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第2話 入学への決意

 アンジェリカ学園の入学式まであと一週間。

 制服だけでなく、通学用の鞄と通学靴、上履き、体育用のジャージなどが青葉家に届けられた。

 さすがに通学鞄はそんなに恥ずかしくないものじゃないかと思ったていたが、装飾されたボタンや所々にあるお洒落なカッティングなど、お嬢様風になっていた。

 通学靴は茶色のローファーで、後ろには少しだけヒールが付いていた。ヒールさえなければまだ良かったのだが、このせいで誰がどう見ても女子っぽい感じになっている。

 そして体操服だ。

 奏多はその体操服を見て絶句してしまった。

 ジャージはいわゆる男女兼用な感じのもので特に問題はない。多少細身な感じを受けるが、他のものに比べればなんてことない。学年カラーが決まっているようで、一年生はエンジ色のジャージだった。

 問題は次にあった。

「さすがに、男子生徒にこれを着ろとは言わないよね……?」

 上着は丸首で、こちらも首回りと袖の部分にエンジのラインが入っている。胸にはアンジェリカの校章がプリントされている。

 そして、その下にあったのは紺色をしたある物だった。

「でもお兄ちゃん、指定って書いてあるのはやっぱりコレしかないからね。というか、これはさすがに女のあたしでもちょっと恥ずかしいような……」

 そこにあったのは、現在ではすでにほとんど見かける事のないブルマだった。

 紺色の一見パンツにも見えるそれは、かつてほとんどの女子が体育で履いていたブルマだった。

 アニメなんかの世界では未だにブルマを見かけるので、それがどういうものかは奏多も花音もわかっていたが、いざ現物を見る事になるとは思ってもいなかった。

「噂でまだブルマを採用している学校があるとは聞いてたけど、まさかアンジェリカだったとはね~困ったねぇ。よく考えたら、普通の人は制服は知ってても体操服までは知らないもんね。多分、女子校だったからずっと伝統のまま残っていたのかもしれないね」

 花音はブルマを手に取って、にゅーっと伸ばして見ている。

 正直、奏多はそのブルマを見ているだけで顔から火が出るほど恥ずかしかった。

 同じ布という材料を使っているだけなのに、何故か女の子用というだけで触ってはいけない、禁忌なもの、という感覚に襲われる。

「ちょっと恥ずかしいからそんなに広げないでよ……」

 奏多は目をそらしながら、花音にそう言った。

「何いってんのよ、お兄ちゃんもブルマ穿くんだよ?」

「は、穿けるわけないだろっ……その、なんだ、さすがに無理無理! 体育はジャージだけ着て受けるから大丈夫」

(そうだ、ジャージの上に穿けば何も問題ないじゃないか……ふぅ)

 ブルマを見て動揺したものの、奏多はそれに気がついてほっと胸をなで下ろした。

 そもそも男子がブルマを穿いてる姿を想像してみればいい、女子と違ってその……あれが目立って仕方ないし、誰も得しない。冷静にそんな事を頭に描いていた。

 夏は暑いけど長ズボンで仕方ない、上は問題ないしね。

 そう安堵したが……

「お兄ちゃん、ちょっとここ見てよ」

 前に見せて貰った入学案内の制服のページを読んでいた花音が割り込んできた。

「ほら、ここの所に注釈が書いてあるよ」

 花音が指差したそこには「注」として書いてあった。

「なになに……体育の授業は11月から2月の冬季期間を除き半袖・ブルマで受ける事。但し、授業以外で体操服を着用する場合はジャージも可」

 うなだれる奏多。

 もちろんそこには、男子女子に関する規定は書かれていなかった。

 書かれていないという事は、男子も今まで同様女子校時代の規則に沿うという事だ。

「勘弁してくれよ……ホントに僕、ここでやっていけるのかな……」

「慣れだよ、大丈夫。だって、あたしも一緒だしね」

「花音は女の子じゃないか」

「それはそうだけど~。あ、そうだ! ちょっと試着してみようよ。お兄ちゃんってば、まだ制服貰ってから一度も着てないし、ちょうどいいじゃないの」

 突然そう提案してきた。

「もう来週にはそれ着て、しかも外に出て、さらに言うとみんなと一緒に授業受けるんだよ。むしろいきなりそんな状況で始めて着る方がよっぽど嫌だと思うんだけどな~」

 正論ではあった。

 あれから毎日のように試着を奨められるものの、踏ん切りが付かずにこうして時間だけが過ぎてきたのだった。

 奏多は髪を伸ばしている以外、花音と顔も体型も良く似ていた。

 男子にしては背も低い方だし、足のサイズも24センチだ。おまけにやせ形。髪型だけは短くしているが、髪質がサラサラしているだけに小さい頃は二人でいると女の子の双子に間違えられる事も度々あった。

 それだけに、奏多は人一倍女の子の服を着せられるのを昔から嫌がっていた。

 双子の女の子がいるということは、家に女の子の服がいつもあるということ。

 親戚や親、あげくには花音だったりが、面白がって何度も花音の服を奏多に着せようとしていたのだ。

 それを毎回すんでの所で逃げ回っていた奏多にとって、女の子の服を着る事……つまり、女装への嫌悪意識がついてしまっていたのだった。

 花音はここぞとばかりに、ようやく奏多に女の子の格好をさせられると思ったのか、毎日毎日タイミングを見ては奏多に女装させようとしてくるのだ。

「いいよ、わかった。まずはあたしが着替えてくる!」

 そう言って奏多の答えも聞かずに自分の部屋に戻っていった。

 そして数分後、バタバタと足音が聞こえてきた。

「じゃ~~ん、ほら、どうだ! ブルマ穿いてきたよ!」

 目の前に現れたのはブルマ姿の花音だった。

 ショートパンツやハーフパンツと違い、びちっとしたそれは太ももを予想以上にあらわにしていた。

「お兄ちゃん、これ思ったよりも動きやすいよ。なんかこう、身体にフィットしていい感じだね~」

 そう言いながらクルっと回転した。

 ブルマに包まれた花音のお尻が見えた。

「ちょ、花音……!」

 どきんっ。

 ブルマに包まれたそれを始めて見た奏多は、あまりにも男ではあり得ない格好に恥ずかしさが爆発した。

「ブルマってなんか恥ずかしいとかダサいとか思ってたけど、なんか結構可愛い気がしてきた! ほら、お兄ちゃんもはやく着てみようよ~」

 むりむりむりむり!

 妹のブルマ姿を見ただけでこんなになるのに、ましてや男の自分がそれを着るなんて考えられない。

「……僕、アンジェリカ行くのやっぱり辞める」

 震えた声でそう言った。

「そんなぁ、もう来週だよ。高校行かなくてどうするの?」

「どっかで働くよ……」

「そんなの無理に決まってるじゃない、お兄ちゃん身体小さいし力もないし、何の仕事するって言うの?」

「そんなのやってみないとわからないよ、女の子の格好して学校に通うなんてやっぱり無理だよ!」

「何よ服ぐらいで、お兄ちゃんがそんなに弱いとは思わなかった」

「弱くていいよ、女の子の服を着るくらいなら……」

「お兄ちゃんの馬鹿! 意気地なし!」

 大声でそう叫んだ花音はそのまま自分の部屋に走っていった。

 部屋には奏多だけが静かに取り残された。


 次の日になっても花音の機嫌は治らなかった。

 結局、ご飯の時も口を聞いてくれず、母親も何があったのか不思議そうにしていた。

 もっとも妹はたまにこんな風に機嫌が悪くなる事があったので、深くは追求される事はなかった。

 そんなわけで、その日は一日中こんな調子。

 さらに翌日になっても花音の態度は変わらなかった。奏多はさすがに家の中には居づらくなり、行く当てもなく近所を浮かない顔で散歩していた。

「よっ、青葉じゃねーか。どうしたんだ?」

「……なんだ芹沢か、卒業式以来だな」

 芹沢勇太。中学の時の同級生だった。

「確か青葉はアンジェリカ学園だったよな。いいよな~元女子校だけあって先輩もみんな女子、同級生だってどうせ女子が多いんだろ?」

「まぁな、大半が女子生徒かな、はは」

 どう答えていいかわからず、適当に相づちを打った。

「俺なんか工業科だからほとんど男だぜ、男! むさい男衆の中で高校生活を3年も送るとか考えたらお先真っ暗だよ。出会いもなにもあったもんじゃないな。話によると、今年の女子は3人だけらしいし。あーあ、青葉がマジ羨ましいぜ」

 奏多の憂鬱など知らず羨ましがる勇太。

 逆の立場だったら自分もそう思ったに違いないけど、何より今の状況でそんなに羨ましいなら替わって貰いたいくらいだ。

「うちも男子3人だけなんだ……」

「マジで!? なにそれ、ハーレムじゃんハーレム! いやぁ、ギャルゲーみたいな展開とかホントにあるんだな。俺もアンジェリカ受ければ良かったぜ」

「そんないいもんじゃないから」

「なんでよ?」

「だって……」

 アンジェリカ学園に行くのはみんな知っていたが、まさか制服やその他色々なものが男子も女子用という事実はおそらく誰も知らないだろう。

 さすがに自分の口からも言えない。

 考えてもみたら、高校になるとこうして偶然知り合いに出会う可能性もあるわけだ。

 そんなに大きな街でもないので、可能性としては充分ある。むしろ、誰にも会わないなんて事があるはずない。

(どうすればいいんだろう……アンジェリカの制服姿なんて絶対友達なんかに見せられないし、言えるわけないよ)

 思ってもなかった事に気がついた奏多は、みるみる顔が青くなってしまった。

 どうしよう。

「おい、青葉? どうしたんだよ、顔色悪いぜ?」

「ああ、うんちょっと、そう、風邪気味……なんだ」

「おいおい、もうすぐ学校始まるのに体調悪くしてまでこんな所歩いてていいのかよ。早く帰って、薬でも飲んで寝てろよ。お前、家にも可愛い妹いるんだから看病してもらえ。ほんと、恵まれてるよなお前は。ほら、いったいった」

「う、うん……」

 芹沢勇太はそういいながら奏多の背中を叩き、去って行った。

 残された奏多はふと考える。

 今は普通の男子の格好で外を歩いている。

 つまり、顔見知りであれば誰に会ったところで青葉奏多であるとわかってしまう。

 もしアンジェリカ学園の制服を着て外を歩いていたらどうだろうか?

 やはり、すぐに青葉奏多であるとわかり、それこそ奇異な目で見られるだろう。

 じゃあ青葉奏多であるとわからなければ?

 …………。

 ……。

「僕が青葉奏多だとわからなければいいんじゃないか?」

 当然、アンジェリカ学園の中では青葉奏多である。その事実は誰にも変えられない。でも、学園の外でそれがわからなければ、3年間学園で耐えれば乗り切れるんじゃないか?

「僕が青葉奏多だとわからなければ……か」

 何か思いついたのか、小さくよしっと決心がついたかのように、自分の拳を握った。

 まだ完全に吹っ切れたわけじゃないけど、奏多はアンジェリカ学園に通う事に対して前向きになっていた。

 あと残り5日もある。

 そう心の中で唱えた。


 家に帰った奏多は入学案内の制服規定のページを読み返した。決心したとはいえ、体操服規定の部分を読むと心が折れそうになったが、今はそんな場合じゃなかった。

 更に気にもしてなかった水泳の授業についての記載を見つけたが、今はもう考えない事にしていた。

「よし問題なさそうだ」

 奏多が確認したのは頭髪規則と、身だしなみ規則の部分だった。

 そこには「清潔に見える事、学生らしい事、他人に不快感を与えない事、アクセサリーは髪の毛に限り過度でなければ可」と書かれてあるだけで、それ以上は特に細かく規定されているものではなかった。

「やらなきゃ駄目なんだよな……」

 決心したものの、本当にそんな事出来るのか不安になった。

 でも一人じゃない。

 妹の花音がいるんだ。

 その事だけは心強かった。

 もう迷っている時間はなかった。

 奏多は花音の部屋にノックもせずに入り「花音、本当にごめんなさい」と深く頭を下げた。

 いきなり部屋に入ってきた兄に驚きながらも、元々は仲の良い兄妹。すぐに「いいよ、お兄ちゃん」と柔らかい笑顔を見せるのだった。

「花音、僕はアンジェリカ学園に行くよ。だから、ひとつお願いがあるんだ」

「お願い?」

「うん、実は……」

 入学式まであと5日。

 台所からは夕御飯だろうかカレーの香りが漂っていた。


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