【Chit-chat 03】グレイプニールとレイラの場合。
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【Chit-chat 03】グレイプニールとレイラの場合。
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夜の西スタ平原に、小さな明かりが幾つか浮かび上がっている。
地面も空も区別できない漆黒の闇夜を打ち砕くには、少々心許ない。それでもそこに誰かがいると分かるだけで安心できる。
そんな明かりの正体はバスターのパーティーだった。
あるパーティーは枯れ木を集めて焚火を囲み、また別のパーティーは魔術士の光魔法「ライトボール」の明かりの下で読書をしている。
危険な町の外とはいえ、現れるのはせいぜいオレンジ等級クラスのモンスターまで。ベテランバスターにとってはむしろ静寂が心地良いくらいだ。
そんな点在する光のうちの1つを囲むパーティーがあった。
贅沢にも焚火とライトボールの両方を使い、2人は就寝、1人が見張りをしている。
見張り当番の女は倒木に腰かけ、退屈そうに焚火を見つめながらため息をついた。
肩にかかる長さの銀髪を耳にかけると、形の良い色白なおでこが露わになる。やや切れ長な目、痩せ気味ですっきりした顎、若くなかなかの美人だ。
身に付けているのは黒いベスト型の軽鎧に、グレーの長袖シャツと黒いスキニーのパンツ。
よく見れば、そのベストは金属製ではない。エイントバークスパイダーの糸に、強化魔法を掛けて織り込むバーク布を使用した、切創と熱に強い最新の装備だ。
手に持っている魔術書の表紙は金や銀、朱色の装飾が美しい。
ある程度旅にもモンスターにも慣れ、ベテランの域に到達していると思われるが、女の口から出る言葉はどうにもさっきから頼りない。
「……はぁ。1人寂しく夜の平原で見張り。町の女の子達は今頃、ディナーを囲んで着飾って、好きな男と笑ってるんだろうな」
バスターにはよくある事だが、女にもまた、恋人がいなかった。町から遠く離れた場所で、女は同年代の女の子を羨む発言を繰り返す。
「この状況でちょっとはあたしに気がある素振りとか、ないの? 男2人、どっちかでもあたしに好意とか寄せない?」
実際に好意を寄せられたら困るくせに、寄せないならそれはそれで不満が募る。なんとも面倒くさい思考だが……どうせ誰も聞いていないからまあ良しとしよう。
「背が高くて逞しくて優しくて顔も良くて、珍しい猫人族。あたしより背は低いけど頼りになって、博識で顔も良くて、褒めると子供みたいに照れる。恋人にするならどっちかな……」
誰も聞いていないのを良い事に、女は言いたい放題だ。ただ、発言自体は仲間の2人を褒める内容で、咎めるよりは苦笑いで済ませられる程度。
それなりに信頼関係があり、認め合っているという事だ。
「イースはモテるのに、耳を怪我してからすっかり容姿に自信がなくなったのよね……」
女は仲間の男の髪から覗く猫耳を見つめる。その左耳は内側が少し切れていた。猫人族にとって耳は命。容姿に自信がなくなるのは仕方がなかった。
「オルターって顔はいいし黒い肌も素敵なのに。女の子にあからさまな好意を寄せられると硬直するのよね。あと、非常識な子にはとことん冷たい」
もう1人の男は寝顔がどことなく幼く、童顔に見える。黒い肌に白い髪、きりっとした眉とその表情のギャップが印象的だ。
「まああたしの事はどうでもいいとして、もう少し2人とも女の子からの人気を高めたいとか、思って欲しいのよね。勿体ない、ほんと勿体ない」
女の呟きが焚火のパチパチと鳴る音に溶ける。その直後、それまでいなかったはずの誰かが声を発した。
「おぉう、りぇいら、何ますか? もったいまい、何もったいまいますか?」
「え、やだ、グレイプニール起きてたの? イースと一緒に寝てると思ってた」
「ぬし、おなすびます。ボク、おなすばまい。りぇいら、お喋り、しますか?」
「眠くないのね。じゃ、一緒に見張りしながらお喋りしましょ。そろそろレイラって発音できるようになって欲しいな」
「おぉう、むじゅかし」
女は自らをレイラと名乗り、猫人族のイースの横に置かれていた黒いショートソードを持ち上げた。それを膝に置いてそっと撫でてやる。
声の主はそのグレイプニールという名のショートソードだった。
「ねえ、グレイプニール」
「ぴゅい」
「……どこから聞いてた?」
「ぬしの、腕のちたます」
「あ、場所じゃなくてね。うーん、そうね。あたしの話、何言ってるか分かった?」
「こいみと、誰ます言うしまた」
「全部か……」
レイラが苦笑いを浮かべ、話題を変えようとする。グレイプニールもそれに異論はなかった。剣には恋愛感情というものがないせいだろう。
女の子の膝の上というシチュエーションをとびきり喜ぶこともない。
「りぇ……れいら、ボク、お喋ります」
「あ、うん。今、レイラって言えたね」
「ぴゅい。るぇ……れいら、ぬし、呼ぶます。いーちゅます」
「あたし? えっと……あたしがイースって呼んでるって事?」
「ぴゅい」
グレイプニールは珍しく自分から話題を切り出した。イースと共に活動を始めてもうずいぶん経つが、未だ発音には苦労している。
「おるた、ぬし、呼ぶます。いーちゅます」
「そうね。オルターもイースって呼んでるわね。もしかして、グレイプニールの主だから、さんや様を付けろって事?」
「ぷぁー?」
グレイプニールが言葉にならない声を発した。意味が分からない、と言いたいのだが、「はぁ?」と発音が出来ないせいか、何とも間延びして脱力感を誘う。
「ちまう! ボク、ぬし呼ぶます。ぬします」
「確かに、グレイプニールはイースの事、ぬしって呼ぶね」
「ボクだけます! ぬし、ボクだけ! ぬしボクとくめちゅ、しまわせ……」
主従関係を示すような呼称でも、グレイプニールにとっては特別だった。イースの事をぬしと呼ぶのは自分だけ。イースがぬしと呼ばせるのも自分だけ。
自分だけというのが重要なのであって、従者ならぬ従物である自覚はない。
そんなグレイプニールの事が微笑ましく、レイラはちょっとした提案をした。
「ねえ。イースの事、名前で呼んでみない?」
「おぉう、ボクのぬし、やめる駄目ますよ?」
「呼び方を変えても、あなたの主である事は変わらないわ」
「ボク、とくめちゅ?」
「ええ、グレイプニールはずっとイースの特別よ」
呼び方について他愛もない話で盛り上がっているうちに、見張りの交代の時間になった。レイラはそっとイースの肩を揺さぶる。
「……あ、時間か」
イースはあくびの後で伸びをし、レイラの膝の上にあるグレイプニールへと視線を向けた。レイラはニッコリと微笑み、グレイプニールをイースへ差し出す。
「ほら、グレイプニール」
「ぴゅ、ぴゅい……あ、ぬ、ぬし……」
「ん? どうかした? 何か斬りたい?」
「ちまう! い、い……いーちゅ」
動けないため凛とした佇まいは変わらない。でも仮にグレイプニールが人か動物だったなら、きっとモジモジして恥ずかしがっていただろう。
初めて名前で呼ばれたイースは、寝起きだからかきょとんとしている。
グレイプニールが再び、今度は心なしか自慢気に「いちゅ」と呼ぶと、イースはようやくグレイプニールの言葉を理解した。
「あ、うん。座るよ。木に腰かけた方が楽だし」
「あ、あのね、イース。椅子じゃなくて今グレイプニールは……」
「ぷぇぇ、ぴぃぃ……」
「え、えっ!?」
イースは急に悲嘆にくれだしたグレイプニールに戸惑い、レイラに助けを求める。
「え、何だった? 椅子? あ、分かった! 水?」
「ぷぇぇ~……」
「……そうだった、グレイプニールって人の名前を発音するの苦手なんだった」
「分からまい、あびちい……。ぬし、ボクぬし呼ぶ、もういちゅ呼ばまい……」
レイラから名を呼んでいたと明かされた後、町に戻ったイースはグレイプニールのご機嫌を取るため甲斐甲斐しく拭き上げ、用品を買い足し、四六時中撫でていたという。
それに気分を良くしたグレイプニールは、まるで主人ならぬ主剣。
ぬしと呼びながら大事にされる剣と、ぬしと呼ばれながらもまるで召使のように振舞うバスター。もうわけが分からない。
「呼び方を変えてみたらとは言ったけど、立場を変えろとは言ってないのにな……」
レイラは苦笑いを浮かべる。
事の真相を知らないオルターだけが、そんな1人と1本に「何やってんだあいつら」と気味悪そうにしていたという。




