-作られた命、自然の村- Part 8
「怪我もいい感じに治ったし、任務に戻ろうとしてた所っスよ。
出来れば迅速に移動手段とかの手配をお願いしたいっス」
一日二回の雨が降る時間になり、霧雨が覆う公園のベンチでハルサはポツンと一人で座っていた。ジメジメとした湿気を服が吸い、ベタっとした感触が肌を覆う。モノクルに付いた水滴を服で拭き取り、ハルサはアイリサやツカサと連絡を取っていた。モノクルとハルサの持っている端末は同期しており、一人と一匹がいるアイリサの自宅にハルサの見ている視界をリアルタイムで届けていた。
『ハルサ、任務の事なら気にしなくていいわよ。
怪我したんでしょ?」
「そうっスけど……。
でも任務が……」
ハルサは自分の腹部の傷の上にまだ巻かれている包帯を触る。痛みはもう無く、あれだけ深かった傷は完全に塞がりかけている。エクロレキュールの治療のやり方がよっぽど良かったのか、化膿したり、虫が湧いたりはしなかった。
『任務はいいのよ、ハルサ。
久しぶりの休みだと思ってゆっくりしてきなさい。
いつ帰ってくるのかだけ教えてね。
晩御飯作らないとダメでしょ?』
ツカサはそういってアイリサの机の上に淹れたてのお茶と茶菓子を置く。ハルサは任されていた任務の事が心配で仕方なかった。ラプトクィリが手を回してハルサの戦闘不能を伝えたお陰で、アイリサは代わりの人員を派遣したらしい。そしてアイリサはハルサとラプトクィリに休暇を言い渡したのだった。
「でも…」
それでもなお食い下がろうとしたハルサだったが、アイリサはぴしゃりと続く言葉を遮る。
『ツカサもそこなら安心出来るって言ってたしねぇ。
のんびり一ヶ月ぐらい滞在してから帰ってきなさいよ。
まあ、宿主が泊ってもいいって言ってたらだけど…』
まるで取り付く島もない。
「了解っス……」
自分の存在価値を任務に見出していたハルサは少ししょんぼりとした。ケモミミが垂れ下がり、尻尾がしんなりとする。雨の音が大きくなり、ポツポツと滴り落ちる雫の勢いがどんどん強くなっていく。雨の匂いが咽るほど膨らみ、ハルサはベンチの上に横になった。
『まあ、そう落ち込むこともないわよ。
ハルサあなた最近疲れていたみたいだし。
貴女の休暇は私がアイリサさんにお願いしたようなもんだから…』
「そうなんスか、姉様…」
『その通りよ、ハルサ。
姉として貴女にいうわよ。
今は体を休めなさい。
時期が来たらこっちから迎えを寄越すからね』
「はーい、了解っス……」
ぼんやりと横になりながらハルサは降りしきる霧雨を目をつぶって感じる。この街の存在を既にアイリサもツカサも知っており、全てが終わったらそこで暮らすのもいいかもね、という話までしていた。
『あら。
あらあら。
ねえ、ツカサ、ハルサ。
急だけど、貴方達が私の所に転がり込んでもう一年近くになるのね』
アイリサはお茶を啜りながら二匹にこう話しかけた。
「もうそんなに経つんスかね…?」
『早いものですね…』
ハルサは姉と二匹でマキミの親友だったアイリサの所にアポなしで転がり込んだ日の事を思い出す。
『あの日の事、ずっと忘れられないわ。
ボロボロのかわいい二匹が私の家に来た日の事だもの……』
※ ※ ※
「お願いします、助けてください」
その日の事をアイリサはしっかりと覚えている。大野田重工第五工業都市は午前中から黒い酸性雨が降っていた。遺伝子操作された桜の花が風にのって舞い散り、脱税目的で作られた寺の鐘の音が鳴り響くミヤビな街並みは本社都市の雰囲気にそっくりで、たまたま仕事でそこにしばらく住まなければならなかったアイリサからしたらありがたい話ではあったが地理的な関係で一年の半分雨が降っていることだけは我慢ならなかった。
その日は“遺跡”から新たに見つかった資源の調査に付きっ切りだったアイリサが仮住まいに帰ってきたのが深夜二時を回っていた。現場の指揮官と意見が対立して、上手くいっていない事も相まって疲れ切っていたアイリサが家の前で幽霊のように立っているボロボロの二匹の獣人に助けを求められても助ける気力なんて残っていなかった。更に深夜で、廊下は電気が消されており暗く、顔もよく見えない。そんな怪しい獣人二匹を相手にする人間は普通はいない。
「あなた達、ご主人様はどこの人?
私はワケアリ商品を飼うなんてことしないんだけど。
新しいご主人を探してるなら私には期待しないほうがいいわよ。
それに貴方達自身かなりお金がかかってる個体みたいだし…。
大人しくご主人様の所に戻ったほうがいい暮らしが出来るわよ?」
二匹を無視してアイリサは手のひらをドアの入り口についているスキャナーに読み込ませ、家の鍵を開けた。
「お願いします…。
もう私達には行くところが……」
姉の獣人は疲れ切った声で懇願するように家に入ろうとするアイリサに縋りつく。
「そんなこと言ったって……」
家に入る前にちらり、とアイリサは二匹の獣人を見た。二匹ともボロボロに破れているレインコートを着ており、妹の小さな獣人は布で包まれた大きなものを持っている。その大きなものの形はまるで大鎌のようにも見えた。
「その大鎌みたいな荷物……。
まさか、貴方達…マキミの所の?」
大鎌のように見える荷物がきっかけとなってアイリサの脳裏にふと浮かんだ獣人の姉妹がいた。自分の元恋人でもあり、今ではすっかり遠縁になってしまった上司マキミが二年ほど前に二匹の獣人を拾ったから育ててる、と言った話をしていたことを思い出す。そしてマキミが妹に与える武器を作る時にアイリサもそれを手伝ったのだ。
「!
そうです!
ツカサとハルサです!」
姉の獣人はその言葉に激しく頷き、ほっとしたような声を出す。
「こんな所まで来てどうしたの!?
と、とりあえず中に入りなさいな。
お風呂も入って、ああ!
レインコートは脱いで玄関に置いてね!」
黒い酸性雨によってずぶ濡れになっていた二匹はお風呂に入って、レトルトながらご飯も食べた事で幾分か元気を取り戻したようだった。姉の方はしっかりとした毅然とした態度で妹の世話を焼いていた。
「貴方達、マキミに拾われたんだって?」
「そうです」
「という事は本社都市から来たって事よね?
一体何があったの?
よかったら話して貰える?」
「姉様……私…ねむ……ス……」
ずっと寡黙で一言も言葉を発していなかったモノクルを付けている妹、ハルサと名乗った方は眠気が限界に達していたようで姉にもたれかかると直ぐにすーすーと寝息を立てて眠ってしまった。ツカサはそんな妹の体を支えつつ、彼女自身の顔にも疲労の色が強く浮かんでいる。
「あらら……。
これじゃ話なんてできないわね。
私も疲れてるし、細かい話は明日にしましょうか。
布団は一枚余ってるのがあるからそれ使って」
アイリサは壁にかかっている時計を見る。時刻は既に午前四時を回っていた。
「何から何までありがとうございます。
お言葉に甘えさせてもらいます」
「私は明日休みだから気にしないで。
自分の家のように使っていいからね、ここ」
※ ※ ※
「そんな……。
マキミが…死んだ…?」
次の日、一人と二匹が目覚めたのはお昼を大きく回ってからだった。ご飯を作る余裕も無く、出前の人間用寿司を一人前と獣人用寿司を二人前注文しそれを食べながら話を聞くことにしたアイリサだったが、ツカサから聞いた衝撃的な内容を完全に飲み込めずにいた。
「そうです。
私達姉妹を逃がすためにご主人様は犠牲になりました」
ツカサはケモミミをぺたりと左右に折り畳み、しょんぼりとした表情でそう告げる。アイリサは自分の中に生じた爆発的な怒りを発散する先を見つけることが出来ずに目の前にいる獣人にぶつけてしまった。
「貴方達を逃がすために…?
バカ言わないで。
人間が獣人を逃がすために自らを犠牲にするはずなんてないわ」
アイリサはちゃぶ台をひっくり返しそうになり、それを察知したハルサがちゃぶ台を抑え込む。こんなに小さな体なのに戦闘用獣人の力でちゃぶ台を動かすことも出来なくなったアイリサはもやもやとした気持ちで頭を抱えた。
「マキミが……。
そんなわけ……」
壊れたラジオのように名前を呼ぶアイリサを見てハルサは何かを察したようで、真顔で姉の服の裾を引っ張った。
「……姉様、やっぱりここから出ようっスよ。
ご主人が言った通り、私達は私達で生きるしかないんス」
「…どういう意味よそれ」
意味ありげな言葉がアイリサの思考回路に再び火をつける。生意気なガキを黙らせようと拳を意味ありげに握りしめてしまっていた。
「こら、ハルサ。
すいません、アイリサさん。
常日頃からご主人様は何か困ったことがあったらアイリサを頼れと私達に言い聞かせていたもので……」
「マキミが私を?
全く面倒事ばかりを押し付けてきてあの男……。
なんで私があんた達の面倒を……」
そんな時アイリサは自分の端末が震え、一件の通知が入ってきた事を知覚した。腕時計に表示された差出人の名前は『クズ男』――つまりマキミからだった。
「えっ…?」
アイリサは立ち上がると何があったのか分からずに困惑する姉妹を残して家の外に出ていた。黒い雨はずっと降り続けており、黒い雨水が雨どいから溢れ出して滝のように流れ出している。二匹から離れ、一人になったタイミングでアイリサは端末を開き、マキミからのメールを読み始めた。
-作られた命、自然の村- Part 8 End
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