-朱と交わろうが白であれ- Part 11
これだけ冷たい言葉を叩きつけられても尚、マキミはただ悲壮感を全身に湛えるだけだった。彼はいつもかけていたサングラスの奥の眼をきゅっと細め、力なく笑うと頬を掻いた。
「いやー…ここまで敵対視されてるとは思わなかったよ。
参ったね。
こうなると私みたいな天才古代物理学者にも打つ手がないな」
「…………」
「……あのね、ハルサ。
私は、幻影、もしくはホログラムかもしれない。
今、仮初の体を使って君の前に現れたのには理由があるんだ。
私はただ感謝の言葉を君に送りたいんだよ」
「――は?
一体何がどうなってそういう結論になるのか私にはさっぱり分からないんスけど。
私の前に現れたのは感謝を言いたいから、だなんてアニメじゃあるまいし…。
死人は死人らしく一言も発さないで土の下に埋まってるのが一番っスよ」
ハルサはマキミの幻影もしくはホログラムの挙動一つ一つに目を光らせながら、威嚇する。
「……家に帰ったら、ツカサにも伝えておくれ。
ツカサ、ハルサ。
君達を拾った事、私は微塵も後悔していない。
色々迷惑をかけてしまったことも事実だ。
ずっと一緒にいると、そう言ったのにね」
マキミはベッドから離れるとハルサの頬に向かって右手を伸ばしてくる。そそくさと逃げようとしたハルサだったが、気の迷いでその場に留まる事を選択した。いくら偽物とはいえマキミの悲しい表情を再び見たくはない。彼の大きな手はハルサの頬にそっと重なる。彼は優しい声で静かにだが響く声で話を続ける。
「君はいい子だ。
天使を拾ったと、そう思ったぐらいなんだよ」
マキミは愛おしそうにぷにぷにの頬を触る。奇妙な感覚が肌を伝うものの、無論ハルサからすれば彼に撫でられたという感覚は無い。
「…………」
なんとも奇妙な空間と、彼の行動に気圧され、ハルサはなんとも言えない微妙な面持ちでマキミの顔を見上げる。彼ははただただ嬉しそうに、愛おしそうにハルサの頬を撫で続ける。
「いつか君と二人で話したよね。
覚えているかな?
君は体の中に狼を飼っているという話を」
幻影のその言葉は、ハルサの奥深くに大切にしまっていた記憶の引き出しの取っ手をぐいっと強く引っ張った。ハルサの頭に昇っていた血がさっと引く。
「その話…なんで…。
なんでお前が知ってるんスか」
ハルサの表情筋が強張り、彼女の瞳はじっとマキミの表情を見つめる。強盗を全て殺したハルサは、事件から一週間程は自らの持っている力に怯えるようになってしまった。何かの拍子にまた怒りが頭を埋め尽くし、記憶が飛ぶ程の負荷を体にかけ、気が付いた時にはツカサやマキミをその手に掛けてしまうのではないか、と。彼女はただ恐れていた。
皿を洗ったり、植物に水をあげるといった些細な事さえ、彼女は慎重になっていた。物音に怯え、部屋の隅で小さくなることを繰り返し、ただでさえ塞ぎ込んでいた彼女は更に自らを封じようとする。そんなハルサの様子を放ってはおけなかったマキミは彼女を呼び出すと、彼女が彼女の中の狼を抑え込めるよう“魔法の言葉”を作ってあげる。それは一種の暗示であり、所謂気休めだった。しかしその言葉のおかげでハルサは自らの中の狼を抑えることが出来るようになったのだ。
「生きていたらいつかまた頭の中全てが怒りで真っ黒に塗りつぶされそうになる時が来る。
だけど大丈夫だと、私は教えたよね?
神に縋る言葉でもあり、君の体の中の狼を落ち着かせるための言葉を。
“――――”
我ながら良い言葉のチョイスだと思うよ?」
ハルサは素直にただただ驚いて、一瞬言葉を失った。その言葉まで知っているのはもはやマキミ本人以外にあり得ないのだから。
「ッ―――!!」
「今の君に必要ないのは知っているけど、まだ使ってたりするのかい?」
「な、なんでそれを……?
お前如き…が……」
ハルサは一歩下がり、首を細かく左右に振って頭を抑える。
「そりゃ知ってるに決まってるさ。
私は君が知っている人物なんだから」
マキミは一歩近づき、ハルサの頭を撫で始める。
「本当に…ご主人なん…スか…?」
マキミは静かに微笑んだ。そして腕を広げ少しだけ首を傾ける。
「やっと分かったかな?
そうだよ、ハルサ。
おいで?」
「ご主人……」
ハルサは強く握っていたアメミットを床に落とした。重い金属の音が部屋に反響する。
「ご主人、私沢山頑張ったんスよ!。
ご主人が居なくなってからずっと私とツカサ姉ぇは本当にずっと――!」
マキミは優しい表情を浮かべて、相槌を打つ。
「うん、うん。
沢山聞かせておくれ」
「ご主人…ご主人ー…!」
ハルサは触れることが出来ないと分かっていてもマキミに抱き着こうとし、そしてその場でダムが決壊したようにわんわんと泣き始めた。その姿にはいつもの冷たい、兵器の面影は無くただ純粋な年相応の少女のようだった。辛い事や嫌な事を家に帰ってきてから親に泣きながら報告する子供と変わりないその姿をマキミは触れられない体で優しく抱きとめ、そして泣きじゃくるハルサの言葉を一つ一つ飲み込んでいく。
「姉様も、私も、ずっとご主人が恋しくて――そして――」
「そうかそうか。
うん、うん。
大丈夫だよ。
これからは私がずっと傍にいるから」
「うえぇぇ…ん…。
ご、ごしゅじん…!
ずっと…会いたくて…私…!」
支離滅裂で意味をなさない程ぐちゃぐちゃな文脈だったが、マキミは何も文句を言うことはしない。ただ静かに、本当にそこにいるだけだった。ハルサは三十分ほど泣きじゃくり、そして疲れてそのまま床の上で眠ってしまった。
※ ※ ※
「にゃー…お前達の方からこのボクに接触してくるなんてどういう了見にゃ?
特にルフトジウム。
お前のことにゃよ」
「おいおい、声が焦ってるぜ。
一体どうしたんだ?
オタクが随分とイラついてるじゃあねぇかよ?」
大野田重工本社都市。第四九八九地区ヒガンバナ通りに居を構えていたラプトクィリは突然の来訪者に苛立ちを抑えきれない。彼女は今、血眼になって自分の相棒である小さな狼ハルサを探しているからだ。一刻も早く見つけないとまず間違いなくツカサに殺される。彼女をあの神社に連れて行ったのはラプトクィリで、それすなわちハルサの面倒をツカサから託されたという事に他ならないのだから。
「……別になんでもねえのにゃ。
さっさと帰れにゃ。
ボクは今お前ら三下に構ってられないのにゃ」
そういってラプトクィリは仮面越しに、玄関先でレインコートを着て立っている白い山羊とその飼い主であろう男を睨みつけた。バケツをひっくり返したような大雨はさらに強さを増していく。
「さ、三下……」
「俺達は別に帰ってもいいんだけどよ~…。
お前、“何か探し物”でもあるんじゃねえか?」
「………何を言いたいのにゃ」
「まー、“探し物”って言ったら大体都市警察の“AGS”と相場は決まってると思うが?」
頬に湿布のようなものを貼りながらもニヤニヤ笑うルフトジウムを殴り飛ばしてやろうかと考えつつ、ラプトクィリは横で丁番ごと外れて曲がっている鋼鉄製の扉を見てぐっと拳を握りしめた。戦闘用獣人ではないラプトクィリがルフトジウムと殺し合って勝てる確率はゼロ。ラプトクィリとしては穏便に帰ってほしい所ではある。それに来訪者は、丁寧にインターホンを押したわけではない。突然やってきたかと思うと、それが普通であるかの様に扉を蹴り壊して入ってきたのだ。
「そこまで知ってるなら、殊更邪魔をしないで欲しいものにゃ。
さ、お帰り願うのにゃ。
扉の修繕費はお前名義で送りつけておくのにゃ」
雨の勢いが強まり、雷の音まで鳴り響く。
「まあそう邪険にしないで欲しいもんだぜ。
実は俺達は今日はオフの日なんだ。
それにお前一匹だけで“探し物”見つけられそうなのかよ?
誰でもいいから助けが必要なんじゃねえか?」
作業の邪魔をされたラプトクィリの苛立ちは限界に近かったものの、ハルサに対しての情報を持っているというのなら少しでもすがりたい。
「ルフトジウムさん…。
そんなに煽らなくても…」
「うるせーよ。
おい、猫。
俺達が手伝ってやってもいいぜ?
文字通り猫の手も借りたい状況じゃねえのか?」
ハルサが大企業の手に渡ってしまうとまずい事をラプトクィリはちゃんと理解していた
「あの、立ち話も何ですし中に入れて頂いても?」
「……図々しい奴らだにゃ。
まあいいにゃ、入れにゃ」
-朱と交わろうが白であれ- Part 11 End




