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【Chit-chat 03】グレイプニールとレイラの場合。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



【Chit-chat 03】グレイプニールとレイラの場合。



 * * * * * * * * * * * * * * * * * *




 夜の西スタ平原に、小さな明かりが幾つか浮かび上がっている。


 地面も空も区別できない漆黒の闇夜を打ち砕くには、少々心許ない。それでもそこに誰かがいると分かるだけで安心できる。


 そんな明かりの正体はバスターのパーティーだった。


 あるパーティーは枯れ木を集めて焚火を囲み、また別のパーティーは魔術士の光魔法「ライトボール」の明かりの下で読書をしている。


 危険な町の外とはいえ、現れるのはせいぜいオレンジ等級クラスのモンスターまで。ベテランバスターにとってはむしろ静寂が心地良いくらいだ。


 そんな点在する光のうちの1つを囲むパーティーがあった。

 贅沢にも焚火とライトボールの両方を使い、2人は就寝、1人が見張りをしている。

 見張り当番の女は倒木に腰かけ、退屈そうに焚火を見つめながらため息をついた。


 肩にかかる長さの銀髪を耳にかけると、形の良い色白なおでこが露わになる。やや切れ長な目、痩せ気味ですっきりした顎、若くなかなかの美人だ。


 身に付けているのは黒いベスト型の軽鎧に、グレーの長袖シャツと黒いスキニーのパンツ。

 よく見れば、そのベストは金属製ではない。エイントバークスパイダーの糸に、強化魔法を掛けて織り込むバーク布を使用した、切創と熱に強い最新の装備だ。

 手に持っている魔術書の表紙は金や銀、朱色の装飾が美しい。


 ある程度旅にもモンスターにも慣れ、ベテランの域に到達していると思われるが、女の口から出る言葉はどうにもさっきから頼りない。


「……はぁ。1人寂しく夜の平原で見張り。町の女の子達は今頃、ディナーを囲んで着飾って、好きな男と笑ってるんだろうな」


 バスターにはよくある事だが、女にもまた、恋人がいなかった。町から遠く離れた場所で、女は同年代の女の子を羨む発言を繰り返す。


「この状況でちょっとはあたしに気がある素振りとか、ないの? 男2人、どっちかでもあたしに好意とか寄せない?」


 実際に好意を寄せられたら困るくせに、寄せないならそれはそれで不満が募る。なんとも面倒くさい思考だが……どうせ誰も聞いていないからまあ良しとしよう。


「背が高くて逞しくて優しくて顔も良くて、珍しい猫人族。あたしより背は低いけど頼りになって、博識で顔も良くて、褒めると子供みたいに照れる。恋人にするならどっちかな……」


 誰も聞いていないのを良い事に、女は言いたい放題だ。ただ、発言自体は仲間の2人を褒める内容で、咎めるよりは苦笑いで済ませられる程度。

 それなりに信頼関係があり、認め合っているという事だ。


「イースはモテるのに、耳を怪我してからすっかり容姿に自信がなくなったのよね……」


 女は仲間の男の髪から覗く猫耳を見つめる。その左耳は内側が少し切れていた。猫人族にとって耳は命。容姿に自信がなくなるのは仕方がなかった。


「オルターって顔はいいし黒い肌も素敵なのに。女の子にあからさまな好意を寄せられると硬直するのよね。あと、非常識な子にはとことん冷たい」


 もう1人の男は寝顔がどことなく幼く、童顔に見える。黒い肌に白い髪、きりっとした眉とその表情のギャップが印象的だ。


「まああたしの事はどうでもいいとして、もう少し2人とも女の子からの人気を高めたいとか、思って欲しいのよね。勿体ない、ほんと勿体ない」


 女の呟きが焚火のパチパチと鳴る音に溶ける。その直後、それまでいなかったはずの誰かが声を発した。


「おぉう、りぇいら、何ますか? もったいまい、何もったいまいますか?」

「え、やだ、グレイプニール起きてたの? イースと一緒に寝てると思ってた」

「ぬし、おなすび(おやすみ)ます。ボク、おなすばまい(おやすまない)。りぇいら、お喋り、しますか?」

「眠くないのね。じゃ、一緒に見張りしながらお喋りしましょ。そろそろレイラって発音できるようになって欲しいな」

「おぉう、むじゅかし」


 女は自らをレイラと名乗り、猫人族のイースの横に置かれていた黒いショートソードを持ち上げた。それを膝に置いてそっと撫でてやる。


 声の主はそのグレイプニールという名のショートソードだった。


「ねえ、グレイプニール」

「ぴゅい」

「……どこから聞いてた?」

「ぬしの、腕のちたます」

「あ、場所じゃなくてね。うーん、そうね。あたしの話、何言ってるか分かった?」

「こいみと、誰ます言うしまた」

「全部か……」


 レイラが苦笑いを浮かべ、話題を変えようとする。グレイプニールもそれに異論はなかった。剣には恋愛感情というものがないせいだろう。

 女の子の膝の上というシチュエーションをとびきり喜ぶこともない。


「りぇ……れいら、ボク、お喋ります」

「あ、うん。今、レイラって言えたね」

「ぴゅい。るぇ……れいら、ぬし、呼ぶます。いーちゅます」

「あたし? えっと……あたしがイースって呼んでるって事?」

「ぴゅい」


 グレイプニールは珍しく自分から話題を切り出した。イースと共に活動を始めてもうずいぶん経つが、未だ発音には苦労している。


「おるた、ぬし、呼ぶます。いーちゅます」

「そうね。オルターもイースって呼んでるわね。もしかして、グレイプニールの主だから、さんや様を付けろって事?」

「ぷぁー?」


 グレイプニールが言葉にならない声を発した。意味が分からない、と言いたいのだが、「はぁ?」と発音が出来ないせいか、何とも間延びして脱力感を誘う。


「ちまう! ボク、ぬし呼ぶます。ぬします」

「確かに、グレイプニールはイースの事、ぬしって呼ぶね」

「ボクだけます! ぬし、ボクだけ! ぬしボクとくめちゅ、しまわせ……」


 主従関係を示すような呼称でも、グレイプニールにとっては特別だった。イースの事をぬしと呼ぶのは自分だけ。イースがぬしと呼ばせるのも自分だけ。


 自分だけというのが重要なのであって、従者ならぬ従物である自覚はない。

 そんなグレイプニールの事が微笑ましく、レイラはちょっとした提案をした。


「ねえ。イースの事、名前で呼んでみない?」

「おぉう、ボクのぬし、やめる駄目ますよ?」

「呼び方を変えても、あなたの主である事は変わらないわ」

「ボク、とくめちゅ?」

「ええ、グレイプニールはずっとイースの特別よ」


 呼び方について他愛もない話で盛り上がっているうちに、見張りの交代の時間になった。レイラはそっとイースの肩を揺さぶる。


「……あ、時間か」


 イースはあくびの後で伸びをし、レイラの膝の上にあるグレイプニールへと視線を向けた。レイラはニッコリと微笑み、グレイプニールをイースへ差し出す。


「ほら、グレイプニール」

「ぴゅ、ぴゅい……あ、ぬ、ぬし……」

「ん? どうかした? 何か斬りたい?」

「ちまう! い、い……いーちゅ」


 動けないため凛とした佇まいは変わらない。でも仮にグレイプニールが人か動物だったなら、きっとモジモジして恥ずかしがっていただろう。


 初めて名前で呼ばれたイースは、寝起きだからかきょとんとしている。


 グレイプニールが再び、今度は心なしか自慢気に「いちゅ」と呼ぶと、イースはようやくグレイプニールの言葉を理解した。


「あ、うん。座るよ。木に腰かけた方が楽だし」

「あ、あのね、イース。椅子じゃなくて今グレイプニールは……」

「ぷぇぇ、ぴぃぃ……」

「え、えっ!?」


 イースは急に悲嘆にくれだしたグレイプニールに戸惑い、レイラに助けを求める。


「え、何だった? 椅子? あ、分かった! 水?」

「ぷぇぇ~……」

「……そうだった、グレイプニールって人の名前を発音するの苦手なんだった」

「分からまい、あびちい……。ぬし、ボクぬし呼ぶ、もういちゅ呼ばまい……」


 レイラから名を呼んでいたと明かされた後、町に戻ったイースはグレイプニールのご機嫌を取るため甲斐甲斐しく拭き上げ、用品を買い足し、四六時中撫でていたという。


 それに気分を良くしたグレイプニールは、まるで主人ならぬ主剣。

 ぬしと呼びながら大事にされる剣と、ぬしと呼ばれながらもまるで召使のように振舞うバスター。もうわけが分からない。


「呼び方を変えてみたらとは言ったけど、立場を変えろとは言ってないのにな……」


 レイラは苦笑いを浮かべる。

 事の真相を知らないオルターだけが、そんな1人と1本に「何やってんだあいつら」と気味悪そうにしていたという。

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