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第3話 初めての女子制服

「お兄ちゃん、頼まれてたの買ってきたよ~」

 昨日、奏多は花音にある物を買ってきて欲しいと頼んでいた。決心してしまえば案外気が楽になるもので、なんとかなるという気持ちの方が強くなっていた。

 何事も、出来ない理由を考えるより出来る方法を考えろと言った所か。

「お兄ちゃんも一緒に来れば良かったのに。あたしが勝手に選んじゃってよかったの?」

「だってその、なんか恥ずかしいし……」

 全部が全部吹っ切れているわけではなかった。

「毎日使うものだから結構高いのにしたけど、これでいいかな」

 花音が袋からゴソゴソと、やや茶色がかった黒い塊のようなものを取り出した。

 それは、ウィッグだった。

「じゃーん、どうどう? 可愛いでしょ!」

「別に可愛くする必要はないんだけど……」

「だめだめ、どうせなら可愛い方がいいに決まってるよ。そうじゃないと意味ないじゃないの」

「あんまり目立たない方がいいんだけど……」

「ノンノン。こういうのはね、ある程度目立った方がいいんだよ。中途半端にやると失敗しちゃうよ」

「そういうもんかな」

「そういうもんです!」

 ビシっと指差して断言する花音。

「あたしは嬉しいよお兄ちゃん。ついにやる気になってくれたから、コレはあたしもそれ相応のお手伝いをしなきゃいけないと! あと4日しかないんだから気合い入れて可愛くなろうね」

 奏多が花音に手伝って欲しいと言ったのは、こういう事だった。

 青葉奏多として女子制服を着てアンジェリカに通うのは男として辛い。

 幸い、今回の事を知っているのは知っている限り学校関係者と家族だけだ。

 そうであれば、いっその事見た目から女の子に見えるようにすれば、学校に通えるんじゃないかと考えた。

 幸い、自分は小柄で足も綺麗だ。声だって男にしてはかなり高い。顔も妹似とずっと言われ続けたくらいには女顔だ。問題は髪型だった。花音と違って普通に短くカットしているせいで、さすがにこの年になってまで女の子と間違われる事はなかった。

 そこで奏多はアンジェリカの規定を確かめたのだ。結果として、ウィッグを被ってはいけないという文章は何処にも書いてなかった。

 髪の毛さえごまかせればきっとバレない、奏多はそう考えた。

 通学中に知り合いに偶然会ったとしても、まさか女装しているのが自分だとは想像もしていなだろうし、さっとすれ違えば気がつかないだろうと。こちらも見て見ぬふりしてやり過ごせば問題ない。

 学校の中は内情を知っているであろう生徒と先生しかいないだろうし、恥ずかしいけどもそれはなんとかなるだろう。

 色々と妄想シミュレートした限り、服を着るのを我慢さえすればなんとかなりそう、いや絶対大丈夫だろうという謎の自信が付いたのであった。

 果たしてウィッグだけで誤魔化す事が出来るのか、この時にはそんな疑問さえ涌くことはなかった。


「で、どうやって付けるんだこれ?」

 ウィッグを手に取ったものの、勝手がわからない奏多。

 被るんだろうという事はさすがに理解出来たけど、帽子みたいには上手くいかない。

「お兄ちゃん順番が違うよ、順番が」

「順番?」

「ほら、こっちの小さい袋に入ってるやつを出してみてよ」

 ウィッグの袋の中に、もうひとつ肌色でくしゃくしゃした小さなものが入っていた。

 奏多はそれを出して広げてみる。

「なんだこれ?」

「それはね、ウィッグネットって言うんだよ。まずはそれを思いっきり広げて、頭の上から首の方までグイッと引っ張ってみて」

「う、うーん、こうかな?」

「そうそう。次はそっからゴムの入ってる方を下にしておでこの所まで上げていくの。その時に髪の毛を上に上げるようにして……」

「こ、こうか?」

「違う違う、行き過ぎだよ~。髪の毛全部がネットの中に入るようにしないと。ほらほら、やり直して」

 試行錯誤しながら、ようやくウィッグネットを装着した。

 鏡を見ると、なんだか丸坊主になったような不思議な感じだ。

「へぇ、結構髪の毛ってぺったんこになるもんだな~」

「そうだよ~。女の子の長い髪の毛もこうしてネットで抑えると意外なほど収納できちゃうんだから」

「今まで、女の子がウィッグ被る時ってどうしてるのか疑問だったけど、そういうことだったのかぁ……」

 次に花音がウィッグ本体の中をまさぐっていた。

「ほら、ここの中を見て? 両側に引っかける小さいベルトみたいなのがあるでしょ? これを自分にあった所に合わせるわけ。まずは真ん中にセットしておくから、一度付けてみて大きかったり小さかったりしたら、その時にまた調整すればいいから」

「なるほど、勉強になるな……」

「花音先生と呼んでくれてもいいのよ」

「やだよ」

「ちぇっ」

 花音は何も知らない奏多に、女子の知識を色々と教えてあげるのが楽しくなっていた。

 あれだけ嫌がっていた奏多も、妹が一生懸命自分に協力してくれるのを感じてるのか、抵抗が薄れてきているようだった。

 最初のハードルを超えてしまえば、そこからは早い。

「……これでよしっと。じゃあ、ちょっと被ってみて。前からネットと肌の継ぎ目あたりにウィッグを当ててそのまま頭を覆うように後ろに引っ張ってくの。引っ張りすぎると額の所に継ぎ目見えちゃうから、そこは気をつけてね~」

「うん、わかった、こうかな……」

 普段耳とか首とか肩など、髪の毛が当たる事なんてなかった所に髪の毛が当たる不思議。ちょっと前髪が邪魔で前が見えない。

「こっち向いて、お兄ちゃん」

 花音が細かい位置をセットしてくれる。

 最後に前髪を綺麗に流して完成。

「え、うそ、やだ……」

 ウィッグ装着完了した奏多を見て妹は目を丸くしていた。

 しばらく次の言葉が出て来なかった。

 逆に奏多の方はその顔を見て不安になる。

 やっぱり無謀だったのか。

 ウィッグ被っただけで女装になるというのは浅はかな考えだったのか。

 急に現実に戻されたようで、一気に不安が増長されてしまう。

「……ううっ、やっぱり僕には無理だ」

 こんな事ならと、ウィッグを取ってしまおうとする奏多の腕を、花音が止める。

「違う、違うよ、お兄ちゃん!」

「離してよ花音! 何が違うんだよっ」

「いいから、鏡を見てよお兄ちゃん、ほらほら!」

 腕を捕まれたままの奏多が横にある鏡を恐る恐る覗く。

 そこには、二人の女の子の姿があった。

 一人は髪型をポニーテールにした女の子。

 もう一人は髪を下ろしている女の子。

 奏多は鏡に映っているものを理解できなかった。

「え、あれ……?」

 腕の力が抜け、その鏡をさらにのぞき込む。

 すると、鏡の中にいた髪をおろした女の子ものぞき込んでくる。

「これが……僕なの?」

 鏡に指が触れた瞬間、その二人の指が繋がった。

「そうだよ、凄いよお兄ちゃん! ウィッグつけただけでこんなに可愛くなるなんて! これで女の子の服を着れば絶対に女の子に見えるよ!」

 ようやく鏡の中の自分が自分だと理解した奏多。

 照れたのか、顔が赤くなってしまった。

「ふあぁ~お兄ちゃん可愛いぃ~」

 照れる兄を見てはしゃぐ妹。

「お兄ちゃん、昔からあたしにそっくりって言われてたし、やっぱり似合うじゃないの。ホントに可愛いよ、お兄ちゃん可愛い!」

「……それって、花音は自分が可愛いって言ってないか?」

「はにゃ!?」

「その、なんだ。僕が可愛いって褒めてくれてるけど、それは間接的に自分も褒めてるんじゃないのかな、って……」

「はにゃにゃ……!?」

 可愛いを連呼してた花音は、奏多にそう言われてようやく意味がわかった。

 その途端、花音の顔も真っ赤になる。

 照れる兄を見てはしゃぐ妹が照れてそれを見る兄の図。

 なんかややこしい。


「次はいよいよだね、はいブラウス」

 ウィッグを装着した奏多は、その勢いで奨められるままにブラウスを手に取った。

「ブラウスは別に恥ずかしくないでしょ、ほら早く」

「う、うん。わかったからそんなにせかさないでよ……」

「だって早くお兄ちゃんの制服姿見たいんだもん」

「結局それかっ」

 ブラウスとはいえ、これはワイシャツとそんなに変わらないだろうとさっと腕を通す。心なしか袖が細い気がする。

 そして、問題はボタンだ。これはわかっていたけど初めてだと戸惑う。言うなれば、今まで右利きだった人が突然左手で鉛筆を持てと言われるような感じだ。

 不器用風にボタンを留めて行く。

 これまた途中で気がついたが、ワイシャツのゆったり感と違ってボタンを締めるにつれ心なしか窮屈だった。それと、丈も短いようだ。

「お兄ちゃん、一番上のボタンも留めないと駄目だよ」

「そうなの?」

「そうだよ~女子はリボン付けないといけないから、一番上のボタンは普通留めるんだよ。特にアンジェリカの生徒はみんなちゃんと留めてるよ」

 中学の時、男子は一番上のワイシャツはラフに外しておくものだったから、きゅっと締まった首の所がなんだか落ち着かない。

 全部のボタン締め終わって鏡を見ると、いつものワイシャツとはシルエットが違っていて、そこでこのブラウスが女子用である事を実感するのだった。

「次はこれね、はい」

 ブラウスを着たタイミングで、花音が奏多に差し出してきた。

 それを受け取ろうとした奏多は、寸前の所で止まってしまう。

「い、いきなりスカートは……」

 それは青いチェックのスカートだった。

 やはり男子にとって、スカートは特別な存在だった。

 上着と違っておおよその男性にとって全く縁のないものがスカートだ。

 スカートを手渡されそうになった瞬間、ドキっと心臓が跳ねてしまった。

「花音……まだちょっとスカートは心の準備が出来ていないというか、なんというか……」

「だって、ブラウスの次はスカート穿かなきゃ次にいけないじゃない」

「最後の砦というか、何か大事なものを失ってしまいそうというか……」

「ここまで来て何言ってるの、お兄ちゃん」

「穿くよ、穿くけど……もう少し後の方がいいかな、なんて……」

「もう仕方ないなぁ、じゃあこれ着てよ、カーデならいいでしょ」

 制服と一緒に箱の中には指定のカーディガンも入っていた。クリーム色で、ブラウンの縁取りがしてあるものだった。

 カーディガンは男女の差はあまりないので、抵抗なく着る事が出来た。

「はい、次はリボン。ここのリボンはゴムで止めるタイプだから簡単でよかったね、ブラウスの襟の中にゴムを入れるんだよ」

 リボン。

 いよいよもって、完全に女子なアイテムだ。

 アンジェリカ学園の制服の特徴とも言えるのが、他の高校と比べても大きい赤いリボンだった。男子のネクタイとは違う、華やかなアイテムだ。

「これは絶対付けないと駄目なもの?」

「駄目」

「ほらほら、もうウィッグも付けてカーデまで着てるんだからさ~。もう面倒くさいからあたしが付けてあげるね、はいっ」

 そう言いながら、無理矢理にリボンを付けてしまった。

 奏多の顔が熱くさらに赤くなってきた。

「なによリボン付けたくらいでだらしないな~」

「だ、だって初めてなんだもん、仕方ないじゃないかぁ」

「可愛いから大丈夫だよ」

「……フォローになってない、よ」

 最後は壁に掛けてあったブレザーを取り出す。左胸に大きなアンジェリカのエンブレムが付いている2つ釦で濃紺のブレザーだ。

 それを奏多の肩にかけてあげて、袖を通させた。

 上半身の女子高校生姿が完成した。男子だけど。

「はぁ~ヤバい、ヤバいよ! これホントにあたしより可愛くなっちゃってるじゃん、どうするのよあたし……がっくりだよぉ」

「そんな事ないだろ、花音は女の子なんだし」

「だって見てよ鏡を! 可愛すぎるでしょ!」

 鏡の中には確かに可愛い女子が立っていた。その姿を見てちょっと可愛いかもしれない、と一瞬思ってしまったのは内緒にしておいた奏多であった。

 しかし、その女子高校生。可愛いのは可愛いのだけども、下はルームウェアのズボン。いわゆるスウェットという奴だった。アンバランスにも程がある。

「というわけで、お兄ちゃん。はい」

 笑顔でそのアイテムを渡す花音。今度はそれをちゃんと受け取る奏多。

 そう、残されたアイテムはスカート。

 生まれて初めてのスカート。

 心臓がどきどきする。

「自信持って、お兄ちゃん」

「う、うん……」

「そうだ、とりあえずスウェットの上からそれ穿いちゃえばいいじゃない。そしたら平気だよ、多分」

「な、なるほど。それはいいかも、しれない、かな」

 途切れ途切れだった。スカートを穿く、という事を考えると本当に顔から火が出そうになってしまう。奏多は胸をおさえ、ゆっくりとその気持ちを鎮めた。

「よしっ」

 意を決めてスカートに足を通した。まずは右足、そして左足。そのまま腰の部分までスカートを持って行った。

「スカートはズボンより上の位置に持って行くんだよ。ほら、お腹で一番細くなってる所があるでしょ? ってあれ、なんかまっすぐだね」

「そりゃ僕は男だし……」

「あ、忘れてたよ、てへっ」

「勘弁してよぉ~」

 ホックを前に持ってきて留め、そのままファスナーを上げてみる。

「ホックはそのまま左側に持ってきて、ほらファスナーの所にポケットがあるでしょ?」

 良く見るとファスナーの所に手を入れる所があった。スカートにもポケットがあったんだと初めて知った奏多は、そのままスカートを左側に回す。

 ついに穿いてしまった。スカートを穿いてしまった。

 ふぅ、と溜め息をひとつ。

「じゃあお兄ちゃん、ズボン脱いじゃおうね~それっ」

「う、うわ~」

 油断した瞬間を狙って、奏多の穿いているスウェットをばーっと下ろしてしまった。

「これで完成だよ!」

 ズボンの上からスカートを穿いていた安心感はどこにいったのか、下半身がスースーする。たまに肌に触れるスカートのプリーツがくすぐったい。

 足に直接風があたる感触が不思議だった。

 スカート丈は膝上20センチくらいはあろうか、結構短いものだった。

「うおおおおお、可愛い可愛い可愛い!」

 完全に女子制服姿になった奏多を見て、花音が叫ぶ。

 スカートってなんでこんなにも女の子を可愛くするんだろうか。男だけど。

 可愛い制服を可愛い女の子が着ると可愛さ倍増だよね。男だけど。

 自分より似合ってるのがちょっと悔しい。男だけど。

「こ、これ、思ったより恥ずかしすぎるんだけど」

 ズボンを脱がされた事で最後の命綱を外された気分だった。

 これが奏多初めての女装だった。

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