BRAVE STORY-07 もう1つの奴隷の形。
部屋に荷物を置いてはいられず、荷物は全部持って来た。重さでさすがに速度も落ち息も上がってきた頃、オルターのアパートに辿り着いた。
「オルターの部屋、明かり点いてねえな」
「あや? おなすびやさい?」
「なすびは野菜だけど……おやすみなさい、だろ。まだ寝るには早い」
「おぉう。おるたのぱんちゅ、盗られますか?」
「もうパンツは忘れろ」
アパートが隙間なく立ち並ぶ閑静な住宅街。
オルターの部屋は3階、内階段でベランダはない。もし魔王教徒が部屋の中にいて、オルターを捕えているとしたら。
建物の玄関扉を開け、出来るだけ音を立てずに通路を歩く。左に曲がって階段を上がろうとした時、背後で扉が開いた。
「イースか?」
「え、オルター?」
「どうしたんだ遅い時間に」
振り返ると、そこにいたのはオルターだった。特に何かあった様子もなく、オレを見て驚いている。
「あー、いや、ちょっと確認したい事があって」
「ふーん? 話なら部屋で聞こうか」
オルターは鼻歌交じりでオレの横を通り過ぎる。ただ、目は何かを訴えていた。
「ちょっと飯食いに行ってたんだ。バーで働くからには酒に強くなりたいからな。普段飲まねえけど1杯だけ飲んだよ」
「自分が飲む必要ないだろ。そりゃ店員さんも1杯どうぞって言われる事はあるけど」
「ぬし、ぬし! おじゃべり……しますか!」
「ん? ああ、そうだね。でも部屋に入ってからゆっくり」
遠くで扉が開く音が聞こえた。オレ達の後に誰かが帰ってきたのか、それとも1階の住人が家から出たのか。
オルターは朗らかな声を出しつつも、その表情は何かを警戒している。鍵を開けてドアノブを下げる前、オルターが視線だけでオレに通路の後方を見ろと合図してきた。
「……グレイプニール、いいと言うまで喋るな」
両側に5部屋ずつが並ぶ通路の後方、誰かが潜んでいる。
オルターは鍵が開かないふりをしつつ、今度はオレにドアノブを見ろと合図した。
ドアノブには何か黒い汚れが付いている。
「出かける前、防犯対策で黒インクの線を引いていた」
オルターはとても小さな声でオレに話しかける。猫人族だから耳が良いと信じての事だろう。1メルテも離れていたならきっと聞こえない。
この声は、通路の奥の人影に対しての警戒ではない。
オルターはドアノブにつけた印が消えていると言った。それはつまり、誰かが触ったという事。そして鍵が再び締められているという事は、ご丁寧にピッキング技術で締め直す事が出来たか……中に誰かいるかだ。
「あ、開いた」
オルターがドアノブを下げた時、階段に潜んでいた奴が1歩踏み出したのが分かった。ドアを開けるタイミングで襲う手筈だと明かしているようなものだ。
オルターが一瞬間を取り、左開きの鉄製の扉を勢いよく外に開いた。オレは扉の左側に、オルターは右側にいて、そのまま扉の影に隠れる。
扉が開いた直後に不意打ちをするか、部屋の中に潜んでいるか。どうやら相手は前者だったらしい。
「ふんっ!」
玄関扉の前には誰もいない。その誰もいない空間に、木製の棍棒が勢いよく振り下ろされた。
「うおっ!?」
「甘いっ!」
誰かにぶつける予定で振り下ろしたのなら、空振りして体勢を崩すのは当たり前。前のめりになって扉から頭を覗かせた男に対し、オレが顎を蹴り上げた。
不意打ちのつもりがオレからの蹴りを喰らい、黒ずくめの男が室内へ仰向けになりながら倒れる。
「オルター! こいつ押さえとけ!」
「分かった、頼む!」
オレはグレイプニールを構えて踵を返し、潜んでいた奴と距離を詰める。相手は慌てて階段を降り始めたけど、ご丁寧に1段ずつ降りてりゃ、オレじゃなくても簡単に追いつける。
踊り場まで12段の階段を一気に飛び降り、もう一度飛び降りたところで、そいつを後ろから羽交い絞めにし、その場に押し倒した。
……あれ? なんか、感触が……柔らかい?
「お前、女か!」
「放せ! 痴漢だと言って叫ぶぞ!」
「魔王教徒さん。何でオレがここにいるか、分かるよな? お前の仲間はもう捕えてきたんだよ」
オレの言葉にハッとし、女の身じろぎが止まった。騒ぎに気付いた2階の住人が玄関を開け、オレ達を見て近づいてくる。
「どうした、あんた女なんか押し倒して」
「こいつ強盗なんです! 3階のオレの友人の部屋で、こいつの仲間も取り押さえました!」
周囲のヒソヒソが伝染し、階下からも人が集まってきた。女は痴漢だと騒いでいたが、みんなで3階に行く頃にはおとなしくなっていた。306号室の扉は半開きで、中から怒号が聞こえてくる。
その直後、突然発砲音が響き渡った。その場の空気が凍り付く中、オレの足は無意識に動いていた。
「まさか、オルター! すみません、ちょっとこいつ捕まえといて下さい!」
まさか相手を撃ったのか! それとも、相手がオルターの銃を盗んで使用したのか。
慌てて部屋に飛び込んだ時、目に飛び込んできたのは銃を握りしめ、腹部に手を当てる犯人だった。
「オルター!」
「こいつ、金庫をこじ開けてオレの銃を奪ってやがった! 押さえてられなくて部屋の中に逃げ込まれて、そのまま……」
「状況は分かった、とりあえず医者を! 誰か、治癒術士はいますか!」
「お、おれ治癒術使えるぞ!」
「じゃあこの人にヒールとケアを! 電話がある家の人、医者と警察に連絡を! 魔法使い用の呪具を持って来いと伝えて!」
医者を呼べと言われ、数人が廊下を駆けていく。
オレはバックパックからタオルを取り出し、男の患部の圧迫を試みる。その間、治癒術士は傷を少しずつ癒していく。
周囲はオルターの主張を信じてくれるのだろうか。
この状況を見て、オルターが撃ったか犯人が自分で撃ったか、判断など付かない。棍棒で殴られようとしたのだから正当防衛は主張できるかもしれないけど……。
「オルター! 仲間の女の拘束を頼む! 気を付けろ、魔王教徒は死霊術を使うぞ」
「わ、分かった」
「あんたが悪者なのは分かってる。でも、だからこのまま死ねとは思わない」
「放せ……失敗したら、どうせ命は……ない」
「どういう事だ」
そう訊ねた時、男の腕に見覚えのある模様が見えた。
「……あんたまさか」
「何も、聞くな……聞かないで、くれ」
この模様、奴隷の証だ。魔王教徒から救出したアモーナさんと同じ……。
「あんた、オルターを狙えと強要されたんだな」
「……」
「グレイプニールが触れたらバレる事だ。自分の口で言え」
「……お前らを襲わ、ないと」
「体に記された呪文が発動するんだな」
オルターが女の方を連れてきた。確認させると女の腕にもびっしりと術式が彫られている。
「皆さん! 事情は後で話します、今だけは見守っていて下さい!」
「おいイース、どういう事だよ、こいつら魔王教徒だろ!」
「後で話す! グレイプニール! この人達に術式を刻んだのは誰だ」
「……、おあ? ぬし、行て来らでた拠点、なおうきょうとの拠点! きょうとたまの死にももます!」
「お前ら、シュトレイ山脈で教祖って奴に彫られたか? 言え、重要な事だ!」
血の気のない顔の男と、拘束され項垂れる女。その両方が同時に頷いた。
「お、おいまさか! イース、この2人も魔王教徒の奴隷って事か!」
「ああ、恐らく失敗すれば術式が発動すると言われていたんだ。でも安心しろ」
「あ、安心なんて出来るわけないじゃない! 術式が発動したらアンデッドにされるのよ!?」
女は涙目でオレを睨む。警察が来たという声が聞こえ、すぐに警官が部屋に入ってきた。
「なっ、血!?」
「早く2人に魔力封じの呪具を! それから、ホテルジョイスンで捕えた2人にも早く!」
「わ、分かった!」
2人の腕に呪具がはめられた。これでもう魔力は一切流れない。
「教祖は倒した。あいつはアンデッドだった。あいつを操っていた奴の魔力が効くとしても、呪具を填めていれば魔力は発動できない。もう大丈夫だから」
安心しろと言われた理由が分かり、2人がホッとしたのが分かった。女はか細い声を震わせ、その場で助けを求めた。
「お願いです、この人を、夫を……助けて。捕らえられた子供を救い出して下さい……!」
「シュトレイ山の捕虜は全員無事です、もう大丈夫」
「あ、あ……あぁぁぁ……っ! 有難う……有難う御座います……!」




