Black or White‐01 大切なもの
【Black or White】真実を見つめる幾つもの正義
「いいか、グレイプニール」
「ぴゅい」
「ぴゅい、じゃなくて、はい」
「ぴぇぇ、ぴぃえや……い!」
「……わざとか?」
「まだと、何ますか?」
「わざと、だ。間違えていると分かっていて、言われた通りにやらない事を、わざとって言うんだ」
「おぉう、まだと、しでまいなす。ボクいい子ますよ」
「んー、だめか。1度覚えた通りにしか言えないのかな」
グレイプニールと一緒に活動を続け、2か月近く経った。
グレイプニールの言葉のクセは何となく分かるようになった。本人ならぬ本剣はいたって真面目に発音している事も分かった。
鉄は熱いうちに打て、という言葉はアダマンタイト製の武器にも言えるようで、1度覚えてしまったら言い直すのは難しいらしい。
徐々に言えるようになってきた言葉もあるけれど、それは元々そう言おうとしていた発音ができるようになっただけ。
発音の入れ替わりなどを修正出来たのは、ごく一部に限られた。
言葉遣いが丁寧な鎌のテュールに習ったのはいいが、「ます」は使えても「です」は使えない。
います、できますは言えるけれど、その前に続く言葉次第では「ます」と言えない時がある。例えば「していない」の後の「ます」が「なす」になり、「していない」は「していまい」になってしまう。
グレイプニールにとって難い言葉の並びがあるんだろう。
ただ、賢さで言えば言葉遣い程には幼くない。戦闘に関しては的確な判断を下してくれるし、時々こちらがドキッとする事も言う。
武器としての立場からくる価値観の違いも、オレにとっては面白い。
ただ、これから多くの人と会話するとなれば、グレイプニール語とも言える独特な言葉はあまり歓迎できない。
だから今オレとグレイプニールは珍しく舞い込んだモンスター退治クエストの後、宿で言葉と文字の勉強をしているところだ。
「せめて人の名前だけでも頑張ろう。レイラさんの名前から」
「りら?」
「れ、い、ら」
「で、い、な!」
「りらって言う時、らって言えてるじゃないか。もう一回」
「で?」
「れ」
「どぇ、どぇ……どぇ!」
「うーん……」
ぬしと言えるようになったのも、かなり頑張ったと思われる。オレは気にしないけど、他の人と意思疎通が図れないのも困るよなあ。
「ぬし?」
「……何でもない。もう一回頑張ろう」
「るっ、り……でぃえっ、りぇっ」
「おっ? もう少し!」
「りぇい、りぇい……だ!」
「レ~イ~ラ」
「りぇ~い~らっ!」
「おっ、いいぞいいぞ!」
根気強く練習すれば、少しずつ直す事が出来るみたいだ。全部は無理でも、名前くらいは……!
と思っていたら、ノックと同時に部屋の扉が開いた。
「なーに人の名前連呼してんの。ほら行くよ……ちょっと部屋の中だからって楽にし過ぎ! 服着て、服!」
「あ、レイラさん……まさか誰か入って来ると思わなくて」
「おぉう、りぇいら来るしまた」
「のんびりしてないで服!」
レイラさんが慌てて目を逸らす。パンツ1枚じゃなくてズボンも穿いてるし、そんな慌てる事ないと思うんだけど。
故郷のレンベリンガじゃ夏はズボン一丁なんて当たり前。女の子じゃあるまいし、パンツの中まで見られなきゃどうってことないんだけど。
「あひゃー、ふひひっ! りぇいら、ぬし服着でまい、はじゅかしますか?」
「だ、だって……あら、グレイプニール。あたしの名前が言えるのようになったのね」
「特訓したもんな! 偉いぞグレイプニール」
「ボク、よごでぎます! 撫でるますか?」
「もう、撫でるのは後! イースくんは服を着なさい、オルターが1階に来ちゃってるから」
レイラさんに促され、新しいグレーのシャツを着て蝶ネクタイを締め、黒いベストを羽織る。
後は腰に巻いたエプロン。これは俺がマイムにいた頃、バイトをしていた酒場バッカスで使っていたもの。店の宣伝になるから、時々使えって言われたんだ。
あの時はいつ使うんだと思ったけど、案外その時が来るのは早かったな。
「それにしてもバスター宿っていい印象がなかったんだけど、案外快適そうね。ベッドのシーツなんかも替えてくれるんでしょ?」
「この宿は洗濯もやってくれます。防具以外なら」
「下着やシャツなんかも洗う手間が掛かるし、とっても助かるわね」
「したぎ? あ、ぱんちゅますか。ぬし、ぱんちゅむすまれそうました」
「パンツ? 下着泥棒? え、男の下着を?」
「あ、いや、魔王教徒に侵入された時……あ、何でもないんです」
以前よりもグレードを上げた宿は1泊7000ゴールド。4000ゴールド以下にしか泊まった事がなかったから、物凄く贅沢をしている気がする。
共同トイレはとても清潔。部屋の床で筋トレできる余裕があり、ベッドはセミダブルで硬くない。1階の大浴場は10人入っても大丈夫なくらい広い。
おまけに食事が美味い。
こんな贅沢を決断したのは魔王教徒の襲撃を受けたせい。そして今日から始まるもう1つの仕事の収入のおかげでもあった。
「お待たせ。オルター似合ってんじゃん」
「あ、やっと来たか! イースはなんか普段の格好と同じに見えるな」
「見えるじゃなくてネクタイ以外ほぼ一緒なんだよ。オレがいつも着てた服、元はバイトしてた酒場の制服なんだ。替えを3着貰ってたから着まわしていただけ」
「バーを開くのに雰囲気ピッタリと思って、仕立て屋に似たものをお願いしたのよ」
「てか、明日から着る俺達の装備も同じデザインだよな……」
全員で同じ格好をして歩けばさすがに目立つ。オレだけはエプロンをしてるから、店の制服だと察する人もいるだろう。
5分ほど歩いて事件屋シンクロニシティの玄関扉を開ける。
茶色に統一した壁紙、焦げ色の木製カウンターに足の長い丸椅子が6つ。丸いテーブル席は5人掛けが1組。
まだスカスカな棚にはワインやウォッカ、テキーラなどの瓶を並べた。後はお客の要望で増やすつもり。
店内で打ち合わせをし、事件屋シンクロニシティの看板の隣に「バー・シンクロニシティ」の看板を出せば、これでもう営業開始だ。
そう。今日から始まるもう1つの仕事とは、バーの事だ。
このバーの注目度は相当に高い。レイラさんがパーティーに加入し、ギリングにいるバスター関係者は大騒ぎになった。
バスターになりたがらなかった英雄の娘がバスターになった上に、そのパーティーにいるのが別の英雄の息子だからね。
しかもそのパーティーの銃術士は、近年の新人における最速昇格者。不遇職である銃術士にとって、早くも希望の星になりつつある。
おまけに飛び級だ。
オレは1年半以上掛かったにせよ、今はオルターと共にホワイト等級を飛び越えてブルー等級。
魔王教徒から救った人々、ビアンカさんやイヴァンさんの口添えもあり、国からの表彰も受けた。イサラ村からの感謝状も贈られた。実績と功績は文句なし。
レイラさんは少しずつ勘を取り戻している最中。そう遅くないうちにホワイト等級に昇格できると思う。そんな流れでバーの宣伝をすれば、注目されて当然。
「さあ、初日からお客ゼロは避けたいところ。悪評も立てたくないからとにかく提供を早く! 愛想良くね!」
「は、はい! 俺大丈夫かな、酒の名前もそんなに覚えられないし……」
「頼まれたものをメモしてオレに渡してくれたら大丈夫。とにかくお客さんの話し相手に。仕事の話はレイラさんに振って」
「わ、分かった!」
「ぬし、ボクは? ボク何でぎますか? 斬るももあるますか?」
グレイプニールはカウンター内の壁に掛けてある。留守番も可哀想だし。
「いっぱいお喋りしろ。お客さんをおもてなしだ」
「おぉう。でもボク、おじゃべり、お上手まいなす」
「あら。大切なのはまず気持ち! 正しい言葉や文法は後でもいい、伝えようとする、それが大事。あなたのクセがある喋り方、あたしは好きよ」
「……そうだな。誤解されない程度にお前らしくやれ、きっとみんなグレイプニールを好きになるさ」
「ぴゅい。いまっしゃいなせ、ます!」
……そうだな、これも個性だ。まずはグレイプニールらしさで勝負して、通用しなかったらまた考えればいい。
そもそもグレイプニールの本分はモンスター退治。お喋りを頑張ってくれているだけでいいじゃないか。




