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岸田家の異世界冒険  作者: 冬の黒猫亭
三日目 【冒険者の卵】
99/119

Act 28. 決着

 なにが起きたのか、わからなかった。


 誰かが体当たりしてきたような背中からの衝撃と、扇風機が背後で回っているかのような風圧。なにより肩が熱いということだけ。



 誰かが、息を飲む音。



 緩慢に動く景色の中で、『みこ』と小さく発せられた声。


 眼球を動かすと、先ほどまで不機嫌そうに妖精を治療していた姉が、まるで感情をごっそりと落としてしまったように表情をなくしていた。




「ぇ?」




 無表情なのに、なぜか泣き出す前兆なのではと思ったのは―――――そう、私が事故に会った時と同じような顔をしていたからだ。



 まるで、私が、死ぬ、と。



 そこまで思い至って、感じる死の気配に全身の肌が泡立つ。


 背中側から見える兄の百人切呪詛刀ひゃくにんぎりじゅそとうと、視界を掠める、ステンドグラスのような羽根。


 自分の顔のすぐ横にある黒い物体が、直感で女王蜂だと認識した途端。



 目前の朱色の飛沫が、己の血液だ、と。

 


 肩が燃える様に熱く、それが激痛に転じたのは、足元が浮き上がってからだった。

 肉を裂かれ、骨を打ち砕れたであろう痛みに、声すらでない。


 それに合わせて、ぐちゃあ、と生肉に直接、噛みついた様な音が耳元で聞こえた。本能的に吐き気を呼び起こす忌避感を覚えるほどだ。



 ――――――女王蜂は(・・・・)生きていた(・・・・・)



 あれほどの致命傷を受けて、まだ死んでなかったのか。

 だから眼鏡越しのログ画面が、戦闘中を示すように、赤いままだったのか。


 ようやく脳が、それを理解した時には、がっちりと黒い枝のような女王蜂の手足が絡み、自分の身長以上に身体が高く舞い上がっていた。

 

 茫然とする周囲を余所に、どこかで何か光ったが、視線を巡らせた先にはS師匠の姿。

 近くに居た料理長の手が伸び、指先がブーツの先端を掠めた小さな衝撃。


 それを最後に、大木の枝をへし折り、太い枝を縫うように上昇し、あっという間に誰の姿も見えなくなった―――――兄の姿も、姉の姿も。


 足元には樹海のような森が広がり、空を遮るものは何一つない。


 ぐるりと回転して、すぐさま景色が流れていく。




「ぅあ゛、ああぁ、あぁアあっ、あぁああ゛ああァ、ぁああ゛あぁぁぁあ、あ゛ああっ――――――!!!!」




 誰かの言葉にならなかった声が、言語の意味すらない獣のような咆哮となって、遠くから聞こえたような気がした。


 もしかすると、私の絶叫だったのかもしれない。


 この広い森の中で別たれてしまえば、永遠に兄と姉と会えないという―――――明瞭に、忍び寄る死を肌で感じ、本能的に理解して。

 




 ――――――数秒の、出来事だった。






 + + + 





  

 激痛で失神することが許されれば、どれだけ楽だっただろう。


 何かが肩に刺さっている感触は、噛みつかれているのか、何かが刺さっているのかわからない。

 ただ鋭いナイフのようなものが、肩の肉に食い込んでいる。


 進路は山側に向かって飛んでいるが酷く不安定で、その羽ばたく振動は、途切れる意識を強制的に戻し、否応なしに痛みと絶望的な状況を認識させた。


 無意識の内に半狂乱で振り払おうと暴れていたが、すでに上空何メートルかわからない。



 飛び散る赤い血と、それを上回る紫色の液体が時折、吹き出す。



 百人切呪詛刀ひゃくにんぎりじゅそとうは刺さったままであるし、顔面に受けた兄の拳は気絶を促すほどのものだった。


 強い風圧を感じるほどの速度だが、蛇行しているのは、イシュルス女王蜂も無傷ではないからだ。

 

 足元には大木が連なっているので、運が良ければ落下の勢いが弱まるだろうが、即死はせずとも、大怪我は回避できまい。


 すでに高さは建物の五階、六階以上はあるのだろう。

 私という重さを抱えているせいで、それ以上は高度があがらないのが救いだ。



 無駄にもがく身体とは別に、落ちたら痛いんだろうな、と頭は奇妙なほど冷え切っていた。



 眼鏡がないので正確にはわからないが大方、無駄に一枚の壁(クール)が発動しているのだろう。


 元いた場所が何処であったかすらわからないほど、引き離されて、激痛を味わいながらも、どこかで理性を保っている。


 元の世界で交通事故にあったときは、痛み処か記憶もほとんどなかったが、これは拷問に等しい。


 肘や足で背後の女王蜂を引き剥がそうにも、ダメージを受けていないのだろう。

 装甲が硬すぎるせいか、手足が傷つき、出血を誘うだけだった。


 それでも女王蜂の顔に向かって振りかぶった拳に、がつ、と硬いものが当たる。


 金属のような女王蜂の装甲ではないが、ぐらりと大きく揺れた。

 



 ―――――――百人切呪詛刀ひゃくにんぎりじゅそとう




 刺さったままの、それは女王蜂が弱っている事を知らせ、兄の手にある時と変わらずに鈍い光を放っている。


 おそらく、私は逡巡した。

 

 これを手にしてしまうと、なにか不味いことが起きるのだろう。

 もしかすると、打開もできず、悪化して、これを上回る可能性だって――――……


 

 だが私の思考とは別に、すでに手の中には、百人切呪詛刀ひゃくにんぎりじゅそとうの柄の感触があった。


 眼鏡がないから、あの手を見ることはない。

 しかし魔力を感じることができる今となっては、絡みつく何かは小さな手の形をしているのがわかる。

 


 ぺたぺた、ぺたぺた。



 子供が手を伸ばすような拙い感触だというのに、触れられた部分から凍てついたように骨身に冷気が染み込んでいく。


 それが死神の手だと言われても、疑わないだろう。

 

 だが恐怖とは逆に、腕から満ち溢れる万能感に、私は歯をむき出しにして無邪気に嗤っていた。

 不気味なほど腹の底から笑いが込み上げて、痛みが遠のく。


 同時に意志も遠ざかるが、どこか正気を保つという夢の中のような奇妙な感覚。


 混ざり合っていた突き抜ける蒼穹と薄暗い深緑の景色が、秒を追うごとに、緩慢さを増した。




 ―――――――たかだか(・・・・)




 死を連想する私を嘲笑する私。

 アドレナリンが全開になったような昂揚感。




 ――――――イシュルス女王蜂ごとき(・・・)で。




 世界を手に入れたような強烈な開放感。

 燃える様に熱い、身体。




 ―――――――死んでたまるか!!!!




 ぱりん、と何か硝子よりも薄く、儚いものが砕け散った音が脳裏に響き、力任せにイシュルス女王蜂から百人切呪詛刀ひゃくにんぎりじゅそとうを抜いた。

 


 兄が抜けなかった、それを片手で。



 体内まで食い込んでいた刃は、紫色の飛沫を上げ、私の全身に降りかかる。


 その紫の一滴ですら残らず目視で確認できるほど、世界の速度(・・・・・)が遅くなったような気がした。


 肩に刺さる何かから解放されたと同時に、女王蜂の咆哮が響いた。

 鼓膜が破れそうな悲痛な叫びが、音から激痛によるものであることがわかる。 


 

 速度が落ち、ぐらりと大きく揺れた。



 私は女王蜂を掴むと、上下を女王蜂と逆転させるために、身体を左右に揺すった。

 体重の反動だけでは上手くいかず、限界が近いはずの女王蜂の拘束が緩み、速度は一層落ちた。


 このまま墜落すれば、女王蜂の重みまで加わることになる。


 激痛が走っっていた肩に、強い魔力が迸る―――――それが自分で微弱な回復魔法を無詠唱でかけ続けていることだとは、気が付きもしなかった。


 女王蜂が失速したのか、世界が更に緩慢さを増したのかわからない。




守護者の盾(ジー・エ・リオール)




 作り出した文庫本サイズの惰弱な魔法の結界であるが、足場(・・)として蹴った反動で、今度こそ女王蜂と上下が入れ替わる。

 


 共に墜落していく、地面に背を向けた女王蜂。


 

 私は殴りつける様に柄を握る拳を突き出し、女王蜂の抱擁を離れて、浮き上がった。


 振りかぶった百人切呪詛刀ひゃくにんぎりじゅそとうは吸い込まれるように、女王蜂の顔面に吸い込まれていった。


 もはや私の意識は女王蜂ではなく、落下の衝撃の殺し方を算段していた。


 女王蜂を下敷きに、樹木の中へ突込み、勢いが緩和させる。

 だが、死を回避できるほどではない。



 肩に向かっていた自分の魔力が女王蜂の下に向かう。



 何十という守護者の盾(ジー・エ・リオール)が出現し、それを砕きながら、女王蜂の身体が木々をへし折り、更に速度が落としたが、それでも落下の衝撃を殺せないだろう。


 だが緩和剤を女王蜂の身体と結界以外に思いつかない。


 大木に飛び移ることも考えたが、この速度ではタイミングを計っている間に落下しそうだ。


 むしろ、無意識に肩の傷を癒し、無数の守護者の盾(ジー・エ・リオール)を出現させている為、くらりと貧血に似た眩暈と頭痛が、魔力枯渇が近い事をしらせた。


 


 ――――――――魔力。魔力。魔力。




 その時、悪足掻きのように女王蜂の羽が止まり、頭部に刃を喰らってもなお、壊れたブリキのおもちゃの様にぎこちなくはあるが、口を開いた。


 あの衝撃刃のような攻撃魔法の予兆。


 この至近距離、今から回避できないし、回避する必要もない。




 ――――――――魔力。魔力が目の前にあるではないか。




 にたぁあ、と口元が自然と下弦の月のような、厭らしい笑みを象っていた。


 女王蜂の口から吐き出される寸前。

 口元で手を翳すと、その攻撃が吐き出された。


 あの金属である小手すら、掠っただけで、ひしゃげさせるほどの衝撃―――――は、ない(・・)。 

 


 まるで最初から攻撃などなかったように。


 

 女王蜂の攻撃魔法は、発動前の魔力へ(・・・・・・・)と、戻った(・・・)のだから。


 衝撃などあるはずもないと思ったが、それ以上どうでもよかった。

 目の前の些細な異常など、自分が生きる事以上に大事なことではないのだから。


 そして、熱を奪うように、魔石から魔力を吸い上げた時と変わらずに、空気中に漂う女王蜂の攻撃魔法で使用した魔力を吸い上げた。


 蜂でしかないはずの女王蜂の驚愕したように震える姿が、心地いい。

 

 さらに心もとない惰弱な守護者の盾(ジー・エ・リオール)が、何百(・・)と出現した。


 幾重にも重なった結界は次々に砕かれ、硝子が砕けた音と同時に消えては、少しずつ速度を落としていく。




 ――――――――まだ、もっと魔力、を。もっと、もっと、もっと。




 最初から、私が求めたのは攻撃魔法の魔力ではない。


 喉元を掴むと、私の狂気じみた凝視に怯んだように女王蜂が暴れ出すが、私が許すはずもない。

 

 急速に、女王蜂の持つ魔力を奪った。

 

 しかし、女王蜂の魔力も限界が近いのか、すぐに底をつきたようで、あの強烈な頭痛と貧血を例外なく味わっているようで動きが鈍い。


 だが残念な事に、私は知っているのだ。

 

 たとえば、城下の少女の病気と対峙して、MPが潰えた後に、どうなかったかを。

 そこから推測できないことではない。


 魔力が潰えた後、違うものを消費して魔力に換算できることを。


 


 生命力。




 上手く魔力として集まらないそれを、強引に変換して吸い上げると、女王蜂が大きく痙攣し、口の端から泡のようなものを噴き出す。


 女王蜂の中から吸い出せるものが何もなくなる寸前の断末魔。

 何千(・・)と砕ける結界の音と相俟って、崇高な勝利のファンファーレにすら聞こえた。


 


 やはり、私は嗤っていた。


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