第10話 Y028部隊 (19) Part-2
タタリギに穿たれた傷痕から現れた、黒く染まった彼女――"リッケルト"。
彼女が上げる咆哮の中、斑鳩は奇妙な感覚に捕らわれる。まるで時間を薄く伸ばしたような違和感の中、リッケルトの元へと突如現れる、アールと瓜二つの謎の白い少女。
混乱する斑鳩の前で、謎の少女はその細腕をリッケルトへと突き立てる。あっけに取られるしかない状況でなおその光景に目を見開き驚く斑鳩……そして次の瞬間、時間を取り戻した世界で斑鳩が目撃したのは……リッケルトの胸元から絶叫と共に、その黒い身体を突き破り芯核が現れる、理解を超えた光景――だった。
ヒトの姿、その内側から生成されるよう現れる歪な芯核――。
あまりに衝撃的な光景を前に驚愕し固まるギルと詩絵莉の前、斑鳩も目の前の現実に奥歯を強く噛み結ぶと同時、忽然と姿を消した謎の白い少女の行方を追う様に視線を巡らせていた。
(――あの少女が居ない!? 一体……ッ!!)
先程までリッケルトの黒く染まった肢体を抱いていた少女の姿が何処にも見当たらない。
まるで先程の光景が、アールとあの少女のやり取りが夢であったかの様な感覚。
だが、それは事実として目の前で起こった光景に違いない。ギルや詩絵莉、ローレッタたちと共有する事が無かったであろうその時間は――それでも確かに、存在していた事を目の前の光景がまさに証明している。
「アールッ……!!」
斑鳩の声を振り切り、隣に居たはずのアールは真っ直ぐ純種へ向かい駆け出していた。
瞬間、斑鳩は彼女の後ろ姿に――その背中から感じられる強い覚悟に思わず息を飲む。アールと繋がる意識……そこに感じられたのは、リッケルトを、そしてY028部隊を、皆を守るという意志――その一点のみ。
「くっ……!!」
アールは間違いなく、やるつもりなのだ。
満身創痍な状態にも関わらず、僅かにも揺るがぬ強い意志……彼女の背中が、アダプター2で純種を前に膝を着いてしまったあの時と被る。深過共鳴……タタリギと己が全てを共有させる、式神の"力"。深過を遂げるあの純種を、芯核となりつつあるリッケルトもろとも……崩壊させるつもりに違いない。
誰もがそれを直感する中、斑鳩は彼女を追う様地面を蹴る。
一拍遅れて反応したギルは、自らの右手に撃牙が無い事に苛立ちを感じながら隣の詩絵莉へと声を荒げる。
「シエリ、デイケーダーだッ!! 今ならまだいけるんじゃねえか!?」
「……言われなくても分かってるッ……けど……!!」
芯核を目撃した瞬間、詩絵莉は手持ち最後の一発となるデイケーダーのパッケージを引き千切り、緑色の弾丸を取り出していた。それを目撃していたギルのはやす声に、彼女は銃口を僅かに揺らし、ぎり、と歯を鳴らす。
――ダメ……蔦根が急速に芯核を包み込み始めてる……これじゃあ……!!
刹那の射撃には自信がある――だが、それは目標の芯核が露出している事が前提だ。
彼女の隼の眼が捉えたのは芯核を胸元から溢れ出しながらも、下半身を埋める純種の傷痕から噴き出る数多のタタリギの蔦根。まるで芯核を求め欲するように黒く染まったリッケルトへと急速に、かつ貪欲に伸ばし絡まるそれらは幾重にも重なる格子を形成しつつあった。
――あの格子を避け、着弾させる弾道は……視えないッ……!
もしこれが最後の一発でなければ、あるいは迷わず引き鉄を弾いていたかもしれない。
だが残された切り札としての自覚が、詩絵莉にそれを赦さなかった。
迷い声を荒げる二人を背に、斑鳩は地面を穿つ程の勢いで数歩目を蹴り抜く。
「――アール、待てッ!!」
――ごめん、斑鳩。
「アールッ!!!」
――でも、今ならまだ、間に合うかもしれない……!!
アールは背後から届く斑鳩の声を振り切り、ひたすらに重く感じる身体をそれでも前へと送る。
あの白い少女が一体誰なのか、一体、何なのか。
この右腕を失った直後、出会った時もそうだった。彼女を視界に入れると、身体の内側――タタリギが渦巻き奔流する感覚とは別の、全く別の何かを感じる。今全身を襲う鋭く重い痛みとはまるで……まるで別の、異質な感覚。
駆けながら、芯核を生み出しつつある黒く染まったリッケルトの脇――今は視界から消えてしまった白い少女が居た虚空を、アールは一点に睨みつける。
白く渦巻き伸びた長髪。紅を称えたあの瞳。そして――共鳴し、感覚を共有させるあの"力"。
自身が誰よりも理解している……あれは、きっと、きっとわたしと同じなにかなのだろう、と。
そして、あの姿だ。
彼女が纏うあの服には、見覚えがあった。
Y028部隊の皆と出会う前――今は朧げな記憶の片隅にある、空虚な記憶。壁も床も天井も、何もかも真っ白なあの部屋。並ぶ多くの空のベッド。扉に淡く描かれたD.E.E.D.のエンブレム。確かに一人だったあの場所で……あの少女が纏っていた服は、自らを包んでいたものと同じものに違いない。
アールはそう確信しながら、さらに地面を蹴り付ける。
あれは――わたしの事を知っている口ぶりだった。
わたしの知らない、わたしの過去。あるいは、彼女は――あの部屋で一緒にいつかを過ごした、誰かなのかもしれない。
――だけど、それでも。
黒く染まった右腕を、ぎゅうと握り締める。自分がどういう存在なのかは理解している。式神、D.E.E.D.、ヒューバルトの言葉。内側に渦巻くタタリギの力を解放するたび、斑鳩たち――ヒトという存在から離れてゆく事を否応無しに感じる、この身体。
――だけど、悲しくなんて、ないよ。
振り返る事をせずとも、背中に、近くに感じるY028部隊みんなの鼓動。
それでもヤドリギとして、それでもヒトとして生きる事が出来るのは、"この場所"だからに違いない。"R"と呼ばれる自らの過去、そこには斑鳩たちと同じ――自分にも、本当の名前があったのかもしれない。今は遠く思い出すことも出来ないいつかの過去には、共に生き寄り添う誰かが‥…居たのかもしれない。
――だけど、それでも。
痛みと重さを振り切るよう蹴り抜いた地面が遠くなる。
アールは一直線に、リッケルトへ向けその身体を地面から虚空へと抜いた。
――今の"わたし"を支えるのは、Y028部隊の一員だという、意地と誇りだよ。
凄まじい速度で跳躍を果たしたアールは、純種との距離を一直線に詰める。
砲撃により穿たれた傷痕、そこへ生まれ暴れ狂うようにうねる大小様々なタタリギの蔦根と赤黒い飛沫によって散り染まる純種の上――躊躇う事無く彼女の前へ着地すると同時。タタリギの一部として、黒に染まった彼女の胸元からせり出すように生まれつつある芯核を抑え込むよう、アールは自らの右手を突き出し、それを力強く握り掴んだ――!!
「~~ッ!!!」
対空させた残り一機の木兎。
誰よりもその光景をいち早く、正確に観測したローレッタは声にならない悲鳴を上げる。
「――!? ローレッタッ! 彼女は、アールは一体何をッ……!?」
まさかの素手――いや、彼女の右手を素手と認識するかは置いておくとしても……突如飛び出したアールが仕掛けた、まさかの白兵戦。満身創痍に写っていたその姿からは想像出来ない程の加速を魅せ、一直線へ純種から現れた"彼女"へと掴み掛った無謀とも言えるその行動。
しかしフリッツは、それがただの無謀な……どうしようもなく追い詰められた末の特攻などではないという事を、即座にローレッタの反応から察する事が出来た。
「……アルちゃん……」
ローレッタは喉まで出掛かった言葉を飲み込む。
あれは――そう、アダプター2で初めて相対した純種へ……アールが自らの命を賭した、式神としての"自爆"。崩壊を共有する、深過共鳴。
確かにあの時純種と崩壊を共にしながらも、アールという存在は崩壊を免れ生還を果たした。
だが何故アールだけが崩壊免れたのか。それは彼女自身も、そして自分たちも……さらに言うならば、彼女の状態を最も理解しているであろうあの峰雲教授ですら理由は分かっていない。
果たして、二度目があるのか。それとも――。
噛み締めた唇からじわりと血が滲み、口内を鉄の味が満たす。
「……タイチョー、ギルやん、シェリーちゃん……今のうちに、南側格納庫まで、撤退して……!!」
『!!!』
ローレッタの絞り出すような悲痛な声。
インカムから聞こえたそれが、そして目の前で一人純種へと向かったアールの姿が、あの時の再現である事をギルと詩絵莉は改めて理解した。彼女が何をやろうとしているのか、そしてそれが――その結末が、何を意味するのかを。
その時、斑鳩はアールを追う足を止め――言葉を上げようとしたギルと詩絵莉を、斑鳩はまるでそうだと分かっていたかのように背を向けたまま、振り返る事なく掲げた左手で制していた。
「ギル、詩絵莉を頼む。 格納庫まで一気に突っ走るんだ」
「なっ……」
「――お前はどうするつもりだ、イカルガ!!」
アールを救いたい。
もし、それが出来るならば、何に変えても――たとえ死がその先に待っていようとも、戦える。だが、ギルと詩絵莉は声を荒げながらも理解していた。それは、ヤドリギとして戦う者なら誰もが同じなのだ。あの純種を確実に、"今"止める事が出来るのは、式神であるアールのみ。
今まさに13A.R.K.が晒されているこの危機的状況を好転させる為には……最低限、あの純種を活動不能にさせる為の方法は……この戦いをヤドリギとして担う自分たち"Y028部隊"が取れる方法は――あのアダプター2での再現の他、無い。
議論も立案も挟む暇などないこの状況で、アールが行おうとしている事が深過共鳴による芯核の破壊は、何より合理的で、何より……ヤドリギとしての姿に他ならない。守りたいものの為に、自らの全てを天秤へと差し出す事が出来る――それを無為にする事など、出来はしない。
「……ギル、詩絵莉、ローレッタ、フリッツ。 あいつは必ず……俺が連れて帰ってみせる。 だから……頼む」
言いながら右手に纏った撃牙を解くと、この状況の中――
どこか自信と決意に満ち溢れたような表情を浮かばせながら、斑鳩は地面へとそれを横たえる。
「暁、冗談なら後に――!」
「シエリ往くぞ、銃を畳め!!」
「――!?」
彼のその様子に表情を歪ませ一歩前へ足を踏み出した詩絵莉の身体を、ギルの左手が制する。
「……こいつが誰だか知ってんだろが」
「あんたまで……何よ、こんな時にッ!!」
「Y028部隊はコイツに命張って、ここまで来たんだろうがッ!! 違うか?!」
「……ッ」
真っ直ぐこちらを睨み付けるギルの瞳に、詩絵莉は言葉を飲む。
ずっとその後ろ姿を、横顔を見続けてきた。
それでも暁の事は、正直今も分からない事だらけだ。この数ヶ月、押し寄せる波のように沢山の出来事があった。自分の価値を認めてくれた暁と共に戦って、いつかその彼と共に死ぬ。いつか最期を迎えるその時まで、これからもずっと変わらない……彼と、皆と、ヤドリギとして戦っていく。そう満足していた時間は……今、大きく変化している。
だからこそ、傍に居たかった。変わっていく中、自分は彼と共に歩めているだろうか。皆と歩めているだろうか。今……振り返る斑鳩の瞳には、いつか見た迷いも、惧れも見てとれない。純粋なまでの黒を湛えた彼の瞳からは、こんな状況においてもなお、今は暖かさすら感じる事が出来る。
彼の表情は……紛れもなく"Y028部隊隊長"としての、斑鳩 暁の貌だ。
今までそれを間近で見続けてきた詩絵莉には、感情とは裏腹に理解出来ていた。今度こそアールを失う事になるかもしれないというこの状況の中、彼には何かきっと……打てる手がまだ、まだ残っている――あの表情は、それを信じて止まない……そう、語っているに違いない。
もうずっと昔に思える、斑鳩があたしに向けた言葉。
"こんな真似、誰が他に出来るというんだ"――そう言ってくれたあの時と、まるで変わらないその表情。
――暁……あの時、あたしたちをアダプター2で助けてくれたアールもきっと……同じ眼を、していたんだろうね。
暁も、アールも、Y028部隊は生還する。だから――死んだら許さない。絶対に、許さない。一瞬、秒にも満たないその時間。斑鳩と詩絵莉の視線と意識が交錯した。
ならば、言葉は要らない。
不思議な感覚だった。まるで彼の言葉が声ではなく意志として内側に響く感覚。
その感覚に、詩絵莉が恐らく自分でも無意識に……ほんの、ほんの僅かだけ――小さく。彼を見送るよう頷いたその瞬間――斑鳩は純種へ、アールへ向け地面を蹴り抜く。
見送る詩絵莉の肩を、無言でギルが軽く叩く。直ぐに格納庫へと身体を向けたギルの後姿、前を駆けながら振るその手――強く強く、血が滲むほどに握り込まれたその拳を詩絵莉は少しだけ瞳を細め、見つめていた。
「……お願い……声を、聞かせて……リッケルト……っ!!」
彼女から生まれるつつある芯核。それへ触れるアール自身をも取り込まんとする様に、黒い蔦根は激しくのたうち、巻き付き、四肢を締め上げていくその中で――それらを意にも介さず芯核に右手を添えたまま、アールは意識を一点に集中させる。
(リッケルトはまだ……そこに、いる……!!)
まだ、救えるかもしれない。ヒトとして生きて連れ戻る事は出来なくとも、せめても――せめても、彼女をヒトとして送る事が出来るかもしれない。そう考えながら――アールはリッケルトの気配を探る様、自らの意識を沈めてゆく芯核から伝わる気配に違和感を覚えていた。
突如として13A.R.K.に現れ、戦車ごと彼女たちを飲み込み発現したタタリギ。
その芯核に触れ、深過共鳴を行う中――それは直感として理解出来ていた。
このタタリギは今、理由は定かではないが"彼女"と深く繋がっている。数時間前まではヤドリギだった彼女たちが、どうしてこれほどまでにタタリギと深く深過を遂げているのか……ヒトとタタリギ、その二つの間に本来ある筈の隔たり……と表現すればいいのか、とにかくそれが極端に薄い……いや、壊されているように、アールは感じていた。
しかし今はそれを深く考える時間も、余裕もない。
ただ言い換えれば、このタタリギの内側にある彼女を送る事が出来たなら……それがもし出来れば、Y028部隊も、13A.R.K.も助かるかもしれない。
ならそれはきっと――式神として、ヤドリギとして、何よりY028部隊の一員として命を賭す事に値する。
リッケルトは、完全に堕ちてしまったわけではない。
彼女と同じく黒に染まった右手で触れる芯核の向こう側。そこに感じる微かで、小さなリッケルトの鼓動に……アールは、強く確信していた。
(リッケルト、いま……いま、いくから……!!)
アールはぎゅうと瞳を閉じると、芯核から伝わる気配に意識を同調させてゆく。
(あのとき……斑鳩に、やった……みたいに……もっと、もっと奥へ……!!!)
14A.R.K.の時は無我夢中だった。タタリギに侵食される斑鳩を救う為、彼に触れた腕から伝わる鼓動を探る最中――その時、彼の中ので確かに蠢くタタリギの気配を感じ取る事が出来た。本来崩壊を共有させる為だけのはずだった深過共鳴が、斑鳩を救った……その事が、何より嬉しかった。
(壊すだけじゃ……ない……! わたしの、この力がもし、そう、なら……わたしは……!!)
…
……して
――ころ、して……。
「ッ!!!」
――……ああ、だれか……だれか、わたしをころし、て……あア、あぁ……だれか、だレか……シー……ル……。
「リッ……ケル、トッ……!!!」
どぐん、と右腕を伝わるより一層強い衝撃。
その顔に赤黒い飛沫を受けながら、芯核が震え鳴く声を捉えたアールの深紅に揺れる瞳が、大きく見開く。頬を伝わる涙は、流れる事はなかったが――それでもアールは……その瞬間、確かに泣いていた。
リッケルトの痛みが、悲しみが、寂しさが、絶望が、押し寄せ叩き付けられ――。
瞬間、アールの視界が暗転する。
同時に訪れる、重力から解き放たれる感覚……意識の片隅に感じる、"ここでない場所"へ堕ちて往く感覚……吸い込まれるよう、奥へ、奥へ――。だが、先ほど聞こえたリッケルトのか細い絶望の声は、どこまでも続くこの暗闇の中……既に、聞こえてはこなかった。
代わりに全身の感覚へ音として訴えてくるのは――斑鳩の意識へ共有した時にはなかった、恐ろしい数の気配とそれらが交わす雑言。その一つ一つの言葉を聞き理解する事は出来ない……が、無数に連なり全身を震わせるその声は、この場所がどれほど異常な意識世界かという事を、彼女へ即座に理解させるには十分過ぎるものだった。
この場所はリッケルトたちの場所でもあり、そして……彼女らを飲み込んだ純種の場所、そのものでもあると――。
しかしその事実を理解してもなお、この漆黒の空間へ降り立ったアールの意志と誇りは全く揺らぐ事は無かった。彼女は凛と紅い瞳を滾らせると、確かに聞いた彼女の鼓動が泣いたその場所へ――その一点のみを目指し、風の様に駆け出す。
(リッケルト……待ってて。 すぐに、すぐに往くから……!)
……――次話 Y028部隊 (20)へと続く。




