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-朱と交わろうが白であれ- Part 8

「ん………」


 かすかな吐息と共にハルサは目を覚ます。彼女の瞳に映ったのは天井も壁も床も継ぎ目のない鉄板で覆われた静かな灰色の空間だった。自分が置かれている状況が咄嗟に理解できず、湧き上がる不安に駆られ勢いで起き上がったハルサは思わず腹部を抑える。


「ッ、あ、う、痛たた……」


 その痛みは混濁していたハルサの記憶を鮮明に蘇らせる。ルフトジウムとの話し合い、死闘、そして終局。“AGSの断頭台”を跪かせるような一撃を喰らわせ、トドメを刺す際にどこからか放たれた麻酔弾を喰らい、意識を失ってしまった所まで。全てだ。ハルサは自らの腕に残っているであろう麻酔弾の跡を探し、脳内にルフトジウムの顔を映し出して無意識下に拳を握りしめていた。


「あいつ…卑怯な手を使いやがって……。

 はじめからそうするつもりだったに決まってるっス……!」


 ハルサはルフトジウムに毒づきつつも、自らが置かれている状況を把握する為に今一度冷静になる。ズキリ、と痛む腹部を庇いつつ、ベッドから立ち上がったハルサは部屋の壁に無造作に置かれているアメミットを見つけ、ゆっくり近づき大事そうに抱きしめた。


「よかった~…。

もう会えないかと思ったっスよ~……。

これさえあれば、ここから出るのは容易いっスね」


 アメミットは蛍光灯の光を鈍く反射し、何か返事をするわけでも音を出すわけでもない。しかしハルサの視点ではアメミットもハルサに再開出来て喜んでいるように見えた。ハルサはアメミットを持ち上げ、顔を擦り付ける。もらった時はツルツルとした表面で傷が一つも無かったのだが、大分使い込んだ今ではあちこちに深い傷が出来ていた。


「ご主人……」


アメミットの冷たさを頬に感じながら、ハルサは目を閉じる。彼女は自らの代名詞とも言える武器をマキミから譲り受けた時の事をほんのりと思い出していた。



      ※   ※   ※



 ツカサとハルサ姉妹の二匹はヤマナカに捨てられ、何年か最下層で暮らした後マキミに拾われた。最下層での汚染物質による人体への悪影響を調べに来ていたマキミと二匹が出会ったのは運命が二匹を殺すことを良しとしなかったからだろう。マキミが二匹を拾わなければ二匹は今頃最下層でネズミの餌にでもなっていた。そしてマキミと二匹はその時が初対面な訳ではなかった。

 まだ二匹がヤマナカの家で飼われていた時、マキミを家に呼んだヤマナカは豪勢な夕食後に家の奥から二匹を連れてくるとどうだ?と見せびらかした事がある。二匹を紹介する時に“一匹で豪邸が建つほどの値段”とヤマナカが誇らしげに説明したからか、二匹の姿は嫌でもマキミの網膜に深く刻みつけられた。この事が二匹にとってはかなり幸運に働く。金持ちの嫌味のおかげでマキミは二匹を誰よりも早くゴミ溜めの中から判別し、救い出す事が出来たのだから。その時の言葉をツカサもハルサも忘れないだろう。


「君達、私の家の子にならないか?」


「おっさん誰?

 私達を拾ってくれるのはありがたいけど……何を企んでるの?」


「……姉様…」


 マキミが二匹を見つけた時、二匹は汚い最下層のゴミ溜めでゴミを漁って何とか腹を満たし、男の大人でも弱音を吐くような重労働や、人には話せないような仕事をこなす事で雀の涙程の日銭を稼いでいた。姉はそのお金と妹を育てる為に身と精神を削り、戦闘用獣人としての身体機能の大半を失っていた。妹は汚染された食べ物と栄養不足によって身体の成長が抑制されてしまっていた。けれど、二匹とも生きていた。


「君の名前はツカサ。

 そして君名前はハルサだ。

 いい名前だろう?

 どうだ、気に入ってくれたかな?

 今日から君達のことをそう呼ぶから覚えておくんだよ。

 いいね?」


「私がツカサァ?

 そんなおしとやかな名前が私に似合うかね?」


「私がハルサ…?

 うん……」


 拾われた二匹は名前を与えられ、働き始める。ツカサとハルサがマキミから教わったのは、礼儀正しい服の着方、マキミ邸の家事全般とマキミの身の回りの世話だった。もともとヤマナカ邸にてある程度の家事を叩き込まれていたツカサにとってマキミ邸での仕事は簡単で、マキミによる献身な教えもあってか二カ月後には独り立ちすることが出来る程に成長した。その働きぶりはマキミですら舌を巻く程で、本や紙、ゴミ、埃だらけだった屋敷は瞬く間に見違えるように美しくなっていった。ツカサは日々忙しそうに動き回り、家事をこなしていく。


「ツカサもハルサもよく働くね。

 たまには休んでもいいんだよ」


「私達ら拾ってもらったからさ〜。

 ちょっとでも恩返ししてーんだよ!」


「………っス」


 ツカサの育成は順風満帆だった。問題は妹の方だ。ハルサは物心ついた時にはゴミ溜めの中での生活で、環境の変化からなのか家事の覚えは正直よくなかった。また手先もあまり器用ではないのか着せられた着物を不注意から破いたり、皿洗いをすれば皿を割り、掃除をすれば畳をささくれ立たせる等問題点を上げればキリがない。それでもマキミと、ツカサは根気強く教え込む。


「おやおや、また皿を割ってしまったのかいハルサ。

 大丈夫かい?

 怪我はしなかっただろうね?

 きちんと片付けておくんだよ」

 

「っス……。

 ご主人、私ここにいていいんスかね?」


「いいに決まっているじゃないか。

 ハルサはうちの子なんだから。

 ――所でその口調、やめないかい?」


「ご主人が仕事してるときの口調から真似すれば私も仕事出来るようになるかなって思ったっスから…。

 ダメっスか?」


「参ったね…。

 これは上司におべっかを使うときの喋り方なんだが……。

 まぁいいか」


 ハルサは仕事が出来ないにも関わらずマキミからもツカサからも目に入れても痛くない程にかわいがられていた。しかし時間が経つにつれ、物事を器用に処理できないハルサの顔からはいつしか笑顔が消え、ぼんやりと外を眺めてはモップを手に持ったままため息をつくようになってしまう。よく出来る姉と比べてしまう、というのもあるだろう。そんなハルサの表情と態度を見たマキミは何とかして彼女にぴったりの仕事を見つけようと一緒に家事以外の様々な仕事を斡旋してみたのだが、ほぼ全滅。唯一料理には希望が見えたのだが、もはや彼女の使い道はただかわいいみんなの癒しというポジションだけとなってしまった。


「ふむ、参ったね…。

 君は一体何が得意なんだろうね?

 大丈夫だ、何も焦らなくていい。

 一緒に探していこうじゃないか」

 

「はい…っス…」






                -朱と交わろうが白であれ- Part 8 End

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