cruise ship-03 嵐の夜に
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「あで、何ますか?」
「イルカだね」
「おぉう、いむか、大きいます。いむか、もしゅたますか? さかまますか?」
「ううん、魚でもないよ、動物」
「ぷぇぇ、ボク、のむちゅ斬るでぎまい! 何も斬るでぎまい! 昨日も、ずっと斬るでぎまいなす!」
「うん……オレもちょっと体動かしたいんだよね。モンスターよ出ろーなんて言えないけどさ」
出航から5日目。風や波の調子が良いらしく、明日は早めに中継の港に着けるらしい。といっても定刻出発だから、港町での滞在時間が伸びるだけなんだけど。
オルターは幾分船酔いに慣れてきたらしく、食事をまともに摂れるようになってきた。天気が良いと甲板に出て、遥か遠くの島や陸地をぼーっと眺めている。
レイラさんは相変わらず。気分が悪くなってきたら自分にケアを掛けて、騙し騙し過ごしている。船酔いと戦ったり、慣れたりする気は全くないらしい。
陸に着くのが早いか、魔力が尽きるのが早いか、マジックポーションの飲み過ぎでお腹いっぱいになるのが先か。
「ぬし! あで! もしゅた!」
「イルカはモンスターじゃないよ」
「ちまう! あで! いむかちまう、大きいます!」
「どれ……おおー、珍しい。あれクジラだよ」
「くちま? くちま、もしゅたますか?」
船から少し離れたところに、ゆっくり泳ぐ巨体が見えた。真っ黒い背中で水面を押し上げ、浮き沈みを繰り返している。よく見ると数頭の群れみたい。
「モンスターではないよ。まあ、全長10メルテとか20メルテとか、大き過ぎてモンスターより強いかも」
「ボク、くちまもしゅた思うますよ? 斬るますか」
「グレイプニールがモンスターと思っても駄目。クジラは動物、生き物」
「おぉう……のぶちゅ、いきもも、斬れまい」
なんとかして斬れるものを用意したいんだろう。物騒だから、そろそろ海を眺めるのもやめないといけないかな。
「遠くに雨雲が見える、風向きからして数時間後には嵐だ。そろそろ船内に戻ろう。筋トレでもするか」
「……ボク、拭かれむしたいます。ボクの刃、めたあとしてあるます」
「ああ、潮風のせいだね、分かった、中で拭いてあげよう」
機械駆動と風の力を両方取り入れた客船は、世界の主流になりつつある。といってもせいぜい1航路に2,3隻、大きな船自体が少ないんだけどね。
機械駆動の船は石油を燃やして進むから、その熱を利用して海水を蒸発させ、塩と水に分離させることが出来る。塩にも水にも困らない。
だから2等、3等の客向けに大浴場も用意されている。どうせなら風呂で洗ってやるか? その方が早い。
「風呂に行こう。しっかり洗ってやるよ、嵐で大浴場が使用禁止なる前に。オルターも誘おうぜ」
「ぬし」
「ん?」
「ぱんちゅ、今日は忘れるしまい」
「……忘れたの昨日だけだろ、もう2度と忘れないよ」
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「……何だ?」
出航10日目の夜。明日にはアマナ島東端の港「ミスラ」に着くという頃だった。
昨日から波が高く、雨も降っている。この天候では陸に接近できないという事で、船はミスラの沖に停泊中だ。
筋トレももう飽きた、揺れにも飽きた。グレイプニールはこれ以上拭いたら削れるんじゃないかと思うくらい拭いた。オレは揺れていても爆睡できる。
「飯は食ったし、風呂にも入ったし。寝るか」
する事もなく部屋でぼーっとしていると、ふいにドアノブが回された。
「えっ、誰か……部屋を間違えた?」
同じような扉が幾つも並んでいるため、時折上の階の人や隣の人が間違える事がある。しかし、今日はやけにカチャカチャとしつこい。
部屋の前でヒソヒソ声がする。オレは猫人族だから、気配や音には敏感だ。猫人族の母親に感謝すべきかな。
(本当だろうな、この部屋で間違いないな)
(ああ、この部屋の奴で間違いない。数日見張ったが部屋には1人で泊まっている)
(仲間は来てねえのか)
(嵐の時は船酔いで部屋から出てこねえ、今晩が最後の機会だ)
声の主は2人。男だ。
「物盗り、かな」
「ももとみ、何ますか?」
「声を小さくしてくれ。物盗り、盗みに来た人って事」
「おぉう……」
(肌身離さず持ち歩いて、大浴場にまで持ってきていた)
(乗船時から装備らしい装備も着てねえ。取り押さえて奪い、持ち主の小僧は海に投げ込めばわかりゃしねえよ)
どうやら正解らしい。嵐で船員達は甲板や艦橋で大慌て。乗客もこんな揺れでは出歩かない。雷や雨粒、揺れで軋む船体の音で、きっと物音も気にならない。
盗賊共にはうってつけというわけか。狙いはグレイプニールだ。
「んー、これは、まずいかな」
襲い掛かられたら正当防衛。場合によっては斬り返しても罪にはならない。グレイプニールの性能であれば、相手が重鎧を着ていても貫けるだろう。
でも問題は、こちらに武器があると承知で襲い掛かってくる事だ。きっとオレから金品を奪える算段がある。
それだけの腕があるか、他にも仲間がいるかだ。
「グレイプニールで久しぶりに攻撃する相手が……人ってわけにもいかないよな。でも素手で対抗できるとも思えないし」
窓枠ははめ込み式で、厚いガラスを割っても体が通らない。そもそも外に足場もない。船内に屋根裏なんてないし、隠れる場所もない。
オルターに助けを求めたいけど、この大時化の中では無理だろうな。いくらオルターの腕前があってもこの揺れじゃ弾は当たらない。
ギリングで魔王教徒が強盗に押し入られた時の事を思い出す。
あの時は強盗が部屋の中にいて、オレは部屋の外にいた。今回は逆で、しかも逃げ場はない。
さて、どうしよう。
ひとまず荷物をバックパックに詰め、グレイプニールが前抱きになるように肩紐を回す。それから数秒でドアがノックされた。
「……グレイプニール、暫く喋っちゃ駄目だぞ」
「……」
「早速お利口でなにより」
オレは扉の前に立ち、ノックに声だけで反応。当然だけど、簡単には開けるつもりはない。
「はい」
≪お休みのところ、申し訳ございません。客室担当ですが、大嵐のため各部屋を個別に訪問しております。少々宜しいでしょうか≫
「え? 今までこんな訪問、1度もなかったんですけど」
≪……今晩の嵐は大きいため、非常時として全室を回っております≫
扉を開ける以外に相手を確認する手段はない。相手が船員だったとしても、買収されている可能性だってある。
ただ、その点については安心だ。猫人族の聴力をナメないで欲しい。
船員の靴は踵が高いが、柔らかいゴム底になっている。こんなコツコツ音はしない。
こいつらは船員じゃない。
「大丈夫ですので、このまま休ませて下さい」
≪申し訳ございません。お部屋の状況も確認させていただいているため……≫
扉を開けるまで居座るつもりか。この揺れじゃ、他の部屋から出て気付いてくれる人もいないだろう。
他の部屋のノックは聞こえなかった。扉を開ける音もしていない。先程の会話からも嘘なのは明らか。
ただ、警戒している事を知られると、無理矢理扉をこじ開けられそうだ。
グレイプニールを盗られないようにと持ち歩いた……いや、グレイプニールが断固として留守番しなかった事で、逆に目立ってしまったか。
扉と天井の間は高さ数十セルテの余裕がある。バックパックは背負ったまま、グレイプニールも前掛けしている。
うーん、こうなったら……。
「分かりました。ちょっと待って下さい」
オレは靴を懐に入れると、裸足になり扉の鍵を開けた。狭い扉前の壁の左右に足を掛けて踏ん張り、天井近くまで登って深呼吸をする。
「どうぞ」
筋トレしていてよかったよ、ほんと。こんなの鍛えてないと足つるし。
部屋の扉が開き、オレは息を殺して侵入者を見下ろす。いかにも怪しい黒づくめの男が2人、客室担当じゃないのは明らかだ。
「……どこだ?」
「内側から鍵開いたよな? 扉の裏に隠れて……ないか」
「アイツ、何か勘付いていたか。ベッドの下くらいしか隠れる場所はねえ、探せ!」




