Black or White-08 管理所の思惑とスパイ
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秋も深まった。
北緯45度に位置するギリングは、秋になれば急に気温が下がる。内陸性気候のため夏は30度に迫るものの、10月下旬からの気温は1桁に、11月には氷点下も当たり前になる。
一方、北緯25度にあるイースの故郷レンベリンガも内陸にある。ただ標高こそ1200メルテ程度だが、夏は30度程になり、冬でも10度を下回った事は1度もない。
テーブルマウンテンを下り、標高200メルテの街道に出ると、夏には40度を超える事など当たり前。冬でも20度程度で半袖でも過ごせる。
そんな所で育ったオレが、ギリングの冬を経験しようとしていた。
「うう、寒い、耳が、尻尾が凍る……」
「何言ってんだよ、まだ10月下旬だぜ? 冬にもなってないのに」
「え、これより寒いとかあんの?」
「1月、2月辺りの気温はマイナス15度くらいになる時もあるぞ」
「うへぇっ」
夏に比べ、空気が少し乾いている気がする。雲はあまり出ていないし快晴なはずなのに、なんでこんなに日差しが弱いんだ……!
「ったく、冬になる前に稼がねえと。雪が積もり始めたらモンスター退治なんて無理だぜ。バスターも大半が南に向かうし」
「なんだそれ、渡り鳥かよ」
オレ達は順調に知り合いを増やし、開店1年目にも関わらず飲食店から一目置かれる存在にもなった。
出す食事はあくまでも数種類のつまみ程度、酒も凝りに凝ったものは出さない。敢えて音楽を楽しむ空間にもしなかった。
それはレイラさんが他店との共存を選んだから。この店の目的は、他の店の客を奪うのではない。あくまでも元バスター達の憩いの場にする事。
「イース、オルター! 出張行くよ! 野宿を挟むけど報酬はいいから」
「ふえぇ」
「ハァ、情けない。雪が降れば子供だって雪玉ぶつけ合って遊びまわるのに」
レイラさんはいつしかオレ達に「くん」を付けなくなった。仲間として距離が近くなったって事なのかな。それでもレイラさんの事は「さん」を付けてる。
それがしっくりくるんだ、少し対等じゃないくらいでちょうどいい。
オレ達は事件屋として小さなクエストをこなし、時には感謝され、時には報酬を値切られ、地道な活動を続けていた。
世界を渡り歩くにしても、オレ達は経験が乏しい。父さん達は強いバスター達に面倒を見てもらいながら成長したけど、オレ達はそれが期待できない。
英雄の子を自分が指導するなんて恐れ多い、責任が取れない。だから他を当たってくれ、と言われてしまうからだ。
そう言って遠出に付き合って貰えなかった事も数回ある。2,3パーティー合同で人食いオーガを捜索した時もそうだった。
いきなり飛躍した活動をするには、どうしても目上のバスターの力が必要になる。だけど頼る相手が見つからない。お客さんの伝手で色々仕事も貰ったけど、彼らはオレ達を引き連れて強化合宿に行く程の事は出来ない。
ビアンカさんとイヴァンさんは、もうじきイヴァンさんの故郷に里帰り。
オレの両親だって、故郷のレンベリンガからじゃ遠過ぎる。ゼスタさん1人ではオレ達3人の面倒は見られない。
というか、そこまで迷惑を掛けたくないんだよ。
地盤を固め、少しずつ行動範囲を広げる。オレ達に出来るのはそれだけだ。
クエスト数が極端に少なくなる冬の時期は、バーの営業を週5日まで増やして細々と食つなぐつもりだった。
「もしゅた斬る行きますか!? みもたむろちゅ斬るます! ……ああ、斬ゆしまわせ……」
「そんなうっとりした声出すな、怖い」
「ボク一緒ます、みもたむろちゅ怖くまい」
「いや、そうじゃなくて」
グレイプニールは寒暖の差など全く関係ないらしい。対するオレはコートの中にセーター、その下に長袖シャツを2枚、半袖シャツを1枚。スパッツも穿いている。
これでもゴワゴワしないものを選び抜いて、あと1枚着たい気持ちを抑えているんだ。
だって、来月にはここから更に10度も気温が下がるんだぞ? これ以上着込めないよ。
「じゃあ、頼むわ」
「はーい、行ってらっしゃい!」
レイラさんが旅支度をして事務所を出てくると、その背後からもう1人の女性が現れた。3か月前、管理所でこの事件屋シンクロニシティを教えてくれたレイラさんの友人だ。
彼女は独立の資格を取り、レイラさんの手伝いをしてくれている。
「そうね、お土産は……ミノタウロスの角かな?」
「ベネス、あんたほんと変な趣味してるわね。何がいいのよ」
「おぉう! ぜったい、みもたむろちゅ倒さまいと!」
「余裕があれば持ち帰りますよ。装備素材として買い取ってくれる店もあるし」
「ああ、そこエレーゼって店でしょ? 私の親の店」
「……なる程」
ボブカットの金髪にフチなしの丸眼鏡、グレーでつぶらな瞳。いつもニコニコしている彼女が管理所を辞めたのは、何もレイラさんの手伝いがしたいからではない。
管理所の……いや、所長の差し金だった。
彼女はクエストをわざと受注させず、発注者の報酬金を吊り上げさせた等々の濡れ衣を着せられていた。
悪評を広められたら、将来の結婚にも影響が出る、家族も白い目で見られる。その気になれば警察にだって言えるんだぞ……などと脅され、交換条件にレイラさんの監視を言いつけられたんだ。
所長の振舞いを良く思っておらず、あまり従順な様子を見せなかった事で、敵認定されてしまったんだろう。
最初はベネスさんも、レイラさんに何と言おうか悩んだ事だろう。
と思ったんだけど、ベネスさんは違った。この人もまた前向きで強い人だった。
資格取得の時期でもないのに臨時試験が実施され、すんなり資格が取れたのは、新市長の思惑があったから。ベネスさんはむしろそれを利用したんだ。
『ごめーん、私そっちでお世話になっていい?』
『……え?』
『所長がね、私の不正をでっち上げて、バラされたくなかったらあんたのスパイをしろって! 行っていいかな!』
この発言にはレイラさんも開いた口が塞がらなかった。そりゃそうだろうね。
今、ベネスさんは早く結果を出せと急かされつつも、当たり障りのない報告で所長をイライラさせている。
こちらとしては、夜にやっているバーまでお願いできるし、大助かり。
スパイを公言する人に全て任せて大丈夫かと思われるけど、本当に大丈夫。
「よーし! 出発!」
「あーあ、私もバスター課程に行ってれば良かった」
「そうしたら誰に事件屋を任せるのよ。じゃあ、後宜しくね!」
この会話、所長が聞いたら潜入大成功と思うだろう。警戒心を抱いていないオレ達から、どんどん情報を吸い取れる、と。
実態は全くの逆。オレ達は定期的に所長や管理所の怪しい動きを教えてもらってる。
レイラさんには悪いんだけど、以前オレとオルターはベネスさんの行動を調べた。
オルターが表で何でもない相談をしているうちに、オレは管理所の屋根から執務室の天井裏に侵入。
オルターが何食わぬ顔で管理所を出て行った後、ベネスさんは所長の部屋を訪ねた。
まさか、オレ達を油断させて、本当にスパイをしていたのか……という心配は、すぐに消え去った。
ベネスさんはそれらしい話をでっち上げ、オルターが喋った事とは全く違う報告をしていたんだ。
レイラさんとの会話についてもそうだった。管理所に潜入した3日間、ベネスさんは所長が喜ぶような事ばかりを告げ、オレ達の本当の行動を一切明かさなかった。
唯一心配なのは、バーの事だ。
「ビール飲めないお客さん、どうするんですかね」
「ビールとウォッカやウイスキーのロックしか出せないバーって」
「ベネスにカクテルなんて絶対作らせられない」
ベネスさんは、致命的なほど料理やお酒のセンスがなかった。分量を守っているはずなのに、絶対に、必ず、100%失敗するんだ。
本当に必要なのは留守番が出来る有資格者なのか、それともバーを任せられるバーテンダーなのか……。
そんな事を考えながら、オレ達は町の北門をくぐった。




