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アン王女になりたい娘と、王女になれなかった私

「マンマ! プレゼントありがとう!」

「ブリギッタ、プレゼントはサンタさんからでしょう?」


 訪問販売員が置いていったカタログに目を通しながらブリギッタに言い聞かせた。ため息が聞こえ目を上げると、ブリギッタは嫌そうに唇を突き出していた。


「マンマ、私はもう10歳だよ。学校の友達もみんなサンタなんておとぎ話だって知ってるよ」

「あらあら」と私はカタログを脇に置いた。「じゃあクリスマスプレゼントは辞書の方が良かったかな?」

「やだ! 罰ゲームじゃん!」


 クスクスと私は笑った。ブリギッタは絨毯に座り、プレゼントの包みを開けた。それからパァと目と口を開いた。


「マンマ!? これって!?」とブリギッタはプレゼントの本を掲げた。

「うん。パパがイギリスまで行って買ってくれたのよ」

「ホント!? さっすがパパ!」


 ブリギッタは顔いっぱいに喜びをたたえ本を持ち立ち上がった。だがすぐに寂しげに座り込んだ。


「そう言えばパパ、今日もお仕事だったね……」

「そうだね」と私は椅子から立ち上がった。


 ブリギッタの横に座ろうとしたが、お腹で足がつっかえった。横座りになると大丈夫だった。


「ブリギッタ。パパが戻って来る時にその本の感想を言いたくない? 1巻から3巻はもう読んだんでしょ?」

「確かに!」とブリギッタは顔を上げた。


 ブリギッタは本を開いた。まだドイツ語に翻訳すらされていない、今年イギリスで出版されたファンタジー小説だった。トルコ人のように胡座をかき読み始めた。読み進めるごとに少しずつ顔と本との間の距離が縮んでいった。


 私は小さく笑うとカタログを開いた。先日ジョヴァンニがミシンを注文してくれた。年明けに届くだろう。ミシンさえあれば赤ちゃんのドレスをたくさん作れるようになる。赤ちゃんの服は多ければ多いほどいいからね。2階にある自分の部屋に行った。昔、ブリギッタのために作ったベビードレスの型紙がまだ残っていた。ふふ、と埃を払った。この型紙を使うのは何年ぶりだろう? 何度もダメだったが、今度の子はもう大丈夫だろう。ぐに、と子どもがお腹の中で蹴った。お腹を撫でた。

 ダブルガーゼを取り出してみた。うん、2着くらいなら作れそう。今度買い足そう。

 ベッドに寝転がって少し休んだ。お腹が大きくて圧迫されるし、引っ張られる感じもあって苦しい。


 ハアと階下に行くと、ブリギッタがうっとりとした顔で本を読んでいた。私はブリギッタの隣に座ったが、熱中しているのか気付かれなかった。ブリギッタの暗い金髪に触れた。アン王女がチャーミングだった、と先日美容院へ行き髪を短く切っていた。

 私から見ると髪の色が違うせいでオードリー・ヘップバーンとは違う印象となっており、生まれつきの巻き毛もあり活発でお洒落な女の子にしか見えない。

 撫でているとブリギッタが顔を上げた。


「マンマ!」と頬は星のように紅潮し、瞳が炎のように輝いている。「今度のナルニアも最高だよ! 聞いてよ! 今度はね、地下の世界へ行ったんだよ!」

「そうなの? 地下の国ってアリスみたいね」

「マンマ!」とブリギッタは本を膝に置いた。「アリスは地下へは行かないよ。それよりね、リリアン王子が解放されるシーンはさいっこうにカッコよかった! だってね」


 それからブリギッタは熱っぽく早口で流れるように喋り始めた。私はうんうん、そうなの、と頷きながら椅子に座った。興奮の冷めぬブリギッタは絨毯の上で胡座をかいたままだ。

 喋っているうちに頬の色は落ち着きを取り戻し、ブリギッタはうっとりと息を吐いた。


「ねえ、マンマ。もぎたてのルビーの房、ダイヤモンド・ジュースってどんな味なんだろう?」

「なに? それ」と私は眉を顰めた。硬そう。

「地下のビスムの国の名物っぽいよ。美味しいのかなぁ?」

「知らないわよ。そもそも何それ?」

「この辺りに出てきた」とブリギッタはページを捲り始めた。「ほら」

「うーん」と私はゆっくり頭を動かしながら読んだ。「たぶん……美味しいんじゃない? そうじゃないと勧めないだろうし」

「そっかぁ」とブリギッタはつまんなさそうに肩を竦めた。


 ほ、と息を吐いた。良かった、あまり追求されなくて。私は本のタイトルに目を向けた。

 ジョヴァンニにしか言っていないが、英語での読み書きは得意でなかった。私が使えるのはドイツ語、フランス語、簡単なイタリア語。それから……。

 読書を再開したブリギッタを見つめた。私の青い瞳と、少し色合いが違う蒼い瞳を持つブリギッタ。


「ねえブリギッタ。ビスクにはサファイアの何かはあるのかな?」

「ビスムだよ、ママ」とブリギッタは真っ先に指摘した。「たぶんあるんじゃない? 真の宝石がたくさんあるらしいし。スープとかかな? サファイアはたぶんあったかいし、なんか馴染みあるし」

「そう」と私の口が少し緩んだ。


 胸元で光るサファイアのネックレスに触れた。

 ジョヴァンニはよく「ベティの目はサファイアのようだ」とサファイアが使われたアクセサリーを贈ってくれる。だから、宝石には少し疎いブリギッタにも馴染みがあるのだろう。そのサファイアをブリギッタは温かいと言ったのだ。

 ふ、とマントルピースに置かれた絵が目に入った。クリスマスに合わせて飾った聖母子の絵だった。


 私の、お母様はどんな目の色をしていたんだろう?

 私を育ててくれたお姉さんは青みの強いアクアマリンのような色の瞳だった。13歳だった時に別れて以来合っていないけど今でも鮮明に思い出せる。すごく親しみやすくて頼りやすくて大好きな色だった。

 私は生まれてすぐに当時17歳だった姉様に連れ出されてゴーディラックから出た。当時のゴーディラックでは王族が次々と殺されていた、と姉様が言っていた。王子だったお兄様たちも、国王だったお父様も処刑されたらしい。だから姉様は女性王族に矛先が向く前に私を連れて亡命した。さて、ここで疑問。

 お母様はどうなったの?

 それは姉様にも分からなかった。

 もう1つ疑問。お母様はどんな容貌だったの? どんな声だったの?


『銀のいす』の終わりあたりを読んでいるブリギッタを置いて、私は玄関へ向かった。鏡には私が映っている。うーん、と頬を持ち上げた。少しずつ下がっている。ブリギッタを見よ、あんなにもモチぷるな頬を持っている。

 ハァ、と息をついた。それからぶるりと身を震わせた。そうだ、そうだ。早く用件を済ませよう。

 私の髪は綺麗な金髪。お陰で出自不明の外国人であってもナチスに目をつけられなかった。終わってから10年も経っていない戦争を思い出し、頭を振った。お母様は「太陽のように暖かく、金を紡いだように輝く金髪」だったそうだ。私とは違う。

 肌はよく褒められるほどに白い。子どもだったころには5つの雀斑が、今はうっすらとシミがある。お母様にシミはあったのかな?

 お姉様は私の「鼻と口元はお母様似。頬骨もね」と言っていた。これにコンプレックスを抱く余地はないほど整っている、と自分でも思う。頬骨については「いつも笑っているようだ」と言われた。

 最後に目。

 鏡にぐい、と顔を近づけた瞬間、玄関のドアがガチャリと鳴った。


「帰ったよ。部下にクリスマスくらい早く……」とジョヴァンニが入ってきた。ふい、にピタリと止まった。「何をやっているんだ?」


 鏡に映る自分を真剣に見ていたところに帰ってくるなんて。36歳にもなって……! カァ、と顔が熱くなった。

 ジョヴァンニがしっかりとした腕で私を抱き寄せた。


「何があったのかは知らないけどな。ベッティーナ」と彼は私の耳に唇を寄せた。「君は、僕が初めて君を愛したころと変わらず美しく魅力的だよ」

「このイタリア男!」とうっかり毒づいてしまった。

 

 リビングからバタバタと音がする。

 パッとジョヴァンニの頬に軽くキスしてから離れた。子どもの前でいちゃつくのはダメだ。ジョヴァンニはハハと笑った。

 リビングからドアがバンッと開き、ブリギッタが飛び出した。


「パパ! お帰りなさい!」とブリギッタはジョヴァンニに抱きついた。

「ただいま」とジョヴァンニは可愛い1人娘の頭を撫でた。「ここは寒いからリビングで行こう」


 リビングに入るとブリギッタは再びナルニアの話を始めた。読み終えたようで、感謝と興奮と感激の言葉が幾重にも混ざっている。

 ジョヴァンニは相槌を打ちながらコートを脱ぎ、ぐたっとソファに掛けた。カプチーノを入れてやると、短く感謝された。

 

 私はツリーの下にあるもう1つの包みに目を向けた。あれは私からの、ブリギッタへの贈り物だ。あの子はいつ気づくだろう? ブリギッタがそれを身につけるところを密かに想像し、心踊らせた。

クリスマスちょうど一週間前! いかがお過ごしですか?

前話との温度差に風邪をひかれませんよう、祈ります。


ちなみに作中で「ベティ」「ベッティーナ」と呼ばれている主人公。名前は「エリザベス」です。

ジョヴァンニとは13歳のころからの付き合いだった。お互い恋に落ちたのは数年先の話。

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