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-凍てつく世界- Part Final

 彼がポケットから取り出したのは、ルフトジウムの所持していた通信用端末のマイクが拾った音声を記録している媒体だ。カンダロがこっそりと会社に秘密で仕込んでいたもので、当然こんな事が上にでも漏れたら彼は今日にでも機密漏洩の罪で社内監獄にぶち込まれることになる。警備や治安維持を生業としている“AGS”の情報を社外に持ち出すことは社内法では一番重い罪に値する。カンダロはルフトジウムが薬の反動で睡眠薬を服用し、痛みに耐えながら列車内で眠っている間にこっそりと記憶媒体を抜き取っていた。


「ふぅ……」


 カンダロは除湿でエアコンをつけると、冷蔵庫の中から冷えた合成日本酒を取り出し、LEDで光るおちょこに注ぐ。彼は一升瓶とおちょこをもって部屋の真ん中に置いてあるちゃぶ台に座り、ツマミに乾燥した遺伝子組み換えスルメを齧り、すかさず合成日本酒をくっと飲んだ。合成日本酒の後を引く強い甘みだけが喉の奥に残りカンダロはせき込みながらテレビの電源を入れる。そして、雑音で部屋の中を満たしてから、ネットワークから完全に独立した自らの端末に音声記憶媒体を差し込み、内部に記録されていた音声を再生し始める。ワイヤレスイヤホンから流れる予定の音声は約九十時間にも及ぶ量が記録されていた。彼はその音声を機械の解析にかけ、トランスプリクトを作り上げていく。日本酒を片手に作業をしていた彼だったが、八時間程経過してして出て来た文字列と音声データにはカンダロが思っていた通り、ヤマナカや“鋼鉄の天使級”の言葉が記録されていた。


『あれを使えば…。

 あれを使えば大鎌の獣人……マキミの亡霊なんてすぐに……』


『マキミ?

 亡霊?

 何のことです?』


カンダロは忘れたようにすっかり温まってしまったお茶の封を開け、一口啜る。すっかり酔いが回っていた彼の視界に端末の光が突き刺さる。


「マキミの亡霊、そして“鋼鉄の天使級”……。

 間違いない、あの時死んだとされている父の獣人が生きているんだ。

 そしてそいつが何かきっと鍵を握ってるはずだ…」



続いて爆発音。そしてルフトジウムの息遣いと共に大鎌の獣人と戦う激しい音が続く。ルフトジウムがどうやって勝ったのかについての興味がないカンダロは丸ごと大鎌の獣人戦の音声を飛ばし、場面はあの格納庫の内部に移った。何かが割れる音と共に、ルフトジウムの息遣いが上がっていく。そして聞いたことのない声。


『んー、なんて言ったらいいのかな。

 俺は“重巡洋艦”なんだけど……ふと近くに“旗艦”の気配を感じてさ。

 その気配、ずーっと俺達が探してた存在なんだけど目が覚めたら反応は消えていて…。

 近くに他に“天使級”いたかどうか知らない?』


『……お前は何を言って…?』


『伍番と捌番も“旗艦”の気配を感じたらしいから俺の勘違いじゃないと思うんだよね。

 だからここにいたおねーさんなら何か分かるんじゃないかなって。

 知ってるならすぐに教えて欲しいな』


記録されていたのは“鋼鉄の天使級”の声。


「やはり父は“鋼鉄の天使級”とその周りに渦巻く策略で殺されたんだ。

 ルフトジウムさんが睨んでいた通りだったんだ。

 流石だなぁ、あの人……」


カンダロはお茶を全て飲み干すと音声をコピーし、カーテンの隙間から止まない黒い雨をただ憂鬱そうな目で眺めた。




     ※   ※   ※




 今日もただ重く黒い重金属の雨が止まることなく降り続ける。枯れる事のないバイオ桜の花びらが重い雨に打たれ剥がれ落ち、一枚また一枚と地面に積み重なっていく。


「ふぅ…。

 サイント、着いたぞ。

 お前のこれからの家だ」


 “本社都市”の中央街から大分離れたところにある墓地にルフトジウムは一匹、雨の中佇んでいた。その墓地はかなり立派なもので、“AGS”の任務中に殉職した人間や獣人を弔う場所だ。ただ、立派なのは人間の墓だけだ。人間の墓は一つ一つしっかりと墓標が立っておりホログラムの線香が煙を燻ぶらせている。が、獣人は違う。小さな墓標が一つだけ墓地の隅に置かれており、そこには千体を超える今まで使いつぶされた“備品”の骨が収められている。今回サイントが入るのも当然人間用ではなくこちら側だ。墓の前には死んだ獣人が好きだったのであろうものが沢山置かれているのがせめてもの救いだろうか。

 ルフトジウムは置かれている物品を見て右手に持っている瓶をぐっと握りしめた。瓶には白いシンプルなラベルがベタリと貼られており、そこにはサイントの型番と個体名が刻まれていた。中に入っているのは火葬され、機械によって粉々に砕かれたサイントの骨だ。

 列車から降ろされたサイントの遺体は誰かから賞賛の声を掛けられるでもなく、誰かから別れの挨拶を言われるでもなく、運び出されてすぐに“AGS”の火葬場に運ばれた。ルフトジウムとカンダロは彼女がまるで可燃物のゴミみたいに焼かれるのを近くで見続けた。遺体が瓶に詰められて自動販売機のような受取場から無造作に出て来たのは一人と一匹がサイントに別れを告げた二十分後のことだった。カンダロはその後空気を読まない上司に呼び出され、実質彼女を埋葬するまで近くに居てあげれたのはルフトジウムたった一匹だけになっていた。


「なあ、サイント。

 俺がお前に話すっていった事……覚えてるか?

 お前と会う前、俺はあの場所でとんでもないものを見ちまったんだよ。

 お前にだけ零すな。

 ずっと俺達が追っていた大鎌の獣人…。

 あれは俺の思い人…ハルサだったんだよ」


黒い雨の勢いがさらに強さを増す。ルフトジウムは風で傘が飛ばされないようしっかりと首と肩で挟んで支え、鞄の中から造花を取り出して墓場の前に置いた。


「俺はどうすればいいんだろうな。

 どんな顔をしてあいつに会えばいいんだろう。

 俺はあいつを何度も殺そうとした。

 そしてあいつも俺を何度も殺そうとした。

 こんなの嫌だよなぁ。

 俺達は、愛し合うんじゃなくて殺し合うのがお似合いだったんだろうか。

 山羊と狼ってのは童話にもある通り、どこまで行っても相容れない存在同士だったのだろうか」


ルフトジウムはツルツルの瓶をそっと撫でる。


「これからどうするか結論はまだ出てないんだ。

 けれど…、俺は一回ハルサの所に行ってみようと思う。

 俺はまだあいつがハルサじゃない可能性をどこか心の奥底で探してる。

 こんな事、お前が聞いたら笑うだろうな。

 …まだカンダロにはこの事は言えてないんだ。

 もし言ったら、あいつは俺と一緒に背負ってくれるだろうか。

 新たな道を見つけてくれるんだろうか。

 ハルサを殺さなくていい未来を」


サイントが答えてくれるはずもない。ルフトジウムは小さく笑うと最後ぐらいは笑顔で彼女を送り出してやろうと気分を切り替える。


「さて、と。

 これ以上別れを惜しんでいても仕方ねえし、俺自身何回も別れの挨拶をするのは苦手だからな。

 だから、しみったれたことは言わねぇぞ」


 獣人用の墓場に設けられたボタンを押すと瓶を入れることが出来るように円形の口が開く。ルフトジウムはその中に瓶を震える手で入れ、さっと手を離した。真っ暗な口の奥へとサイントはするりと飲み込まれ、すぐにその姿は見えなくなる。


「じゃあな。

 また来るよ、相棒」


彼女は最後にそう投げかけ墓の口を閉じると踵を返し、墓場から立ち去った。




   ※   ※   ※




「あ、お疲れ様です。

 すいません、こんな身なりですが…」


「いや、寝たままで結構ですよ。

 君は十分に仕事を果たしましたから。

 正直、この任務が成功するとは思っていなかったですが…。

 だから“標的”の鹵獲に成功したと聞いたときは驚きました。

 まさか我々の手中に“奴”が収まるとはね」


「正直私も驚いています。

 これも全面的なバックアップのおかげですよ。

 それで、彼はどうしているんですか?」


「薬で強制的に眠らされています。

 不安定な今、起動したらどうなるか分からないですから。

 どうも“格納庫”近辺のプログラムが精神的な不安定さを促進しているしているみたいでね。

 首輪の自殺プログラムの解除に難航していはいるがおそらく数日中にケリは着くでしょう。

 予想以上の戦果です。

 これで企業間のパワーバランスも変わります」


「これで死んだ息子も報われます。

 私の“復讐”もようやく終わりそうです。

 それで、その… “ドロフスキー”の市民権についてですが…」


「もちろんです。

 新しい女も用意しています。

 貴方はこれからずっと幸せに暮らせますよ。

 ですが、今回一番の功労者は君の息子です。

 彼の犠牲無くして今回の鹵獲はありませんでしたから。

 君の息子が接触した時に“彼”が暴走したときはどうしたものかと頭を捻りました。

 我々の関与を疑われる訳にはいきませんでしたから」


「それについてはごどうか安心を。

 天使級がすべてを焼き尽くしてくれたはずですから」


「……“我々”としても天使級の暴走で“遺跡”を失うのは正直予想外でした。

 あそこの奥深くに眠っていた物をあなたは知っていましたか?」


「いえ、あいにく……」


「二千年以上も昔、この全世界を支配した帝国…。

 過去の“戦艦”ですよ」


「……“戦艦”ですか?」


「ええ。

 もう跡形もなく消えてしまいましたが。

 とにかくゆっくり休んでください。

 ここから出たとき、あなたは新しい身分と新しい家族を手に入れています。

 明るい未来を掴んでください」 


「はい…!

 本当に、本当にありがとうございます。

 ――カナシタさん」






                -凍てつく世界- Part Final End

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