第10話 Y028部隊 (14)
身体の違和感にはすぐに気が付いた。
起き上がったわたしを見る、知らない式兵の三人の視線は、斑鳩たちとはまるで違っていた。
理解っている、この身体に起きている事を見た普通のヒトが、どう感じるのか。昔はそれがとても、怖かった。
でも、今は大丈夫。斑鳩が、みんなが居るから、大丈夫。
わたしをヤドリギだと呼んでくれるみんながいるから、わたしは大丈夫。
この戦いの後、どうなるのかな。ちゃんと戦えたら、大丈夫かな。斑鳩たちと、一緒に居れるかな。
少しだけ怖いけど、でも――今は、この力を彼らの為に使い切りたい。
……だって、それがわたしの……。
――損傷は、ほぼ快復してる。
自分でも驚く程、身体が軽い。
無くなったはずの右手は――身体の内側から溢れたものが、形作っている。
……それが何なのか、考えるまでもない。
あの時と同じ。内側に宿すタタリギが……身体の重度の損傷に反応し、否応なしに、意識的に行ったものより色濃く発現した深過解放が発現し傷を"埋めた"。
そして内側に感じるのは、失った体液――血液の代わりに身体を駆け巡る、"何か"。
それがもたらすこの身が焼けるような衝動は、何だろう。
目に映る何もかもを壊してしまいたい。昂る感情に身を任せて――飲み込まれてしまいたい。
意識を取り戻し、あの三人を視界に入れた時――そう囁く身体の内側からの声を抑えるのに、精一杯だった。あるいはあと数秒あの場に留まっていたなら。撃牙と、武器と共に敵意を向け続けられたなら。その先の光景が、赤く赤く脳裏に映る。
けれど――その時感じた、斑鳩の気配。目を閉じれば視える、彼と繋がる"黒い糸"。
ヤドリギであるために、ヒトであるために、仲間と共に戦い続ける事を決意した彼の心が……温かい鼓動が、湧き上がる黒い衝動を向けるべき矛先を教えてくれた。
――行かなきゃ、斑鳩のところへ。 みんなのところへ……。
距離にして、数百メートル。
全身を突き動かす黒い衝動に、それを抑えこもうとする焦がれる想いに、凄まじい速度で駆け過ぎ行くはずの景色が、前へ前へと地面を穿つ足音が、斑鳩たちが切り結び奏でる戦いの音が、13A.R.K.を包む全ての気配が――不意に、止まった。
(――!?)
いや、止まったのではない。
駆ける身体は極々……極々緩やかだが、間違いなくゆっくりと前へと踏み出している。例えるなら、それはまるで恐ろしく粘度の高い液体の中を進んでいるような、奇妙な感覚。だが意識だけは、この奇妙な時を無視しこの状況を鮮明に捉えている。
アールは自らの身体に今起こっている現象……今までに無いほどの色濃く発現している、この深過解放状態の影響によるものだろうかと意識を集中させた――その瞬間。
不意に。
全く不意に、真横に感じる"何か"の気配を感じた。
「ねえ! 見た!? アール、見た!? あいつらのあの顔、見た!?」
(――――ッ!?!)
スローモーションに駆ける身体はそのまま、赤い瞳だけを気配の方へ――"声"が聞こえたと思しき方向へ向けると、アールは思わず目を見開き驚愕する。
そこに居たのは、全速で駆けるはずの自分と並走するように――緩やかに過ぎる時間とは無縁の様に並び軽快に歩く、真っ白な人の影を思わせる形を成した……"何か"、だった。
しかし、それは次第に形を変え……"何か"では無くなっていく。
その姿を捉えようと見開いたアールの紅い視線から逃れる様に――いや、まるでからかっているかのように、その白い影は全力で駆けているはずの彼女の周囲をくるりと一週して魅せる。
まるで舞う様に視界の片隅――自らの渦巻く髪の隙間から見える確かにそこへと存在する、白い影。
その白い影は、今徐々にその輪郭を確かなものへと変えつつあった。
長く先端の渦巻いた頭髪をなびかせ、次第に少女のような細い身体を暗闇に浮かばせる。そして虚ろに渦巻き輝く――紅い、瞳。
唐突に、全く唐突に視界に現れた"真っ白な少女"は、この時間が停まったような世界で軽やかにステップを刻む。
だがそれでいて、"少女"の軽やかな足取りは土埃一つ上げる様子も無い。
ただ、この止まったような世界を一人自由に舞うその姿は目の前に居てもなお、この世の者ではないという事をありありと印象付けるような、そんな存在だった。
次第にその影をはっきりとしたものへと変えつつある少女の影に、アールは驚きと同時に自らの姿を重ねていた。禍々しく伸びた白く渦巻く頭髪に、紅い瞳。それは他の誰でも無い、まさに今の……深過解放を果たした自らの姿と瓜二つの様に見える。
――これ、は……!?
「ねえ、見たでしょ!? アール! あいつらのまるで化物を見てるよーな顔だよお」
(…………ッ!)
再び白い少女から発せられる声に、アールの思考は一瞬にして揺らされ、かき乱される。
その少女が放つ声は……まるで自らの体の内側から響いているようでもあり、耳元で囁かれているようでもあり、地面から、空から、空間全てが奏でているような違和感を――いや、違和感などではない。
言葉では語る事が出来ない程の、今まで感じた事の無い"音"でありその"声"は凄まじい異様さを纏うものだった。加えて、一言一言が波となり身体を穿つような不快な感覚……。
だが少女は構わずアールの顔をひょいと覗き込み、その虚ろに渦巻く瞳を幾度か瞬きしてみせる。
「あれ? だんまり? こないだ会った時は、もっとお話してくれたのに。 ね、私のアール?」
――そう、だ……これは……あの時、斑鳩の"中"で聞いた、声……!?
(――あなたは、誰?)
アールは再び揺らされる意識の中、言葉でなく――感情でそう呟く。
無意識に……それが相手に伝わる事を知っているかのように、自然に、疑う事なく発せられたアールの声に、ひたり、と少女は動きを止めた。
「またそれ? ……あの時は、あいつが居たから知らないふりをされてるのかと思ってたけれど……アール、私が誰だかわからないの? ……ほんとうに?」
ちりちりと眉間に感じる、白い少女からの小さくも確かな、"怒り"。
(……ううん、今は……誰でもいい。 これは、あなたの仕業? ……だったら――邪魔、しないで)
「邪魔!? あはは、アール! おかしなことを言うのね!」
今は一刻一秒も早く、駆けつけたい。そして思うがままに、この力を解放してやりたい。
そう逸る心を、苛立ちを以って吐いたアールの意識に、少女は驚いたように身を竦めると、すぐに声を上げて嗤う。
「そっか、そうだね! だってアールはようやく本当の自分を解放出来たんだもの。 ね、あいつらの真似事を止めれた、記念日だもの! 暴れたいよね? 全部壊しちゃいたいよね? うふふ、大丈夫だよアール……みて!」
(…………!)
言いながら少女はその真っ白な細い指で黒く染まったアールの右腕を愛おしそうに撫でると、くるくるとその傍から踊る様に身を翻し――全速で駆けるはずの彼女と、純種と斑鳩たちとの間に立ち、その手を大きく広げる。
「ここには、こぉーんなにも壊せるものがいっぱいあるもの! 建物も、あいつらも……それに見て、あの悪趣味な出来そこないも! いいよ、私のアール。 私が見ててあげる……全部全部壊しちゃえ! ここにあるものはぜーっんぶ! にせものなんだもの!!」
限りなく緩やかに過ぎる時間の中。
視界の先で飛び交う詩絵莉の放つ弾丸と、血飛沫を上げながら純種へ喰らいつく斑鳩とギル。ローレッタが繰る木兎が巻き上げる土埃と土砂――
それらを背後に、両手で漆黒の空を仰ぐ少女の姿に、アールは目を見開いた。
姿を鮮明にしてなお、白く白く巻き上がる長い髪の毛。紅く紅く渦巻く瞳。
やはり、この少女は…まるで――まるで、まるで…………。
(――どいて。 わたしは……斑鳩の所へ行く)
それでも。
目の前のそれが何だろうと関係ない。そうアールが再び吐いた言葉に――少女は明らかに機嫌を害されたように、ゆっくりと怒気を孕んだ視線をアールへと向け、首を傾げる。
「……いかるが、イカルガ……斑鳩? 斑鳩? 斑鳩……ああ、ああ、私が遊んでやった、あいつね? 私のアールの力を、私たちの"力"を盗んだあいつの事ね?」
少女は紅い瞳をふっと細め振り返る。
その視線の先には、鬼の形相を以って純種より放たれた錐状の矢を撃牙で撃ち落とす斑鳩の姿。黒髪に交じる白髪を揺らしながら、血で染めながら、仲間と共に懸命に戦う彼の姿。
「――そう、アール。 まだ、アールはわかってないんだね? まだ、アールはまだ、夢を見ていたいんだね?」
(…………)
「そう……そう。 ふゥん。 悪いコだね、アール。 折角わたしが迎えにきてあげたのに。 折角一緒に往けると思ったのに。 だから迎えに来てあげたのに。 一緒に遊びに来たのに。 ……悪いコ。 アールは悪いコだね?」
徐々に膨らみ増してゆく"敵意"。
それを現すかの如く、目の前の白い少女の髪が渦巻き広がってゆく。
(わたしが一緒に往くのは、斑鳩とだけ……Y028部隊とだけ。 わたしと一緒に往くのは、あなたじゃない。 ……だから、どいて)
それでも――それでもなお、駆ける姿はそのままに。真っ直ぐその視線を斑鳩へ向けたままのアールに、白い少女はふっと表情を緩める。そしてゆっくりとアールへと歩み寄ると、そまるで駄々をこねる子供をあやすような手つきでその頬を優しく、優しく撫でた。
「嗚呼、可哀想なアール。 そんな時間は、もうとっくに過ぎちゃったのに……ねえ、ほんとはアールも分かっているんでしょ?」
少女は憐れむ様な表情を浮かべると身を起こし、駆けるアールの姿の後ろ――驚きと恐怖に表情を引きつらせたまま、彼女の背中を見送る三人の式兵を眺めながら、静かに嗤う。
――畏怖、恐怖、惧れ、異端……自分たちとは決して交わる事のない、遠い存在。
それらがヒトと呼ばれる者たちへ対し、最も容易く、最も効果的に伝播する事を少女は知っていた。一度伝播したそれらは膨らみ、渦を巻き――全ての感情と倫理、そして常識すら飲み込んでゆく。アールの背中へ送られるあの三人の視線、始まりに過ぎない。
少女は式兵の視線に、たまらずその身を抱える。
ぞくぞくと仮初の身体を突き抜上げる――快感。
何日も、何年も、何十年も、何百年も何千年も待っていたかのようなこの日に、少女は身を捩る。
「そうよ、アール! 分かってるでしょ? 私たちはあいつら出来そこないとは違う! 私とアールは、ちが……」
(――うるさい)
苛立ちを隠そうともしないアールの意識に、少女は謳うよう紡いでいた言葉を遮られる。
(何度も言わせないで。 ……どいて、わたしは往く。 斑鳩のところへ、往く)
駆けるままの姿のアールが向ける意識は、まるでこちらへと向いていない――
ただ真っ直ぐ、斑鳩たちへと向けられるその意識に……少女の影が、僅かに苛立ちをみせるように揺らぐ。
「……ねえ、私たちはあいつらとは違うのよ。 私たちはトクベツなの。 あんな出来そこないの下らない生き物と一緒に居る必要なんて、これっぽっちもないの。 そうでしょう?」
(……ちがう!!)
少女が奏でる優しい声に、アールの深紅の瞳が強くその色を渦巻かせる。
(……斑鳩と……みんなと繋がっているから、わたしはわたしでいられる。 みんなが居てくれるから、わたしはヤドリギでいられる……! だから、そこを――――どいて!!!)
怒号に近い彼女の意識に、白い少女の影は思わず耳を塞いでいた。
その意識は最初から揺らぐことなく斑鳩へ――いや、Y028部隊へだけ向けられていることを理解すると、少女は憐れむ様な赤い瞳をアールへと向ける。
「……嗚呼、私のアール。 いつもいつも私のお話を、その綺麗な瞳を輝かせながら聞いてくれていたのに……いつも、私が手を握ってあげなくちゃあ震えてたくせに……」
そう言いながら少女が浮かべたのは、まるでこの戦場にふさわしくない――遠い遠い過去を慈しむような優しい、優しい笑顔。白く細い指で思い出を尊ぶようゆっくりと下唇を撫でるその仕草は、愛する者の我儘を余す事なく受け入れ、それでいて至上の幸せを感じているような――そんな、表情だった。
――しかし、それは一瞬だった。
一転、少女はゆっくりと――まるで憎悪に染まりゆく顔を彼女へと見せないよう配慮するように……真っ白な髪をたなびかせ、漆黒の夜空を見上げるようその顔を仰ぐと、純種と交戦する斑鳩たちへと振り返る。
「……あいつらね? 私のアールに悪い夢を見せているのは、やっぱりあいつらなのね? ふふっ……そうだったね? アールは昔からお寝坊さんだったね? 嗚呼、今すぐにでも私のキスで優しく起こしてあげたいけれど……でも」
少女はそうに冷笑すると――一転、紅い瞳を歪め右腕を突き出す。
そして真っ白な手をおもむろに暗がりの夜空へゆっくりと掲げてみせ――
「――でも、もうアールは立派なおとなだもの。 悪い夢からは、自分で覚めないとだね? そうだよね? ……ねえ、私のアール!!!」
そう高らかに嗤うと、その細い指を打ち鳴らした。
――ぎぃいいんっ!!!
指を鳴らしただけとは到底思えない、突如空間中に鳴り響く不快な音。
思わず両耳を抑えたくなるような鈍い衝撃を感じながらもアールは構わず、この時間の止まったような世界においてもなお、全力でその身体を前へと傾ける。
「あのブサイクな出来そこない……私の用意したオモチャじゃあないけれど、少しだけ私の力を共鳴させてあげる。 さあ、さあどうするの? アール。 あなたが本気で戦わないと、みんなみんな死んじゃうかも! だからその姿を、もっともっと、出来そこないたちに魅せてあげて? あなたの"本当の姿"を魅せてあげて!? ……ふふっ、うふふふふっ……!」
少女は白髪を揺らしながら心底楽しそうに嗤うと、再びアールへと歩み寄り――その顔を覗き込む。
「……さあ、悪い夢を見る時間は、終わりにしよう? ね、私のアール……!」
――ざあっ!!
赤く輝く二人の視線が交わった次の瞬間。
少女の気配が不意に消えたと同時、突如世界は音と風を取り戻した。
再び音を刻み始める自らが駆ける音と、斑鳩たちの交戦音。そしてたなびく渦巻いた髪が奏でるような、風を切る音――。
――いかるが、斑鳩!! ……斑鳩!!!
アールは解き放たれ凄まじい速度で前へと送られるその一歩ごとに、踏み出すその瞬間に、何度も斑鳩の名を心で叫んでいた。そうしていないと、この内側から溢れる黒い衝動と、それに呼応するよう鳴動する真っ黒に染まった右腕を何に向ければいいかを、直ぐにでも忘れてしまいそうだった。
何が起こったか、あれが何だったのか、誰だったのか。
そんな事は、すでに彼女の頭の中から吹き飛んでいた。今はただ、あの誰かにも視えていなかったこの黒い糸が結ぶ斑鳩の元へと、一刻も早く辿り着きたい。
彼の傍で、彼らの傍で、わたしがわたしである事を確かめたい――。
――斑鳩が、みんなが言ってくれた。 わたしは、ヤドリギだって!! だから、これが最後でも、わたしは最期まで、みんなのそばにいたい!!
身体の真芯が、いつも冷え切っているこの身体が。
内側で渦巻く様々な感情に、アールは今……焼けるような痛みを感じていた。あの時みたいに――心が焼ける。
ただ、今は彼らと共にあるためだけに、アールは転がる様に、獣の様に駆けていた。
この身体がたとえどんな変異を遂げようとも、斑鳩となら、Y028部隊と一緒ならば。
その先にあるものが何であれ、どんなに恐ろしい結末が待っていようとも、彼らと共に在れるのならば。
斑鳩たちの元へとたどり着くまで、僅か数秒。だが駆け往くこの刹那の時――紅く渦巻く瞳からは、涙の一粒も零れない。きっと今までも、きっとこの先も、わたしはきっと"みんなと違う"のだろう。
――でも! それでも!!
この黒い糸の先……
頼りなくも繋がるこの感覚の先に在る斑鳩の鼓動を、今は自分のもののように感じていられるから。
――斑鳩……それだけで、意味があるよ。 斑鳩が居てくれるから、わたしはきっと最期まで……ヤドリギで居られるから。
アールは純種へ向け大地を強く蹴り穿つと、高く――高く、その身を夜空へと翻す。
漆黒の空に身を委ねながら、黒く染まった右手が、己が向ける純種への敵意に呼応するよう強く震えた様に彼女は感じていた。身体の内側に深く深く根を張る、自身を構成するタタリギとしての側面に意識を塗りつぶされそうになりながら――それでも、渦巻いた白髪の隙間から輝く彼女の紅い瞳は、力強く純種だけを捉え続ける。
――だから、この力は全部……斑鳩の、みんなの為に使うんだ。 みんなを守る為に、みんなと一緒に戦う為に使うんだ!!
黒く塗りつぶされそうになる意識を跳ね退けるわけでもない。飲み込まれるわけでもない。
アールは真っ黒に広がっていく内側から溢れる黒い衝動を、ただ――ただ受け入れ、右腕へと収束させてゆく。
刹那、その意識の奔流がまるで溢れたように……アールの真っ黒な右腕から噴き出す幾重に黒くうねる蔦肉が、互いに結び合い、互いに絡まり合い、右腕の形状を急速に変えてゆく――!
――それが、わたしがわたしでいられる……最後の"誇りと意地"だもの!!!
「――――ッァアああぁぁあぁああぁぁあああ!!!」
墜ちる身体から獣の様な咆哮を上げながら、アールは鋭く大きな鉈のように変異させた右腕を振りかぶり――!!
……――次話 Y028部隊 (15)へと続く。




