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-朱と交わろうが白であれ- Part 19

 ラプトクィリが先程示唆していた出口までの三百メートルはいつもならば直ぐに辿り着ける距離のはずだったが、何故かこの時はハルサにとって長く感じられた。体が重い訳でもなく、精神的な疲労が作用している訳でもない。ただこの空間がハルサにとって何か特別に感じられるからだろうか。


「もう少しだぜ!

 気張れよ!」


「当たり前っスよ!

 そっちこそちゃんと道分かってるんスか!?」


「あぁ、分かってるに決まってるだろ!

 出口までは俺が引っ張って行くから安心しな」


「めちゃ頼りにしてるっスからね!?」


 互いに減らず口を叩きながらも、ハルサはルフトジウムの握力がさらに強まるのを感じる。宝物の玩具を二度と手放そうとしない子供のように強く、しかし優しい握り方は、ハルサのルフトジウムに対する今までの感情や思いを溶かしてぐちゃぐちゃに混ぜてしまった。


「まぁ、任せとけって!

 この俺を誰だと思ってるんだよ!?」


「だからこそ心配なんスけど…?」


 もしもう一度生きて会えたら恨み事の一つや、負の感情を全力でぶつけてやるつもりだった。「裏切られた」「信じていたのに」と恨み節を吐き捨てるつもりだった。彼女の心を掻きむしり、どす黒く濁らせたかった。なにせ、つい最近まで殺し合いをしていた“敵”だ。彼女が再び“AGS”にハルサを突き出さないとも限らない。それだというのにこの安心感は一体何なのだろうか。


『出口近辺に敵はいないのにゃ!

 突き進むのにゃ!』


「おいおい敵さんもう弾切れか?

 それと車の準備は出来てるんだろうなァ!?」


『そっちはカンダロの仕事にゃ!』


 ハルサはルフトジウムと繋いでいる手を振り解くに振りほどけず、視界に入ってきた彼女の横顔を見て思わず変な一言を口にしていた。


「こうやって見ると、本当に美人っスよね…」


 自分でもなぜこのタイミングでその言葉が出たのか全く理解できなかった。自らが発した言葉をふと理解した途端、ハルサは頬が急激に熱くなるのを感じた。ただ、光の加減でそう見えただけかもしれない。翡翠色の瞳に真っ白な髪と、真っ白なまつ毛をはじめとして不釣り合いなほど美人に作り込まれている彼女はこんな汚れ仕事をしていなければ今頃、舞台女優として大成していただろう。遺伝子操作されて、人工子宮や試験管から産み出される工業製品の獣人の顔はオーダーメイドでもない限り普遍的な男女の顔で構成される。無個性は彼や彼女が社会から浮くのを防ぎ、人間から劣情を抱かれたり、嫉妬されたりするのを防ぐ働きもある。


「カンダロ、上手い事やってるんだろうなァ…?」


『ボクのサポートがついてるにゃから、問題ないに決まってるのにゃ!』


「だといいんだけどよ」


ハルサは横目でルフトジウムの顔を見る。今まで何度も見て来た顔だというのに、どうしてこんな大事な時に潤けた言葉が漏れたのだろうか。


「んで、何か言ったか?」


ラプトクィリとの通信を切り、ルフトジウムが突然聞き返す。ハルサはあたふたしながらもなんとか別の話題を見つけて述べる。


「あ、あとどれくらいで外なのかなって思っただけっス!」


「そうだな、大体百五十メートルくらい行けば――」




「ハルサ」




 ルフトジウムが答えようとした瞬間、ハルサの鼓膜をまたしても懐かしい声が揺らした。ハルサは耳をピクリと動かし、思わず振り向くと、いくつか割れて破壊されてしまった電灯が白く瞬く廊下の奥に、まるで亡霊のようにマキミが立っているのを見つける。


「ご主人……?」


急ブレーキをかけ、立ち止まったハルサはルフトジウムの手を振りほどいて立ち止まる。


「!?

 お前、何してるんだよ!

 早く行かないと――」


ルフトジウムも立ち止まったハルサに引っ張られてその場で足を止め、何かを言い続けている。しかしハルサの耳にはそんなルフトジウムの声はもう入ってこない。遠くにいるはずの彼の声がハルサにとってやけに近くに感じる。


「ハルサ。

 別にそいつと行かなくていい。

 私とここにいればいいんだよ」


「ご主人……」


 ハルサはフラフラと光に吸い寄せられる蛾のようにマキミの方へと近寄っていく。マキミの待っている方はどこか暖かく、この世の天国にも思える幸せな空間が広がっているようでハルサはそっちへ行けば幸せになれるのだ、という幸福感に動かされて足を動かす。


「お……!

 しっ…………よ!!」


ルフトジウムの声は耳線をしている時と大差ない程小さく、対照的にマキミの声だけは大きくハルサの脳内に響き渡る。遠くにいたはずのマキミは瞬きをしている間にハルサの目の前にまで俊敏に移動していた。


「いい子だ。

 さあ、こっちの部屋で美味しいものを食べよう。

 もう外で辛い思いなんてしなくていいんだ。

 私とずっと、ここで暮らそうな。

 欲しいものは何でも買ってあげよう。

 ずっと頭を撫でてあげるから」


「お………!!

 いい加…………!!

 “……レキ……ト”、聞こ…………!?

 なん………子がお………だ!!」


『薬………じゃ………?

 うー……、………にゃ。

 ……にゃ、一…ぶん殴………ど………?』


ルフトジウムがハルサの手を取る。ハルサはその手を鬱陶しそうに振り払い、マキミに向かって手を伸ばす。こんなに幸せなことがあっていいのだろうか、と思い悩むハルサの脳裏にある一匹の存在が浮かぶ。自分と同じく彷徨い、苦しんできた姉のツカサだ。ハルサは耳を垂れ、小さく俯きながらマキミに尋ねる。


「ご主人、あの、ツカサ姉様を呼んできても…いいっスか?」


「………サ!!

 し…………!!!

 敵……………!!

 ………!!

 ……レ………、警報………止………!?」


『今………に……!

 敵の………うげ……数な…………!』


「ツカサ…?

 ああ、かわいいハルサよ。

 悪いけど、どそれはダメだ」


頭を金槌で殴られたような強い衝撃がハルサに走った。


「え…どうしてっスか…?」


思わず小さな狼はマキミに聞き返していた。マキミは眼を細め、申し訳なさそうに笑う。


「私も本当はツカサと共に暮らしたい。

 けれど、二匹ともここで養える程の力は無いんだ。

 姉妹とはいえ、私はお前を選んだんだよ。

 光栄だろう?

 さあ、こっちに来るんだ。

 共に幸せになろう」


手を差し伸べてくるマキミ。しかし、ハルサにとってその手はもはや魅力的なものでは無かった。


「お前は…。

 お前は、絶対にご主人じゃないっス!」


ハルサは一歩下がってアメミットの刃を突き付ける。マキミは腕を組み、澄ました顔で自らの体を見せるように手を広げた。


「何を言っているんだい?

 私は私以外何者でも……」


まだまだ喋ろうとする悪魔の声を遮り、ハルサは反論する。もうこれ以上思い出の中のマキミを汚されることに絶えれなかった。


「いいっスか!?

 私のご主人はいついかなる時でも私と姉様を隔てることはしなかったっス!

 ご主人はいついかなる時でも私と姉様を心配して、愛してくれたっス!

 どちらかだけを選ぶなんて一番ご主人がしないことをお前はやりやがったっス!

 よくも私を騙したっスね!!」


「そんな、私は騙してなんて…」


「祈れ、そして死ねっス!!」


 マキミに向かって犬歯をむき出しにして睨みつけたハルサはアメミットをマキミの幻影に向かって振り下ろした。アメミットの刃は空振りし、アメミットに切り付けられたマキミは霧散して、その仮初の姿を崩した。次の瞬間、音が全て戻ってくる。マキミの声は聞こえなくなり、代わりにルフトジウムの声と大音量で鳴り響く警報が飛び込んでくる。


「………サ!

 おい!

 大丈夫か!?」


「わっ!?

 び、びっくりしたっス!!」


「びっくりしたのは俺だよ!

 急に立ち止まりやがって、眼も虚ろだったしよぉ!!」


『増援の数……やべー量だにゃ。

 お前らさっさとそこから一秒でも早く逃げるのにゃ!』





                 -朱と交わろうが白であれ- Part 19 End

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