Act 44. 本日の営業は強制終了いたしました
飴色と黒のツートンのケースを静かに開けて、そっと持ち上げると、やはり長年愛用したヴァイオリンのようにすっと手に馴染んだ。
これも、魔法の一種なのだろうか。
「まず、地面にこう、先端の尖った部分で刺して下され」
と、槍を地面に刺すようなジェスチャーでジジに言われたのだが、明らかに高そうな絨毯が………やばくない?と確認したら先端にも魔法も施されているので、傷はつかないの?
先端の尖りって、高度な戦闘技術を駆使して、戦闘に用いられるのかと思ってたよ。
王族の身内に位置するであろうリアムを、ちらっと見るとにこりと笑って『傷がついてもジジ先生が買い替えますので』と懐の痛みは発言者に丸投げした。
隣でジジが嘆いているが嘘泣きっぽいので、思い切って先端で地面をぶっ刺した。
本気で止めに掛からないということは、その床傷つかない持論に自信があるのか、金持ちなのかわからないが、いいだろう。
ストン、と小気味よく刺さって、一度抜いて地面を撫でたが本当に無傷だった。
もう一度刺して、手を放すと、リュートはしっかりと自立していた。
スピーカーの固定はOK、と。
「そのまま、儂の研究が正しいのなら、他の楽器を奏でれば、音が鳴るはずですぞぃ」
魔石に手を伸ばして、魔力を限界まで回復させてから、私はラバーブを構える。
一応、気を付けろよ、と声をかける兄に苦笑を浮かべる。
まぁ、百人切呪詛刀のような取り扱い危険物のようなモノは早々、ないと……信じたい。うん。信じてる。危険時はよろしくお願いします。兄よ。
「まかせとけ」
というけど、そのファインティングポーズは、違う意味で怖いな。
勿論、曲は植物の成長を加速させる魔曲【美しき緑の天国】。
――――出だしは愛情込めて。
あの時のルイの音が頭の奥で鳴りだして、それをなぞる様に指を動かす。
春の日差しのように暖かい。
牧歌的な草原を撫でる風のように柔らかい。
優しく、優しく。
同時に『月下の踊花と闇を駆ける黒馬のリュート』の弦が震えた。
私の奏でた音色が、寸分変わらず『月下の踊花と闇を駆ける黒馬のリュート』から聞こえる。
二つの楽器から聞こえる音は波紋のように、部屋の隅々まで響く。
イベイベが部屋の防音をしていなければ、外にまで届いていただろう。
こんな大きな音でも誰も入ってこないという事は、防音効果はバッチリということだ。
グッジョブ、イベイベ。
魔曲『風の中の踊り子』を得た時のように、するりと頭の中に朧気ながら使用方法が浮かび、同時にごりっごりと桁の違う魔力が吸い上げられた。
此方を妨害しないように気遣ったようなジジの溜息が、それでも小さく零れたのが聞こえた。
これは、たしかに兄が言ったようにスピーカーだった。
そして魔曲の効果範囲を広める事も、効果自体を強める事もできるようだが、さきほどまでは普通にラバーブで弾いて時ににはなかった感覚だ。
なんとなくだが、ルイの楽器を奏でた時に近いかもしれない。
自分の意識で範囲と効果を設定できる。
もしかすると、吟遊詩人のレベルがあがれば可能なのかもしれないが、現在は不明だ。
ともかく、今は効果範囲は必要ではない。
先ほどよりもでた大きな音をイメージは、そのままスピーカーの音量調節だ。
摘まみを回す感覚で、絞っていく。
同時に、ゴリゴリ奪われていた魔力消費も減ったが、それでも通常演奏の倍近い消費だ。
効果は音の響く範囲でなくていいのだから、もっと極端に場所を限定していいのだ。
部屋全体に必要ではない―――――もっと言ってしまえば、植木鉢の中で発芽したばかりのシュルルの木だけで良いのだ。
あぁ、でもこの調子で効果を最大限に維持したまま弾き終えるには、おそらく魔力が足りない。
吟遊詩人としてもレベルが上がっているので、魔力の消費量が抑えられていた。
MPも上がっているのだが、今は三回が限度。
だが、今は曲が三割ほど終わった時点で、魔力は半分ほどぶっとんで、一曲引くたびに魔石で魔力を補充していた時には感じなかった感覚。
急速に失われていく魔力に、くらりと貧血に似た眩暈と頭痛。
これは今日、体感したばかりの魔力枯渇。
そう、だ。
イシュルス女王蜂に攫われた時の。
失われていく魔力と同様に身体から熱が失せていくような感覚が加わって、数十秒もしない内に指先にも影響が出るだろう。
足りない、まだ全然、足りない。
演奏を終えるには。
もしかすると、この曲を私が遺物を用いて演奏するには早かったのかもしれない。
もう少しレベルが上がってからの方がよかったのだろう。
私はあの時、どうやって持ち直したのだろう。
――――魔力。
頭の奥で、何かがチラついた。
あぁ、ああ。
そうか。
あの時は魔力をイシュルス女王蜂から吸い上げ、生命力を魔力に変換した。
そして、共に墜落した時、満身創痍で死にかけた私は反射的に、傷を癒やすために、魔力を周囲から奪ったのである。
円状にクレーターになった状態で、周囲の草木の魔力を奪い。
血の匂いに寄ってきたであろう巨大なネズミのような魔物の魔力と奪い。
魔力で傷を癒やし、その生命力を奪い続けたのだ。
だから、周囲の草木は生命力すらも私に奪われて枯れ、ネズミは魔力と生命力を吸い上げられて、外傷がないまま、泡を吹いて死んでいたのだろう。
魔力だけ吸い上げられたのなら、ルイと同じように死にはしないはずだ。
だからたぶん、生命力も巻き上げた。
一瞬、百人切呪詛刀がやったのかと思ったが、落下した時には握っていなかったはずだ。
ならば、刀の力じゃない。
だというのなら、無意識に、私は………私が。
おぞましいほどの記憶と己の生への貪欲さに、一瞬指が止まりそうだった。
だが止まれば、無駄な魔力を消費したまま、曲の威力は中途半端。
曲中に効果は発揮する。
しているけど、今まで感覚でいうと【美しき緑の天国】は弾き終わった時の方が高い効果が発揮されるのだ。
――――魔力。魔力。
そう、そうだ。
もう私は魔力のを知っている。
一つは草木や小動物から奪った命と魔力を変換する方法と、もっとやりやすいもの。
己の生命力。
余りの魔力低下では、自由を奪われることになるだろう。
勿論、デメリットとして生命力が低くなりすぎても、自由が奪われることになる。
足りないMPを、己のHPで。
僅かに此方を気遣っていた様子の兄が眉根を寄せて、声をかけるべきか迷ったように薄く口を開いて、手を彷徨わせた。
私は視線だけで、それを制した。
というよりは兄がいつものように器用に察した。
いつでも止められるように、兄の眼差しが注意深いものとなる。
ゆっくりと消費されていく己の体力。
でも足りないかもしれない。
ほとんど曲も終わりに近づいているが、MPどころかHPも危い。
これはマズイ。
一曲引き終わる前に瀕死の重体が軽く予想できたことで、そうなれば兄が気が付かないはずもなく器用に瞳を閉じた。
無論、ウインクではない。
叔父さんの本気モードの時のように――――片目だけ。
言葉はない。
まだ動かない。
その意味は、他人にはわからないだろう。
片目を細める叔父さんの癖は本人も良く知っているだろうし、岸田家の誰もがわかっている。
たとえ曲が終わらずとも、生命に危機があれば、間違いなく兄が止める。
どういう基準かわからないが、過保護な所もあるのだ。
もしかすると、もう手を止めろと言っているのかもしれないが、可能な限り続けたい。
刻一刻とHPは減少し、足先から冷たくなっていく。
マズイ。
本当にヤバい。
兄が動いた気配に焦りを感じながらも、意識が遠のくような感覚。
後、ちょっと。
―――身体が重い。
もう少しだけでいい。
私に、弾き終えるための魔力があれば。
―――頭が痛い。
マドレーヌが。
助かるかも、しれないのに。
―――指先が鈍くなる。
もっと早く。
苦しみから解放されるかもしれないのに。
―――でも、もたない。
私の横に移動していた兄の手が肩に乗せられて、曲を無理やり止められるのだろうと覚悟した――――が、遠のく意識が鮮明になっていく。
肩から全身が暖かくなっていく。
そこに兄が手を置いたから、という単純な理由ではなく、じわじわと全身に広がっていくのだ。
まるで熱が流れ込んできているかのような。
はっとして、兄を見ると、呆れた様子で苦笑を浮かべていた。
この温もりの正体は、兄の魔力だった。
いくら本職が剣士とはいえ、チート兄のレベルは上がっており、勿論MPも高い。
無尽蔵とはいかないが、なんとか状態を維持できる程度に意識が保てる。
でも兄とて、そんなにMP残ってないだろうと思ったら、手元には最後に残った魔石をすべて握っているのである。
つまり魔石→兄→私といった状態で、兄を経由して魔力が送られているらしい。
パキン、とガラスが割れるような音。
吸い上げる力に負けたかのように魔石が、兄の手の中で音を上げて割れていく。
器用に選別して、割れた魔石を絨毯に落としていく兄。
先ほどの本気モードの叔父の真似かと思っていたが、もしかすると私の曲を最後まで終わらせるために、めっちゃ考えていたのだろう。
実は兄も気が付かないとかだったら、笑える。
ようやく最後の一音が奏でられた瞬間、またごっそり魔力を持っていかれて、私は息も絶え絶えだった。
兄も、濃い疲労の塗れた顔をしている。
ぜーはー、ぜーはーと荒い呼吸を繰り返しつつも、目的であったシュルルの木に視線を向けると、驚いたことに被せた布は盛り上がっていた。
驚いたことに、カートの下ギリギリぐらいまで。
兄も気が付いたのだろう。
私が重たくなった感じがする手を上げると、にやりと悪い笑みで、兄が私の手を軽く叩いた。
パン、と鳴った兄と私の手の音が響く。
「凄いですぞぃ!たった一曲でこれほどの威力の魔曲が」
「この曲、今の、一体、何が」
子供の様に興奮しているジジと対照的に青ざめた様子のリアムが、ほぼ同時に声を上げて、ようやくその存在を思い出した。
ジジはわかるが、リアムはどうしたというのだ。
しかし私はへとへとでそれどころではなく、痛みの止まらぬ頭を抑えて唸る。
たぶん魔力か生命力を失いすぎた反動ではないかと思われる。
ちなみに私も今言うべき事があるとするなら『チートふぁっく!』といった所だろうか。
後は人に魔力を送れるって、どんな力技だよ!お前がいたらルイの容体を安定させれたわ!と声を大にして言いたいところである。
「御両名とも、落ち着かれては」
取りあえず、伝説の楽器で奏でられた事に対して、凄い、ヤバい、さすがと語彙を失ったジジの方が勝り、リアムは言いたいことを飲み込んだ様子だった。
また、ジジの鬼のような説明チートが発動されるのかもしれないが、周囲の声が遠い。
鼻水が出てきた気配に、二度ほど鼻を啜るが止まらず、嫌な予感に手を伸ばす。
どうやら鼻水ではなくて、鼻血だったらしい。
触れた指先が真っ赤なっていた。
「あ」
と、よくある間抜けな一音を発して、兄とジジとリアムが此方を振り返って驚いた顔が、私の異世界生活三日目の最後の記憶となった。




