【Chit-Chat 02】 旅立ち前の酒場にて。
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「お前がこだわるほど、みんな実力だけでのし上がってはいない」
あの時、英雄の1人であるゼスタさんはオレにそう言った。
運は鍛えられない。
くじ引きもじゃんけんも、だいたい良い結果にならない。人は、自分ではどうしようもない事に人生を左右されているもの。
力、土地、肌色、種族、顔、背丈、血筋、富、病気……運による人生支配は、生まれた瞬間から始まっている。
オレが英雄シークと英雄シャルナクの間に生まれた事は、世間的には運が良い事なんだと思う。
でもコネや嘘やお金で中身のないまま上り詰めても、勘違いを拗らせて嫌われるか、本来の自分との差に悩むだけだ。オレはそれが嫌だった。
バスターになって半年で挫折し、酒場で働き始めて1年が経つ頃。オレの目の前に、旅の途中のゼスタさんが現れた。
【Chit-Chat 02】旅立ちの酒場にて。
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「有難うございましたー」
ここはマガナン大陸西部の国「ギタ」にある町、マイムの酒場だ。
町周辺の南北に細長い砂浜が人気で、ヨットや潜水を楽しむための観光客も訪れる。
降雨量は少ないけど、大陸の南北を貫く山脈から川が流れ、水には困らない。
周囲に広がる礫砂漠の中、このマイムは人口の割に活気があり、少し暑いけど住みやすい。
最底辺バスターのオレが流れ着いた町でもある。
「イグニス、またね!」
「はーい、また! お待ちしてまーす」
バスター登録こそ本名だけれど、普段のオレは偽名を使っている。
この町でのオレは「イグニス・イースター」だ。
現実は、甘くなかった。本名を隠したオレは、名前を知られる行動を一切できず、パーティーへの応募も出来ず、バスターとして行き詰まり……生活のため、酒場で働くようになっていた。
そこにゼスタさんが現れたんだ。
「よう、イース!」
「……はい、少々お待ち……え、ゼスタさん!?」
ゼスタさんは父さんの職業校以来の友達で、英雄と呼ばれた5人の1人。
後ろに流した白金の髪、背が高くて涼しげな甘いマスクの双剣士。どこに行っても大人気。
忙しいゼスタさんが偶然寄ったわけではない事なんて、すぐに分かった。
「本当に酒場で働いているとはな。マスター、すまないがちとコイツを借りる」
「ちょっとあんた誰……あ、あんた! 英雄さんか!」
「すまない、コイツの将来に関わる話なんだ。5分で終わらせるから」
「あ、ああ大丈夫だ」
マスターにはオレの正体を伝えてある。小刻みに頷きながらも奥の部屋を空けてくれた。ゼスタさんは時間がないと笑いながら、オレの状況を尋ねる。
「……なるほど。お前の活動記録が全然耳に入ってこないと思ったら」
「すみません。オレ、父さん達ほど才能なかったみたいです」
「才能? お前がこだわるほど、みんな実力だけでのし上がってはいない。運だって大きいんだ。俺もシークや愛剣のケルベロスがなけりゃ英雄にはなれなかった」
そう言うと、ゼスタさんは机の上に1枚の紙きれを置いた。
「悲しくても耐えて、悔しくても耐えてきた。その結果、耐え癖がついた。嬉しい時でも、夢を見ていい時でも耐えるようになっちまった。運を見放してきた。そんなイースに渡したい物がある」
「え、何ですか? この紙は武器屋の……住所?」
「この話の流れで察してくれないかね。アダマンタイトの剣を武器屋に依頼してある。これは俺やシーク達からの贈り物だ」
「えっ!?」
「武器の主として胸を張れるようになったら、シュトレイ大陸のジルダ共和国まで来い。ギリングの武器屋マークで剣にお前の名を刻む」
驚いた。近年遭遇例がないモンスター「アダマント」の甲羅は、現在どれだけお金を積んでも手に入らないと言われている。
鉱石よりも強靭で硬く、それでいて欠けることがない。ミスリルなどの材料を少量混ぜることで、最強の硬度と粘土を両立させることができる。
反面、鍛えることができる鍛冶師は片手で数えるほど。代々受け継いだ武器を打ち直すなどして、技術を維持していると聞く。
バスターになった頃は夢にまで見ていたのに、いつしか追うのを諦めて忘れていた。そんな武器を譲ってくれるというのか。
ずるい、特権使いやがって、実力に不相応だ。きっとそう言われる。オレはいつも他人からの評価や、見えない本音を気にしていた。
でもその結果、オレはどうなった? 今のオレは結局こんなじゃないか。もうやめだ。
誰が非難しようと、今より悪くなんてならない。
「この幸運がお前の力になるかどうか、後はお前次第……だが」
ゼスタさんがオレの顔をじっと見つめ、ちょっと太ったなと苦笑いする。
「バスターとしての強い意志はまず体型に現れる。いいな」
「はい。あの、有難うございます!」
「たまにはシーク達を……親を頼ってやれ。寂しがってる」
「はい。今度連絡しておきます」
「今度じゃない、明日しろ」
「分かりました」
オレはこれまでずっと肩書きや身分に釣り合おうとして、挫けてきた。
環境は変えられない。今まで周囲が見ていたのはオレ自身ではなく、オレの親。オレが世に名を残すことはない。きっと英雄にはなれない。
それでも、剣がオレを主に選んで良かったと思えるバスターは目指せる。
「後は自分がやるかやらないかで、決めることができる……」
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それから2カ月が経った。
オレはとにかく筋トレと走り込みをやり切った。他人に頭を下げ、モンスター退治の剣さばきも教えてもらった。体型も元に戻した。
酒場のマスターは、たった2カ月でここまで変わるかと笑っていたっけ。
「マスター、お世話になりました」
「おう。お前が辞めたら若い女性客が減りそうだ。せいぜい活躍して店の宣伝に使わせとくれ」
マスターがニカっと笑う。カウンターの奥にはオレとマスターが一緒に写った写真。
イース・イグニスタ出陣! と書かれた写真を見て、多くの人があの英雄の息子だったと気づく。
快晴の空。たなびく雲は近い程早く、高い雲は目覚めの頃と変わらずそこにある。港のウミネコがトンビと喧嘩し、今日は大群に驚いたトンビが負けたようだ。
今日の午後、オレはシュトレイ大陸を目指してこの町から旅立つ。休みの日だからか、店には朝から多くの常連さんが見送りに来てくれた。
「あーあ、強引にでも彼女になっとくんだった!」
「飲ませて夜這いする計画もさ、イグニスのガードが堅過ぎてさ」
「ねー、ほんと悔しい」
「えっ、そんな事考えてたの!?」
女の子達が頬を膨らませて抗議してくる。ガードが堅い自覚はなかった……。
「顔も悪くないし? てか良いし? その高身長、その優男な性格! それで女の子に手を出して遊ばなかった理由、これでようやく分かった!」
仲の良かった女の子達が、オレへと残念そうに笑いかける。
オレだって何もなけりゃもっと遊べ……いや、それはそれで恨まれそうで怖い。
「あーんそのシャツが窮屈そうな体も、もう拝めないのね……アタシ悲しいわ。最後に……ちょっとその胸筋を揉ませなさいよっ」
「え、ゴモーラさん! ちょ、やめっ」
「みんなイグニスの体を狙うオトコを取り押さえて! 代わりにアタシが!」
「おだまり! オトコ呼ばわりはやめてちょうだい! アタシの夢と希望が詰まった胸筋は渡さない」
常連の男性客がオレの胸筋を鷲掴みにしようとする。
オレよりゴツいのに、心は女の子より乙女。そんなゴモーラさんは、よく親身になって話を聞いてくれた。
だからって胸は揉ませないけどな。
「ボウズ! 結局その格好で旅立つのか?」
「いいじゃん、イグニスはその服が定番じゃん! エプロン姿もいいけどね」
「ああそうだそうだ、エプロン! エプロン持っていけ!」
「え、エプロン?」
「他所の土地でサラっとこの店を宣伝するんだよ!」
グレーのシャツ、千鳥格子のネクタイ。黒いベスト、黒いスラックス。
酒場で働いていた時の服装で旅立つのは、みんなから「その姿じゃないと、イグニスっぽくない」と言われたから。
オレはこの町じゃ「イース」ではなく、酒場のイグニス。
この町の知人は、オレ自身を見てくれた。今もそうだ。
港から汽笛の音が響いてくる。乗船の手続きが始まった合図だ。
「じゃ、行ってこいイグニス!」
「本名がイースだろうが、親が英雄だろうが、俺達にとっちゃお前はイグニスだ。女たらしで酒にやたら強い、好青年のイグニス坊やだ」
「うん、皆さん、有難うございます! 行ってきます!」
オレの挫折に寄り添ってくれた第2の故郷。
色々失ったつもりでいたけど、仲間なんていないと思っていたけど、こんなにたくさん寄り添ってくれていたんだ。
「……みんな、本当に有難う。腐りかけたオレでも、英雄の息子じゃないオレでも、仲間に入れてくれたみんなを忘れない」
オレは深々と頭を下げ、地面の土に涙が落ちる前に顔を上げた。
振り返ったら泣くと分かっていたけど、それでも何度も振り返って手を振り、みんなの姿を目に焼き付けた。




