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第5話 ふたりは女子高生

 ジリリリリリリ。

 目覚まし時計の音がけたたましく鳴り響く。

「う、うーん……」

 結局、緊張してるからか、ちゃんとした睡眠に付く事なく朝を迎えてしまった。

 奏多はこのままベッドに寝ていても仕方ないと、時計を止めてすぐに起き出した。

 春休みに入ってからゆっくり起きる生活が続いていたので、こんな早朝……といっても朝の7時に目を覚ますのは久しぶりだった。

 中途半端に眠い目を覚まそうと洗面台の冷たい水で顔を洗う。

 台所からはパンを焼く香ばしい香りが漂ってきた。

 朝食の用意が出来るまで、テーブルに腰掛けテレビをぼーっと見ていた。

「奏ちゃんおはよう。あらあら、まだ着替えてないの?」

 パジャマ姿のままだった奏多を見つけ、母親が声を掛けた。

 いつもの青葉家は、家を出る準備を整えてから朝食を取る習慣があったので、普段パジャマ姿で食事するのは休日くらいなものだった。

「うん、後で着替えるよ……」

 部屋に掛けてある制服を敢えて見ない振りして、居間のテーブルに座っていた。

 いざ当日になり、少しでも後回しにしようとしていたのだ。

「ほら、時間ギリギリになったら困るでしょ? なにせ今日は初めての日なんだから時間に余裕ある今のうちに着替えて用意しちゃいなさいよ」

「そうなんだどさ、やっぱりいざとなったら恥ずかしいというか、なんというか……」

「何言ってるの、この前もう見せてくれたじゃないの。大丈夫よ、奏ちゃんよく似合ってたから。ほらほら、お母さんに息子の晴れ姿見せてちょうだいな」

「息子に女子制服着せて晴れ姿なんて言われても~。わかったよ、着替えて来くるよ」

 反抗しても仕方ないのはわかってたので、素直に自分の部屋へ戻る。

「奏ちゃーん、ついでに花音も起こしてきてくれない? あの子まだ寝てるでしょ?」

 そういえばすっかり忘れてた。

 昨日、目覚まし3個かけたとか言ってなかったっけ?

 まったくのんきでいいよな……。

 とりあえず、花音の部屋のドアをドンドンと叩いてから、部屋に戻る。

 ハンガーに掛かった真新しい制服を眺める。

 うん、可愛い。

 見てる分には凄く可愛いし、シンプルながらもお嬢様的な雰囲気がある。

「これを着て行くのかぁ……はぁ……」

 溜め息をつきながらも、ブラウスを着込んでいく。

 さすがに三度目ともなると、逆合わせになっているボタンを留めるのも慣れてきた感じがする。勢いで、そのまま膝上のスカートを穿いていく。

「そういえば、靴下は……」

 箱の中に学園指定の紺のハイソックスがあるのを思いだし、それを取り出す。

 赤いワンポイントの刺繍が入っているのだが、それを良く見ると校章をシンプルにした感じのマークになっていた。細かい所まで気配りされている感じを受けた。

 普段、こういう長い靴下を穿く事なんてないのでヘンな感じだ。

 青チェックのスカートに紺のハイソックス。靴下を穿き終えた自分を見下ろすと、いかにも女子高生という格好であった。試着した時は靴下まで気が回っていなかったけど、いざこうして合わせてみると、紺のハイソックスの女子っぽさが際立ち、途端に自分が女子の格好をしていると実感するのだった。

 その後もカーディガン、リボン、ブレザーを着込んで完成。

 ウィッグを装着し、母親に買って貰った道具を使い軽くメイクを施す。

 本当はメイクを施す必要はないのだけども、なんとなくウィッグをつけた後にメイクをすると落ち着くのだ。

 最後の仕上げで、髪の毛をセットする。この前と同じツーサイドアップだ。他にも色々な髪型があるんだろうけど、妹から教わったのはこの髪型だけだったので、特に疑問ももたずに整えた。

 準備を終えた奏多は、改めて鏡を見る。

 そこにはアンジェリカ学園に通うであろう女子高生の姿があった。

「自分で言うのもなんだけど、女の子に見えるよなぁ。これじゃ」

 じーっと見つめる奏多。

 ふと魔が差したのか、鏡の前でくるっと一度廻ってからスカートの裾をつまみ上げ、ニコっと笑顔のポーズを取ってみた。

「…………って、僕は何をやってるんだああああああああ!」

 我に返った奏多、今度は頭を抱えて叫ぶのだった。

「むっふっふ、おにいちゃ~ん」

 どきぃ!

 誰もいなと思っていた所から、花音の声が聞こえた。

 まさかと思い、ゆっくりと部屋のドアの方を向く。

 ドアは開いていた。

 そういえば、閉めるのを忘れていたかもしれない。

 その開いたドアから、もう制服に着替え終わった花音がこっちをニヤニヤしながら見ていた。

「い、い、い、いつから見てた……の?」

「うんとね、鏡を見つめたあとくるっとポーズを取ってまんざらでもない顔をしてた所あたりからかな~」

「うわああああああああああああ」

 叫びながらベッドにダイブ。

「いいから、いいから。そんだけ元気あったら今日は大丈夫だよ。ささ、朝ごはん食べに下りようよ、あたしお腹すいちゃったよ」


「あら~二人とも最高に似合ってるわね」

 改めて、母親が着替え終わった奏多と花音を感心しながら褒め称える。とても楽しそうである。

「やっぱり男子の制服って華がないわよね、なんというか地味というか面白みがないというか。それに引き替え、ほんとっその制服可愛いわ~。お母さんもあと十年若かったらその制服着られたのにな~」

「ちょっとお母さん、あと十年若かったらってそれでも何歳よ……」

「花音、計算しちゃだめよっ!」

 キッっと怖い目線が刺さる。

「でも、私も高校生の頃はその制服着て学校に行ったもんよ~なつかしい思い出ね」

「「えっ」」

 奏多と花音は顔を見合わせる。

「あら、どうしたの? お母さんもアンジェリカ学園の卒業生よ?」

 さも当たり前かのようにしれっと答えた。

「あたし知らなかったよ……」

「僕も知らなかったよ、道理で妙にアンジェリカを推してると思ったら」

「そうね~奏ちゃんは絶対その制服似合うと思ってたし、母校だし、こんないいタイミングで共学になると思わなかったから驚いたけどね。いや~ん、本当に息子ながらほれぼれしちゃうわ~素敵素敵」

 こんな母親もう嫌だ、心の中で奏多は嘆いていた。


 玄関に置かれたおろしたてのローファーが二足。ひとつは24.5センチ、もうひとつは23センチ。男子にしては小さいけど、こうして並べて見ると男女の差が見える。

 鞄を持って、靴を履いて、いよいよ準備が整った。

「やっぱりその、下の方が落ち着かないんだけど……」

 自分のスカートを押さえながら、奏多がモジモジする。しかし、その姿もなた愛らしく見えてしまうという事はあえて言わないで置く花音だった。

「ほらほら、二人ともいってらっしゃ~い」

「行ってきます!」

「い、いってきます……」

 玄関のドアを開けると、春の暖かい陽気とすずしい風が二人を包み込んだ。

 奏多が女装をして外に出るのはこれが初めてだった。

 玄関から数歩歩いただけで、恥ずかしさのあまり顔が紅潮してくる。

 家の中ではあまり気にならなかったけど、外を歩いているとスカートから出ている足に直接風があたって、自分がスカート姿である事を実感してしまう。

 それに、歩く度に足に当たるスカートのプリーツもまた、ズボンとは違った感触で不思議な気分になってしまうのだった。

 それにローファーだ。

 ヒールがついているのでかかとが高くなり、いつもより視線が高く感じる。しっかりとしたヒールなので、歩いていて転ぶ心配とかないのだけど、その数センチがまた地面に足がついていないような感覚になって歩きにくい。

「あのさぁ、花音……」

「何、お兄ちゃん?」

「女の子ってさ、こう上半身の方は色々と着込んでいるけど、なんというかその、下……の方っていつもこんなに無防備というか、スースーしてるもんなの、かな」

 そうなのだ。

 初めて女装して外出すると、上半身と下半身とのギャップに戸惑うのだ。スースーする、とは初めてスカートを穿いた時に出る感想の定番とも言えるものだけど、実際のところ本当にスースー感じるものである。

「あたしはずっと慣れてるからどうも感じないけど、こんなもんかしらね。あたしはあんまり着ないけど、ズボンの時は反対に動きにくく感じちゃうかな」

「女の子は凄いなぁ、なんかすごく頼りないんだけど……」

 なるべき周りの人と目が合わないように俯きながら歩く奏多。

 どうにも、すれ違う人が自分をチラっと見てたり、通り過ぎた人が振り返って見てるんじゃないかと、色々と被害妄想をしてしまう。

 「スカートとかすぐに慣れるって。足は出してても平気だよ。冬だって寒いは寒いけど、上着とかコート着れれば平気だしね」

 そう言われて、奏多は冬の女子高生の姿を想像してみる。

 上はマフラーやらコート、セータ、手袋とこれでもかと防寒装備しているのに、下は膝上のスカート。もっともタイツを穿いていても、たまに生足の女の子も見かけたものだ。なるほど、そんなものなのか……と、納得したような納得しないような。

(よく考えたら、自分も冬になったらそういう格好になるのか……)

 色々考えてると憂鬱になるので、奏多は考えるのをやめる事にした。


 家からそこそこ離れてくると、ようやく少し落ち着いてきた。

 玄関を出る瞬間こそ、恥ずかしくて恥ずかしくて死にたい気分にもなったものだけど、それを通りこれば案外大丈夫なものだ。

 だんだんと落ち着いて周りの様子を見る事も出来るようになってきた。

 アンジェリカ学園は最寄りの駅から電車に乗って5駅先。電車通学だ。駅に近づくと、通勤通学客でそれなりの人混みになる。

 こうなると、人の波に呑まれて自分の格好など気にならなくなってきた。

 見られていると思ってた他人の目だったけど、特に気に留めるような人はいなかった。

 奏多は緊張と恥ずかしさの糸も切れ、平常心を取り戻した。

「どうしたの、お兄ちゃん?」

「あ、いや。思ってたより大丈夫なのかな、って」

「でしょ~。お兄ちゃんは気にしすぎなんだよ」

「そうだったのかな?」

「そうそう。堂々と電車に乗って、堂々と学校に行けばいいんだよ」

 花音は、奏多がどっから見ても女の子に見えるから誰も気に留めないんだよ、とはとても言えなかった。

 そこからは早かった。

 電車は混雑してたけれども、5駅なんてすぐだ。ちょっと我慢すれば最寄り駅だった。そこから学校までは徒歩5分ほど。

 校門の前は桜並木だった。

 入学式に桜の満開が合わさったのは運がよかった。

 桜吹雪の中、アンジェリカ学園の制服を着た女子高生達が期待を胸に校門をくぐる。自分もその女子達と同じ制服を着ている。ここに来て、またそれが頭をよぎる。

 とたんに落ち込む奏多。

「お兄ちゃんどうしたの? ここまで来たら覚悟を決めちゃいなよ」

「そんな事言われても……」

「入学式から遅刻なんて、あたし嫌だからね。それともお兄ちゃんこっから一人で行く?」

「花音~それだけは勘弁してぇ~」

 そんなやりとりをしながら、奏多と花音はアンジェリカ学園の校門をくぐった。 


「それにしても女の子ばっかりだね」

「確か、僕と同じ男子生徒がいるはずなんだけどなぁ、3人だけって言ってたけど」

 クラス分けが書かれている掲示版前に人だかりがあった。

 どこを見ても女子、女子、女子。

「いないなぁ、男子。どこに居るんだろう?」

 キョロキョロと、新入生を見回す。

 奏多は少しでも早く、自分と同じ境遇であろう男子生徒を見つけたかった。

 早めに来てもう教室へ入ったのか、それともまだ来てないのか。そんな生徒は見つからなかった。

「お兄ちゃん、ひとついいかな?」

「あ、うん」

「男の子探してるみたいだけど、もしあたしが同じ立場だったら、ここで男の子を探そうとしても、ひとりも見つからないような気がするな」

「やっぱりいないよね、ここじゃないのかもしれない」

「そうじゃなくてー。ほら、ひとりいるじゃない男の子」

「えっ、どこどこ?」

 目を走らせるけど、その目に男子の姿は映らない。

「ここ」

 花音は奏多を指差した。

 理解出来ない奏多。

「お兄ちゃんは男子生徒だけど、この中にいるとどう見ても女子にしか見えないよ。多分、あたししかわかってないんじゃないかな。どこからどう見ても、お兄ちゃんは女子です。女子高生です。JKです!」

 びしっと言い放つ。

 それは最初の目的としては見事に達成した事項だったが、男子として完全に何かを失った瞬間であった。

「つまり、お兄ちゃんはもう女子高生として馴染んでる。だから、残りのふたりの男子も多分どっかに馴染んでるんじゃないのかな」

 奏多はその場で固まっていた。

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