-朱と交わろうが白であれ- Part 3
暗い林の中は湿気を多分に含んだ風が吹き荒び、掃除されなくなった通路には大量の枯れ葉が積もっている。雨をたっぷり含んで泥濘んだ枯れ葉の地面を踏みしめ、ハルサは一歩一歩重くなる足取りを騙しながら前へと進む。ラプトクィリの言った通りすぐに廃神社の本殿が目の前に聳え、縁側に一匹の獣人が座っているのが見える。ハルサは手に持っているアメミットを握り、電源が入っている事を確かめる。刃を隠すように巻いている布の紐をいつでも解けるように準備し、覚悟を決めてルフトジウムへと近づいていく。
「…来たか。
時間よりも少し早いな」
足音に気が付いたルフトジウムは耳のピアスをチャラと揺らしながらハルサを見上げた。彼女の表情はどこか思いつめたようで、不安定な雰囲気を纏っている。ハルサは無意識下で強くアメミットを握りしめていた。
「ルフトジウムさん…」
小さな狼は震える声でルフトジウムの名を呼ぶ。ルフトジウムはハルサに横に座るよう促し、破れた座布団をポンポンと叩いた。彼女の横には長い布で包まれた二つの長物とビニール袋が置かれており、何度も戦ったハルサは長物の方がデバウアーと呼ばれる鋏だと簡単に理解した。
「まあ、座れよ。
俺はお前のことを知りたいだけなんだ。
その長物もそこに置いていいからよ」
「…………」
警戒心をたっぷり抱いているハルサの警戒を解くためなのか、ルフトジウムはビニール袋の中から有機合成三食団子を取り出して差し出す。ハルサは恐る恐る近づき、ルフトジウムの横に腰掛けた。
「食べな。
大丈夫、毒なんて入れてねえよ」
「はい…」
ハルサは大人しくルフトジウムの言う通り、アメミットをすぐに手に取れる場所に立てかけ座布団の上に座った。風向きでルフトジウムからは薄いシャンプーやボディーソープのほわりとした匂いが漂ってくる。しかし、その下には積年の戦いで染みついた硝煙や血の匂いが溶け込んでいた。きっとハルサも同じ匂いをしているに違いない。三食団子を一本手に取ったハルサは一口齧る。ほんのりとした甘みが口の中に広がるかと思いきや、緊張してがちがちになっているハルサにはその甘みは分からなかった。
「なあ。
単刀直入に言うぜ」
「……はいっス…」
碌にルフトジウムの顔を見れないハルサは俯き、まるで借りて来た猫のように大人しい態度を取る。もし彼女を激高させたら…ということを考えると慎重にならざるを得なかった。出来れば戦いたくなかった。負け続けているハルサにとってもはやルフトジウムは畏怖の存在でもあった。ルフトジウムはそんなハルサの様子を汲み取っているつもりなのか声だけが非常に穏やかではあったのだが、その右手は既にデバウアーらしい長物を掴んでいた。
「持ってきた長物を見た上で聞くのも野暮かもしれないが…。
お前、“大鎌の獣人”だよな?」
「…………」
長い、長い沈黙。ハルサは肯定も否定もできずにカラカラに乾いた口の中で言葉をもごもごと遊ばせるしかなかった。三食団子の串をパッケージの中に戻し、ハルサは再び黙り込む。ルフトジウムは煮え切らない態度のハルサにため息をついて、もう一度口火を開いた。
「別に俺は怒っちゃ――」
『怒っちゃいない』と続けようとしたルフトジウムは中途半端な所で言葉を切ると息を吸い込み、一泊置いてまた続きを紡ぐ。
「……いや悪ぃ。
正直に言うと俺はすげー怒ってる」
強い口調だった。
「…………」
「お前の目的は何だ?
俺達“AGS”と敵対する事じゃないだろ?」
なんと言えば彼女が満足する答えを出すことが出来るだろうか。固まっているハルサはただそう考えていた。『主人を殺した相手に復讐したい』という私情丸出しの目的で彼女が納得してくれるとは思えない。復讐したいからルフトジウムと遊び、復讐の為にルフトジウムと恋人ごっこをしていたなんて言えるはずもなかった。ハルサは別にルフトジウムのことが憎い訳ではないからだ。
「…………」
「なんで俺を殺そうとした?」
「……………」
はじめこそ何度も邪魔してくるルフトジウムのことを邪魔と思い、戦闘中隙あらば排除しようとしてきた。しかし何度も接し、何度も遊び、日を重ねていくに連れてルフトジウムに対してのヘイトはいつの間にか形を潜め、代わりに台頭した気持ちが好意だった。だからハルサは何とかルフトジウムを傷つけずにこの場を収めたかった。しかし沈黙はルフトジウムの怒りの炎に油を注ぐ結果となってしまった。
「――答えろ!
ここは黙っていてどうにかなる場面じゃねぇぞ!」
大きな声にハルサの体がびくりと跳ねる。
「いいから教えてくれ。
俺はお前を知りたい」
もはや泣き出してしまいそうな声にハルサは腹を決めた。嘘偽りではなく、ここは本当のことを言うべきだと。
「えっと…その…。
わ、私が“大鎌の獣人”……っス…。
ルフトジウムさん、本当に、ごめんなさいっス……」
何度も引っかかりながら言葉を吐き出すと同時にハルサはルフトジウムの顔をやっと見ることが出来た。隣に座るルフトジウムの表情はただただ、悲しそうだった。彼女はじっとハルサの瞳を見続けている。ハルサもルフトジウムの澄んだ瞳を見つめ続ける。雨脚が徐々に強まっていく。風に吹かれたビニール袋がカサカサと音を立て、細かく砕けた雨粒が縁側にまで入り込んでくる。濡れたくないハルサは目線を離し、少し奥に移動したがルフトジウムはその場から動こうとしない。
「あの、そ、そこに居ると濡れるっスよ…?」
ルフトジウムの顔に、体に雨粒が当たり始める。彼女はそっと自らの折れた角を触ると、雨の音で消えてしまいそうなほど小さな声でハルサに対して一言呟いた。
「お前、私の事、何とも思っていなかったのか?」
確かに聞こえた言葉は冷たく、剃刀のように鋭いものだった。ハルサの背筋を一瞬にして冷たいものが走り、
「ち、違う、違うっスよ!
そんな事は――!」
慌てて弁明しようとする。しかしルフトジウムはもう止まらなかった。
「違う事無いだろう!!」
「ルフトジ――!」
「よくそんな顔で謝れたもんだよ!
俺はさんざん苦しんでるってのによ!!
何度もお前を殺しかけ、何度もお前に殺されかけた!!
まさか謝ってそれでスッキリして終わろうだなんて思ってないだろうな!?」
初めてルフトジウムの見せた真っ黒な感情は何もかもを飲み込む濁流のような勢いでハルサに襲い掛かってきた。それでもハルサは負けじと言葉を紡ごうとする。
「違うっス!
そんなことは無くて!
ルフトジウムさ――!」
キラリと宵闇に何かが光った。ガチン、と鉄と鉄がぶつかり合う音が神社の境内に響く。ルフトジウムの持っていたデバウアーとハルサの持っているアメミットの刃がぶつかり合った音だ。
「何が違うんだよ。
言ってみろ」
布を纏ったデバウアー越しに見える彼女の目は細く閉じられており、かすかに見える瞳には憎しみしか浮かんでいない。冷静さを失っているルフトジウムにはもうハルサの言葉は届かない事は明白だった。
「くっ――!」
ハルサはアメミットを持ったまま後ろへと飛んで距離を取る。ボロボロの縁側がギシギシと軋み、梁から埃が落ちてくる。まだ一口しか食べられていない三食団子の入ったパッケージを蹴飛ばし、ルフトジウムはデバウアーを包んでいた紐を解きスイッチを入れた。すでに起動していたデバウアーの刃は熱を持ち始め、雨粒を蒸発させる。
「私は……!」
それでもなお、続けようとするハルサだったがすぐに気が付く。ルフトジウムの言う通り何も違わないのだ、と。ただ謝ってスッキリすれば元の関係に戻れると無意識下で甘く考えていたハルサは改めて自分の甘さに舌打ちした。戦わないで済むなんてありえない。彼女は“AGSの断頭台”とも呼ばれる戦闘用獣人で、自分は彼女が殺すと決めた相手なのだ。その正体が思いを寄せ、可愛がっていた恋人だとしても。他人の気持ちを弄んだ狼少女の審判の時だ。
「決着を付けようぜ」
「……」
ハルサはアメミットを覆っている布を解いて起動スイッチを押す。すでにスタンバイ状態にあったアメミットの刃もすぐに熱を持ち始め、排熱のための桜色のラインが発光し始める。
「俺たちは戦闘用獣人。
所詮そうやって生きていくしかねえのさ。
場所も場所だ。
お互い、死なないよう神にでも祈ろうぜ」
まだ前回の戦いの傷が強く残っているデバウアーを二本掲げ、彼女は冷たく笑った。
-朱と交わろうが白であれ- Part 3 End
いつもありがとうございます。
これからもどうかよろしくお願い致します。




