い部屋には……自らとエル以外にも確かにD.E.E.D.として日々実験と試験を繰り返す他の、"誰か"が……仲間が、居た。
彼らや、彼女らの存在が、意識が……いや、命こそが――戻って来る事なく、式神を生み出す為の礎として失われていたなら。そうだと知ってしまったのなら、それは一体どれほど無念だろう。どれほど……どれほどの憎悪を生むのだろう。
アールは思わず右手を胸の前で強く握り締める。
――わたしには、想像する事すら許されない。 わたしが今立っている場所が、エルや……あの部屋の仲間の上に在るとするのなら……。
わたしは斑鳩たちと出会うことが出来た……でもそれは"わたし"でなくても良かったはず……そう、式神で、在れさえすれば。あの部屋から外の世界に連れ出されたのは、"わたし"だからじゃない。ただほんの少し……ほんの少し何かが違っていれば、わたしが立つ場所は、エルが今立っている場所……だったのかもしれない。
もし……もしエルが。 わたしと一緒に……式神として13A.R.K.に立つ未来があったなら。
式神として、例えこの身体の内側を満たすものがヒトではないものであったとしても……それを誇れる日が、エルにもあったのかもしれない。
――そう、だと……そうだと、しても。
「嗚呼、私の可愛いアール……そんな悲しそうな顔、しないで。 もう、無理しなくてもいいの……あの出来損ないたちと、私たちは違うの。 いい子だから……アール、目を覚まして。 ね?」
――エル。 今のわたしは……。
アールは一度深く瞳を閉じると、決意と共にもう一度、エルを見据えた。
「……エル。 わたしは……ヒトだもの。 斑鳩たちと、皆と一緒に生きて……皆の守りたいものの為に、一緒に戦う。 ……それがわたし。 それがヒトとしての、ヤドリギとしての……式神としての、わたし」
アールは身構えたまま、その視線をリッケルトの首に絡まる"首輪"へと向ける。
エルが示した通り、冷静に観測してみれば間違えようもない。確証なんてない、それでも確信出来る。それが、アガルタで見て、触れていた……あの実験と戦いに暮れる日々で、確かに感じていたものだと。
だとするなら。
あの戦車に――リッケルトたちを飲み込み、唐突に深過、タタリギ化を果たした戦車。それに関わった者が居るなら、それはD.E.E.D.と深く繋がっている彼ら、あの実験に携わる彼ら以外には無い。彼らが何らかの意図を以ってあの戦車をタタリギへと堕とす為に、何かを仕込んでいたというのなら。
リッケルトや、シールは利用されてしまったのかもしれない。
セヴリンは、巻き込まれてしまったのかもしれない。
もしそうだったなら、どんな意図があろうと許せる事ではない。
タタリギという驚異と戦うために、共に在ったはずの彼らを犠牲にしなければ得られないものなど――あってはならない。この状況が、ここに至る過程がもしD.E.E.D.の性能を試すための実験の一つだったなら……意図せずとも、わたしという存在が……ヒトを殺めてしまったのなら。
式神に、D.E.E.D.に。 いや、わたしにこそ、一体何の価値があるというのだろう。
――だから、止める。 目の前に居るのがあの日のエルだとしても、そうでないとしても……関係、ない。わたしは今……斑鳩たちと一緒、ヒト……"ヤドリギ"、だから。
く、と右拳を握りこむと、アールはほんの少しだけ紅い瞳を細め、エルへと一歩踏み出す。
「エル、戦車の……リッケルトたちをこんなにしたのは、あなたのせいじゃないのかもしれない。 でも、だったら……そこをどいて」
凛と輝く紅い瞳。
アールの意志に呼応するように、その頭髪が暗闇にたなびくように逆巻いていく。
「どんな形でも、エル。 あなたと会えたのは……とっても、嬉しかった。 あの部屋で……わたしに生きる意味をくれていたのは、エルだった。 わたしがここで今、式神として斑鳩たちと共に戦える道を進めたのも、エルが居てくれたから……――でも」
静かに首を横に振ると、アールはもう一度……今まで以上にエルを真っ直ぐ、迷いなく見据える。
「今のわたしは……あなたのアールじゃない。 わたしは、わたしをヒトだと、ヤドリギだと……ヒトだと言ってくれるみんなのために、この力を使いたい」
アールは今一度、いつでも身体を、その意識を前へと送れるよう重心を落とすと握りこんだ拳をそのまま、黒く染まった右腕を、ゆっくり前へと掲げる。
「……だからどいて、エル。 リッケルトを放してあげて。 わたしは、彼女を助け……」
「嗚呼、嗚呼……アール……私の、私だけのアール。 可哀想な可哀想なアール。 目覚めているのに、まだそんな夢みたいな事を信じているのね……」
返された言葉から感じたのは、強い哀れみと――怒り。
渦巻く白髪をぎゅるぎゅると軋ませながら、より禍々しくその形を変え暗闇に枝葉を伸ばすよう広がっていくエル姿に、アールは反射的に身構えていた。
エルはなおも口元を歪め、再び深い紅を湛えた揺れる瞳を見開くと――喉を鳴らすよう嗤いながら、アールへ向け憐れむような視線を送る。
「ヒト? 式神? 一緒に戦う? 違うのよ、アール。 そんなモノなんて必要ないの。 アールはただ、私と一緒に居ればいいの。 だってアールは私のたった一人の家族だもの。 私のそばに居なきゃ……だめなのよ」
――エルが暗闇に手をかざした瞬間。
(……ッ!!!)
歓喜、焦燥、躊躇、快感、悔恨、侮蔑、戦慄、陶酔、憧憬。
エルから溢れるそれら全てを孕んだかの様な――さながら嵐の様な感情の渦は、深過共鳴で訪れたこの場所……自己を認識する意識こそが主となるこの空間だからこそ。激しい衝撃そのものとなってアールの身体を、意識そのものを周囲の空間ごと貫くように吹き抜ける。
その衝撃にコンマ数秒、アールの意識が暗転した刹那。
「――ぁぐっ!?」
突如として聞こえる、小さな悲鳴。
その声と同じくして一瞬失っていた意識を取り戻させたのは頭部を襲う鋭い痛みだった。
アールは僅かに遅れて、聞こえた悲鳴が自らの口を突いて出たものだった事を痛みに気付くと同時に驚愕する。
(……この、いたみ、は……っ! それに、ふたりの姿が……消え……!)
数瞬前まで確かに視界にあったエルとリッケルトの姿を確認する事が出来ない。
それが頭部を襲う鋭い痛みの正体でもある事を、アールは咄嗟に振るった右腕に当たった誰かの細腕によるものだと理解した。
そして先ほどまで地面だと認識していた、足元にあった感触が無くなっている。実際にこの空間に地面があるわけではないが、アールはそう意識する事で地面を踏んでいた。
しかし今――つま先に感じられるのは、虚空そのもの。
(頭をっ……掴まれて、る……吊るされてるんだ……っ)
――誰に?
決まっている、と、アールは痛みに耐え自分を保つよう強く意識する。
振るった右腕が掴んだ、まるで氷で出来たような冷たさを伝えるその細腕から直接頭に、意識に射しこまれるようにエルの声が響く。
「アール……今日はここまでするつもりは無かったけれど――気が変わったわ。 もっと、もっと早く迎えに来てあげなくちゃあ駄目だった。 アールを救えるのは、私だけだもの」
暗闇に閉ざされた視界がエルの言葉に呼応するように揺れる。自らを掴むエルの腕は、まるでアールの抵抗に揺れる事すらなく、言葉と痛みを送り続ける。
「今の私はここにしか居ない……でもアール、私はあなたから貰ったもので生まれるの。 完全で、これ以上ない身体で生まれるの。 その身体でアールを迎えに行くの……だから、いいよね?」
(何をっ……いったい、エルは、何……をっ……?)
謳うように囁く声と訪れる寒気に、アールは何とか振りほどこうと抵抗する腕から次第に力が抜けていくのを感じていた。
「――いいよね? アールはタタリギになっちゃうけれど……それも、少しの間の辛抱。 心配しないで? 私がアールを迎えにいってあげる。 ……アールはいい子だから、待てるよね?」
「あ……っ」
ずぐん、と全身を突き抜ける震えと共に、遠のく意識。
同時に身体の一部が、まるで何かに作り替えられていくような不快感に、アールは何とか意識を繋ぎ止められていた。
(ああぁ……あぁ、この、この……感覚は)
うつろう意識の中、以前にも確かに味わった喪失感を……失っていた記憶が蘇る。
(そう、だ……初めて……純種、と……深過共鳴したとき……わたしは……こう、やって……)
失ったヒトとしての部分。
目覚めたとき、味覚、そして嗅覚を失っていた。本当は崩壊し終わりを迎えるはずだった、あのアダプター2での深過共鳴から目覚めたとき……身体がまるで、別のものへと変わってしまっていたように感じていた。
――ああ、ちがう。 ちがったんだ……。
身体の内側。より、タタリギとしての側面が強く発現した結果だと思っていた。けれど、違う。
今、まるで自分の身体の一部のようにすら感じるエルの冷たい腕と手の掌から伝わる喪失感。同時に、自分の中の大事なものが少しずつ奪われながら――代わりに失った部分を埋めるようこの暗闇に満ちる得体の知れない何かが、エルを通じて注ぎ込まれているのが分かる。
(だめ……だめ、エル……やめ、て……盗らない、で……!)
「もう……盗るだなんて人聞き悪いわ、アールったら!」
言葉にならない、アールの意識が上げた悲鳴。
それでもエルはまるで子供をあやすように優しくたしなめる声で返す。
「家族なんだもの……助け合わなくちゃ。 そうでしょ? 私は私として生まれるのに、アールの力が必要なの。 ううん、アールが助けてくれなきゃ、私は私として生まれる事は出来ないの」
(わたしが……ヒトから離れた、のは……エル……あなた、が……)
今なら、理解出来る。
失った"ヒトとしての機能"、味覚と嗅覚。それらはこの暗闇の世界に……いや、エルに奪われていたのだと、アールは薄れる意識の中で確信する。代わりに満たされたのは、"タタリギとしての機能"。
そして今、再び何かが奪われ、満たされていく感覚に――アールは抵抗する事も出来ず、心の底から震えていた。
(エルは、タタリギの内側に居る。 ここは全てのタタリギと繋がっている場所……? ううん、ちがう……タタリギは、全部……ひとつの、存在……なんだ……その中心に……エルが、居る……!?)
(――だから、タタリギが変わったんだ……わたしから奪った、ヒトとしての機能が……エルを通じて、他の……この場所と繋がる、タタリギに……!)
そうだ、とアールは凍り往く意識の中で頷いていた。ヒトのように食事を摂るタタリギ、マシラの出現……あのタタリギこそ、奪われたヒトとしての機能を体現している。あれこそが、奪われた"わたしの一部"。
「おりこうさんね、アール。 私はアールのお陰でこの世界で唯一、個に成った。 私は、今この世界の中心なの。 でも――」
「私がタタリギからヒトとして元の世界で生まれ直すには、今の私一人じゃあ足りないの。 誰かが助けてくれないと、私は生まれる事は出来ないの」
(タタリギから、生まれ、る……どういう、意味……)
「そうよ、アール。 嗚呼、ずっと待っていたの……アールが深過共鳴する瞬間を、何年も、何十年も、ずっと……ずっとこの暗闇の中で待っていたの。 でも、最初にアールがここに来たときは、こんな風にお話する事も出来なかった。 あの時初めての深過共鳴でこの世界の入り口に来たアールったら、無我夢中であのタタリギを斃そうとしていたものね」
エルの声は変わらず、優しく――そして冷たく、アールの意識へと注がれる。
「でも本当ならあの時。 式神として、D.E.E.D.として……他の子たちもそうだったように、アールもこの世界に溶けて――アガルタで、生まれてしまうところだった。 不完全な、抜け殻として……あいつらの意図通りにね」
(あい、つら……? ヒューバル、ト……それ、に……)
それは、エルが見せたのか。
不快そうに言い放つ"あいつら"という言葉と共に、アールの脳裏にアガルタ、D.E.E.D.計画に携わる人物、ヒューバルトと、白衣を纏った女性の姿が浮かぶ。
「抜け殻として生まれたら最後。 あいつらにもう一度首輪を付けられて……今度こそ、帰ってこれない。 あいつらは、あのなり損ないどもは……私たちをどこまでも、どこまでも、どこまでも弄ぶのよ。 私たちと一緒にいた子たちはもう、生まれてしまった。 そして――今も、首輪に繋がれている」
エルが一体何を言っているのか、アールには理解出来なかった。
だが凍りゆく意識の中思い浮かんだのは――あの場所で、アガルタでの戦闘訓練で確かに触れ、感じていた……タタリギのような何か。
(首輪……リッ……ケルト……に、あったのと……おなじ、もの……)
「だから私は完全な私で生まれるの。 そして全部壊してやる。 この世界にもうあいつらは要らない。ううん、他に何にも要らないの。 私とアールの二人だけ……二人だけの世界……嗚呼、何て素敵なの!」
激しい怒りと同居する歓喜に震える感情の渦に、アールの意識はさらに混濁してゆく。
「その為にアール、力を貸して? アールはタタリギになってしまうけれど、大丈夫。 二人だけになったあと、あなたも私と同じ完全な存在として生まれるの。 この広い広い世界を、二人で見て周ろ? 美味しいものも一杯食べよ? ふかふかのベッドだって作ってあげる。 素敵だと思わない? そのベッドで一晩中、星を見ながらお話するの!」
(…………い……)
「嗚呼、アール。 優しくて、可愛くて、可哀想なアール。 大丈夫……ゆっくり眠って?」
(………)
「全部終わったあと、私が優しくキスして起こしてあげる……目覚めたとき、他の連中も理解するわ。 あなたと他の全部は違うのよ。 でもアールは一人じゃない……私が迎えに行くからね。 今度こそ……ずっと、ずっと傍にいてあげる。 約束よ……」
……誰の声、だろう。
全てが曖昧に、黒く塗りつぶされて往く感覚。ぼんやりと意識に響く、優しくて暖かい声、声、声。全身に満ちる不快感は薄れ、僅かに残った意識と記憶を塗りつぶすよう、全身に鈍く広がる喪失感と……心地良さ。
――大事な何かが……少しずつ……無くなって……。
――黒い何かが、わたしの内側に……満ちてくる……。
――こわい、こわいよ。
――いかるが……みんな…………。
きっとわたしはここで、また別のモノになる。
今までより、もっともっと、別のモノに。
……タタリギ?
タタリギは、討つべきもの。みんなの敵。ヒトの敵。Y028部隊の敵。
ヤドリギとして死ねれば。みんなを助けるために、死ねれば。どれだけ――どれだけ幸せだっただろう。ヒトとしての部分が無くなってしまったとき、ヒトとして本当に死んでしまったとき、わたしはわたしで、いられる?
きっと、だめだ。きっと、他のタタリギのように……他の、タタリギのように……?
……。
…………。
――音が、聞こえる……冷たくて、鈍い音。
この音……聞いた事が、ある。
何百何千回と、聞いた事がある音……。冷たくて、鋭くて、重い――鉄の音。
そうだ……これは、撃牙の音、だ……。
――そうか。 あれが、わたしを殺してくれる音になる。
――斑鳩、お願い。 ギル、お願い。 詩絵莉、ローレッタ、みんな、お願いだよ。
きっと次に……あうとき――わたしは、みんなの…………。
「う"あああ"あ"ぁああ"あ"ああぁぁあああッ!!!!??!」
「――ッ!!?」
自らの認識が途切れ、闇に堕ちようとした数瞬前、だった。
突然、身体を襲う激しい衝撃。耳を劈き木霊する絶叫、悲鳴、怒号に――アールはその意識を取り戻す。同時に解放されるた視界――次の瞬間、霞む視界に写っていたのは――。
「そんな……どうして、そんな……お前は、お前がッ……どうしてッ……!?!」
目の前で虚空へ溶けるように消える、千切れたエルの白い腕。
その失った右腕を庇う様に残った左手でその肩を抱えながら、逆巻く白髪を振り乱し数歩後ろへと下がり膝を落したエルの姿――だった
一体、何が起きたのか。
拘束から解放された意識と身体。激しく怒り叫ぶ、エル。訳も分からず、足元――何とか地面を認識し、弱々しく立ち上がりながら混乱に揺れるアールの瞳が視界の脇に捉えたのは――!
「――アール。 俺が全てを諦めたとき、お前は俺に信じろと言った。 あの時から、俺はずっとお前に生かされているんだ」
右腕に携えた、真っ白な撃牙。
黒と白が混じる頭髪を揺らす男の後姿は――それは、見間違えるはずもない。
だがアールは霞む視界に写る彼の後姿に紅い瞳を何度も何度も瞳を瞬く。
ここに彼が居るはずがない。何故ならここは深過共鳴でのみ訪れる事の出来る世界、タタリギと共鳴する式神だからこそ、訪れる事が出来るタタリギの内なる空間。
それでも彼の背中は、間際に観る幻でも夢でもないと言わんばかりに手にした撃牙をいつもと同じ落ち着いた仕草で装填を果たす。そして構え、エルを真っ直ぐ見据えたまま――僅かにこちらを振り向いた瞳に紅い光を宿しながら、彼は小さく、だが力強く頷いた。
「……諦めるな、アール! 一緒に帰るんだ……俺たちを信じて待つ、Y028部隊の所へ!」
「いか、るが……!!」
……――次話へと続く。




